54 / 232
第2章 神々の異世界 ~天神回戦 其の壱~
第54話 女神とシキ、その門出2
しおりを挟む
『後生なのじゃ……! やはり、どうか試合に出てはくれぬかっ!? 目覚しい戦果など望まぬ! おぬしだけが最後の希望なのじゃ! どうか、どうか……!』
「……」
涙ながらに試合に出て欲しいと懇願した日和を思い出す。
実際、みづきが戦わなければ敗北の眠りは現実のものとなっていただろう。
この選択と行動は正しかったと、現状の結果から納得することはできる。
ならばもう、日和の後ろ暗い思惑について言及をする必要はなかった。
なかったのだが──。
──やっぱり腹に一物持ってやがったな。なぁにが後生だよ! 文字通りそのまんま来世で極楽に行くために俺に試合でやられてこいってか。縁起でもねえ!
やっぱり心の中では憤慨しているみづき。
後生とは日和の言った台詞だったが、それは死した後、極楽へ行くために良いことをして欲しいの意味合いでもある。
本当に言葉通りになるところだったと、みづきは肝を冷やす。
ただ、そうまでしてでも生き残りたいという日和の気概を買ったのは本当だ。
──他に選択肢は無かったとはいえだ……。どのみち、多分、日和を見捨てることはできんかっただろうしなぁ……。それに──。
泣く子と地頭には勝てないというか、単純に女の涙に弱いというか、弱る女性を放っておけないのもみづきの持ち前の性分だ。
それと同時に、打算的に考える自分もいる。
──これで秘密を言えない気持ちが変わってくれるんなら安いもんだ。成り行きでこうなった訳だけど、痛い目を見た分、俺の望みを叶えてもらうからな。
基本的には事なかれ主義なみづきではあるが、成すべき目的を主眼に置いた場合になら、成就の為にはある程度は手段を選ばず、柔軟に物を考えることが必要であると思っている。
自分が我慢をすればいいだけ、ともなればそれは尚更であった。
日和が自分に非があると思っているのを赦すことで、頑なな気持ちが良い方向へと変化するなら自分の葛藤を抑えるくらいなんでもない。
「みづき……」
事実、日和は心底驚きを感じて、凍り付いた心を融解させようとしていた。
永く在り続けてきた女神の自分が、今日生み出したばかりの赤子同然なシキに納得させられたばかりか、肩の重責をも軽くしてもらったのだから。
「器の大きいことじゃなあ……。それらみづきの言葉には、私の心も救われるというものじゃ……。多々良殿より寛容とはなぁ……。おぬし、本当にシキか……?」
自ずと穏やかな笑顔になった。
綻んだのは表情だけでなく、心までぽかぽかと温かくなった。
日和の思いは迷い、揺れる。
土壇場の急場しのぎで生み出したシキが、信頼に足る相棒になり得るのかもしれないと思えた。
だから、今度は自分からそれを問おうとした。
「み、みづき、おぬしは……。私に聞きたいことが、あるのではなかったか……? 無理にでも聞こうとは思わぬのか……?」
伏せ目がちに、震える声で日和は言った。
その胸の内は秘しておかなければならず、おいそれと口に出す訳にはいかない。
しかし、今は秘密があるのを黙っていることを心苦しく思う。
まして、みづきはその秘密に触れたがっている。
此度の勝利をもたらした珠玉のシキの願い、これは何らかの兆しではないか。
このシキになら打ち明けても大丈夫かもしれない。
共に困難な茨の道を切り開いてくれるかもしれない。
みづきとなら運命共同体となってもいいのかもしれない、そう思った。
「聞いてもいいもんなら教えてもらいたいけど……。そうだな、それじゃその言えない、或いは言いたくない事情ってのがあるんならまずはそっちを教えてくれよ。そのうえで、どうなったら全部気持ちよく教えてもらえるのか聞かせてくれると助かる。是が非でも聞きたいってのは本当だからな」
案の定、日和の気持ちは軟化したが、みづきはみづきでまだ慎重だった。
はやる気持ちはあったが、努めて平常心で段階を踏みつつ、要望も伝えた。
日和が少しでも秘密を話しやすくなるよう信じて。
「──みづきの聞きたいことというのは、大切な我が巫女、朝陽のことじゃな?」
不意に日和は口火を切った。
二人の視線が空中で絡み合う。
微笑んではいるが、日和はこちらの反応をつぶさに観察している。
試されている気配を察し、みづきは早くなる動悸を気取られないようにする。
「軽々しく言えぬのは、それがとある人の世の運命を左右する重大事に関わることだからじゃ……。みだりに秘密を語り、神水流朝陽の身に何らか災いが及べばすべてが終わりとなるのじゃからな……」
心の準備をしていても心臓が大きく高鳴った。
自分の胸の音を日和に聞かれていないかと不安になるほど。
──はっきりと言った……! 神水流朝陽って! 聞き間違いじゃなかった……! 日和の言う朝陽は、俺の知ってるあの朝陽のことだ……!
心を必死に落ち着けながら、異様に乾く喉に何度もつばを飲み込んだ。
神水流、なんて姓は珍しく、名前も一致している。
何よりも、日和の神妙な面持ちから伝わってくる思念がすべてを物語る。
それは本当に不思議な感覚で、みづきの内にある加護のおかげなのだろう。
心同士の距離が縮まった日和の記憶をすくい取り、自分の脳裏にある朝陽の記憶と照合を掛けているかのようだ。
地平の加護による精査の結果、今名前の挙がっている神水流朝陽は、みづきのよく知る思い出のあの少女で間違いない。
「この秘密を知ればみづき、おぬしは最早私と天神回戦を戦っていくのを降りることはできなくなる。いや、私がそれを許さぬのじゃ。秘密を知って尚、おぬしにわずかにでも逆心があるとなれば、私はこの身に引き換えてでもみづきを滅せざるを得なくなる……!」
一瞬だけ、日和は夜宵襲来のときに見せた恐ろしげな目の光を浮かべた。
しかし、眼差しの色はすぐにも切なげな感情に塗り替えられ、両手を床につけ、頼み込むばかりにみづきを見つめて言った。
「頼む、みづき。私にもう少し見定める時間を与えてはくれぬか……? おぬしに私と朝陽の命運を委ねてもよいかどうかを、見極めさせておくれ……!」
それは日和の選択であり、譲歩であり、希望であった。
女神からの試練、そう言い換えてもいい。
「だから、改めてみづきには天神回戦を勝ち抜いてもらいたいのじゃ……。私が力を取り戻し、夜宵の奴めの思惑通りにさせぬために……! 戦いの矢面に立たせるばかりか、傲慢な願いであることは重々承知しておるが、みづきを信じてよいものかどうかを確かめたい……。どうかこの通り、宜しく頼むのじゃ……!」
日和は痛切に搾り出す声でそう語り、もう一度深く頭を下げようとする。
すかさずみづきは声をあげた。
「神様がそんなことすんなよ」
発したのは日和への制止の声。
びくっ、と肩を震わせて動きを止め、日和は顔を上げてみづきを見る。
布団に寝転がったままの横柄な態度ながら、みづきは自然な口調で言った。
心のこもった、敬虔な信仰心さえ感じさせる言葉で言った。
「日和はこの神社の神様なんだろう? その神様の手伝いをするのがシキである俺の役目だ。神様を祀るのは当たり前だし、お願いを叶えてもらったらお礼参りをするのが礼儀ってもんだ。順番は逆だけど、朝陽のことを教えてくれるんなら、まずは俺が神様の、日和のために精々頑張って働いてみるよ」
「みづき……」
「──天神回戦、引き受けたよ。日和のことも俺が守ってやる。だから、頭なんて下げなくていい」
みづきはきっぱりと言い切った。
日和のために、強大な神々とその眷属を相手に戦う。
この神々の異世界に、真っ向から向き合おうと決めた。
「みづき、みづきぃ……。おぬし、おぬしという奴は……」
油皿の頼りない火の明かりに照らされ、日和の顔がほんのりと赤く見えたのは気のせいではない。
今はまだすべてを打ち明けられず、命を張って戦ってもらうには誠意が足りない。
しかし、みづきは神の助けとなるのを当然の役目だとして、天神回戦を引き受け、守ってさえくれるのだと言う。
どうしようもないほど追い詰められた状況で、一縷の希望がもたらされた。
日和は感激し、久しく安らいだ心で微笑む。
暗い運命の渦中にあれど、その顔には精一杯の感謝の気持ちが詰まっていた。
「いよいよともう一巻の終わりかと思うたが……。みづき、おぬしという良いシキに巡り会えて本当に良かった。ありがとう、衷心よりそう思うのじゃ……」
日和も決心する。
みづきと共に天神回戦を戦い抜いていこうと。
もう不義理は働かず、正々堂々と群雄割拠の神々の戦いへと身を投じる。
と、微笑んだまま日和も気になっている問いをみづきに返した。
「しかし、みづき。どうして今日誕生したばかりのおぬしが、神水流朝陽のことを気に掛けるのじゃ? それこそ私だけの事情ゆえ、みづきには微塵にも関係の無きことであるのに……」
「主の神様の願いを知って、シキの俺も同じ目標を掲げておきたい。とりあえずはそんなところだよ。その辺のことは俺もどうしてなのかはよくわからん」
何故なのかは当のみづきにもわかりはしない。
夢か現実か判別不明、非現実な異世界体験が過ぎ去った過去に引き合わせようとしている。
この夢物語に向き合うことが、どうしてか思い出の中の少女に繋がっている。
──目を背けることなんてできやしない。また朝陽に寄り添うことが、どんな形ででもできるんなら、俺は……。
みづきにとって、最早これは単なる異世界転移などではない。
失われた過去にもう一度触れられる追憶の旅だ。
「そうか、わかったのじゃ」
日和ももうそれ以上深く問いはしなかった。
何度か頷き、女神そのものな慈愛の表情で静かに言った。
「おやすみ、みづき。また明日なのじゃ」
「おう、おやすみ、日和」
満ち足りた笑顔で日和は就寝の挨拶を口にした。
みづきがそれを返すと、日和は膝を擦って自室へ引っ込んで襖を閉め始める。
「……」
すーっ、と襖が閉まっていくのを目で追いながらみづきは思う。
これにて今日の出来事はお終いで、眠りにつけば朝を迎えることだろう。
これが夢なら早く覚めて欲しいと幾度と無く願ったものだが、今度ばかりはそう思わなかった。
──頼むぞ。これで目が覚めたら現実に引き戻されるとか、またぞろ別の新しい夢が始まるとかは勘弁だぞ……。
現実のみづきのアパートから急にパンドラの地下迷宮へ。
ダンジョンの異世界で眠りについたら天神回戦の神々の異世界へ。
次に眠り、目を覚ましたのなら、今度は何が待っているのだろうか。
願わくば、みづき自身の願いでもある、朝陽と接点を持てるこの神の世界の継続を切に願う。
たん、と閉まった襖の音と、訪れる静寂。
──今回の異世界転移なら巻き込まれたっていい! 朝陽に繋がる何かを掴めるなら危ない橋だって渡ってやる。例えそれが夢や幻だったとしてもだ……!
強い思いを胸に、みづきは視線を空虚な天井の暗闇に戻す。
天神回戦なる神々の武芸大会で、訳有りの順列最下位の神様を一位にのし上げるために戦うストーリー。
理由は不明だが失われた過去に触れられる、よく出来た不思議な世界。
半信半疑を通り越し、またこの架空を信じる気になった。
目が覚めたらやっぱり夢でした、は本当に遠慮したいところである。
「はぁぁ……」
何とも言えず不安と期待が入り交じり、大きなため息が漏れる。
ふと、すでに閉まった襖のほうにもう一度視線をやる。
するとそこには、音も無く襖を少し開けて、目だけを覗かせるいたずらそうな顔の日和の姿が──。
「うふふふふ」
「わぁ、びっくりしたぁ!」
「あっはははは! みづきってば面白いのぅ、あはははっ!」
「早よ寝ろッ!」
別の意味で胸をドキドキさせ、声を荒げるみづきと。
愉快そうに笑って、逃げるみたいに襖を閉める日和。
腹黒い一面を持ちながら神としての役割を果たすため、望まず背水の陣で戦うどこか憎めない落ちぶれた女神。
自分はそんな女神の元に生まれ落ちた、曰く付きのしもべの戦士、シキ。
女神とシキ、二人の物語。
神様たちと戦うなどという前途多難な先行きではあるが、本当に願わくば日和との物語を続けさせて欲しいと思う。
「ふぅ、まったく……」
ぼやく声は炭の香り漂う暗闇にかき消された。
そして、眠りが訪れる。
目が覚めた時に、みづきを待っているのは次のいずれか。
日和と一緒な神々の世界が続行し、明日からも天神回戦を戦っていくのか。
すべてが夢で片付けられ、現実世界のアパートの自室で目が覚めるのか。
考えたくもないが、第三の異世界転移が始まってしまうのか。
みづきは戦々恐々しながら、心配半分、期待半分で眠りに落ちていった。
『同期解除、接続一時終了』
それも夢か現か、まどろむ意識の中であの声が響いていた。
地平の加護による無機質で抑揚のない案内音声。
しかし、このとき初めて加護は感情を込めてみづきに言葉を掛けた。
長かった摩訶不思議な旅の苦労を労う声で。
『お疲れ様、三月。よく頑張ったね、ひとまずはゆっくりと休んでくれ』
「……」
涙ながらに試合に出て欲しいと懇願した日和を思い出す。
実際、みづきが戦わなければ敗北の眠りは現実のものとなっていただろう。
この選択と行動は正しかったと、現状の結果から納得することはできる。
ならばもう、日和の後ろ暗い思惑について言及をする必要はなかった。
なかったのだが──。
──やっぱり腹に一物持ってやがったな。なぁにが後生だよ! 文字通りそのまんま来世で極楽に行くために俺に試合でやられてこいってか。縁起でもねえ!
やっぱり心の中では憤慨しているみづき。
後生とは日和の言った台詞だったが、それは死した後、極楽へ行くために良いことをして欲しいの意味合いでもある。
本当に言葉通りになるところだったと、みづきは肝を冷やす。
ただ、そうまでしてでも生き残りたいという日和の気概を買ったのは本当だ。
──他に選択肢は無かったとはいえだ……。どのみち、多分、日和を見捨てることはできんかっただろうしなぁ……。それに──。
泣く子と地頭には勝てないというか、単純に女の涙に弱いというか、弱る女性を放っておけないのもみづきの持ち前の性分だ。
それと同時に、打算的に考える自分もいる。
──これで秘密を言えない気持ちが変わってくれるんなら安いもんだ。成り行きでこうなった訳だけど、痛い目を見た分、俺の望みを叶えてもらうからな。
基本的には事なかれ主義なみづきではあるが、成すべき目的を主眼に置いた場合になら、成就の為にはある程度は手段を選ばず、柔軟に物を考えることが必要であると思っている。
自分が我慢をすればいいだけ、ともなればそれは尚更であった。
日和が自分に非があると思っているのを赦すことで、頑なな気持ちが良い方向へと変化するなら自分の葛藤を抑えるくらいなんでもない。
「みづき……」
事実、日和は心底驚きを感じて、凍り付いた心を融解させようとしていた。
永く在り続けてきた女神の自分が、今日生み出したばかりの赤子同然なシキに納得させられたばかりか、肩の重責をも軽くしてもらったのだから。
「器の大きいことじゃなあ……。それらみづきの言葉には、私の心も救われるというものじゃ……。多々良殿より寛容とはなぁ……。おぬし、本当にシキか……?」
自ずと穏やかな笑顔になった。
綻んだのは表情だけでなく、心までぽかぽかと温かくなった。
日和の思いは迷い、揺れる。
土壇場の急場しのぎで生み出したシキが、信頼に足る相棒になり得るのかもしれないと思えた。
だから、今度は自分からそれを問おうとした。
「み、みづき、おぬしは……。私に聞きたいことが、あるのではなかったか……? 無理にでも聞こうとは思わぬのか……?」
伏せ目がちに、震える声で日和は言った。
その胸の内は秘しておかなければならず、おいそれと口に出す訳にはいかない。
しかし、今は秘密があるのを黙っていることを心苦しく思う。
まして、みづきはその秘密に触れたがっている。
此度の勝利をもたらした珠玉のシキの願い、これは何らかの兆しではないか。
このシキになら打ち明けても大丈夫かもしれない。
共に困難な茨の道を切り開いてくれるかもしれない。
みづきとなら運命共同体となってもいいのかもしれない、そう思った。
「聞いてもいいもんなら教えてもらいたいけど……。そうだな、それじゃその言えない、或いは言いたくない事情ってのがあるんならまずはそっちを教えてくれよ。そのうえで、どうなったら全部気持ちよく教えてもらえるのか聞かせてくれると助かる。是が非でも聞きたいってのは本当だからな」
案の定、日和の気持ちは軟化したが、みづきはみづきでまだ慎重だった。
はやる気持ちはあったが、努めて平常心で段階を踏みつつ、要望も伝えた。
日和が少しでも秘密を話しやすくなるよう信じて。
「──みづきの聞きたいことというのは、大切な我が巫女、朝陽のことじゃな?」
不意に日和は口火を切った。
二人の視線が空中で絡み合う。
微笑んではいるが、日和はこちらの反応をつぶさに観察している。
試されている気配を察し、みづきは早くなる動悸を気取られないようにする。
「軽々しく言えぬのは、それがとある人の世の運命を左右する重大事に関わることだからじゃ……。みだりに秘密を語り、神水流朝陽の身に何らか災いが及べばすべてが終わりとなるのじゃからな……」
心の準備をしていても心臓が大きく高鳴った。
自分の胸の音を日和に聞かれていないかと不安になるほど。
──はっきりと言った……! 神水流朝陽って! 聞き間違いじゃなかった……! 日和の言う朝陽は、俺の知ってるあの朝陽のことだ……!
心を必死に落ち着けながら、異様に乾く喉に何度もつばを飲み込んだ。
神水流、なんて姓は珍しく、名前も一致している。
何よりも、日和の神妙な面持ちから伝わってくる思念がすべてを物語る。
それは本当に不思議な感覚で、みづきの内にある加護のおかげなのだろう。
心同士の距離が縮まった日和の記憶をすくい取り、自分の脳裏にある朝陽の記憶と照合を掛けているかのようだ。
地平の加護による精査の結果、今名前の挙がっている神水流朝陽は、みづきのよく知る思い出のあの少女で間違いない。
「この秘密を知ればみづき、おぬしは最早私と天神回戦を戦っていくのを降りることはできなくなる。いや、私がそれを許さぬのじゃ。秘密を知って尚、おぬしにわずかにでも逆心があるとなれば、私はこの身に引き換えてでもみづきを滅せざるを得なくなる……!」
一瞬だけ、日和は夜宵襲来のときに見せた恐ろしげな目の光を浮かべた。
しかし、眼差しの色はすぐにも切なげな感情に塗り替えられ、両手を床につけ、頼み込むばかりにみづきを見つめて言った。
「頼む、みづき。私にもう少し見定める時間を与えてはくれぬか……? おぬしに私と朝陽の命運を委ねてもよいかどうかを、見極めさせておくれ……!」
それは日和の選択であり、譲歩であり、希望であった。
女神からの試練、そう言い換えてもいい。
「だから、改めてみづきには天神回戦を勝ち抜いてもらいたいのじゃ……。私が力を取り戻し、夜宵の奴めの思惑通りにさせぬために……! 戦いの矢面に立たせるばかりか、傲慢な願いであることは重々承知しておるが、みづきを信じてよいものかどうかを確かめたい……。どうかこの通り、宜しく頼むのじゃ……!」
日和は痛切に搾り出す声でそう語り、もう一度深く頭を下げようとする。
すかさずみづきは声をあげた。
「神様がそんなことすんなよ」
発したのは日和への制止の声。
びくっ、と肩を震わせて動きを止め、日和は顔を上げてみづきを見る。
布団に寝転がったままの横柄な態度ながら、みづきは自然な口調で言った。
心のこもった、敬虔な信仰心さえ感じさせる言葉で言った。
「日和はこの神社の神様なんだろう? その神様の手伝いをするのがシキである俺の役目だ。神様を祀るのは当たり前だし、お願いを叶えてもらったらお礼参りをするのが礼儀ってもんだ。順番は逆だけど、朝陽のことを教えてくれるんなら、まずは俺が神様の、日和のために精々頑張って働いてみるよ」
「みづき……」
「──天神回戦、引き受けたよ。日和のことも俺が守ってやる。だから、頭なんて下げなくていい」
みづきはきっぱりと言い切った。
日和のために、強大な神々とその眷属を相手に戦う。
この神々の異世界に、真っ向から向き合おうと決めた。
「みづき、みづきぃ……。おぬし、おぬしという奴は……」
油皿の頼りない火の明かりに照らされ、日和の顔がほんのりと赤く見えたのは気のせいではない。
今はまだすべてを打ち明けられず、命を張って戦ってもらうには誠意が足りない。
しかし、みづきは神の助けとなるのを当然の役目だとして、天神回戦を引き受け、守ってさえくれるのだと言う。
どうしようもないほど追い詰められた状況で、一縷の希望がもたらされた。
日和は感激し、久しく安らいだ心で微笑む。
暗い運命の渦中にあれど、その顔には精一杯の感謝の気持ちが詰まっていた。
「いよいよともう一巻の終わりかと思うたが……。みづき、おぬしという良いシキに巡り会えて本当に良かった。ありがとう、衷心よりそう思うのじゃ……」
日和も決心する。
みづきと共に天神回戦を戦い抜いていこうと。
もう不義理は働かず、正々堂々と群雄割拠の神々の戦いへと身を投じる。
と、微笑んだまま日和も気になっている問いをみづきに返した。
「しかし、みづき。どうして今日誕生したばかりのおぬしが、神水流朝陽のことを気に掛けるのじゃ? それこそ私だけの事情ゆえ、みづきには微塵にも関係の無きことであるのに……」
「主の神様の願いを知って、シキの俺も同じ目標を掲げておきたい。とりあえずはそんなところだよ。その辺のことは俺もどうしてなのかはよくわからん」
何故なのかは当のみづきにもわかりはしない。
夢か現実か判別不明、非現実な異世界体験が過ぎ去った過去に引き合わせようとしている。
この夢物語に向き合うことが、どうしてか思い出の中の少女に繋がっている。
──目を背けることなんてできやしない。また朝陽に寄り添うことが、どんな形ででもできるんなら、俺は……。
みづきにとって、最早これは単なる異世界転移などではない。
失われた過去にもう一度触れられる追憶の旅だ。
「そうか、わかったのじゃ」
日和ももうそれ以上深く問いはしなかった。
何度か頷き、女神そのものな慈愛の表情で静かに言った。
「おやすみ、みづき。また明日なのじゃ」
「おう、おやすみ、日和」
満ち足りた笑顔で日和は就寝の挨拶を口にした。
みづきがそれを返すと、日和は膝を擦って自室へ引っ込んで襖を閉め始める。
「……」
すーっ、と襖が閉まっていくのを目で追いながらみづきは思う。
これにて今日の出来事はお終いで、眠りにつけば朝を迎えることだろう。
これが夢なら早く覚めて欲しいと幾度と無く願ったものだが、今度ばかりはそう思わなかった。
──頼むぞ。これで目が覚めたら現実に引き戻されるとか、またぞろ別の新しい夢が始まるとかは勘弁だぞ……。
現実のみづきのアパートから急にパンドラの地下迷宮へ。
ダンジョンの異世界で眠りについたら天神回戦の神々の異世界へ。
次に眠り、目を覚ましたのなら、今度は何が待っているのだろうか。
願わくば、みづき自身の願いでもある、朝陽と接点を持てるこの神の世界の継続を切に願う。
たん、と閉まった襖の音と、訪れる静寂。
──今回の異世界転移なら巻き込まれたっていい! 朝陽に繋がる何かを掴めるなら危ない橋だって渡ってやる。例えそれが夢や幻だったとしてもだ……!
強い思いを胸に、みづきは視線を空虚な天井の暗闇に戻す。
天神回戦なる神々の武芸大会で、訳有りの順列最下位の神様を一位にのし上げるために戦うストーリー。
理由は不明だが失われた過去に触れられる、よく出来た不思議な世界。
半信半疑を通り越し、またこの架空を信じる気になった。
目が覚めたらやっぱり夢でした、は本当に遠慮したいところである。
「はぁぁ……」
何とも言えず不安と期待が入り交じり、大きなため息が漏れる。
ふと、すでに閉まった襖のほうにもう一度視線をやる。
するとそこには、音も無く襖を少し開けて、目だけを覗かせるいたずらそうな顔の日和の姿が──。
「うふふふふ」
「わぁ、びっくりしたぁ!」
「あっはははは! みづきってば面白いのぅ、あはははっ!」
「早よ寝ろッ!」
別の意味で胸をドキドキさせ、声を荒げるみづきと。
愉快そうに笑って、逃げるみたいに襖を閉める日和。
腹黒い一面を持ちながら神としての役割を果たすため、望まず背水の陣で戦うどこか憎めない落ちぶれた女神。
自分はそんな女神の元に生まれ落ちた、曰く付きのしもべの戦士、シキ。
女神とシキ、二人の物語。
神様たちと戦うなどという前途多難な先行きではあるが、本当に願わくば日和との物語を続けさせて欲しいと思う。
「ふぅ、まったく……」
ぼやく声は炭の香り漂う暗闇にかき消された。
そして、眠りが訪れる。
目が覚めた時に、みづきを待っているのは次のいずれか。
日和と一緒な神々の世界が続行し、明日からも天神回戦を戦っていくのか。
すべてが夢で片付けられ、現実世界のアパートの自室で目が覚めるのか。
考えたくもないが、第三の異世界転移が始まってしまうのか。
みづきは戦々恐々しながら、心配半分、期待半分で眠りに落ちていった。
『同期解除、接続一時終了』
それも夢か現か、まどろむ意識の中であの声が響いていた。
地平の加護による無機質で抑揚のない案内音声。
しかし、このとき初めて加護は感情を込めてみづきに言葉を掛けた。
長かった摩訶不思議な旅の苦労を労う声で。
『お疲れ様、三月。よく頑張ったね、ひとまずはゆっくりと休んでくれ』
1
お気に入りに追加
83
あなたにおすすめの小説
異世界転生した私は今日も大空を羽ばたきます!〜チートスキルで自由気ままな異世界ライフ〜
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
高橋かなはある日、過労死で突然命を落とす。
忙しすぎて自由のない日々。
死ぬ間際に見えたのは大空を自由に飛ぶ鳥の姿。
あぁ、鳥になりたい………
普段は鳥、時には人間、猫や犬までなんでも変身できる最強スキルで異世界生活楽しみます!
※章の始まりごとに追加していきます
テーマ
第一章 フェンリル
第二章 騎士団
第三章 転生令嬢
第四章 獣人
第五章 異世界、成長
忙しい時でも1週間に1回は投稿します。
ほのぼのな日常を書きたいな……
その日に思いついた話を書いているので、たまに意見を求めることがあります。
どうか優しい目で見守ってくださると嬉しいです!
※現在休載中
修学旅行に行くはずが異世界に着いた。〜三種のお買い物スキルで仲間と共に〜
長船凪
ファンタジー
修学旅行へ行く為に荷物を持って、バスの来る学校のグラウンドへ向かう途中、三人の高校生はコンビニに寄った。
コンビニから出た先は、見知らぬ場所、森の中だった。
ここから生き残る為、サバイバルと旅が始まる。
実際の所、そこは異世界だった。
勇者召喚の余波を受けて、異世界へ転移してしまった彼等は、お買い物スキルを得た。
奏が食品。コウタが金物。紗耶香が化粧品。という、三人種類の違うショップスキルを得た。
特殊なお買い物スキルを使い商品を仕入れ、料理を作り、現地の人達と交流し、商人や狩りなどをしながら、少しずつ、異世界に順応しつつ生きていく、三人の物語。
実は時間差クラス転移で、他のクラスメイトも勇者召喚により、異世界に転移していた。
主人公 高校2年 高遠 奏 呼び名 カナデっち。奏。
クラスメイトのギャル 水木 紗耶香 呼び名 サヤ。 紗耶香ちゃん。水木さん。
主人公の幼馴染 片桐 浩太 呼び名 コウタ コータ君
(なろうでも別名義で公開)
タイトル微妙に変更しました。
S級冒険者の子どもが進む道
干支猫
ファンタジー
【12/26完結】
とある小さな村、元冒険者の両親の下に生まれた子、ヨハン。
父親譲りの剣の才能に母親譲りの魔法の才能は両親の想定の遥か上をいく。
そうして王都の冒険者学校に入学を決め、出会った仲間と様々な学生生活を送っていった。
その中で魔族の存在にエルフの歴史を知る。そして魔王の復活を聞いた。
魔王とはいったい?
※感想に盛大なネタバレがあるので閲覧の際はご注意ください。
引退賢者はのんびり開拓生活をおくりたい
鈴木竜一
ファンタジー
旧題:引退賢者はのんびり開拓生活をおくりたい ~不正がはびこる大国の賢者を辞めて離島へと移住したら、なぜか優秀な元教え子たちが集まってきました~
【書籍化決定!】
本作の書籍化がアルファポリスにて正式決定いたしました!
第1巻は10月下旬発売!
よろしくお願いします!
賢者オーリンは大陸でもっと栄えているギアディス王国の魔剣学園で教鞭をとり、これまで多くの優秀な学生を育てあげて王国の繁栄を陰から支えてきた。しかし、先代に代わって新たに就任したローズ学園長は、「次期騎士団長に相応しい優秀な私の息子を贔屓しろ」と不正を強要してきた挙句、オーリン以外の教師は息子を高く評価しており、同じようにできないなら学園を去れと告げられる。どうやら、他の教員は王家とのつながりが深いローズ学園長に逆らえず、我がままで自分勝手なうえ、あらゆる能力が最低クラスである彼女の息子に最高評価を与えていたらしい。抗議するオーリンだが、一切聞き入れてもらえず、ついに「そこまでおっしゃられるのなら、私は一線から身を引きましょう」と引退宣言をし、大国ギアディスをあとにした。
その後、オーリンは以前世話になったエストラーダという小国へ向かうが、そこへ彼を慕う教え子の少女パトリシアが追いかけてくる。かつてオーリンに命を助けられ、彼を生涯の師と仰ぐ彼女を人生最後の教え子にしようと決め、かねてより依頼をされていた離島開拓の仕事を引き受けると、パトリシアとともにそこへ移り住み、現地の人々と交流をしたり、畑を耕したり、家畜の世話をしたり、修行をしたり、時に離島の調査をしたりとのんびりした生活を始めた。
一方、立派に成長し、あらゆるジャンルで国内の重要な役職に就いていた《黄金世代》と呼ばれるオーリンの元教え子たちは、恩師であるオーリンが学園から不当解雇された可能性があると知り、激怒。さらに、他にも複数の不正が発覚し、さらに国王は近隣諸国へ侵略戦争を仕掛けると宣言。そんな危ういギアディス王国に見切りをつけた元教え子たちは、オーリンの後を追って続々と国外へ脱出していく。
こうして、小国の離島でのんびりとした開拓生活を希望するオーリンのもとに、王国きっての優秀な人材が集まりつつあった……
このステータスプレート壊れてないですか?~壊れ数値の万能スキルで自由気ままな異世界生活~
夢幻の翼
ファンタジー
典型的な社畜・ブラックバイトに翻弄される人生を送っていたラノベ好きの男が銀行強盗から女性行員を庇って撃たれた。
男は夢にまで見た異世界転生を果たしたが、ラノベのテンプレである神様からのお告げも貰えない状態に戸惑う。
それでも気を取り直して強く生きようと決めた矢先の事、国の方針により『ステータスプレート』を作成した際に数値異常となり改ざん容疑で捕縛され奴隷へ落とされる事になる。運の悪い男だったがチート能力により移送中に脱走し隣国へと逃れた。
一時は途方にくれた少年だったが神父に言われた『冒険者はステータスに関係なく出来る唯一の職業である』を胸に冒険者を目指す事にした。
持ち前の運の悪さもチート能力で回避し、自分の思う生き方を実現させる社畜転生者と自らも助けられ、少年に思いを寄せる美少女との恋愛、襲い来る盗賊の殲滅、新たな商売の開拓と現実では出来なかった夢を異世界で実現させる自由気ままな異世界生活が始まります。
外れスキルと馬鹿にされた【経験値固定】は実はチートスキルだった件
霜月雹花
ファンタジー
15歳を迎えた者は神よりスキルを授かる。
どんなスキルを得られたのか神殿で確認した少年、アルフレッドは【経験値固定】という訳の分からないスキルだけを授かり、無能として扱われた。
そして一年後、一つ下の妹が才能がある者だと分かるとアルフレッドは家から追放処分となった。
しかし、一年という歳月があったおかげで覚悟が決まっていたアルフレッドは動揺する事なく、今後の生活基盤として冒険者になろうと考えていた。
「スキルが一つですか? それも攻撃系でも魔法系のスキルでもないスキル……すみませんが、それでは冒険者として務まらないと思うので登録は出来ません」
だがそこで待っていたのは、無能なアルフレッドは冒険者にすらなれないという現実だった。
受付との会話を聞いていた冒険者達から逃げるようにギルドを出ていき、これからどうしようと悩んでいると目の前で苦しんでいる老人が目に入った。
アルフレッドとその老人、この出会いにより無能な少年として終わるはずだったアルフレッドの人生は大きく変わる事となった。
2024/10/05 HOT男性向けランキング一位。
幼馴染みとの間に子どもをつくった夫に、離縁を言い渡されました。
ふまさ
恋愛
「シンディーのことは、恋愛対象としては見てないよ。それだけは信じてくれ」
夫のランドルは、そう言って笑った。けれどある日、ランドルの幼馴染みであるシンディーが、ランドルの子を妊娠したと知ってしまうセシリア。それを問うと、ランドルは急に激怒した。そして、離縁を言い渡されると同時に、屋敷を追い出されてしまう。
──数年後。
ランドルの一言にぷつんとキレてしまったセシリアは、殺意を宿した双眸で、ランドルにこう言いはなった。
「あなたの息の根は、わたしが止めます」
さんざん馬鹿にされてきた最弱精霊使いですが、剣一本で魔物を倒し続けたらパートナーが最強の『大精霊』に進化したので逆襲を始めます。
ヒツキノドカ
ファンタジー
誰もがパートナーの精霊を持つウィスティリア王国。
そこでは精霊によって人生が決まり、また身分の高いものほど強い精霊を宿すといわれている。
しかし第二王子シグは最弱の精霊を宿して生まれたために王家を追放されてしまう。
身分を剥奪されたシグは冒険者になり、剣一本で魔物を倒して生計を立てるようになる。しかしそこでも精霊の弱さから見下された。ひどい時は他の冒険者に襲われこともあった。
そんな生活がしばらく続いたある日――今までの苦労が報われ精霊が進化。
姿は美しい白髪の少女に。
伝説の大精霊となり、『天候にまつわる全属性使用可』という規格外の能力を得たクゥは、「今まで育ててくれた恩返しがしたい!」と懐きまくってくる。
最強の相棒を手に入れたシグは、今まで自分を見下してきた人間たちを見返すことを決意するのだった。
ーーーーーー
ーーー
閲覧、お気に入り登録、感想等いつもありがとうございます。とても励みになります!
※2020.6.8お陰様でHOTランキングに載ることができました。ご愛読感謝!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる