上 下
83 / 232
第4章 迷宮の異世界 ~パンドラエクスプローラーⅡ~

第83話 家に帰るまでが遠足です

しおりを挟む
 天候は快晴、太陽の高さと地に落ちる影の出来具合から午前10時頃だろうか。
 時計が存在しない世界のようなので、時間の経過は日の傾きで測るしかない。
 不便ではあるが、異世界ではこれが当たり前である。

「はーっ、やっぱり凄いなぁ、エルトゥリンは」

「こんなの大したことない」

 朝食を終えた店先でのこと。
 土と砂が踏み固められた未舗装みほそうの道路を挟んで、いかにもファンタジー世界を思わせる建物が通りに並んでいる。
 感心の声をあげるミヅキは、エルトゥリンの仕事っぷりに驚いていた。

「キッキと二人掛かりでもかなり重かったんだけどな、これ……」

 ミヅキの見る先には四輪の大きな荷車があり、パメラがつくった料理が収められた寸胴鍋ずんどうなべやら、穀類の加工食品の麻袋、飲料の小樽、かご盛りのパンなどの食料が大量に積載されている。
 それらはパンドラの地下迷宮前、詰め所の兵士たちへ届ける昼食である。

「言ったでしょう、こき使われてあげるって。ミヅキの仕事なら私の仕事も同然よ。力仕事ならなおさら私に任せて」

 そう言って、エルトゥリンは重い荷車を涼しい顔で倉庫から出してきて、重いはずの料理を軽々しく運び、次々と積載作業を進めていく。

 使命を果たすためならアイアノアもエルトゥリンも、ミヅキの仕事に力を貸してくれるという約束であった。
 悪いエルフにはおしおきが必要だ、とよこしまな考えを聞かれたところまで思い出して、ミヅキはばつが悪そうに苦笑する。

「……はぁ。でも、お客様にこんなことまでさせるのはやっぱり申し訳ないわ」

 ひょいひょい、と荷物を受け取って運ぶエルトゥリンを見てパメラはため息。
 その隣に立ち、てきぱき働く妹の姿を満足そうに見ながらアイアノアは言った。

「お気になさらないで下さい、パメラさん。ミヅキ様はこちらのお店の従業員なのですから、そのお仕事を私たちが手伝うのは当たり前です。私も妹も、ミヅキ様と一緒に使命を果たせるのなら、何だってお手伝いさせて頂きますから気軽に申し付けて下さいまし」

 そうしてアイアノアが目配せすると、エルトゥリンは振り向いて無言で頷いた。

 巨大な武器のハルバードを片手で軽々と扱い、ドラゴン相手に獅子奮迅の立ち回りを演じて見せたエルトゥリンにとって、このくらいの力仕事はどうってことはない。
 パメラはそれでもまだ釈然としない風だったが、キッキは逆にウキウキした様子で力持ちの助っ人登場に満面の笑顔だった。

「いやぁ、お客様になってくれるだけじゃなくて、仕事まで手伝ってくれるだなんて勇者御一行様々だなぁー。パンドラの踏破までの長い間、ずっとずっとうちにいて欲しいなぁー」

「こら、キッキったら……。あなたも着いて行って、きちんとお仕事してくるのよ」

 たしなめるように言うパメラに、キッキははーい、とご機嫌な返事を返す。

 宿の仕事を疎かにせず、パンドラの地下迷宮の攻略に乗り出すため、ミヅキたちは二手に分かれて行動を開始しようと決めていた。

 キッキが話役でエルトゥリンが荷運びを行い、二人でパンドラへ配達に向かう。
 ミヅキとアイアノアは今後のパンドラ踏破に向けての準備をして、その後に早速の地下迷宮探検を小手調べに始める予定だ。

「うん、準備できた。キッキは荷台に乗ってていいよ」

「え、本当っ? うわーい、楽ちん楽ちん」

 すっかりと兵士たちへの昼食の積載が終わり、日よけの布をかぶせるとエルトゥリンは荷車を引くハンドルの内側に立った。

 一人で荷運びをするのが当然のようにエルトゥリンは言うと、その言葉に甘える気満々のキッキは荷車のへりに器用に腰掛ける。
 娘のだらしない姿にパメラはまた大きなため息をつくものの、実際問題キッキくらいの少女の重量が一人分増えるくらい、エルトゥリンにとってはさしたる違いはないのだろう。
 その様子を微笑ましく見て、アイアノアはミヅキに振り向いた。

「それではミヅキ様。兎にも角にも、ダンジョンに挑むには備えが大切です。お宿の仕事はキッキさんとエルトゥリンに任せて、私たちは街へと買い物に行きましょう。その後に北の街はずれでエルトゥリンと合流して、パンドラへ赴きましょうか」

「お、おう、わかった」

 いよいよ始まろうとしている非日常の冒険に緊張して身体が強張る。
 前人未到の巨大な地下迷宮への探索となれば、危険が伴うのはもちろん、これから本当にそんなことを実行するのかという現実感の無さを感じてしまう。
 一瞬気持ちが揺れるが、もう後戻りするつもりはない。

「……ふぅ、とうとう本当に始まるのか。俺の異世界生活が……」

 ぼそっと呟くミヅキは、こちらをじっと見つめて期待に胸膨らませるアイアノアの緑の目を見つめ返した。
 清楚でおとなしそうなエルフの彼女だが、その瞳には地下迷宮へと挑み、使命を果たそうとする強い意志が満ち満ちている。

 気がつけばアイアノアだけではなく、エルトゥリンも首だけで振り向いてこちらを見ていて、冒険出発への号令を今か今かと待っている様子だ。
 妙な緊張感にミヅキは一つごほんと咳払い。

「あー、その、一応というか何というか、パンドラ踏破は俺の勇者としての使命な訳だし、やっぱり俺が色々と仕切ったほうがいいんだよな?」

「うふふっ、はい、是非そうして下さいませ」

 冒険者の知識などからっきしのため、遠慮がちに言うミヅキにアイアノアは口許を手にやって微笑ましそうに笑う。
 観念したミヅキは、はぁっ、と大きく息を吐いて、自分を鼓舞こぶするため片手の拳を空に向かって突き上げ、張り上げた声で高らかに宣言した。

「よぉし! それじゃあ、俺の人生初となる記念すべき第一回目のダンジョン探検、張り切って始めるぞぉ! とりあえず、安全第一で無事に帰って来ることを目標としまーす! 家に帰るまでが遠足だから最後まで気を抜かないようにー!」

 多分それは聞き慣れない冒険開始の号令だったのだろう。
 アイアノアもエルトゥリンも一瞬きょとんとした顔をしていた。
 キッキは遠慮無しに吹き出して笑い、パメラもほんわかと笑顔を浮かべていた。

 ただ、言いたいことは伝わったようで、エルフ姉妹の二人は快い返事で応えた。

「はいっ、ミヅキ様! きっと使命を果たせるように邁進いたしましょう!」

「うん、私も頑張るから」

 良い反応がもらえてミヅキは、へへっ、と照れ笑い、パメラに振り返った。
 まずは地下迷宮へ挑む冒険の第一のミッション、彼女の宿、「冒険者と山猫亭」の借金返済のための金策をどうにか試みる。

「じゃあパメラさん、行ってきます。やるだけやってみますんで、ちょっと待たせるかもしれませんが、まぁ、やんわりと見守ってやって下さい。拾ってもらった恩返しができるように頑張ってきます!」

「ミヅキ、無理をしては駄目よ? ……その、借金のことはそこまでして背負ってもらわなくてもいいんだからね。パンドラは本当に危険なダンジョンよ。だから、気をつけていってらっしゃいね」

 パメラは自然とミヅキの背中に手を回して抱き締めた。
 顔を寄せて、息子を送り出す母親のように回した手にぎゅうと力を込める。

 ミヅキより少し背が低く、密着した身体からは女性特有の柔らかさと、獣人ならではの引き締まった筋肉の固さが伝わってきて、ふさふさの毛の猫の耳はお日様の匂いがした。

 何より、ミヅキの身を心から心配する気持ちがひしひしと伝わってきた。
 すっと身体を離し、パメラは優しく微笑む。

「本当に、安全第一で無事に帰ってきてちょうだいね。家に帰るまでが遠足……。あまり聞かない言い回しだけど、とってもいい言葉だわ」

 感慨深そうに頷くパメラは、こうした場面を何度も見てきたのだろう。
 ダンジョンに挑む者たちの無事を祈り、送り出してきた。
 それはミヅキたちに対しても同じなのだ。

「……俄然がぜんやる気が出てきましたよ。俺、パメラさんみたいな優しい人に保護してもらえて本気で良かったって思います。また、美味しいご飯をご馳走になりたいんで、ちゃんと帰ってこれるよう努力します!」

「ええ、丹精込めて料理をこしらえて、あなたたちの帰りを待っているわね」

 力強くそう言うと、パメラも笑顔のまま答えた。
 危険な地下迷宮への探検は全然現実感が無かったが、パメラからの心配と優しさは存分に心に染み入った。
 長く母親の愛情に触れていなかったミヅキには、それは殊更心の奥まで響いた。

「じゃあ、行ってきます」

 もう一度そう言い残し、ミヅキたちはパンドラの地下迷宮へと出発した。
 ゆっくりと横に流れていく街並みの中、後ろから見送ってくれているパメラの姿を何度も振り向いて見ていた。

 やがてパメラの姿が見えなくなり、正面に向き直るミヅキに荷車のへりに座るキッキが笑顔で言った。

「ミヅキ、あたしのママ、良いママだろー?」

「うん、美人で優しくて、料理がとびっきり上手くて、文句の付け所がないくらい素敵なひとだよ、パメラさんは」

「えへへ、そうだろー? だけど、だからって色目使ったら許さないからなー」

「わかってるよ。変な気は起こさないって」

 ただ、ミヅキはもう見えなくなったパメラを後ろにもう一度振り返る。
 そして、口には出すことなくため息混じりに心の中で思った。

 もうそれはミヅキにとっては過去に失われてしまった切なる気持ち──。
 望郷ぼうきょうに思い焦がれる思慕しぼの念であった。

──やっぱりこういうのは、ぐっとくるものがあるな……。帰りを心配して待っててくれる人がいるってのは本当にいいもんだ。地下迷宮の冒険やら、神様の武芸大会やら、女神様の試練から生きて帰るのは夕緋のためだって思ってたけど、多分きっと、それだけじゃあないんだろうな。

 この歳になってもまだ母親の愛情を思い出して思いにふけるとは、まだまだ自分にも幼い部分が残っているものだと自嘲気味に苦笑した。

 不思議そうに目を瞬かせるキッキをよそに、後ろ髪を引かれながらもミヅキたちはトリスの街の街路を北の広場へと向かうのであった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

エラーから始まる異世界生活

KeyBow
ファンタジー
45歳リーマンの志郎は本来異世界転移されないはずだったが、何が原因か高校生の異世界勇者召喚に巻き込まれる。 本来の人数より1名増の影響か転移処理でエラーが発生する。 高校生は正常?に転移されたようだが、志郎はエラー召喚されてしまった。 冤罪で多くの魔物うようよするような所に放逐がされ、死にそうになりながら一人の少女と出会う。 その後冒険者として生きて行かざるを得ず奴隷を買い成り上がっていく物語。 某刑事のように”あの女(王女)絶対いずれしょんべんぶっ掛けてやる”事を当面の目標の一つとして。 実は所有するギフトはかなりレアなぶっ飛びな内容で、召喚された中では最強だったはずである。 勇者として活躍するのかしないのか? 能力を鍛え、復讐と色々エラーがあり屈折してしまった心を、召還時のエラーで壊れた記憶を抱えてもがきながら奴隷の少女達に救われるて変わっていく第二の人生を歩む志郎の物語が始まる。 多分チーレムになったり残酷表現があります。苦手な方はお気をつけ下さい。 初めての作品にお付き合い下さい。

【全話挿絵】発情✕転生 〜何あれ……誘ってるのかしら?〜

墨笑
ファンタジー
『エロ×ギャグ×バトル+雑学』をテーマにした異世界ファンタジー小説です。 主人公はごく普通(?)の『むっつりすけべ』な女の子。 異世界転生に伴って召喚士としての才能を強化されたまでは良かったのですが、なぜか発情体質まで付与されていて……? 召喚士として様々な依頼をこなしながら、無駄にドキドキムラムラハァハァしてしまう日々を描きます。 明るく、楽しく読んでいただけることを目指して書きました。

ズボラ通販生活

ice
ファンタジー
西野桃(にしのもも)35歳の独身、オタクが神様のミスで異世界へ!貪欲に通販スキル、時間停止アイテムボックス容量無限、結界魔法…さらには、お金まで貰う。商人無双や!とか言いつつ、楽に、ゆるーく、商売をしていく。淋しい独身者、旦那という名の奴隷まで?!ズボラなオバサンが異世界に転移して好き勝手生活する!

勇者に闇討ちされ婚約者を寝取られた俺がざまあするまで。

飴色玉葱
ファンタジー
王都にて結成された魔王討伐隊はその任を全うした。 隊を率いたのは勇者として名を挙げたキサラギ、英雄として誉れ高いジークバルト、さらにその二人を支えるようにその婚約者や凄腕の魔法使いが名を連ねた。 だがあろうことに勇者キサラギはジークバルトを闇討ちし行方知れずとなってしまう。 そして、恐るものがいなくなった勇者はその本性を現す……。

異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜

KeyBow
ファンタジー
 間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。  何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。  召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!  しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・  いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。  その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。  上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。  またぺったんこですか?・・・

異世界の約束:追放者の再興〜外れギフト【光】を授り侯爵家を追い出されたけど本当はチート持ちなので幸せに生きて見返してやります!〜

KeyBow
ファンタジー
 主人公の井野口 孝志は交通事故により死亡し、異世界へ転生した。  そこは剣と魔法の王道的なファンタジー世界。  転生した先は侯爵家の子息。  妾の子として家督相続とは無縁のはずだったが、兄の全てが事故により死亡し嫡男に。  女神により魔王討伐を受ける者は記憶を持ったまま転生させる事が出来ると言われ、主人公はゲームで遊んだ世界に転生した。  ゲームと言ってもその世界を模したゲームで、手を打たなければこうなる【if】の世界だった。  理不尽な死を迎えるモブ以下のヒロインを救いたく、転生した先で14歳の時にギフトを得られる信託の儀の後に追放されるが、その時に備えストーリーを変えてしまう。  メイヤと言うゲームでは犯され、絶望から自殺した少女をそのルートから外す事を幼少期より決めていた。  しかしそう簡単な話ではない。  女神の意図とは違う生き様と、ゲームで救えなかった少女を救う。  2人で逃げて何処かで畑でも耕しながら生きようとしていたが、計画が狂い何故か闘技場でハッスルする未来が待ち受けているとは物語がスタートした時はまだ知らない・・・  多くの者と出会い、誤解されたり頼られたり、理不尽な目に遭ったりと、平穏な生活を求める主人公の思いとは裏腹に波乱万丈な未来が待ち受けている。  しかし、主人公補正からかメインストリートから逃げられない予感。  信託の儀の後に侯爵家から追放されるところから物語はスタートする。  いつしか追放した侯爵家にザマアをし、経済的にも見返し謝罪させる事を当面の目標とする事へと、物語の早々に変化していく。  孤児達と出会い自活と脱却を手伝ったりお人好しだ。  また、貴族ではあるが、多くの貴族が好んでするが自分は奴隷を性的に抱かないとのポリシーが行動に規制を掛ける。  果たして幸せを掴む事が出来るのか?魔王討伐から逃げられるのか?・・・

役立たずと言われダンジョンで殺されかけたが、実は最強で万能スキルでした !

本条蒼依
ファンタジー
地球とは違う異世界シンアースでの物語。  主人公マルクは神聖の儀で何にも反応しないスキルを貰い、絶望の淵へと叩き込まれる。 その役に立たないスキルで冒険者になるが、役立たずと言われダンジョンで殺されかけるが、そのスキルは唯一無二の万能スキルだった。  そのスキルで成り上がり、ダンジョンで裏切った人間は落ちぶれざまあ展開。 主人公マルクは、そのスキルで色んなことを解決し幸せになる。  ハーレム要素はしばらくありません。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

処理中です...