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第1章 迷宮の異世界 ~パンドラエクスプローラーⅠ~
第10話 レッドドラゴンとの遭遇
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「うっ……!?」
中へと足を踏み入れた瞬間から、明らかに空気が変わったのがわかった。
かび臭い匂いと共に、魔素と呼ばれる得体の知れない何かが空気に混ざって体内に侵入してくる。
たまらず気持ち悪さに口元へ手をやるが、立ち止まるのは何とか我慢した。
魔の領域の奥へとキッキは入っていってしまった。
急いで追いかけなければならない。
そうしなければ──。
もう二度とあの猫の少女に会えなくなる気がしたから。
──何だここ?! 外と空気が全然違う……!
ミヅキはパンドラのダンジョンに突入していた。
すぐに入り口からの日の光は届かなくなり、視界は闇に閉ざされた。
行く手には広大な回廊が真っ直ぐと続いている。
壁に点々と灯っている松明のか細い明かりだけが頼りだ。
天井は暗くて見えないくらい高く、頂点までの高さが不明な巨大な柱が迷宮奥まで立ち並んでいた。
──ここ、本当にやばいところだ……! これは洒落にならないぞ……!
肌で感じる重苦しい怖気、刺すほどの悪寒が否応なしに身体中を震わせる。
取り巻く冷えた空気に感覚が圧迫され、息が苦しい。
喉がひどく渇き、脂汗が全身から噴き出していた。
霊感など無くともわかる。
本能がここが「居てはいけない」場所だと知らせていた。
そう全神経が激しく警鐘を鳴らしているのだ。
「……本物のダンジョン、半端ないな……!」
──もし幽霊が出たって、それくらいじゃ驚かないかもな。それどころか……。
ここにはもっとまずいものが居るのではないか。
人ならざる人智を超えた化け物、ファンタジー世界には付き物の怪物。
そう、モンスターの存在が頭をよぎった。
ミヅキに想像できる現実のモンスターなど、精々猪や熊といった動物くらいだ。
それら実在する獣ですら遭遇すれば大変に危険な相手だというのに、それが本物の魔物となった場合の恐ろしさは計り知れない。
「急がないと……! まったく、入り口覗くだけじゃなかったのかよ……!」
湧き上がる恐怖心を誤魔化し、一人悪態をつくミヅキ。
ダンジョンに入ってから真っ直ぐ結構な距離を走ったように思うが、まだキッキの後ろ姿には追いつかなかった。
恐ろしい魔物に出会ってしまう前に、早く連れ戻さなければならない。
ミヅキは恐怖と不安に押し潰されそうになりながら、ダンジョンという怪物の体内を息を切らしてひた走っていった。
「あ、あぁ……」
その頃、猫の獣人の少女、キッキは掠れた声を漏らしていた。
ミヅキのいる場所よりさらにダンジョンの奥で、その光景を目の当たりにする。
立ち止まり、広がる無残な状況に愕然となっていた。
「これって、いったい……」
怯えた様子で周りを見回し、おろおろとどうしていいかわからなくなっていた。
キッキの周囲、壁際や太い柱の下、石畳の上に無造作に転がっている。
それらは鉛色の甲冑に身を包んだ大勢の人間たちで、おそらく駐屯所の兵士だ。
倒れている兵士たちはいずれも重症を負っており、苦悶の声で呻く者もいれば、気を失っているのか身動きしない者もいる。
兵士たちの甲冑は傷だらけで、へこんで変形している箇所も複数見られた。
そして、血の匂いに混ざって漂う、焼け焦げた匂いが鼻をついた。
「おい、大丈夫か! しっかりしろよ!」
キッキは手近な一人の傍らに寄って、呼びかけてみるも兵士は苦しげに呻くだけでまともな応答が無い。
よく見ると鎧や衣服が黒ずんでぼろぼろになり、熱を帯びているのがわかった。
さらに身体のあちこちに火傷を負っているようで、早く治療を受けなければ命にも関わる。
「う、ひどい……。こんなことができる魔物なんて、あたし知らないぞ……」
血と肉の焼ける臭いに口許を押さえるキッキの顔色は悪い。
周りには夥しい兵士たちの倒れた姿。
駐屯所の兵士のほとんどがここにいるのではないだろうか。
彼らを壊滅させられるほどの魔物がいる。
「……まさか! キ、キッキか……?」
石畳の床に倒れ伏す兵士の一人が息も絶え絶えにキッキを見上げていた。
乱れてばらばらになった茶色の髪の毛の合間から生気の無い目が覗き、その顔は頭からの出血で赤く染まっている。
「あっ、ガストンさんっ! 大丈夫っ!?」
キッキはその兵士の名を呼ぶと、すぐにそばへ駆け寄った。
整えられた口髭の男は切羽詰まった必死の形相だった。
キッキを見上げて唇を震わせながら、途切れそうな意識を振り絞って叫ぶ。
「ここへは来ちゃいかんっ……! は、早く逃げるんだッ! 今すぐッ!」
髭の兵士の名はガストンという。
パンドラの地下迷宮の警備を務める兵士をまとめる兵士長である。
「兵士さんたちが揃ってこんなことになるなんて……。何があったんだよ……?」
改めて倒れた兵士を見回し、キッキは弱々しい声で言った。
ガストン本人も含め、配備された兵士たちはそれぞれが相当の手練れである。
異変が起きて魔物が凶暴化した後も、パンドラ入り口付近やダンジョンの浅い層の問題諸々に対応できるだけの実力は持ち合わせている。
これだけの大人数の兵士を、こうも無残な状況に追いやった元凶とは──。
「キッキ、早くここを離れなさいッ……! あいつが戻ってくるぞっ……! 今は奥に逃げた他の兵を追っている……!」
呻くように声をあげるガストンは自分の迂闊さに歯噛みしていた。
この昼時の時間、キッキらが昼食を配達に来ることは当然わかっていたことだ。
駐屯所に誰もいなければ、或いはパンドラのダンジョン内に誤って入ってしまうことは容易に予想できたというのに。
これではパンドラの出入りを管理する任に就いている自分たちの立つ瀬がない。
しかし、今はそんなことを言っている場合ではなかった。
「あいつって何だよ?! みんなひどい怪我だ、早く外に出ようよっ……!」
「俺たちのことはいいっ……! キッキはこのことを街のみんなに知らせて、救援を呼んでくれっ! 街中の衛兵をここに集めて──」
悲壮に顔を歪めるガストンがそこまで言ったときだった。
「……うっ!?」
ガストンは言葉の途中で息を呑んで愕然となった。
自分たちの背後、迷宮の暗い奥から何かが近付いてくる気配がある。
それは間隔の狭い大きな足音だ。
どすんどすんどすんどすん……!
だんだんと確実に近づいてくるそれは、相当な重量を持つ何かが発生させている床の振動である。
ガストンら兵士を蹴散らしたその魔物は、そもそも戦って勝てる相手でもなければ、逃げ切れる相手でもなかった。
「う、嘘ぉっ……! まさか、これってぇ……!」
「あぁぁぁぁ……。も、もうおしまいだ……!」
足音の主はあっという間に立ち尽くすキッキと、成す術なく伏すガストンのもとに悠々と到着した。
高い目線から眼下の小さき者たちを見下ろしている。
裂けた大きな口から息とともに炎が漏れた。
身体中を覆う、赤く分厚い硬い皮と鱗、鋭いかぎ爪の前後の足での四足歩行。
長い首に爬虫類のような獣の顔、頭部には雄々しく尖った角が生えている。
鞭のようにしなる長く太い尻尾を振り回し、皮膜の羽を威嚇するかのようにはためかせ、赤く焼ける口腔からは炎の息を吹くことができる。
頭から尾の先まで、ゆうに30メートル以上はある巨躯を誇る。
曰く、その表皮と鱗は鋼鉄よりも硬いという。
まごう事なき怪物のなかの怪物。
「ド、ドラゴンだぁぁぁぁぁーっ! いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁーッ!!」
最悪の怪物の登場に、金切り声で悲鳴をあげるキッキ。
キッキにもパンドラ第一層に出没する魔物の知識はある。
決して何も知らずにダンジョンに飛び込んだ訳ではなかった。
敵性亜人のゴブリンやオーク、コボルドといった粗野な人型生物。
下等な意思しか持たない昆虫の魔物や、どろどろの不定形生物スライム。
ダンジョンの魔素にあてられて動き出した様々な魔法生物たち。
もしも出会ってしまったとしても、獣人の脚力で逃げ切るのはそう難しくない相手ばかりである。
但し、それはパンドラの異変が起こる前の話でもある。
そのうえで、さらに思いもよらない誤算があった。
出会ってしまった相手が巨大で恐ろしいレッドドラゴンであったことだ。
こんな正真正銘の化け物が出没するだなんて露とも知らなかった。
キッキの悲鳴に対抗でもするかのように、レッドドラゴンも顎を大きく開き、耳をつんざくばかりの咆哮をあげた。
『ゴギャアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァーーッ!!』
ダンジョン内に轟然たる大音響が激しくこだました。
びりびりと空気が震え、音の圧に吹き飛ばされそうになる。
古来より、ドラゴンの咆哮には戦意を喪失させ、威圧をする効果があるという。
身体の奥深く、髄にまで響き渡る圧倒的な獣の叫びが、抗いようのない恐怖を本能に植え付けた。
「……ふぁ、あぁ……」
もう言葉無く、恐ろしさのあまりその場に両膝とお尻を付き、ぺたんと崩れ落ちるキッキ。
茫然自失し、腰が抜けてしまってもう逃げるどころではない。
こんなはずではなかった。
もし怪我をした兵士がいたら背におぶって帰るくらいはするつもりだったのだ。
それなのに、そのはずだったのに、まさか──。
「ドラゴンが出るなんてな……!」
その様子をミヅキは少し離れた場所で見ていた。
追いついたものの、足がすくむほどのドラゴンの咆哮の勢いに立ち止まり、累々と転がる兵士たちと座り込むキッキを目の当たりにした。
奇しくもミヅキがダンジョンで初遭遇した第一モンスターは。
まさかまさかの巨大なレッドドラゴンであったのだ。
当然ながら、ダンジョン第一層で出現していいモンスターではない。
「冒険を始めて、初めて戦うモンスターが伝説のドラゴンだって……? まったく、どんな設定にすりゃそんな無茶苦茶な難易度になるんだよ……!? いくらこれが夢だからってそんなのあんまりだろっ!」
悪態をついてみるが、見上げるばかりの体躯の怪獣みたいな相手にどうすることもできやしない。
見たまんまの有無を言わせぬ迫力が、どうしようもない恐怖を湧き上がらせる。
むせ返る血の匂いと焦げた匂いはさらにリアルさを助長していた。
出会ってはならないモンスターとの遭遇。
それが意味するのは、絶体絶命の危機であった。
中へと足を踏み入れた瞬間から、明らかに空気が変わったのがわかった。
かび臭い匂いと共に、魔素と呼ばれる得体の知れない何かが空気に混ざって体内に侵入してくる。
たまらず気持ち悪さに口元へ手をやるが、立ち止まるのは何とか我慢した。
魔の領域の奥へとキッキは入っていってしまった。
急いで追いかけなければならない。
そうしなければ──。
もう二度とあの猫の少女に会えなくなる気がしたから。
──何だここ?! 外と空気が全然違う……!
ミヅキはパンドラのダンジョンに突入していた。
すぐに入り口からの日の光は届かなくなり、視界は闇に閉ざされた。
行く手には広大な回廊が真っ直ぐと続いている。
壁に点々と灯っている松明のか細い明かりだけが頼りだ。
天井は暗くて見えないくらい高く、頂点までの高さが不明な巨大な柱が迷宮奥まで立ち並んでいた。
──ここ、本当にやばいところだ……! これは洒落にならないぞ……!
肌で感じる重苦しい怖気、刺すほどの悪寒が否応なしに身体中を震わせる。
取り巻く冷えた空気に感覚が圧迫され、息が苦しい。
喉がひどく渇き、脂汗が全身から噴き出していた。
霊感など無くともわかる。
本能がここが「居てはいけない」場所だと知らせていた。
そう全神経が激しく警鐘を鳴らしているのだ。
「……本物のダンジョン、半端ないな……!」
──もし幽霊が出たって、それくらいじゃ驚かないかもな。それどころか……。
ここにはもっとまずいものが居るのではないか。
人ならざる人智を超えた化け物、ファンタジー世界には付き物の怪物。
そう、モンスターの存在が頭をよぎった。
ミヅキに想像できる現実のモンスターなど、精々猪や熊といった動物くらいだ。
それら実在する獣ですら遭遇すれば大変に危険な相手だというのに、それが本物の魔物となった場合の恐ろしさは計り知れない。
「急がないと……! まったく、入り口覗くだけじゃなかったのかよ……!」
湧き上がる恐怖心を誤魔化し、一人悪態をつくミヅキ。
ダンジョンに入ってから真っ直ぐ結構な距離を走ったように思うが、まだキッキの後ろ姿には追いつかなかった。
恐ろしい魔物に出会ってしまう前に、早く連れ戻さなければならない。
ミヅキは恐怖と不安に押し潰されそうになりながら、ダンジョンという怪物の体内を息を切らしてひた走っていった。
「あ、あぁ……」
その頃、猫の獣人の少女、キッキは掠れた声を漏らしていた。
ミヅキのいる場所よりさらにダンジョンの奥で、その光景を目の当たりにする。
立ち止まり、広がる無残な状況に愕然となっていた。
「これって、いったい……」
怯えた様子で周りを見回し、おろおろとどうしていいかわからなくなっていた。
キッキの周囲、壁際や太い柱の下、石畳の上に無造作に転がっている。
それらは鉛色の甲冑に身を包んだ大勢の人間たちで、おそらく駐屯所の兵士だ。
倒れている兵士たちはいずれも重症を負っており、苦悶の声で呻く者もいれば、気を失っているのか身動きしない者もいる。
兵士たちの甲冑は傷だらけで、へこんで変形している箇所も複数見られた。
そして、血の匂いに混ざって漂う、焼け焦げた匂いが鼻をついた。
「おい、大丈夫か! しっかりしろよ!」
キッキは手近な一人の傍らに寄って、呼びかけてみるも兵士は苦しげに呻くだけでまともな応答が無い。
よく見ると鎧や衣服が黒ずんでぼろぼろになり、熱を帯びているのがわかった。
さらに身体のあちこちに火傷を負っているようで、早く治療を受けなければ命にも関わる。
「う、ひどい……。こんなことができる魔物なんて、あたし知らないぞ……」
血と肉の焼ける臭いに口許を押さえるキッキの顔色は悪い。
周りには夥しい兵士たちの倒れた姿。
駐屯所の兵士のほとんどがここにいるのではないだろうか。
彼らを壊滅させられるほどの魔物がいる。
「……まさか! キ、キッキか……?」
石畳の床に倒れ伏す兵士の一人が息も絶え絶えにキッキを見上げていた。
乱れてばらばらになった茶色の髪の毛の合間から生気の無い目が覗き、その顔は頭からの出血で赤く染まっている。
「あっ、ガストンさんっ! 大丈夫っ!?」
キッキはその兵士の名を呼ぶと、すぐにそばへ駆け寄った。
整えられた口髭の男は切羽詰まった必死の形相だった。
キッキを見上げて唇を震わせながら、途切れそうな意識を振り絞って叫ぶ。
「ここへは来ちゃいかんっ……! は、早く逃げるんだッ! 今すぐッ!」
髭の兵士の名はガストンという。
パンドラの地下迷宮の警備を務める兵士をまとめる兵士長である。
「兵士さんたちが揃ってこんなことになるなんて……。何があったんだよ……?」
改めて倒れた兵士を見回し、キッキは弱々しい声で言った。
ガストン本人も含め、配備された兵士たちはそれぞれが相当の手練れである。
異変が起きて魔物が凶暴化した後も、パンドラ入り口付近やダンジョンの浅い層の問題諸々に対応できるだけの実力は持ち合わせている。
これだけの大人数の兵士を、こうも無残な状況に追いやった元凶とは──。
「キッキ、早くここを離れなさいッ……! あいつが戻ってくるぞっ……! 今は奥に逃げた他の兵を追っている……!」
呻くように声をあげるガストンは自分の迂闊さに歯噛みしていた。
この昼時の時間、キッキらが昼食を配達に来ることは当然わかっていたことだ。
駐屯所に誰もいなければ、或いはパンドラのダンジョン内に誤って入ってしまうことは容易に予想できたというのに。
これではパンドラの出入りを管理する任に就いている自分たちの立つ瀬がない。
しかし、今はそんなことを言っている場合ではなかった。
「あいつって何だよ?! みんなひどい怪我だ、早く外に出ようよっ……!」
「俺たちのことはいいっ……! キッキはこのことを街のみんなに知らせて、救援を呼んでくれっ! 街中の衛兵をここに集めて──」
悲壮に顔を歪めるガストンがそこまで言ったときだった。
「……うっ!?」
ガストンは言葉の途中で息を呑んで愕然となった。
自分たちの背後、迷宮の暗い奥から何かが近付いてくる気配がある。
それは間隔の狭い大きな足音だ。
どすんどすんどすんどすん……!
だんだんと確実に近づいてくるそれは、相当な重量を持つ何かが発生させている床の振動である。
ガストンら兵士を蹴散らしたその魔物は、そもそも戦って勝てる相手でもなければ、逃げ切れる相手でもなかった。
「う、嘘ぉっ……! まさか、これってぇ……!」
「あぁぁぁぁ……。も、もうおしまいだ……!」
足音の主はあっという間に立ち尽くすキッキと、成す術なく伏すガストンのもとに悠々と到着した。
高い目線から眼下の小さき者たちを見下ろしている。
裂けた大きな口から息とともに炎が漏れた。
身体中を覆う、赤く分厚い硬い皮と鱗、鋭いかぎ爪の前後の足での四足歩行。
長い首に爬虫類のような獣の顔、頭部には雄々しく尖った角が生えている。
鞭のようにしなる長く太い尻尾を振り回し、皮膜の羽を威嚇するかのようにはためかせ、赤く焼ける口腔からは炎の息を吹くことができる。
頭から尾の先まで、ゆうに30メートル以上はある巨躯を誇る。
曰く、その表皮と鱗は鋼鉄よりも硬いという。
まごう事なき怪物のなかの怪物。
「ド、ドラゴンだぁぁぁぁぁーっ! いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁーッ!!」
最悪の怪物の登場に、金切り声で悲鳴をあげるキッキ。
キッキにもパンドラ第一層に出没する魔物の知識はある。
決して何も知らずにダンジョンに飛び込んだ訳ではなかった。
敵性亜人のゴブリンやオーク、コボルドといった粗野な人型生物。
下等な意思しか持たない昆虫の魔物や、どろどろの不定形生物スライム。
ダンジョンの魔素にあてられて動き出した様々な魔法生物たち。
もしも出会ってしまったとしても、獣人の脚力で逃げ切るのはそう難しくない相手ばかりである。
但し、それはパンドラの異変が起こる前の話でもある。
そのうえで、さらに思いもよらない誤算があった。
出会ってしまった相手が巨大で恐ろしいレッドドラゴンであったことだ。
こんな正真正銘の化け物が出没するだなんて露とも知らなかった。
キッキの悲鳴に対抗でもするかのように、レッドドラゴンも顎を大きく開き、耳をつんざくばかりの咆哮をあげた。
『ゴギャアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァーーッ!!』
ダンジョン内に轟然たる大音響が激しくこだました。
びりびりと空気が震え、音の圧に吹き飛ばされそうになる。
古来より、ドラゴンの咆哮には戦意を喪失させ、威圧をする効果があるという。
身体の奥深く、髄にまで響き渡る圧倒的な獣の叫びが、抗いようのない恐怖を本能に植え付けた。
「……ふぁ、あぁ……」
もう言葉無く、恐ろしさのあまりその場に両膝とお尻を付き、ぺたんと崩れ落ちるキッキ。
茫然自失し、腰が抜けてしまってもう逃げるどころではない。
こんなはずではなかった。
もし怪我をした兵士がいたら背におぶって帰るくらいはするつもりだったのだ。
それなのに、そのはずだったのに、まさか──。
「ドラゴンが出るなんてな……!」
その様子をミヅキは少し離れた場所で見ていた。
追いついたものの、足がすくむほどのドラゴンの咆哮の勢いに立ち止まり、累々と転がる兵士たちと座り込むキッキを目の当たりにした。
奇しくもミヅキがダンジョンで初遭遇した第一モンスターは。
まさかまさかの巨大なレッドドラゴンであったのだ。
当然ながら、ダンジョン第一層で出現していいモンスターではない。
「冒険を始めて、初めて戦うモンスターが伝説のドラゴンだって……? まったく、どんな設定にすりゃそんな無茶苦茶な難易度になるんだよ……!? いくらこれが夢だからってそんなのあんまりだろっ!」
悪態をついてみるが、見上げるばかりの体躯の怪獣みたいな相手にどうすることもできやしない。
見たまんまの有無を言わせぬ迫力が、どうしようもない恐怖を湧き上がらせる。
むせ返る血の匂いと焦げた匂いはさらにリアルさを助長していた。
出会ってはならないモンスターとの遭遇。
それが意味するのは、絶体絶命の危機であった。
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