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一章

セドナの外側

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 モンターナに連れられてきた、セドナ南東部の端。
 俺たちの眼前、見上げるほどに聳え立つのは、黒い岩質の岩壁。
 それはセドナ川の果てにあった、柱状節理の岩壁と同じ色の、玄武岩の岩壁だ。
 この15mを超える岩壁が東西に走り、セドナの南を完全に遮断している。

 だが、この場所では、その岩壁は、俺たちの前で割れ裂けている。
 左右から引っ張られるように広がるその裂け目の幅は2mほど。
 裂け目はまっすぐ、遥か先まで続いている。
 そして、裂け目の果てには、青い空が見える。
 高地である、セドナの外側。すなわち――そらだ。

「……思えば、推測の材料というのは、それこそ最初の最初から、散りばめられていたのだ。」

 訥々と語りはじめたモンターナの先導で、俺たちはその裂け目に足を踏み入れる。
 セドナの、外側へと。

「たとえば、惑星カレドという名前。
 前作と同じ名前を与えられたのが、前作へのオマージュであるという可能性はあるが、そうでないという可能性もある。
 すなわち、この惑星カレドは、あの惑星カレドであるという可能性。
 視覚と聴覚のデュアルチューニングシステムからフルダイブシステムへの移行の衝撃が強すぎて、私を含めた多くのプレイヤーは、この世界があの世界のリメイクであると錯覚したが……。
 そうではなかったのかもしれない。
 この世界は、作り直されてなどいなかったのかもしれない。
 ゆえに、リメイクではなく、リダイブと称されたのではないかと。」
 
 このゲームの説明には、リメイクという言葉は一度も用いられなかった。
 その意味は。リメイクとリダイブのニュアンスのちがい、ということではなくて。
 そもそも、作り直されていない、ということではないのか。

「たとえば、この星の時間の巡り。
 前作と同じ、48時間の自転周期。
 それは、前作での時間設定を準えた可能性はあるが、そうでないという可能性もある。
 すなわち、この惑星カレドは、あの惑星カレドそのものであるという可能性。
 同じ自転周期なのも当然だ、同じ惑星なのだから。」

 俺は、その周期設定を、ゲーム的な工夫だと、思い込んでいたけれど。
 そうではなかったのかもしれない。
 ……いや、前作でそのように設定されたのは、ゲーム的な工夫だったかもしれないけれど。
 この世界がそのような周期であるのは、前作と同じように定められたからではなく、もともとそうだったからかもしれない。

「たとえば、夜空に見える星々の位置。
 すべての星を、同じように配置するなんて、そんなことが人の手にできるだろうか。
 いや、できはしない。
 となれば、やはりこの仮想宇宙は、作り直されてなどいないのだ。
 前作から、シミュレートされ続けている。
 そう考えるのが、もっとも

 星――そうか、星の位置か。
 その発想はなかった。
 たしかにそれが前作と完全に一致しているというのは、いくら何でも厳しい。
 夜空の同じ位置に同じ強さで瞬く星を、数十万個と配置するのは無理がある。

「重力も、大気組成も、その多くが前作と同じだ。
 それらをもっともうまく説明できるのが、私たちの仮説だ。
 つまり、この星は、あの星であると。
 この星は、あの星の続きであると。」

 モンターナは、セドナの外側へと歩き続ける。
 その先にあるなにかに、呼ばれているように。


 *────


 モンターナの後ろに着いて、岩壁の裂け目の峡谷を歩いていく。
 左右に見える岩肌は、細かな段差状の黒い岩石で構成されている。
 このあたりも、柱状節理のようにして形成された、玄武岩質の岩場のようだ。

 一つの巨大な岩塊が、左右に割れ裂けてできた、この峡谷。
 いつか、この裂け目が生まれた直後には、俺たちの左右に見える岩肌は、綺麗にぴったりとくっつけることができたのかもしれない。
 重力に引かれてか、雨風に削られてか、この裂け目は徐々に広がっていった。
 いったい――どれほど歳月が流れたのだろう。

「……星が同じだというのなら、同じ場所が在るということだ。
 同じ座標が存在するということだ。
 それだけでは、このセドナが、あのセドナであるという仮説には何の影響もない。
 だが、セドナ・ブルーの存在は決定的だな。
 なにせ、あれにはこの座標系の地磁気も影響しているらしいからな。
 ……恐らく、ここはセドナでまちがいない。
 それも、恐らくはセドナのだ。
 あの世界の前でも、時間を巻き戻して作り直された世界でも――ない」

 立ち止まり、右の岩壁に手のひらを付け、それを撫で。
 そのように断言する、モンターナに問いかける。

「それは、なぜだ?」

 そこに関しては、俺の方ではいまだ確証はない。
 たとえこの世界が、あの世界と地続きであっても。
 そしてまた、たとえここがセドナであっても。
 それがあの時代の前なのか、後なのかはわからない。
 この高地が、いずれ海の底に沈むのかもしれない。
 昨夜俺たちの潜った亀裂が、いずれ『ブルー・ジャック・ケイブ』の一部になるのかもしれない。
 「ここはか」がわかっても、「ここがか」はわからないはずだ。
 あるいはモンターナの言う通り、ここは前作と同じ時間軸の、新たに作り直リセットされた並行世界かもしれない。
 俺たちは、前作のゲーム開始時点と同じ時刻に、再び未開惑星カレドに着陸したのかもしれない。
 この世界では、たまたまセドナは海沿いではなく高地となったのかもしれない。
 少なくとも、その答えに定める物証を、いまのところ俺たちは見つけていない。

 ……とは、思いはするけれど。
 実のところ、俺もモンターナと同じ仮説を抱いている。
 確証はないけれど、予感としては抱いている。
 すなわち、この世界は、あの世界のなのだと。
 数万年か、数億年か、それくらいの。
 長い月日を経た後なのだと、そう思っている。

 そこにはただ――勘が、イメージだけがある。
 きっとそうに違いないという、予感だけが。
 その予感のはじまりは、あの岩壁の果てに見た光景によってもたらされたものだ。
 あの風景だけが、その予感の根拠だ。

 俺の問いかけに、モンターナは答えない。
 一度は止めた足を再び動かし、歩き始める。
 答えられないのか。
 答えたくないのか。
 それとも――答える必要が、ないのか。

 セドナの南を遮断する、高くそびえる岩の壁。
 その厚みは、このあたりもおおよそ100mほどであるようだ。
 少し話しているだけで、すぐにわたり切ってしまう。
 セドナの、外側へと。

 そうして、俺たちは呆気なく辿り着いた。
 岩壁の向こう側。
 セドナの、外側へと。


 *────


  ヒュォォォォオオオオ――――


 目の前に広がる、無際限の展望。
 どこまでも澄み渡る、蒼穹の空。
 身体を吹きつける、強く冷たい風。
 ここは――断崖絶壁の、そのそば。

 俺たちの拠点の南にあった亀裂と同じように。
 この裂け目も、セドナの果てへと続いていた。
 カノンが辿り着き、俺が追い付いたそのときは。
 真っ暗な夜の雨に覆われて、なにも見えなかったけれど。
 きっとそのときも、その先には、この光景が広がっていた。
 ただ、どこまでも落ちていける空だけがあった。
 セドナ川のすべての水を放出してなお、滝壺すら作らない。
 セドナという高地の外側に広がる、この奈落が。

 そして、その奈落の底にあるものを、俺たちは見る。
 それを見るのは、はじめてではない。
 いつか、モンターナの導きに従って、カノンと二人、
 セドナ川の果ての岩壁をよじ登って、その先で見たもの。

 それは、コバルトブルーの湖に生える、小さな無数の白い岩山。
 白い岩山を取り巻くように、旋回する白い鳥。

 俺は、それを――墓標のようだと、そう思った。
 この場所は、終わった後なのだと、そう思った。
 なにかが終わった跡なのだと、そう思ったのだ。
 なぜかは、わからないけれど。

 ふいに、俺の腕が、うしろから掴まれる。
 俺の左前方には、景色を見るモンターナがいる。
 だから、俺の腕を掴んだのが誰かなんて、見るまでもない。

「……。」

 彼女は、なにも言わない。
 俺も、なにも言わない。
 そうして、掴まれた腕をずらして、彼女の手を取る。
 固く、つなぎとめるように、ではなく。
 やわらかく、安心させるように。
 いまのカノンは、俺がその腕を引かずとも。
 この奈落の底に、曳かれ行くことはないだろう。

「……なぁ、モンターナ。あれは、なんだ?」

 ずっと気になっていた。
 いっそこの崖を降りて、間近まで見に行ってやろうかと思った。
 だけど、それはしなかった。
 この崖を戻る術を持っていなかったから。
 俺にはまだ、その力がなかったから。

「……フーガ、カノン。
 君たちなら、行くこともできたんじゃないか?
 すぐ近くまで行って、確かめることも」

 モンターナの問いかけ。
 それは、まさに俺がいま、考えていたことで。
 同時にその問いは、彼もまた、この崖の先には行っていないことを意味する。
 俺がワンダラーであるように、彼もまた冒険家だから。
 死に戻りは、できない。しない。
 それは、自分自身に対する裏切りだから。
 俺たちの愉しみを劣化させる行為だから。

「行けそうだとは思ったけど、戻って来れねぇだろうからなぁ」
「……。」

 カノンは、黙ったままだ。
 でも、カノンだってそうだ。
 カノンは、飛ぶことができた。
 この奈落の先に、落ちていくこともできた。
 でも、そうはしなかったのだ。

「……ってことは、モンターナも、あの白い岩山がなにかは、まだわからないってことか」

 この場には、死に戻り突撃大作戦を敢行したものはおらず。
 あれがなにか、間近で確かめたものもいないということだ。
 モンターナなら、たぶん近づいて確かめれば、あれがなんなのかわかりそうだが――


「え?」
「フーガの言う『あれ』が、この光景のすべてを指しているのなら、それはわからない。
 この光景が意味するものがなんなのか、は、まだ。
 だが、あの白い岩山に限定するならば、わかる」
「……ここから見るだけで、わかるのか?」
「……。」

 どうして、そこで黙るんだ。
 この断崖絶壁を、降りていないというのなら。
 ここから見るしか、ないだろうに――

「……さて、そろそろ行こうか」
「行こうかって、おまえ」

 え、今回はこの断崖絶壁チャレンジですか?
 一応ロープは持ってきたけど、長さも打ち付ける楔の数も全然足りないぞ?

「あ」

 ふいにカノンが、なにかに気づいたような声を挙げる。

「どした、カノン?」
「フーガくん、ひだりのほう」
「左?」

 目の前に広がる大パノラマに圧倒されて、正面ばかりを見ていた俺は、カノンの声に左手を見る。
 そこには――意味深に笑うモンターナが。

「……モンターナ?」
「いや、すまない。ちょっと映画の演出っぽくしてみたくてな。
 私の身体で隠して、フーガの位置からは見えないようにしていたんだが。
 カノンの位置からは見えてしまうよな」

 そう言って、俺の左前方にいたモンターナが、一歩だけ後ろに下がる。
 そこには、

「――っ」
「と、まぁ、こんな感じでね。
 このセドナの外側は、どこもかしこも断崖絶壁であるというわけではないようだ。
 火山活動により形成されたセドナ台地。
 その台地は、柱状節理のように、柱状にせり上がった幾つかの部分で構成されている。
 そしてまた、その外側の部分は柱状節理のように、半ばから崩れ落ちることがある。
 そうして、あのような台地が姿を現すこともある。」

 ここから100mほど先に、いまいる高さから一段低いところにある、小さな台地が見える。
 台地と言っても、それは大した広がりを持つわけではない。
 せいぜいが……家を2軒建てられるかどうか、くらいのものだ。
 落差は……20mほどだろう。あれくらいの高さなら、降りられる。

「まさかモンターナ。
 ああいう段差を50回経由すればこの断崖絶壁を昇り降りできる、とか言う?」
「えっ……」

 ほら、カノンも絶句しているぞ。
 いやでも、1,000mを一回で昇り降りするのはきついけど、20mを50回ならわりと行けるのでは?
 途中で休憩もできるし、なんなら中継地点とか作ってもいいし。

「……いや、その発想はなかった」
「なんだ、ちがうのか」

 割と現実的なアイデアだと思ったんだけど。

「私が今回二人に見せたいものはね。……あそこに見える、あの小さな台地にあるのだよ」
「ほう?」
「あの台地に降り立つために、20mほどとはいえ、垂直の崖を昇降することになる。
 ある程度の運動の素養が求められるが……君たちなら大丈夫だろう?」
「俺は、まぁ。カノンは?」
「……昇るのは、自信ない、かも」
「まぁ、降りられれば大丈夫だろ。登るときは俺とモンターナで引っ張り上げてもいいし」

 カノンはめっちゃ軽いからな。
 ちょっと心配になるくらい。

「よかった。……既にペグとロープはしつらえてある。
 降りるだけなら、それを使ってくれればいい」
「いいねぇ、俄然サバイバルめいてきたじゃないか」
「じゃ、行こうか。フーガの疑問も、はぐらかしたままだし、ね」

 ……あれ?
 俺、モンターナになにを聞いていたんだっけ。

 モンターナは、岩壁の外側、崖の傍の道を進んでいく。
 横幅は2.5mほどあるが、普通に危ない。
 突風でも吹けば、この断崖絶壁の外へと真っ逆さまだろう。
 1,000mのフリーフォール。即死確定だ。
 どっかの段差に引っかかって、そこに血の花を咲かせることになるかもしれん。

「カノン、先に行ってくれ」
「あっ……う、ん」

 カノンの手を離し、さきに行ってもらう。
 ここから先は、並んで歩くなど自殺行為だ。
 それにわざわざ俺が守らずとも、カノンなら行ける。
 ……まぁ、なにかしらのアクシデントがあって、カノンが落ちかけたら、たぶん手が出ちゃうけど。
 その際に俺が落ちないようにしないとなぁ。
 どんなアクシデントが起こりうるかな……。
 落石、突風、足場の崩落……。

「フーガくん、いこ?」
「おっと、そうだな」

 ま、なにが起ころうと、死ぬつもりはない。

 いまはこの、モンターナ主催・突発的アウトドアサバイバル体験会を楽しもう。
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