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一章

硝子のホール(1)

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 セドナ周縁の断崖絶壁から突き出すようにして生えている、ガラス化したコンクリートブロック。
 その側面の開口部から内部へと侵入することに成功したわけだが……。
 まずは、探索可能領域の調査からはじめるとしよう。

 開口部から入ってすぐ目の前に広がる、ガラス化した建材の散乱するエントランスホールらしき空間。
 床面は概ね平たいが、散乱した大小の建材が地面と一体化しており、またそれらの上には開口部から入り込んだらしき土塊や植物が浅い土壌を形成している。
 露出している建材に触れてみれば、この建物の床面に完全にくっついており、動かせそうにはない。

「……当然っちゃ当然だけど、崩れた後にガラス化したんだな」
「まぁ……そうなるだろうね。
 少なくとも、この建物が通常通り使用されていたときに瞬時にガラス化したわけではなさそうだ」
「つまり……放棄されてから、ガラス化した?」
「……そうだといいんだがね」

 ホールの中央に堆く積もる、建材の方へ向かう。
 ガラス化した建材の山は高さ2m以上にもなり、視界を遮っている。
 その建材は、開口部から見て左手側の壁面に擦れるように積もっており、そちら側は通れそうにない。
 一方で、建材の山の右手側には仄暗い空間が広がっている。
 この建材を乗り越えるようなことをしなくとも、右手側から回り込めば、このホールの全体を見て回ることはできそうだ。

 頭上の吹き抜けから落ちてきたと思わしきこの建材の……もともとの用途はよくわからない。
 恐らくは渡り廊下のようなものが落ちてきて、そのあとにガラス化したものと思われる。
 その渡り廊下は、吹き抜けの歪な形を見るに、どうも三階か、四階あたりの階層部分に掛かっていたと見える。
 左手側の壁面に擦るように崩落している当たり、恐らくは右手側から崩落し、その後左手側も引きずられるようにして崩落したのだろう。

 ガラス化した建材の山に、ざっと目を凝らしてみる。

「……なにか、読み取れるものはないかな?」
「文字や記号、シンボルマークなどは、見当たらないないね。
 もっとも、ガラス化した際にすべて掻き消えてしまっている可能性が高いが」
「この建物の色も、ほとんど残っていないしな。
 白に近い灰色というか、モノクロームというか」
「仮になにか塗装のようなものがされていたとしても、溶け落ちているだろうね。
 なにせ推定温度は1,000度ほどだ。岩石を溶かすほどの温度だよ」
「……隙間に、草、生えてるね」
「ああ。……たくましいな」

 見たところ、この建材の山には目ぼしいものは見当たらない。
 高さ2mと少しの建材の山、瓦礫の山のようなもの。
 容易によじのぼることもできるだろうが……そうする必要は、今のところはない。
 この崩落した建材が掛かっていたと思しき階層部分の高さは6mから7mほど。
 この建材の山に攀じ登っても、到底届かない高さだ。
 また、この建材の山の向こう側に行くにしても、わざわざこの山を乗り越える必要はない。
 素直に右側から回り込めばいいだけだ。

 というわけで、今度は右に行こう。
 建材の山を離れ、開口部から見て右手側へ。
 岩壁に埋まっている部分であるそちら側は、仄暗い。
 暗順応しないままの眼では、よく見通せない。
 今回は俺は夜目をつけてきていないからな。

 そのまままっすぐ歩き、ホールの右手側の壁面まで辿り着く。
 そこもまた一様にガラス化しており、なにか意匠のようなものは――

「――ん?」
「どうした、フーガ」
「このあたり、なんか硝子の色がちがわないか?」
「どれ」

 ガラス化した、コンクリートの壁。
 その一部分、高さ2mほど、横1.5mほどの色が変わっている。
 これは……扉、か?

 ぺちぺちと叩いてみるが、硬質な手ごたえが返ってくるのみ。
 これは――ガラス化した際に、扉ごと溶接されてしまっているのか。

「これ、扉かな?」
「扉というには、やけに……平たい、というか、意匠が少ないな」
「……たしかに」

 だが、色がちがうということは、ここには周囲のコンクリートとはまた別の建材が使われていた可能性が高い。
 やはり、この奥にはなにかしらの空間があると見ていいだろう。
 場合によっては、向こう側に……行ける、か?

「モンターナ、この奥、行けると思う?」
「……見たところ、周囲の壁と完全に一体化してしまっているようだな。
 このコンクリート・ガラスの壁を破壊する勢いでもないと……」
「それは……危なさそうだな……。だが、ふむ」

 ちょっと試してみるか。
 ズボンに差してある一本の石楔を抜く。
 硝子の壁に耳を押し当て、石楔の底面で叩く。

  コン コン

   ――――ォォン  ――――ォォン

「うげ」

 予想外の結果に、思わず壁から飛び退く。
 えっ、まじで。あぶねぇ。
 衝撃を与えて破壊しようとか思わなくてよかった。
 とんでもないことになるところだった。

「……どうした、フーガ。なにかわかったのか?」
「気を付けろ、モンターナ。カノン。
 ……この向こう、なんにもないぞ」
「えっ、なにも、ない?」
「なにもない、って……これが扉なら、その向こうには当然なんらかの空間があるのだろうから、当然では?」
「ああ、いや、そうじゃなくて――なんというかな。縦に長いんだ」
「……む?」
「この向こうには、上下につきぬけた縦穴があるって言えば、わかるか?」
「――っ!」
「それにここの壁、やたら薄い。たぶん、2cmくらいしかない。
 明らかに、この建造物の壁じゃない。……やっぱり、なんかの扉だ」
「ってことは、この向こうは、……崩落している?」
「その可能性はあるな。
 ……いやでも、それにしては妙に音が籠ってるような……」

 なんというか、聞こえてきた音のイメージからすると、それほど広くない縦穴が通ってる感じなんだよな。

「……ねぇ、フーガくん」
「ん? どしたカノン」
「これ、なに、かな」

 カノンが、色のちがう壁の少し外側、1mくらいの高さを指さしている。
 仄暗いせいでよく見えない。近寄って目を凝らす。

「……なにかの、窪み、か?」

 そこには、一辺が3cmほどの正方形の窪みがついているように見える。
 その窪みの深さは1cmほどで、なにか小さなものが嵌まっていたようだ。
 ……窪みの奥は、なにかがぐちゃぐちゃと溶け固まったようになっており、よく見えない。

「……なにかが、嵌まっていたようだね」
「なにか、ねぇ……」

 扉の脇にある、小さなくぼみ。
 なにかしらの鍵のような役割?
 扉を開く前に、その鍵を……

「あ」
「お。カノン先生、どうぞ」
「……エレベーター?」
「……、…… ――ああっ!」

 えっ、マジで。
 ……あー、たしかに。
 なるほど、たしかに。
 壁に設えられた薄い扉、その向こうにある縦穴、扉の脇にある窪み。
 それはまさに昇降機、すなわちエレベーターの機構そのものだ。

「……えっ、マジで……?」

 数歩下がって見てみる。
 高さ2mほど、横幅1.5mほどのそれは、たしかにエレベーターの入り口に見える。
 だが、これがエレベーターであると仮定すると、それはそれで、ちょっとことになる。

「……なぁ、モンターナ? 俺たちってさ……」
「……さすがに、エレベーターは……作らなかったよね」
「だよなぁ」

 前作で俺たちは、いろいろ作ったけれど。
 鉄筋コンクリートの建物も作ったし、製造装置の力を借りて、電子回路を擁する配電盤なんかも作ったけど。
 『犬』というゲームのサービスは、たかだか4年しか続かなかったのだ。
 たとえ技術的に作ることはできたとしても、作られなかったものはたくさんある。

 エレベーターなんてものは、俺たちは流石につくっていない。
 だって、エレベーターを必要とするような高層建築自体が、ほとんど行われなかったから。

「……どうやら、私たちの『』は、かなり繁栄したようだね」
「そのよう、だな……」
「わたしたちの技術水準を継いだというのなら、わからなくもないか――」

 ……あれ?
 また、なにか引っかかっている。
 モンターナの声が遠くなる。

 ……なんだ。
 俺はさっきから、いったいなにに引っかかっているんだ?
 このあたりの話の、どこがおかしい?
 どこかが、、気がする。

「――よね、カノン?」
「んっ。たしかに、そうかも」

 ……だめだな、出てこない。
 そういえば、セドナの下に見えたあのガラス化したコンクリート・ブロックも、かなりの高さがあるように見えた。
 6階建てか7階建てか、あるいはもっと。
 そうした建物が作られたのなら、必要に駆られて、エレベーターのような機構も生み出されることもある……か?

「……。」
「フーガ、ここは後にして、次に行こう。
 考察は一通り見て回ってから、という話だっただろう?」
「あ、ああ……。」


 *────


 開口部から見て右手側の壁を伝い、今度はホールの奥側へ移動する。
 ホールの中央部に堆く積もっている建材の山は、中央を中心にして散乱しており、こうして回り込むことでホールの反対側へと移動することはできる。

「……これは、応対カウンター、か?」
「そんな感じに見えるね」

 右手側の壁面の一部が、高さ2mほど、横幅5mほどの直方体にくりぬかれている。
 奥行きは3mほどで、手前にはなにかカウンターのような直方体の物体が設えられている。
 このカウンターの向こう側に人を回せば、そのまま来客応対できるだろう。
 それが、なんのカウンターなのかは、まだわからない。
 ここが小さなショッピングモールであれば、案内所だろう。
 診療所やサナトリウムであれば、来訪者受付だろう。
 研究所であれば、来訪者窓口といったところだろうか。

「……資料棚とか、残ってないもんかね」
「あったとしても、たぶん焼失しているよ。
 木材の自然発火点は、たかだか260度くらいだからね」
「えっ、マジで」

 そんなに低いのか。
 ……いや、そもそも260度って低いのか?
 ガラス化の温度が1,000度くらいだっていうから感覚が壊れている。

「ちなみに、新聞紙が300度、ゴムが350度、コピー用紙やノート紙などの一般的な紙が450度くらいだ。
 このコンクリート・ブロックの内部がガラス化している時点で、その手の日用品……というか、普段私たちの身の回りにあるすべてのものは、そのほとんどが焼失するか融解していると見ていい。
 なにかしらの残留物を期待するのは、難しいだろうね」
「……そりゃ、そうか」

 1,000度ってあれだ、マグマの温度だもんな。
 この建物がそんな窯の中に放り込まれた時点で、なにも残らないだろう。
 塵と灰になって、あの開口部から飛散していって終わりだ。

「ああ、ちなみに――」

 軽い口調で、モンターナは続ける。

の融解温度は、およそ1,600度だと言われている」
「――っ」
「高さ10m超のコンクリート・ブロックをガラス化させるのに必要な温度は……どうだろう。
 少なくともコンクリートを溶かす必要があるから、1,000度から1,100度くらいが最低値かな。
 だが、それは『ガラス化砦』現象を引き起こすのに必要な温度ではない。
 そっちの温度については、現実の科学でも未知数だ。
 だからまぁ、最低でも、という話だね」
「つまり、そうした骸は残っているかもしれないし、そうでないかもしれない、と」
「たとえこの建物がガラス化したときにこの建物の中に生命がいたとしても、その痕跡が見つかるかどうかは怪しい、ということだ。
 そのくらい、コンクリートがガラス化するというのは途方もない現象なのだよ。」

 人骨すらも融解させる、灼熱の窯。
 思っていたよりも恐ろしい話だ。

「ちなみに、だが。鉄の溶ける温度は1,500度付近。
 原子爆弾の落下中心地付近の温度は3,000度から4,000度と言われているね」
「さんぜん、ど……」
「無論、そうした爆発による焦熱しょうねつは距離減衰も時間減衰も大きい。
 だから、まぁ……どうだろうね。
 それがこのガラス化砦の原因としてありうるのかは、まだ謎のままだ」

 モンターナがそう締めくくるのを、呆然とした頭で聞く。
 ここまで俺は――ちょっと勘違いをしていたのかもしれない。

 ……実を言うと、俺は、頭のどこかで、この建物には俺たちが見るべきなにか痕跡のようなものが遺っているのではないかと期待していた。
 この建物を建てた存在の、遺品であるとか、骸であるとか、あるいはなんらかの痕跡のようなものが見つかるのではないかと。
 だが、それは淡い期待に過ぎなかったのかもしれない。

 人が極大の焦熱に晒された時、骨も皮も残らず、その後ろに影だけが残るという。
 この建物は、まさにそれだ。
 この建物は、影だ。
 この星でかつて起こった、なにか、途方もない現象の残影。
 そこには、燃え尽きた存在の中身を示すものは、何一つない。
 ただ、燃え尽きた存在の、大きさと形だけはわかる。
 この星の上に刻まれ遺る、古い傷痕。

「……さ、次に行こうか。」
「お、おう」

 ホールの奥側へと進む、モンターナを追う。

 いったいどのようにして刻まれたのかもわからない。
 その焼けた傷跡の深さに、小さくない戦慄を覚えながら。
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