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一章
椅子を作ろう
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採取した石材を使って作った石斧で、ようやくまとまった木材が手に入った。
手始めに衣類スタンドを作ったが――今日はまだ作るぞ。
どうせセドナは夜。外を出歩くにしてもやや不向きだ。
今日は最後まで、ひたすら製造日和と行こう。
カノンも乗り気だしな。
……とはいえ現実では既に午後9時を回っている。
そこまで夜更かしをするつもりはない。
あと2時間くらいが目安かな。今日のうちに、あと一、二点は作れるか。
3Ⅾモデリングに凝っちゃうと、恐ろしいほど時間が溶けるんだよな……。
「次は、なに作る?」
「椅子行ってみようか。
完成品が出てくるというなら、かなりハードルが下がった気がする」
「フーガくんの、椅子だよね?」
「たしかにこの脱出ポッドの内で落ち着けるような椅子は欲しいが……
カノンのも作るぞ? 俺だけまともな椅子に座るってのも悪いからな」
脱出ポッドには、一応椅子と言えなくもない設備はゲーム開始時から存在する。
惑星着陸時に身体を固定するための、温かみもへったくれもない硬質な腰掛けを椅子と呼ぶなら、だが。
座り心地としては、俺が腰を載せるために使っているハードルと同レベルだろう。
ちなみに。
カノンがその硬質な腰掛けを使っているのを、俺はこれまで一度も見たことがない。
それはその椅子の座り心地がとんでもなく悪いから、というわけではないだろう。
……まぁ、そういう思惑もあって、カノンの椅子も作っておきたいのだ。
「わたしの分まで作ると、木材の備蓄、だいじょうぶ?」
「十分あるはずだ。なにせ100kg近く採取したしな」
重量の幾分かは水分だろうが、それでも相当な量だろう。
椅子を2脚作る程度では備蓄の半分も減らないと思う。
「というわけで、今回の製造物の分類も……当然、家具だな。で、椅子、と」
すぐに製造装置は、椅子に分類される生成物のラインナップを返してくれる。
……ハンガーラックも数種類のデザインがあったが、今回はそれにも増していろいろあるな。
和洋中、およそ椅子にカテゴライズされるであろうさまざまなデザインの椅子が並ぶ。
細かいデザインを詰める前に、まずはどんな椅子がいいかを決めておく必要があるな。
「カノンは、どんな椅子が良いと思う?」
「フーガくんが座る椅子だし、好きなのでいいと思う、けど」
「でもほら、せっかくだし俺とカノンのでデザイン合わせたいじゃん?」
極端な話だが、俺が戦国時代風の床几に座っている横で、カノンがヴィクトリア調のアンティークチェアに座っている構図はなかなかシュールだと思う。
先にカノンの好みを把握しておこう。
「ん、と。じゃあ、背もたれがある奴が、いい」
「背中部分は学校の椅子みたいな感じ? それとも柵状?」
「柵状が、いいかな。背中全体が預けられるくらい、長いの」
「全体のイメージとしては丸め? 四角め?」
「どっちでも大丈夫、だけど。……四角い方が、作り易そう?」
「あー、確かに現状の素材だと、綺麗に曲線を切り出せる部位がないな。そうしようか」
となると、アンティーク調の洋風椅子がいいかな。
四角と言えば中華風もいいけど、あれは意匠にかなりセンスが問われる。
それっぽくしたいなら、既製品のよさげなデザインを参考にしたいところだ。
「肘掛けはつける?」
「ん、両側にあった方が、安心できるかも」
となると、全体的にけっこう重めのデザインにまとまりそうだな。
持ち運びを考えて軽量化にこだわるより、身体を預けて安心できる安定感を重視しよう。
「座面……座る部分はどうする?
木をちょっと撓ませてそこに座るか、その上に革とか張って綿でも詰めてみる?」
「やわらかい方がいい、けど。……うまくできる、かな?」
「まぁ一回やってみよう。フレームに木の板を何枚か渡して接着して板状にして。
……その上に詰め物をした革のクッションを固定する感じになるかな。
座る部分は気持ち広めに作ってみようと思うけど、それでいいか?」
「んっ。わたしも、広い方がいい」
うん、カノンの求めるイメージがだいたい掴めてきた。
「安心して身体を預けられる椅子」。これだな。
考えてみれば、現在の脱出ポッドには身体を休められる場所がない。
カノンはこの椅子に、ソファーのような役割を求めているのかもしれない。
それがわかれば、いろいろと細部を詰めやすい。
「座る部分の高さは……まぁ、これは参考図から弄らなくていいか。
あ、でもカノンのはちょっと低くしておこうか」
カノンの体格は一般的な成人のそれと比べて、やや小柄だからな。
流石に座ったときに足がつかない、なんて程ではないが。
俺とは足の長さがちがうし、合わせられるなら合わせておく方が――
「そのままで、いい」
「えっ、でも、たぶんそっちの方が座るのに楽だぞ」
「フーガくんのと、一緒がいい」
カノンがここまでこだわりを見せるのは少々珍しいな。
俺の椅子との高さを合わせたい理由。
それは決して、椅子の種類を揃えることで推理小説的なトリックに使えるから、というわけではないだろう。
その理由は、恐らくはこうだ。
俺とカノンがそれぞれの椅子に座っているとき、座面の高さが違うと、もともとの体格差も相まって、俺との目線が一層ずれてしまうから。
たしかに俺を常に見上げるような形になるのは、物理的にも心理的にも億劫だろう。
同じ高さに作っておくことで、そうした煩わしさを多少なりとも避けることができるわけだ。
なるほど、深い。カノンの言い分は理に適っている。
それに実用に不都合が生じるようなら、なにかしらの改良をあとから加えればいいだけだしな。
座面の高さは俺とカノンで合わせて作るのがいいだろう。
そういえば、学校の椅子って、たしかSとかMとかLとかサイズあったよな。
自分に合ったサイズの椅子が必ずしもあてがわれないことが原因で、ちょっとしたいさかいが生まれることもあった気がするが――あれも潜在的には先の理由に端を発する……?
もしかして、今はもう学校の椅子ってサイズ差なかったりする?
閑話休題。今は俺とカノンの椅子の話だ。
この様子だと、俺とカノンの椅子は同じデザインで作ってしまうのがよさそうだな。
俺もカノンの好みに異はない。
洋風椅子っていいよな。ニスを塗れればなおいいんだが――
あれ、ニスってそもそもなんだっけ。樹脂の混ぜ物?
この世界でも、それがわかれば製造装置が塗装してくれるかもしれない。
小皿のときのように、カスタマイズ例を示してくれればいいのだが。
*────
「……よし、だいたいデザインをまとまったけど、どうかな。
特に問題ないようなら、この仕様でまずは1脚作ってみようと思う」
カノンと相談しながらデザインを煮詰めること半刻ほど。
ようやく椅子のデザインがまとまった。
イメージとしては、肘掛けのあるアンティークチェア。
棒状の木材を柵状に組み合わせて形成した背もたれ。
1枚の木板から削り出した薄手の肘掛け部分。
脚部分は斜めにしたり細くしたりすると強度が怖かったので、かなり太めに作って床面から垂直に座面を支えるようにする。
座席部分は何枚かの木板を合わせて一枚板とし、少し下方に撓ませ、その上には革に綿を詰めたクッションを載せた。
全体の色合いとしては、カオリマツの木材の色そのままの、やや明るい黄褐色でまとめる。
本当はアンティークらしくもっと濃い色にしたかったのだが、カオリマツの樹脂だけではニス塗りすることができなかったのだ。
油分や溶剤など、もう少し素材が必要らしい。
重量としては10kg弱になる見込み。かなり重い。
片手で動かせないほど重くしたくはなかったから、背もたれ部分や肘掛けを支える支柱など、細くしても問題が出なさそうな部分で軽量化を施してみようかとも思ったが、……それはやめた。
素人が下手に考えて強度を落とすより、多少重くても頑丈すぎるくらいがいいだろう。
その結果少々重くなってしまったが、この程度なら片手でも引きずって動かせる範囲のはずだ。
なんとか安定感と利便性を両立できていればいいのだが。
それにしても……いやあ、3Ⅾモデリング機能のおかげで細部まで弄れるもんだから、こだわり始めると本当にキリがない。
「いい感じ、だね。でも、フーガくんも、同じのでもいいの?
ほとんどわたしの好みになっちゃってる、けど」
「いいぞ、俺もアンティークチェア好きだし。
それにこの脱出ポッドって、どうにも身体を休める場所がないからな。
こんくらいがっちりした椅子があると、ぐだぐだするのにもいいんじゃないか」
ゲーム内でぐだぐだできる場所を作ると、恐ろしく時間を浪費することになりそうだが。
いいんだ。ぐだぐだしながら友達と駄弁るだけでも楽しいのがゲームなんだよ。
「んっ! ありがとう。じゃあ、これでお願い、します」
「おっけ。けっこう重めにデザインしたつもりだけど、木材どんくらい使うかなぁ」
足りないということはないだろうが、当初の想定よりはかなり重量が増えている。
10kg弱の椅子二脚を作るのに、果たして何kgの原木が消費されることやら……。
では、仕様も確定したことだし。製造開始ボタンをポチっと行こう。
……。
ウィーン――――
シュルシュルシュル――――
「ポールスタンドのときと、同じ音、かな?」
「やはり最初は皮を剥ぐのか」
シュイィィィ――――ン
「おっ、新しい音」
「なんか、高速で回転してる?」
「穴を開けてるのかもしれん」
「工事現場の音、かな。ちょっと低い、けど」
「騒音というほどではないな」
コッ カッ コッ コッ
「なんか、圧縮ストレージの方から聞こえないか?」
「組み立て中?」
「ポールスタンドの時は気づかなかったけど……今回は接合点が多いからかな」
……。
パッ。
『製造が完了しました。生成物のサイズが一定値を超えているため、
生成物は圧縮ストレージ内に生成されています。』
製造開始からの所要時間は1分ほど。なんという早業か。
というか削り出しから組み立てまで1分はさすがに無理があるだろこれ。
でも俺たちからはその過程は見えないからな。
できとるやろがい!と言われれば返す言葉を持たない。
製造装置先生のスペックを以てすれば可能なのだ。
「よーし、見てみようぜ」
「わくわく、するね?」
複雑さで言えば、今までで作ってきたものの中で一番だ。
入魂度合いで言えば、カノンのファッションのときも全力だったけど。
期待に胸躍らせながら、圧縮ストレージの扉を開く。
すると、そこにあったのは――
「おおっ! これはいい感じじゃないか」
「うんっ。なんか、すごい、立派」
かっしりとした印象のある、アンティーク調のチェア。
デザイン性を意識して少しだけ装飾を加えた、床に対して垂直に立つ4本の太い脚。
その脚に支えられる座面部分は、微かに下方に湾曲した1枚の木板に褐色のレザークッションが載せられている。
座面の左右には、座面の端からのびる数本の支柱で支えられた肘掛け板。
そして背中部分には、細い円柱状に削り出した木材を柵のように組み合わせて作られた、やや後方に傾いた背もたれ。
「待て、カノン。これはまだ張りぼての可能性がある」
「そんなことはない、と思う、けど……」
どっきりには騙されんぞ。
椅子の各部分に触れ、少し力を込めて揺すってみると――
「……うわ、なにこれすごい」
めっちゃ安定してる。
これ、持ち上げてどこかに叩きつけても壊れないのでは?
少なくとも脚部分から座面までの基部は、力学的に強い構造を意識して作った甲斐もあってか、まったく揺らぎそうにない。
たぶん俺が座面の上に飛び乗ってもほとんど揺らぐことはないだろう。
十分な荷重に耐えられることを確認できたので、カノンに声を掛ける。
「こちらにどうぞ、お嬢様」
「おじょっ、……お嬢さま、って?」
「なんかイギリスの人が座りそうな椅子だからな。
まだ安全は確約できないから、ちょっと軽めに座って座り心地を確かめてみてくれ」
よくわからないことを言い出した俺に誘われるままに椅子に座るカノン。
「座り心地はどう? 脚が座面を垂直に支えてるから、たぶん安定感はあると思うけど」
「……あ。……すごい。気持ち、いい」
「まじで。やったぜ」
流石に椅子を作った経験はなかったから、うまくできるか心配だったのだ。
それなりに考えて作った部分は、それなりに考え通りに機能してくれているようだ。
だが……
「ちょっと、カノンには大きいか? その肘掛けとか、ちょっと高そうだが」
カノンの体格からすると、一回りほど全体のサイズが大きいかもしれない。
肘掛けも、カノンが腕を載せると少し脇が空いて、肩が疲れてしまいそうだ。
「んっ。肘掛けは、腕を載せたいんじゃないから。だいじょうぶ。
両側に押さえがあるっていう、安心感が欲しかった、から」
「あー、わかる」
なるほど。すっぽり収まりたかったと。
たしかに座席は幅広に作ったから、カノンの身の細さなら、肘掛けに腕を載せず、座席に落とすようにしてもうまく収まるだろう。
俺は普通に肘掛けとして使えそうだしな。
いい感じに目論見通りに行ったということか。
いやぁ、3Ⅾモデリング先生さまさまだぜ。
「よし、じゃあこの椅子は脱出ポッドの方に設置しよう。
運ぶから、いったん降りてくれ」
「んっ。でも……自分で、運べるよ?」
「ありがたいけど、あらためて強度を調べたいから俺に持たせてくれ。
さっき揺すってみた感じ、さすがに突然潰れたりはしないだろうけど、それでも怖い」
「わかった。ありがと、ね?」
椅子の事故は怖い。
安心して使うために、本当ならひと通りの品質検査なんかもやりたいくらいだ。
そのノウハウがないから、思いつく範囲でいろいろ試して調べるくらいが関の山だが。
そうして椅子を持ち上げる。やはりそこそこ重い。
背もたれの柵の部分を持って横向きに持ち上げて見たり。
ちょっと上下に振ってみたり。
接合部に力を加えて見たり。
ひねってみたり。
結論。
「……カノン、俺ではこの物体を壊せないかもしれん」
これが壊れるなら、もうなにも信じられない。
なんでこんなに接合部の強度が高いのかわからん。
いったいどういう技術で接合してるんだ、製造装置先生は。
もしもこれが壊れるとしたら、素材として使用したカオリマツの木材が割れるか折れるかしたときだろう。
少なくとも木材同士の組み合わせ部分から破綻することはないはずだ。
「そんなに、丈夫?」
「カノンの体重なら、たぶん飛び乗ってもびくともしないぞ。
背もたれの柵状の部分とか、肘掛けの支柱あたりなら、石斧でフルスイングすればたぶん壊れるけど」
「……それはさすがに、やらない、ね」
「そんくらい丈夫ってことだ。99.99%安心して使っていい」
100%は無理だが、そんくらい保証できる程度には頑丈だ。
そうして、でき上った椅子を圧縮ストレージから脱出ポッドの内部へと運び込む。
このくらいの幅なら、まだストレージの開口部は通るんだよな……。
「こっちはカノンの椅子にしようか。どこに置く?」
「……じゃあ、そこの、角の近くで」
カノンが指定したのは、脱出ポッドの一角。
なにも置かれていない、比較的広いスペースだ。
たしかによさそうなので、そこに設置。
「このあたり?」
「もう少し、角から離す感じ」
「……っと。これでいいかな」
「うんっ!ありがと、フーガくん」
「じゃあ、まったく同じ仕様でもう1つ作ろうか」
製造装置先生に掛かれば、量産も簡単である。
追加製作する分にはなにも新しい作業は必要ないのだ。
なんなら知り合いにプレゼントだってできるぞ。重いけど。
*────
「できたー」
「んっ。いい感じ、だね。
……よくみたら、木目とか、ちゃんと違うね?」
「えっ。……ほんとだ。マジかよ、ちゃんと削り出してるんだな」
なんというか、圧縮ストレージの素材って本当にそのまま使われているんだな。
製造装置の稼働中、あのストレージの中でなにが起こっているのか、ますます気になる。
「よーし、……で、俺のはどこに置けばいいかな」
再三だが、ここはカノンの脱出ポッドだ。
どこに置いてもいいと言ってくれるかもしれないが、家主の許可を得ておこう。
そう思って尋ねたのだが、……意外なことにカノンの方から意見が。
「んっ……と。わたしのと、同じ角のあたりは、だめ?」
「おん? ……たしかに、座って相談したりするなら近いほうが良いか」
カノンの座る椅子から離してしまうと、相談もしづらいか。
カノンの椅子があるあたりに、俺の椅子も運ぶ。
「カノンのと並べる?」
「……わたしのと、直角になる感じが、いいかも」
直角と言うと……俺とカノンが椅子に座ったとき、俺の右手前方にカノンが、カノンの左手前方に俺が来る形だな。
人がもっとも気安く話せるのは、人の視線同士が直角に交じり合うときだという。
そういう心理学的な見地に基づいての意見かはわからないが、なるほどカノンの提案する配置なら、座ったまま気安く話せるだろう。
カノンは今日も正しいな。
……久しぶりに言ったなこれ。
「こんな感じか?」
「ちょっと、座ってみよっか」
それがいい。
脱出ポッドの一角に設えた二脚の椅子に、俺とカノンがそれぞれ座る。
腰掛けて荷重を掛ければ、レザークッションが、浅く沈み込んで腰を支えてくれる。
座面の高さは45cmほど。俺はちょうどいいが、カノンには気持ち高め。
座面の高さを揃えたおかげで、右前方に座るカノンと俺の目線もほぼ揃う。
背もたれに軽く背を預ければ、ほとんど同じ高さに。
「おぅ……。これは……、楽だな」
この世界で、こうして全身の力を抜いたのははじめてかもしれない。
椅子という道具の偉大さが身に染みる。
「うん。気持ちいい、ね……」
カノンも、力の抜けた声音で首肯する。
……ちょっと、眠たそう、か?
「カノン、眠い?」
「――んっ。ううん。大丈夫。でも、眠っちゃいそうなくらい、気持ちいい」
「……そういや、こっちで眠ると、どうなるんだ?」
「そういえば、どうなるんだろうね?」
というか眠れるのか?
意識の連続性が途切れると……強制ダイブアウトになるとか?
そっちの方が安全と言えば安全だよな。
この世界で眠ってしまった結果、現実で出勤や通学に遅刻する、なんてことが起こりえるわけだし。
叩き起こしてもらった方がいろいろ安全だ。
「試しに、今日の終わりはここで寝てみるとか?」
「椅子に座って寝るって、身体に悪いかも」
「たしかに。……となると、そのうちベッドも欲しいか……」
検証はそれまで預けておこう。
たぶん強制ダイブアウトになると思うけど。
「――そろそろ現実だと午後10時過ぎだけど、どうする? まだやる?」
そうして俺は、恐らくは自然な流れであろうこのタイミングで、カノンに尋ねる。
少しだけ間を開けて、カノンが問い返す。
「……フーガくん、明日、は?」
「1か月前の時点で、休みを取ったから、明日まではフリー。
だから、明日の心配は、大丈夫だよ」
ゆっくりと、なんでもないことのように。
カノンに、なんらかのプレッシャーを与えることがないように。
つとめて気楽そうに、一語一語を慎重に選んで、言葉を紡ぐ。
「カノンはどうする?
あんまり夜更かしすると、明日に響くかもしれんぞ?」
「……。わた、しは……」
カノンの言葉を待つ。
椅子に深く腰掛け、背を倒し、目をつむり。
彼女がなにを言おうとも、柔軟に受け止められるように。
「……わたしも、……明日、大丈夫だから。
だから……まだ、だいじょうぶ、だよ」
「そっか。……じゃあ、もう少しだけ、夜更かししようか?」
「……ぅん。夜更かし、する」
余計な心配はしない。
言葉を掛けない。
詮索もしない。
カノンがそれを選ぶというのなら、止めはしない。
彼女は既に大人であり、俺は彼女の保護者ではないのだ。
それに――俺だって、カノンとできるだけ長く遊んでいたい。
俺の有休は、明日までなのだ。
「んじゃ、最後になんか作って今日は締めるか。なに作ろっか」
「え、と。……じゃあ、テーブル、どうかな」
「あーいいな。椅子とテーブルが揃えば、ようやく食事ができるな?」
「食べるもの、まだなにも、ないけどね」
そうして再び、気安い会話に戻ってくる。
それは俺たちが、互いが互いを気遣うことで得た、大切な気安さなのだ。
手始めに衣類スタンドを作ったが――今日はまだ作るぞ。
どうせセドナは夜。外を出歩くにしてもやや不向きだ。
今日は最後まで、ひたすら製造日和と行こう。
カノンも乗り気だしな。
……とはいえ現実では既に午後9時を回っている。
そこまで夜更かしをするつもりはない。
あと2時間くらいが目安かな。今日のうちに、あと一、二点は作れるか。
3Ⅾモデリングに凝っちゃうと、恐ろしいほど時間が溶けるんだよな……。
「次は、なに作る?」
「椅子行ってみようか。
完成品が出てくるというなら、かなりハードルが下がった気がする」
「フーガくんの、椅子だよね?」
「たしかにこの脱出ポッドの内で落ち着けるような椅子は欲しいが……
カノンのも作るぞ? 俺だけまともな椅子に座るってのも悪いからな」
脱出ポッドには、一応椅子と言えなくもない設備はゲーム開始時から存在する。
惑星着陸時に身体を固定するための、温かみもへったくれもない硬質な腰掛けを椅子と呼ぶなら、だが。
座り心地としては、俺が腰を載せるために使っているハードルと同レベルだろう。
ちなみに。
カノンがその硬質な腰掛けを使っているのを、俺はこれまで一度も見たことがない。
それはその椅子の座り心地がとんでもなく悪いから、というわけではないだろう。
……まぁ、そういう思惑もあって、カノンの椅子も作っておきたいのだ。
「わたしの分まで作ると、木材の備蓄、だいじょうぶ?」
「十分あるはずだ。なにせ100kg近く採取したしな」
重量の幾分かは水分だろうが、それでも相当な量だろう。
椅子を2脚作る程度では備蓄の半分も減らないと思う。
「というわけで、今回の製造物の分類も……当然、家具だな。で、椅子、と」
すぐに製造装置は、椅子に分類される生成物のラインナップを返してくれる。
……ハンガーラックも数種類のデザインがあったが、今回はそれにも増していろいろあるな。
和洋中、およそ椅子にカテゴライズされるであろうさまざまなデザインの椅子が並ぶ。
細かいデザインを詰める前に、まずはどんな椅子がいいかを決めておく必要があるな。
「カノンは、どんな椅子が良いと思う?」
「フーガくんが座る椅子だし、好きなのでいいと思う、けど」
「でもほら、せっかくだし俺とカノンのでデザイン合わせたいじゃん?」
極端な話だが、俺が戦国時代風の床几に座っている横で、カノンがヴィクトリア調のアンティークチェアに座っている構図はなかなかシュールだと思う。
先にカノンの好みを把握しておこう。
「ん、と。じゃあ、背もたれがある奴が、いい」
「背中部分は学校の椅子みたいな感じ? それとも柵状?」
「柵状が、いいかな。背中全体が預けられるくらい、長いの」
「全体のイメージとしては丸め? 四角め?」
「どっちでも大丈夫、だけど。……四角い方が、作り易そう?」
「あー、確かに現状の素材だと、綺麗に曲線を切り出せる部位がないな。そうしようか」
となると、アンティーク調の洋風椅子がいいかな。
四角と言えば中華風もいいけど、あれは意匠にかなりセンスが問われる。
それっぽくしたいなら、既製品のよさげなデザインを参考にしたいところだ。
「肘掛けはつける?」
「ん、両側にあった方が、安心できるかも」
となると、全体的にけっこう重めのデザインにまとまりそうだな。
持ち運びを考えて軽量化にこだわるより、身体を預けて安心できる安定感を重視しよう。
「座面……座る部分はどうする?
木をちょっと撓ませてそこに座るか、その上に革とか張って綿でも詰めてみる?」
「やわらかい方がいい、けど。……うまくできる、かな?」
「まぁ一回やってみよう。フレームに木の板を何枚か渡して接着して板状にして。
……その上に詰め物をした革のクッションを固定する感じになるかな。
座る部分は気持ち広めに作ってみようと思うけど、それでいいか?」
「んっ。わたしも、広い方がいい」
うん、カノンの求めるイメージがだいたい掴めてきた。
「安心して身体を預けられる椅子」。これだな。
考えてみれば、現在の脱出ポッドには身体を休められる場所がない。
カノンはこの椅子に、ソファーのような役割を求めているのかもしれない。
それがわかれば、いろいろと細部を詰めやすい。
「座る部分の高さは……まぁ、これは参考図から弄らなくていいか。
あ、でもカノンのはちょっと低くしておこうか」
カノンの体格は一般的な成人のそれと比べて、やや小柄だからな。
流石に座ったときに足がつかない、なんて程ではないが。
俺とは足の長さがちがうし、合わせられるなら合わせておく方が――
「そのままで、いい」
「えっ、でも、たぶんそっちの方が座るのに楽だぞ」
「フーガくんのと、一緒がいい」
カノンがここまでこだわりを見せるのは少々珍しいな。
俺の椅子との高さを合わせたい理由。
それは決して、椅子の種類を揃えることで推理小説的なトリックに使えるから、というわけではないだろう。
その理由は、恐らくはこうだ。
俺とカノンがそれぞれの椅子に座っているとき、座面の高さが違うと、もともとの体格差も相まって、俺との目線が一層ずれてしまうから。
たしかに俺を常に見上げるような形になるのは、物理的にも心理的にも億劫だろう。
同じ高さに作っておくことで、そうした煩わしさを多少なりとも避けることができるわけだ。
なるほど、深い。カノンの言い分は理に適っている。
それに実用に不都合が生じるようなら、なにかしらの改良をあとから加えればいいだけだしな。
座面の高さは俺とカノンで合わせて作るのがいいだろう。
そういえば、学校の椅子って、たしかSとかMとかLとかサイズあったよな。
自分に合ったサイズの椅子が必ずしもあてがわれないことが原因で、ちょっとしたいさかいが生まれることもあった気がするが――あれも潜在的には先の理由に端を発する……?
もしかして、今はもう学校の椅子ってサイズ差なかったりする?
閑話休題。今は俺とカノンの椅子の話だ。
この様子だと、俺とカノンの椅子は同じデザインで作ってしまうのがよさそうだな。
俺もカノンの好みに異はない。
洋風椅子っていいよな。ニスを塗れればなおいいんだが――
あれ、ニスってそもそもなんだっけ。樹脂の混ぜ物?
この世界でも、それがわかれば製造装置が塗装してくれるかもしれない。
小皿のときのように、カスタマイズ例を示してくれればいいのだが。
*────
「……よし、だいたいデザインをまとまったけど、どうかな。
特に問題ないようなら、この仕様でまずは1脚作ってみようと思う」
カノンと相談しながらデザインを煮詰めること半刻ほど。
ようやく椅子のデザインがまとまった。
イメージとしては、肘掛けのあるアンティークチェア。
棒状の木材を柵状に組み合わせて形成した背もたれ。
1枚の木板から削り出した薄手の肘掛け部分。
脚部分は斜めにしたり細くしたりすると強度が怖かったので、かなり太めに作って床面から垂直に座面を支えるようにする。
座席部分は何枚かの木板を合わせて一枚板とし、少し下方に撓ませ、その上には革に綿を詰めたクッションを載せた。
全体の色合いとしては、カオリマツの木材の色そのままの、やや明るい黄褐色でまとめる。
本当はアンティークらしくもっと濃い色にしたかったのだが、カオリマツの樹脂だけではニス塗りすることができなかったのだ。
油分や溶剤など、もう少し素材が必要らしい。
重量としては10kg弱になる見込み。かなり重い。
片手で動かせないほど重くしたくはなかったから、背もたれ部分や肘掛けを支える支柱など、細くしても問題が出なさそうな部分で軽量化を施してみようかとも思ったが、……それはやめた。
素人が下手に考えて強度を落とすより、多少重くても頑丈すぎるくらいがいいだろう。
その結果少々重くなってしまったが、この程度なら片手でも引きずって動かせる範囲のはずだ。
なんとか安定感と利便性を両立できていればいいのだが。
それにしても……いやあ、3Ⅾモデリング機能のおかげで細部まで弄れるもんだから、こだわり始めると本当にキリがない。
「いい感じ、だね。でも、フーガくんも、同じのでもいいの?
ほとんどわたしの好みになっちゃってる、けど」
「いいぞ、俺もアンティークチェア好きだし。
それにこの脱出ポッドって、どうにも身体を休める場所がないからな。
こんくらいがっちりした椅子があると、ぐだぐだするのにもいいんじゃないか」
ゲーム内でぐだぐだできる場所を作ると、恐ろしく時間を浪費することになりそうだが。
いいんだ。ぐだぐだしながら友達と駄弁るだけでも楽しいのがゲームなんだよ。
「んっ! ありがとう。じゃあ、これでお願い、します」
「おっけ。けっこう重めにデザインしたつもりだけど、木材どんくらい使うかなぁ」
足りないということはないだろうが、当初の想定よりはかなり重量が増えている。
10kg弱の椅子二脚を作るのに、果たして何kgの原木が消費されることやら……。
では、仕様も確定したことだし。製造開始ボタンをポチっと行こう。
……。
ウィーン――――
シュルシュルシュル――――
「ポールスタンドのときと、同じ音、かな?」
「やはり最初は皮を剥ぐのか」
シュイィィィ――――ン
「おっ、新しい音」
「なんか、高速で回転してる?」
「穴を開けてるのかもしれん」
「工事現場の音、かな。ちょっと低い、けど」
「騒音というほどではないな」
コッ カッ コッ コッ
「なんか、圧縮ストレージの方から聞こえないか?」
「組み立て中?」
「ポールスタンドの時は気づかなかったけど……今回は接合点が多いからかな」
……。
パッ。
『製造が完了しました。生成物のサイズが一定値を超えているため、
生成物は圧縮ストレージ内に生成されています。』
製造開始からの所要時間は1分ほど。なんという早業か。
というか削り出しから組み立てまで1分はさすがに無理があるだろこれ。
でも俺たちからはその過程は見えないからな。
できとるやろがい!と言われれば返す言葉を持たない。
製造装置先生のスペックを以てすれば可能なのだ。
「よーし、見てみようぜ」
「わくわく、するね?」
複雑さで言えば、今までで作ってきたものの中で一番だ。
入魂度合いで言えば、カノンのファッションのときも全力だったけど。
期待に胸躍らせながら、圧縮ストレージの扉を開く。
すると、そこにあったのは――
「おおっ! これはいい感じじゃないか」
「うんっ。なんか、すごい、立派」
かっしりとした印象のある、アンティーク調のチェア。
デザイン性を意識して少しだけ装飾を加えた、床に対して垂直に立つ4本の太い脚。
その脚に支えられる座面部分は、微かに下方に湾曲した1枚の木板に褐色のレザークッションが載せられている。
座面の左右には、座面の端からのびる数本の支柱で支えられた肘掛け板。
そして背中部分には、細い円柱状に削り出した木材を柵のように組み合わせて作られた、やや後方に傾いた背もたれ。
「待て、カノン。これはまだ張りぼての可能性がある」
「そんなことはない、と思う、けど……」
どっきりには騙されんぞ。
椅子の各部分に触れ、少し力を込めて揺すってみると――
「……うわ、なにこれすごい」
めっちゃ安定してる。
これ、持ち上げてどこかに叩きつけても壊れないのでは?
少なくとも脚部分から座面までの基部は、力学的に強い構造を意識して作った甲斐もあってか、まったく揺らぎそうにない。
たぶん俺が座面の上に飛び乗ってもほとんど揺らぐことはないだろう。
十分な荷重に耐えられることを確認できたので、カノンに声を掛ける。
「こちらにどうぞ、お嬢様」
「おじょっ、……お嬢さま、って?」
「なんかイギリスの人が座りそうな椅子だからな。
まだ安全は確約できないから、ちょっと軽めに座って座り心地を確かめてみてくれ」
よくわからないことを言い出した俺に誘われるままに椅子に座るカノン。
「座り心地はどう? 脚が座面を垂直に支えてるから、たぶん安定感はあると思うけど」
「……あ。……すごい。気持ち、いい」
「まじで。やったぜ」
流石に椅子を作った経験はなかったから、うまくできるか心配だったのだ。
それなりに考えて作った部分は、それなりに考え通りに機能してくれているようだ。
だが……
「ちょっと、カノンには大きいか? その肘掛けとか、ちょっと高そうだが」
カノンの体格からすると、一回りほど全体のサイズが大きいかもしれない。
肘掛けも、カノンが腕を載せると少し脇が空いて、肩が疲れてしまいそうだ。
「んっ。肘掛けは、腕を載せたいんじゃないから。だいじょうぶ。
両側に押さえがあるっていう、安心感が欲しかった、から」
「あー、わかる」
なるほど。すっぽり収まりたかったと。
たしかに座席は幅広に作ったから、カノンの身の細さなら、肘掛けに腕を載せず、座席に落とすようにしてもうまく収まるだろう。
俺は普通に肘掛けとして使えそうだしな。
いい感じに目論見通りに行ったということか。
いやぁ、3Ⅾモデリング先生さまさまだぜ。
「よし、じゃあこの椅子は脱出ポッドの方に設置しよう。
運ぶから、いったん降りてくれ」
「んっ。でも……自分で、運べるよ?」
「ありがたいけど、あらためて強度を調べたいから俺に持たせてくれ。
さっき揺すってみた感じ、さすがに突然潰れたりはしないだろうけど、それでも怖い」
「わかった。ありがと、ね?」
椅子の事故は怖い。
安心して使うために、本当ならひと通りの品質検査なんかもやりたいくらいだ。
そのノウハウがないから、思いつく範囲でいろいろ試して調べるくらいが関の山だが。
そうして椅子を持ち上げる。やはりそこそこ重い。
背もたれの柵の部分を持って横向きに持ち上げて見たり。
ちょっと上下に振ってみたり。
接合部に力を加えて見たり。
ひねってみたり。
結論。
「……カノン、俺ではこの物体を壊せないかもしれん」
これが壊れるなら、もうなにも信じられない。
なんでこんなに接合部の強度が高いのかわからん。
いったいどういう技術で接合してるんだ、製造装置先生は。
もしもこれが壊れるとしたら、素材として使用したカオリマツの木材が割れるか折れるかしたときだろう。
少なくとも木材同士の組み合わせ部分から破綻することはないはずだ。
「そんなに、丈夫?」
「カノンの体重なら、たぶん飛び乗ってもびくともしないぞ。
背もたれの柵状の部分とか、肘掛けの支柱あたりなら、石斧でフルスイングすればたぶん壊れるけど」
「……それはさすがに、やらない、ね」
「そんくらい丈夫ってことだ。99.99%安心して使っていい」
100%は無理だが、そんくらい保証できる程度には頑丈だ。
そうして、でき上った椅子を圧縮ストレージから脱出ポッドの内部へと運び込む。
このくらいの幅なら、まだストレージの開口部は通るんだよな……。
「こっちはカノンの椅子にしようか。どこに置く?」
「……じゃあ、そこの、角の近くで」
カノンが指定したのは、脱出ポッドの一角。
なにも置かれていない、比較的広いスペースだ。
たしかによさそうなので、そこに設置。
「このあたり?」
「もう少し、角から離す感じ」
「……っと。これでいいかな」
「うんっ!ありがと、フーガくん」
「じゃあ、まったく同じ仕様でもう1つ作ろうか」
製造装置先生に掛かれば、量産も簡単である。
追加製作する分にはなにも新しい作業は必要ないのだ。
なんなら知り合いにプレゼントだってできるぞ。重いけど。
*────
「できたー」
「んっ。いい感じ、だね。
……よくみたら、木目とか、ちゃんと違うね?」
「えっ。……ほんとだ。マジかよ、ちゃんと削り出してるんだな」
なんというか、圧縮ストレージの素材って本当にそのまま使われているんだな。
製造装置の稼働中、あのストレージの中でなにが起こっているのか、ますます気になる。
「よーし、……で、俺のはどこに置けばいいかな」
再三だが、ここはカノンの脱出ポッドだ。
どこに置いてもいいと言ってくれるかもしれないが、家主の許可を得ておこう。
そう思って尋ねたのだが、……意外なことにカノンの方から意見が。
「んっ……と。わたしのと、同じ角のあたりは、だめ?」
「おん? ……たしかに、座って相談したりするなら近いほうが良いか」
カノンの座る椅子から離してしまうと、相談もしづらいか。
カノンの椅子があるあたりに、俺の椅子も運ぶ。
「カノンのと並べる?」
「……わたしのと、直角になる感じが、いいかも」
直角と言うと……俺とカノンが椅子に座ったとき、俺の右手前方にカノンが、カノンの左手前方に俺が来る形だな。
人がもっとも気安く話せるのは、人の視線同士が直角に交じり合うときだという。
そういう心理学的な見地に基づいての意見かはわからないが、なるほどカノンの提案する配置なら、座ったまま気安く話せるだろう。
カノンは今日も正しいな。
……久しぶりに言ったなこれ。
「こんな感じか?」
「ちょっと、座ってみよっか」
それがいい。
脱出ポッドの一角に設えた二脚の椅子に、俺とカノンがそれぞれ座る。
腰掛けて荷重を掛ければ、レザークッションが、浅く沈み込んで腰を支えてくれる。
座面の高さは45cmほど。俺はちょうどいいが、カノンには気持ち高め。
座面の高さを揃えたおかげで、右前方に座るカノンと俺の目線もほぼ揃う。
背もたれに軽く背を預ければ、ほとんど同じ高さに。
「おぅ……。これは……、楽だな」
この世界で、こうして全身の力を抜いたのははじめてかもしれない。
椅子という道具の偉大さが身に染みる。
「うん。気持ちいい、ね……」
カノンも、力の抜けた声音で首肯する。
……ちょっと、眠たそう、か?
「カノン、眠い?」
「――んっ。ううん。大丈夫。でも、眠っちゃいそうなくらい、気持ちいい」
「……そういや、こっちで眠ると、どうなるんだ?」
「そういえば、どうなるんだろうね?」
というか眠れるのか?
意識の連続性が途切れると……強制ダイブアウトになるとか?
そっちの方が安全と言えば安全だよな。
この世界で眠ってしまった結果、現実で出勤や通学に遅刻する、なんてことが起こりえるわけだし。
叩き起こしてもらった方がいろいろ安全だ。
「試しに、今日の終わりはここで寝てみるとか?」
「椅子に座って寝るって、身体に悪いかも」
「たしかに。……となると、そのうちベッドも欲しいか……」
検証はそれまで預けておこう。
たぶん強制ダイブアウトになると思うけど。
「――そろそろ現実だと午後10時過ぎだけど、どうする? まだやる?」
そうして俺は、恐らくは自然な流れであろうこのタイミングで、カノンに尋ねる。
少しだけ間を開けて、カノンが問い返す。
「……フーガくん、明日、は?」
「1か月前の時点で、休みを取ったから、明日まではフリー。
だから、明日の心配は、大丈夫だよ」
ゆっくりと、なんでもないことのように。
カノンに、なんらかのプレッシャーを与えることがないように。
つとめて気楽そうに、一語一語を慎重に選んで、言葉を紡ぐ。
「カノンはどうする?
あんまり夜更かしすると、明日に響くかもしれんぞ?」
「……。わた、しは……」
カノンの言葉を待つ。
椅子に深く腰掛け、背を倒し、目をつむり。
彼女がなにを言おうとも、柔軟に受け止められるように。
「……わたしも、……明日、大丈夫だから。
だから……まだ、だいじょうぶ、だよ」
「そっか。……じゃあ、もう少しだけ、夜更かししようか?」
「……ぅん。夜更かし、する」
余計な心配はしない。
言葉を掛けない。
詮索もしない。
カノンがそれを選ぶというのなら、止めはしない。
彼女は既に大人であり、俺は彼女の保護者ではないのだ。
それに――俺だって、カノンとできるだけ長く遊んでいたい。
俺の有休は、明日までなのだ。
「んじゃ、最後になんか作って今日は締めるか。なに作ろっか」
「え、と。……じゃあ、テーブル、どうかな」
「あーいいな。椅子とテーブルが揃えば、ようやく食事ができるな?」
「食べるもの、まだなにも、ないけどね」
そうして再び、気安い会話に戻ってくる。
それは俺たちが、互いが互いを気遣うことで得た、大切な気安さなのだ。
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