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第3章 現実の世界 ~カミナギ ひとつ~

第64話 七不思議殺しの女

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「ほんと相変わらずだなぁ。夕緋ちゃんのアレ、久しぶりに見たよ」

「うぅ、恥ずかしい……。つくづく変な女だとか思わないで下さいね?」

 街の喧騒の中、歩道を歩く三月は隣の夕緋を苦笑いしながら振り向き見た。
 俯く夕緋は、かぁっと顔を赤くして羞恥に小さくなっている。

 不動産屋に紹介されたマンションを後にして、二人は街中を並んで歩いていた。
 4車線の道路はそこそこの交通量で、歩道を歩く人通りもまばらだ。

 まだ日が傾くには早い時間だが、休日の午後だという割りには人の出はそれほど多くはない。
 三月と夕緋の住む街の、地方都市の賑わい具合をそんな風景は物語っていた。

「ただ、あの不動産屋さん、何だか気の毒だったなぁ……」

「法律上は問題ないんでしょうけど、新人営業マンの辛いところね」

 三月と夕緋はさっきのことを思い出し、顔を見合わせてくすくすと笑い合った。
 結局のところ、不動産屋の遠藤はあの部屋に何か怪しいものが「出る」こと自体は知っていたらしい。

 ただ、あの部屋の過去の入居者履歴を遡っても、事故や事件といった記録に残るような物騒な事例は無く、マンションが建つ前の土地がお墓だった等のいわくつきの事情がある訳ではなかった。

 根拠が無い以上、新たな入居者に瑕疵かしがある旨の説明をする必要はないものの、今までの住人からの怪異が起こる、幽霊が出た、という苦情が後を絶たなかった。

 会社からも新人の修行という名目で厄介な物件担当を押し付けられ、いつかは適応する、或いは文句を言わない入居者が現れるだろうと信じて、どうにもできずに途方に暮れていたというのが遠藤の必死の謝罪と釈明であった。

 同棲のための新居探しに来たら、お化けが出る物件に出くわした。
 しかし、それは夕緋の圧倒的な神通力で蹴散らされることになった。
 夕緋はこういう子だったと思い出し、三月は何となしに愉快な気持ちになる。

「ふぅん、女の幽霊がいたんだな。振り乱した長い髪の毛に白いワンピースか……。なんかイメージしやすい、御多分に漏れない幽霊像だなぁ」

 三月には夕緋がどんな怪異と向き合っていたのかは見えなかったが、説明された外見はとても想像しやすいいかにもなお化けであった。

「あの手合いは結構どこにでも出ますから。どういった経緯なのかはわかりませんが、いつの頃からか悪い気の通り道が出来て、あのマンションの部屋に溜まってしまっていたんだと思います。あの部屋で誰かが来るのをじっと待ち受けて、近づく人に何らかの霊障を及ぼしていたんでしょうね。案外、あれは元々人間じゃなくて、三月さんの言うように皆が生んだ想像の産物、本当は居もしない幻の魔物だったのかもしれません」

 大真面目にそう語る夕緋の言葉に茶化す余地は少しも無い。
 実際のところ、三月は夕緋を信じているし、これまで不思議な体験をしてきたのも一度や二度ではない。

「うぅむ、さすがは夕緋大先生……。言うことに貫禄かんろくがありますなぁ……。それで、あの破裂音がしたっていうことは、その魔物はもうどうにかなっちゃった?」

「はい、綺麗さっぱり消えてしまいました。……あと、変な呼び方しないで」

 それでも隙あらばからかおうとする三月に、夕緋はむっとして頬を膨らませる。
 ごめんごめん、と明るく謝る三月だが、夕緋のこの強烈すぎる個性には小さい頃から舌を巻いていた。

 それと同時に、悪いものを圧倒して退治できる夕緋に少年心をくすぐられ、三月はある種の憧れさえ抱いていた。
 特にその除霊に当たる行動のプロセスには興味深々だ。

「あの魔物は長くあそこに居すぎて、かなり悪い状態になっていました。私の能力は対話向きではないんです。他に方法も無かったから仕方なく……」

「えぇと、どうやるんだっけ? 目をつむったり、口で噛み付いたりだったかな? 夕緋ちゃんの除霊って凄く個性的だよね」

 わかりやすくわくわくしている三月に、気を良くした夕緋は話し出す。

「目を瞑るのは、まぶたを閉じる所作で相手を捕まえて逃がさないっていう私なりのイメージです。そのまま強く目を閉じ込めば、大抵の相手なら押し潰せます。口を開けて閉じるのは、食べてしまって私の中に取り込んで消滅させるため」

「な、なるほど……。世の中には不思議なこともあるもんだよ……。ちなみに今度の相手はどうだった? ちょっとは手強かった?」

 異世界転移も非現実な不可思議だが、現実世界の身近にも常識の枠に収まらない存在が居ることを三月は身に染みて知っていた。
 そんな夕緋に、今回の対戦相手の感想を聞いてみると。

「いいえ、ぜーんぜん。取るに足らない小物でしたよ」

 にべもなくそう答えた。
 不敵そうな笑みまで浮かべ、こういう時の夕緋はちょっと迫力がある。
 マンションの部屋に巣くう手に負えない魔物も、夕緋に掛かれば塵芥ちりあくたも同然。

「うはぁ、やっぱり夕緋ちゃんは凄いな……。もうこうなってくると、夕緋ちゃんが手を焼くくらいの化け物ってどんな奴なんだろうって気になって仕方がないよ。本気を出さないと勝てないような相手との戦い、是非とも見てみたいなぁ……!」

 夕緋の除霊を久しく目の当たりにし、その物凄まじさに圧倒され、目をきらきらと輝かせる三月。
 夕緋も三月にそう言ってもらえるのはまんざらではなく、やっぱり嬉しそう。

「もうっ、三月さんったら、そんなに楽しそうにして……。仮に、もしそんな手強い化け物が居たとしても、三月さんはもちろん、他の誰にも話したりしないし、戦うのを見せたりもしません」

 夕緋は夕緋だけの世界を見据え、超然的に言った。
 ちょっぴりだけ得意そうな笑顔を浮かべて。

「私の本気は凄いんですよ? 三月さんを巻き込んだら大変だもの。どんな化け物が現れたって、人知れずきっと私が守ってあげますとも。──だから、そんな心配しないで大船に乗ったつもりで安心していてっ」

 計り知れない力を秘め、世を忍んで三月との生活を堅守する。
 頼もしすぎる将来のパートナーに、おぉ、と感嘆の声が漏れた。
 だから、調子に乗って余計なことを言ってしまう羽目になる。

「夕緋ちゃんはやっぱり凄いや! 七不思議殺しの女の異名は伊達じゃないな!」

「あっ、いやだもうっ! その話は絶対にしないっていう約束だったじゃないっ! 本当に恥ずかしいから、おかしな名前で呼ぶのはもうやめてー……!」

 途端、顔を真っ赤にして抗議の声をあげる夕緋。
 三月の腕にかじりつき、ぐいぐいと引っ張っていやいやをしている。

 そういえば、それは夕緋が触れて欲しくない苦い思い出だったと思い返した。
 黒い歴史に触れられ、普段見せない取り乱した様子で嫌がる夕緋を三月はちょっと可愛いな、と思った。

──あれは忘れもしない小学生のときだ。学校で噂になってたよくある七不思議を、夕緋ちゃんが片っ端からぶっ潰していったっていうのは伝説の語り草だ!

 そうして、三月は意気揚々に思い出していた。
 夕緋の数ある武勇伝の中でも、特に深い思い入れのある子供の頃の出来事を。

 三月の頭の中で時が遡る。
 遠い昔の思い出なのに、やけにくっきりはっきりと鮮明に呼び起こされる。

 脳内の仕組みをお構いなしに、心に思い描いた記憶がそのまま差し出された。
 三月は過去の光景に意識を預けるのであった。

「ねえ、知ってる? 理科室の人体模型が夜になると勝手に動くって噂……」

「七不思議のだよね。怖いよねぇ……」

 そう、あれはとある日の放課後の教室のことだ。
 夕方というには時間が早く、西に日が傾き掛ける昼下がり過ぎ。
 二人の女子生徒が声を潜め、くだんの怪談話を交わしている。

「三月君も何か知らない?」

 不意に、まだ下校せず居残っていた幼き日の三月にもお声が掛かった。
 振り返るその格好は、白いワイシャツに膝丈の紺色ズボンの制服姿。
 どうやらこれは小学生の時分の回想で、過去を俯瞰ふかん気味に追体験している。

 さて置き、三月もこの手の話には興味津々で、知っているのはもちろん、前日に人体模型の動きやら格好をチェックさえしていた。

 その結果、少しばかり動いたような痕跡があり、噂は本当なのかもしれない、と女子生徒らにまことしやかに語った。

「えぇ、やだ怖ーいっ!」

「でも、三月君、そんなの見て来られるなんて凄いねーっ!」

 などと、きゃいきゃい盛り上がって何だか楽しそうである。

「──まったく。近頃、学校の風紀が乱れてるわね」

 下校の準備に教科書を片付けながら、しかめ面で不満の声を漏らす少女。
 自分以外の女子とおっかなびっくりな話に興じる三月をじろりと一瞥。

 こちらも子供の頃の夕緋であった。

 白のブラウスに濃紺のジャンパースカートという制服の佇まい。
 小学生の時分ながら、その顔から未来の容姿端麗な姿の片鱗が窺える。

「七不思議、ね……。皆が騒ぐもんだから、随分と調子に乗ってるのが居るみたい。このままじゃ、うるさくて勉強に集中できないじゃないの」

 最近、あちこちから学校七不思議の怪しげな話が聞こえてくる。
 実際のところ、そうした怪異を目撃したり、体験したりする生徒が増えていた。
 かく言う三月もその一人だったりする。

 学校や病院など、人が集まる比較的閉鎖された場所には負の念が溜まるものだ。
 些細な不満や大小様々な怒りや悲しみ、妬み恨みが積み重なり、人ならざる霊的なものを呼び寄せてしまう。

 とはいえ、よほどのことが無い限り、それらが悪さを働くなどあり得ない。
 何かをしようとも影響は無いに等しく、大方は誰の目にも留まらずに気のせいで済まされる。

 しかし、物質世界に顕現できるほどの怪異がごく稀に起こることがある。

「低俗な悪霊のくせに悪戯いたずらが過ぎるわね。──懲らしめなくちゃ」

 苛立たし気に短い息を吐くと、夕緋は自分の席を立った。
 夕緋とて七不思議なる噂は耳にしていたし、多分あれがそうなのだろうくらいの当たりは付けていた。

 今までは歯牙に掛けることなく、敢えて見逃していたのである。
 特に目立つような影響も無かったから。

 しかし、そろそろと度を越した話を方々から聞くようになってきた。
 生徒が騒ぎ出して授業の妨げになる心配があり、三月までもが怪談話に入れ込み始めたともなれば話は別である。

 これは早急に手を打つ必要がある、夕緋はそう考えた。

「三月、七不思議のこと詳しく教えてちょうだい。私が何とかするから!」

 つかつかと三月の背に寄り、夕緋は腰に両手を当てて勇ましく言った。
 救世主が登場したとばかりに、三月だけでなく他の生徒らも大いに沸いた。

神水流かみづるさん、一緒に行ってくれるのっ?!」

「凄ーいっ、巫女みこ様が来てくれるなら何にも怖くないねーっ!」

 かくして、威風堂々に肩で風を切って廊下を歩く夕緋を先頭に、学校七不思議の討伐隊が放課後の廊下を悠々と進んでいくのであった。
 悪戯心とわくわく感に火が付いた子供たちはもう止まらない。

 そこからはまさに破竹の勢いである。

 女子トイレの花子さん、音楽室の独りでに鳴るピアノ、段の増える13階段等、本当に七種類だけなのか怪しい怪異は次々と夕緋に、文字通りひねり潰されていくのであった。
 そして、最後は最も盛んに噂されている、歩き回る人体模型の怪。

「──ふぅん?」

 理科室の片隅に設置されている人体模型の前に立ち、夕緋は鼻を鳴らした。

 腕組みをして、ポリウレタン材で出来ている人型の人形をじろじろと値踏みするみたいに睨み付けている。

 三月ら取り巻きの生徒たちは、夕緋の後ろで固唾かたずを呑んで様子を見守っていた。
 その中には夕緋の姉、朝陽の姿もあった。
 びくびくと肩を震わせて怯えながら、三月の背中の後ろに隠れている。

「みんな、離れて見ててね」

 言うが早いか、夕緋は左目をぱちりと閉じた。
 開いているほうの右目を見開き、臓器剥き出しの人形を直視する。
 瞬間、異変が起こりだした。

 ガタガタッ! ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタッ……!

 突如として人体模型が音を立てて震え始めたのだ。
 首を振ったり、手足をばたつかせたりして藻掻もがいているようにも見える。

 まるで、ここから逃げ出すために必死に動こうとしているが、それを無理に抑え付けられているといった感のある震え方であった。

「すぅぅぅっ……。ふぅぅぅぅーっ……!」

 夕緋は仁王立ちしたまま微動だにしていない。
 大きく息を吸い込み、勢いのままに吐息を模型に吹き掛けた。

 その途端である。
 夕緋以外の、三月と朝陽を含めた生徒たちの度肝を抜く出来事が起こった。

『ぎゃああああああああああああああっ!? 助けてえぇぇぇぇぇぇぇーッ!!』

 夕方の学校中に耳をつんざくほどの大声が響き渡る。
 それは、信じられないことに目の前の人体模型が発した絶叫であった。

 目を疑う事態はまだ続いている。
 模型の姿をした何かは身動きが取れずに火達磨ひだるまになっていた。
 夕緋が吐いた息が金色の炎になって、人体模型をめらめらと炎上させている。

 ぱぁんっ!!

 かと思えば、派手な破裂音と共に人形は爆発を起こして吹き飛んだ。

 夕緋の足下にごろんごろんと転がるのは、作り物の臓器と粉々に砕け散った模型だったもの。
 いつの間にか金色に燃えていた炎は消えていて、5体ばらばらになった人体模型が動くことはもう二度となかった。

「他愛も無いわね」

 相も変わらず常軌を逸した光景を目の当たりにしても、夕緋は全く動じない。
 しんとした静寂が薄暗い理科室に訪れる。

「……ぷっ! あっはははははははっ……!」

 沈黙に堪りかねて誰かが吹き出し、笑い始めた。
 放課後のほんの短い間にいとも容易く七不思議を退治してしまった夕緋の快進撃には、三月たち生徒もすっかりと慣れてしまい、笑顔は瞬く間に伝播でんぱしていく。

「人が集まる場所にありがちな負の感情の吹き溜まりが原因ね。悪い気が集まって程度の低い悪霊が模型に取り憑いて動かしていたみたい。──みんな、これでもう安心よ。七不思議で騒いだり、悩まされたりするのは今日でお終い」

 振り返ってそう話す夕緋の表情は自信に満ちあふれていた。
 三月と朝陽も交えた生徒たちから歓声があがり、夕緋は賞賛に包まれる。

 かくして、小学校の秩序を乱した七不思議騒動は完全に終結を迎えた。
 それはそれで良かったのだが。

「こらーっ! もう下校時間は過ぎてるぞーっ! さっさと帰りなさいっ!」

 校内に響き渡るほどの叫び声と破裂音に教師たちが駆け付けてくる。
 事態にはもう少し続きがあった。


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