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第1章 迷宮の異世界 ~パンドラエクスプローラーⅠ~

第20話 猫耳母娘の事情

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 ミヅキたちがドラゴンの肉に舌鼓を打ち、パメラの昔話で盛り上がっている頃。
 そろそろと日は西に沈みかけ、街灯の無いトリスの街は建物内のぽつぽつとした明かりだけの薄暗い様子を見せている。

 その街の通りをパメラの店に向かって、毛むくじゃらの大男が顔周りのたてがみを揺らし、息を荒げて走っていた。

 こげ茶色の革製チュニック姿で、首から下げた豪奢なネックレスがじゃらじゃらと暴れている。
 ようやく店に到着し、膝に手を付いてぜえぜえと息をついた。
 
 落ち着いたところで店内の様子を窺ってみる。
 大男の丸い耳に、和気藹々とした明るい騒ぎ声が聞こえてきた。

「フゥ……」

 それを聞いた毛むくじゃらの大男は、安堵した息を一つ吐いた。
 そして、肉球付きの大きな手をドアノブに掛けようと手を伸ばした。

◇◆◇

「ねぇねぇ、エル姉さんにアイ姉さんっ」

 舞台は再び冒険者と山猫亭。
 キッキはミヅキたちのテーブルに手を突いて、上半身を前へ傾ける。
 ぴょこっと立った耳を前向きにして、背中を丸めて小さく伏せる格好は何かを期待している様子だ。

「もう日も傾いちゃってるけど、今日のお宿は決めてるの? もしまだなら、うちに泊まっていってよぉ~。安くしとくからさぁ~」

 猫撫で声の営業スマイルのキッキは人懐こく喉をごろごろ鳴らす。
 それを受け、エルトゥリンは食事の手を止めてアイアノアに視線を向けた。

「これは何かの間違いよ……。ミヅキ様は使命を……。こうなったら……」

 しかし、判断を仰いだ先のアイアノアはまた机に突っ伏していて、酒に酔ってしまったのか何やらぶつぶつ言っている。
 それを見たエルトゥリンは短く、ふぅと息を吐いた。

「……そうだね」

 今度はミヅキを見て、エルトゥリンは言った。

「ミヅキはここの従業員なんでしょう? だったら、使命を果たせるようになるまで待たせてもらわないといけないし」

 タイミング良く次の料理が出来上がり、こちらもどうぞ、とパメラがテーブルに配膳していく。
 ドラゴンの尻尾肉の葡萄酒煮込みがトマトのピュレを添え、皿の上で何とも酸味の効いた良い香りを漂わせていた。

 早速エルトゥリンは、スプーンで触れるとほろりと柔らかく崩れる肉を口の中へと運んだ。
 肉はすぐにとろけて、あまりの美味しさに頬が落ちてしまいそうだ。
 エルトゥリンは目を幸せそうに細める。

「んん……。泊まるのなら断然食事の美味しい宿がいい。ここの料理は今まで食べたなかで一番美味しい」

 エルトゥリンはぺろりと舌なめずりして、満足そうに大きく頷いた。
 食材の良さもあるだろうが、他の宿でもこの味が食べられるとは限らない。
 そう思ったのであろう彼女の判断は早かった。

「だから姉様ともどもお世話になるね。──お宿、よろしく」

 その言葉に、やったーまいどありー、と喜び小躍りするキッキ。
 パメラも微笑むと両手を前に揃え、会釈して久しぶりの泊まり客を歓迎した。

「二名様のご宿泊、承りました。ご利用ありがとうございます。後ほど、お部屋に案内いたしますね」

 その様子を見ていたミヅキは、宿に客が来たことにほっとするやら、勇者の使命云々を頼み込んでくるエルフの滞在に気が重くなるやらであった。
 思わず苦笑いが浮かぶ。

 何はともあれ、自分にも配膳されたドラゴンの煮込み料理の肉を口に運び、口内に広がる柔らかな幸福感を満喫する。
 得も言われぬ味わいに、エルトゥリンがこの宿を選んだ判断は正しいと思った。

「ほんと、美味いなぁ……。こんなにも極上の調理をされて、ドラゴンもきっと本望だろうさ。俺だってパメラさんに拾われて心底良かったって思うよ」

 口内で溶ける肉をどろりと飲み込み、ミヅキはふぅーとため息をついた。
 甘美なる余韻を残したまま、まだまだ残っているステーキにもかぶりついた。
 と、いつの間にか横に来ていたキッキと目が合う。

「へぇー、そんなに美味しいのか。あたし、ドラゴンはまだ食べたことないなぁ」

 母の料理の腕前は自慢するほどよく知っているが、その腕で調理した未知の食材の味はいかがなものか。
 ミヅキたちが嫌ほど見せた、すべてを物語る美食風景にキッキの我慢は限界だ。

「ミヅキぃ、あたしもちょっと食べていい? ねぇ、おねがーい」

 両手を擦り擦り、おねだりをする様子は猫みたいに愛くるしい。
 昼食を抜いてお預けされていたのはキッキも同じで、その気持ちはよくわかる。

「キッキ、お客様のものに手を出しては駄目よ。あとでお夕食つくってあげるからちょっと待ってて」

 すかさずパメラに咎められ、ちぇーと口を尖らせるキッキにミヅキは笑う。

「いいよ、キッキも一緒に食べようぜ。パメラさんもどうです? めちゃくちゃ美味いですよ」

 いいよな、と目配せすると、エルトゥリンは迷い無く頷いて快諾した。

「うん、ミヅキがいいなら好きにして。どうせ量が多すぎて食べ切れない。保存も利かないし、捨てるのはもったいないから」

 それを聞いた腹ぺこのキッキは顔色をぱぁっと明るくした。

 確かにドラゴンの尻尾は大きく、肉の量も比例してたっぷりあるため、ミヅキたちだけで食べ切るのはかなり骨だ。
 冷蔵庫なる便利な文明の利器が無い以上、常温で生肉を放置しては直に傷んで、味や鮮度が落ちるどころか食べられなくなってしまう。

「やったー、話せるぅー! ミヅキ、それちょうだいねっ!」

 歓声をあげてはしゃぐキッキは、ミヅキがナイフに刺していたドラゴンのステーキ一切れをナイフごとぱくっと頬張った。
 ぺろっと肉を口にさらい、自分を焼き払おうとしたドラゴンを満面の笑顔で噛み締めていた。

「あ、また間接キス……」

 キッキが直接口で肉を掻っ攫ったあとのナイフを複雑な気持ちで見つつ、ミヅキは思わず吹き出していた。
 当のキッキは生まれて初めてのドラゴンの味に感動し、両ほっぺに手を当ててぴょんぴょんと跳ね回っている。

「んっんーっ! うんまいなぁっ! ドラゴンってこんなにおいしいんだぁっ!」

「こ、こらっ、キッキったら……。お行儀が悪いわよ!」

「んふぅー、ママの料理最高ーっ!」

「もう……。ミヅキ、エルフのお嬢さんたち、どうもありがとうね。ドラゴンの肉なんてめったに手に入らないものだから……」

 娘の無邪気な粗相にはらはらしながら、パメラは恥ずかしそうに赤面してもう一度深々と頭を下げるのであった。

 丁度そんなときだった。
 和やかな団らんのひとときは乱入者の野暮な一声で終わりを告げる。

「よおぉーうっ! ちょっくら邪魔するぜぇ!」

 やたらに響く、粗野で野太い声が店中を震わせる。
 入り口の扉が荒々しく開かれ、ひときわ勢いよくドアベルが音色を奏でた。

「借金もろくに返せてねぇってのに、豪勢なモン食ってるじゃねえか、随分とよ!」

 何事かと振り返るミヅキたちの前に、大声の主はぬうっと扉をくぐって現れた。

「な、何だ……?」

 ミヅキは突然現れた毛むくじゃらの大男にぎょっと驚いた。

 身長2メートルはあろうかという上背、恰幅のいい身体中に生やす獣毛。
 明らかに人ではない顔は、立派なたてがみをふさふさに備えたライオンのもの。
 半分獣のパメラやキッキとは違う、一目でわかる全身が獣の獣人。
 豪華な服装のうえ、全身の至る所にちりばめて身に付けているきらびやかな装飾品の数々が何だか下品だった。

 見渡す面子に知らない顔があってか、ライオン獣人の大男はぶ厚い胸板をどんと叩いて名乗りを上げる。

「俺はギルダーだ! パメラとは古い付き合いでな。このトリスの街の商工会会頭様とは俺のことよ! 幾つか店も出してるからそっちもよろしくな!」

 聞いてもいない自己紹介をしながら、のしのしとぶしつけに近付いてくる。

「ギルダー……」

 パメラは複雑そうな面持ちである。
 キッキは露骨に嫌そうに、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 ライオン獣人の大男の名をギルダーといった。
 トリスの街の商工会を牛耳る会頭であるとも。

 パメラとキッキとは以前からの顔見知りで、ギルダーの話から察するに店に借金を貸し付けた張本人のようだ。
 せっかくの楽しい雰囲気だったのに、気分を害されたキッキが声を荒げた。

「なんだよ、ギルダー! あたしたちは美味しいもの食べて楽しくやってんだ! お呼びじゃねえんだよっ、邪魔しに来んなっ!」

 あからさまな敵愾心を全開むき出しにするキッキ。
 しかし、ギルダーはにやりと黒い唇をつり上げ、笑って見下ろしていた。

「おぉ、キッキ~、心配したぜぇ! パンドラでどでかいドラゴンに出くわしたそうじゃねぇか。よく無事だったなぁ、ガハハハハッ……!」

 吠えるほどの大きな笑い声をあげ、グローブのような分厚い手の平でキッキの頭を乱暴に撫で付ける。

「うわぁ!? こらぁ、やめろぉっ!」

 怒りの混じった悲鳴をあげるキッキの髪の毛はぐしゃぐしゃだ。

 近づいてこられて改めてわかったが、ギルダーは高い身長以外に体格が横にも縦にも厚みがあり、何とも巨体だ。
 獣臭さがしなかったのは、ギルダーが付けている香水のむせ返る匂いのせいだ。

「ギルダー、今日はお客様が居るの……。用ならまた今度にして、お願い……」

 弱々しくパメラの顔が曇った。
 それだけでギルダーが招かれざる客であることはよく理解できた。

「おぉ、パメラァ。今日も一段とキレイだぜ」

 馴れ馴れしく至近距離まで迫るギルダーにパメラは後ずさる。
 ライオンそのものな腫れぼったい瞼を近づけ、潜めた声で言った。
 それは、ミヅキもどこかで聞いた悪党の常套句のような台詞だった。

「なあ、パメラぁ。悪いことは言わねえよ。こんな状況じゃ商売は厳しいだろう? もう、店ぇ畳んで俺んとこ来いよ。──な?」

「……」

 俯いて上目加減に見返すパメラは黙ったまま。

「そしたら借金は無かったことにしてやる。後の面倒もぜぇーんぶ俺が肩代わりしてやるからよ。もちろん、キッキのことだって心配すんな」

「ギルダー、そんなこと他の人が居るところで言わないで……」

 負い目の借金に触れられ、パメラは肘を抱えて辛そうに目を伏せた。
 何も言い返せない事情を抱えた母の姿は痛々しい。

「返せる当てのねえ借金なんざもう忘れちまえ。だからもう、無理に商売を続けるのはやめて、俺と一緒になってくれよ。助けてやるって言ってんだ」

「ギルダー、お願いだから今その話は……」

 ますます表情を暗くさせるパメラの肩に、ギルダーは手を回そうとする。

「待てぇっ!」

 ミヅキが何が起こっているのか状況を把握する前に、すかさずキッキが叫んだ。
 パメラとギルダーの間に割って入り、必死の形相で両手を広げて立ち塞がった。

「ママに近付くなッ! そんなの余計なお世話だってんだよッ!」

 精一杯に声を張り上げ、小さな身体に秘める思いをぶちまける。
 それは、キッキの一番大事な絆を守ろうとする強い感情の発露だった。

「出てけよっ! お前の助けなんか要らないっ! ──ここはっ、ママとあたしと、パパの店なんだっ……! 絶対に、絶対に誰にも渡さないんだからなっ!!」

 少女の怒りの叫びは悲鳴にも似ていた。
 悲痛の思いが爆発した後、しんとした静寂が漂う。

「……」

 ギルダーもその叫びに動きを止めていた。
 目に涙を浮かべるキッキの殺気立った顔を、黙ったまま見下ろしている。
 全力の心の咆哮に場の空気は凍りついていた。

「キッキ……」

 少女の名を呟くミヅキははっとした。
 そして、キッキの口走ったパパという言葉がひどく気に掛かった。

──今更だけど、キッキにだって親父さんがいるはずだ。でも、今のところそんな人物が登場する気配も無い。記憶のあった頃の俺なら何か知ってたんだろうか。

 ミヅキの記憶の中にキッキの父親の姿は無い。
 それどころか。

『急に迷宮の魔物が凶暴化して、浅い階層なのに手に負えない強さの怪物が現れるようになったんだ。怪我人や、最悪命を落とす冒険者も増えてきて……』

 キッキがパンドラの地下迷宮のことを話してくれたときを思い返す。
 伏せ目がちで悲しそうな顔をしたキッキと、物憂げに沈黙していたパメラ。

 彼女らの様子から察するに、パメラの夫、キッキの父親はもしかして、もう。
 但し、それよりも。

──なんだこのライオン野郎! やぶからぼうに……!

 瞼に涙を溜めて血相を変えるキッキの必死な姿と、沈んだ顔で困惑するパメラの姿に、ミヅキは腹の底が煮えくり返る思いに駆られていた。
 事情も知らずに首を突っ込むべきではないかもしれない。

 だが、もう黙っていられそうにない。
 パンドラにて、レッドドラゴンの炎からキッキたちを守ったように、激情が心の奥から湧き上がってくる。

──そう言えばそうだった。俺って、結構すぐにカッとなるタチだったな。小さい頃に親父絡みのことでこんなことあったっけか。

 また頭の奥がちかちかと明るくなった気がして、とうに過ぎ去った記憶が不意によぎった。
 それが何を意味していたのかを気に留める間は無い。

 と、席から立って、ギルダーとパメラ親子の間に割って入ろうとしたそのとき。

「……え、姉様?」

 ずっと黙って見ていたエルトゥリンの声が後ろで聞こえた。

 ミヅキがその声に振り向く前を、金色の長い髪の毛がふわりと通り過ぎていく。
 それは、使命の遂行を勇者に断られて落ち込んでいた姉エルフ、アイアノアの立ち上がった後ろ姿だった。

 アイアノアは若干のおぼつかない足取りでパメラとキッキの横を通り過ぎ、ギルダーの近くまで歩いていく。

 そして、腰に両手を当て、高身長差のギルダーを脇から強い視線で見上げた。
 すぅっと息を吸い込み、ひときわ大声で叫んだのであった。

「お待ちなさぁいっ!」

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