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一章

石材を採取しよう(3)

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 セドナ川の果ての岩壁から、カノンの拠点直下まで岩壁に沿って歩いてきた。
 あとはこのあたりを軽く散策して拠点に戻るだけだ。

 このあたりの岩壁は、セドナ川の果てに見た幾何学的な柱状節理に比べれば、ずいぶんと自然な……言ってみればいかにもありそうな岩壁になっている。
 一枚一枚の岩は幅2mから5mほど、高さも同じく2mから4mほど。
 そんな巨大な岩塊が、縦横無秩序に積み重なって、高さ10mにもなりそうな棚状の岩場を形成している。
 柱状節理のように綺麗にそばだっているわけではないため、岩と岩の隙間には土壌ができており、そこにもさもさと植物が繁茂している。
 垂直だった柱状節理に比べて、急斜面ながらある程度の段差ができたおかげで、日が当たるようになったのも植物にとっては重要だろう。

 そんな花崗岩の岩場の上には、向こう側へと不揃いに崩れ倒れた玄武岩の岩の柱。
 どうやら柱状の玄武岩層を、花崗岩層が下から押し上げたようだ。
 あるいは生成段階では地中に埋まっていた花崗岩層が、この周囲の土壌が雨で削られた結果露出したのかもしれない。
 そうしてこちら側の地表から遠くなり、より風雨の影響を受けやすくなった玄武岩層が、徐々に向こう側に崩れていった……とか。

 きっと数千年かけてこのような岩石層を形成するに至ったのであろう岩場に思いを馳せつつ、カノンと周囲を散策する。
 別に明確な目的があるわけでもないので、二人で手分けして行動するまでもないだろう。
 気分としては散歩みたいなものだ。
 空は相変わらず澄み切っている。
 セドナの時刻は午前11時前、といったところか。


 *────


「このあたり、けっこう日当たり良いよな」
「ん、植物も、いっぱい」
「相変わらず種類が分からんが……さっき食ったやつほど食えそうな見た目の奴はないかなぁ」

 カノンと並んで、岩壁沿いを歩く。
 段差上の岩場の上に繁茂する植物たち。
 当然その植物たちは、破砕した微小な花崗岩と、森の腐葉土が交じり合った土壌の栄養素で生きているのだろう。
 となると、この辺の草も食える可能性も――

「――っ!」
「ん、フーガくん、なに――」



 目が合った。



 比喩とかではなく。文字通り。

 そこにある、巨大な眼球と目が合った。

「っ――……」

 動いちゃだめだ。下手に刺激してはならない。
 まだ、こいつが――俺たちの敵かどうかは、わからない。

 俺と同じく言葉を失うカノンの腕を引き、摺り足で下がる。
 それは、こちらを見たまま、……ぱたぱたと、その薄いはねを羽ばたかせる。

 それは、目の高さより少し上にある岩壁に留まった一匹の――虫、……で、いいのか。
 ゴルフボールほどはありそうな、二つの巨大な複眼。
 俺の握りこぶしほどはありそうな、丸い頭部。
 そこから一直線に伸びる細長い胴体は、1m以上はある。
 その胴体から生える、四対八枚の灰色の翅、二対の糸のように細い足。
 その翅は、まるで薄いガラスのように透き通っていて、向こう側が完全に透けて見える。

「とん、ぼ……?」

 隣に立つカノンが呟く。
 それは確かに、トンボのような生き物だ。
 やたらでかいことを除けば、トンボと言えなくも――

「――透けてる、よな?」
「う、うん。……なんだか、きれい、かも」

 灰色の輪郭を持つ翅だけではない。
 細長い胴体も、その内にある内組織も、頭部も、複眼すらも。
 微かに透き通っている。向こう側の花崗岩が見える。
 俺たちがここまで近づくまで気づかなかったのもそのせいだ。
 擬態とか、体色変化とかではなく。
 そのとんぼのような虫は、身体全体が透き通っているのだ。
 それはまるで、極薄の硝子細工のよう。

  はた、はた――

 その虫が、翅を動かす。
 その動きは実にゆっくりだ。
 そんな小さな動きなのに、空気抵抗によって、虫の身体がふわりと浮く。

「あっ……飛ん、だっ……」

 その虫は、まるで鳥のように、薄いガラス板のような翅を羽ばたかせ、ふわっ、ふわっと、どこか不安定で緩慢な動きで浮かび上がり。
 そのまま――岩場の向こうへと飛び去っていった。



「……なに、あの動き」

 虫が視界から飛び去って、ようやく正気を取り戻した俺の口から出た最初の言葉は、そんなどうでもいい感想だった。

「あれ、とんぼ、じゃない、よね?」
「見た目は完全にトンボの癖して、あの飛び方は詐欺だろ。……思わず硬直しちまった」

 でもあれ、完全に鳥の動きだよな。あるいは羽ばたき飛行機械。
 というか、ふわっ、ふわって。
 頼りなさすぎるわ。なんじゃあれ。

「でもすっごく、綺麗だった、かも」
「ああ。……なんか、めっちゃくちゃ軽そうだったな。あの身体、なにで出来てるんだ?」
「ガラス、とか。透き通ってたし」
「ああ。なんというか、クシャっとつぶれそうな……」

 ケイ素質、か。
 有機組織じゃない、のか?
 主食がこの岩場のなにかしらの鉱物である、とか?
 もしかして、あの透明な身体は……外敵から見つからないようにするため、とか?
 どう見ても華奢なやつだ。
 マンボウ先輩を含め、俺が今までの人生で見た中で一番脆そうな生き物だ。

「この岩場に、棲んでる、のかな?」
「トンボって卵生だよな。岩場に棲んでてもおかしくは――
 え、でもあれとんぼなの? 本当に?」

 俺たち、見た目に騙されてない?
 見た目以外にトンボっぽい部分なにもないんだけど。

「……でも、このあたりに棲んでるなら、また出くわすかもな」
「あんまり、危なそうでは、なかった?」
「どうだかなぁ。攻撃手段がなにかによる。
 あんだけでかくて、動作が緩慢で、それなのに自然淘汰されてないあたり、なにかしら生き残ることができている理由があると思うんだが……」

 考えれば考えるほど、謎が多い存在だ。
 その不思議を語り合いながら、岩壁付近の探索へと戻る。

 不思議な生き物だった。
 ……いや、生き物であるかどうかすら、まだわからないのか。
 この世界で初めての先住種との接近遭遇だったんだが……
 ずいぶんふわふわした、不思議な出逢いになったもんだな。
 今のところ、互いに利することも害することもなさそう。理想的な出逢いだ。
 できれば今後あいつを狩り尽くしたり、あいつに狩り尽くされたりしたくないものだな。


 *────


 この星の生命との初の接近遭遇を終え、引き続き岩場付近を探索していると、

「……おっ、カノン、あそこになにかよさげな洞窟があるぞ」

 高さ2mと少しくらいの岩場の上、巨大な岩と岩の隙間に、なにか細い洞窟のようなものが空いているのが見える。
 ……いや、でかいな。
 よくよく見ると、岩の上方に向けて大きく裂けたそれは、

「洞窟というか、……亀裂、か……?」
「ん、ほんとだ。――なにか、なかから聞こえる?」

 カノンが亀裂の方に近づき、耳をそばだてる。
 俺の耳にも、かすかに聞こえている、その音は。

  ――――ュォォ――――

「んむ、これは……風の音、か?」
「でも、風、吹いてない、よね?」

 カノンが言う通り、俺たちが立っている岩場の手前あたりでは特に風は感じられない。

「……ちょっと、登って見てみっか」
「入るのは、危ない、かも」
「見るだけ見るだけ」

 目の前にあるのは、ほんの少し傾いた、ざらついた2mほどの花崗岩の岩塊。
 攀じ登るというにはあまりにも斜度がきつすぎるが、この程度なら攀じ登るまでもない。

「ふっ――」

 岩塊の上辺に手をかけ、思いっきり身体を引き上げる。
 岩壁の側面に一度足を掛け、一息に登る。

「やっぱり、身軽」
「このくらいの高さならたぶんカノンも一息で登れるだろ」

 どんくさいヒトでも、この世界では概ね平均的な身体能力を手にすることができるからな。
 でも、いわゆる運動音痴な人って、身体能力が足りてないわけじゃなくて、身体の使い方がよく分かってない人だという気はする。
 その場合はこの世界でもそう簡単に飛んだり跳ねたりはできんかもしれん。
 そう言う人におすすめなのが【跳躍】や【登攀】といった技能だ。
 へへ、今ならお安くしておきますよ。

「さて、どうなってるかな――」

 縦に大きく裂けた、岩壁の亀裂をそっと覗き込む。

  ――――ュォォォ――――

 頬に感じる、亀裂の内部から微かにそよぐ風。
 遠く、亀裂の奥の方から響く、小さな――風鳴りの音。
 亀裂の中は……こちら側が明るすぎるのもあって、数m先からほとんど見通せない。
 どうやら、すぐに行き止まりということもなさそうだが……。

「……やっぱり、結構深くまで亀裂が走ってるっぽいな」

 亀裂の上方を見遣る。
 岩石層を複雑に走っているらしき亀裂は、空にある恒星の光を通さない。
 これほどの大きさなら、このまま入っていけそうではある。
 だが、亀裂がどこかで足元まで裂いていたら、そこでハマる。

「わたし、見てみる?」
「ん。見てみてもいいけど、……たぶんなにも見えんぞこれ」
「わたし、【夜目】あるから、ちょっとだけ見えやすいかも?」

 おおっと。
 そういやカノンは【夜目】をセットしてきたんだったな。
 こういう「光量がやや足りない」類の場所では【夜目】は輝く。
 光自体は、この亀裂の入り口から反射して内部を照らしているはずだ。

「ちょっと、待ってね。……んしょっ、と」

 カノンも2mほどの岩塊のてっぺんに両手を掛け、一息に身体を持ち上げる。
 そうして、特に息を切らすこともなく、この亀裂の手前まで上がってくる。

 ……登るときって、カノンの身長的に、両手を上いっぱいに伸ばした状態から一気に引き上げてるんだよな。
 やっぱ運動能力高いわカノン。
 小柄な見た目とのギャップが酷い。

「んと、じゃあ、覗いてみる、ね」
「頼む」

 近くまで来たカノンが、俺と同じように亀裂を覗き込む。

「……外、明るすぎて、まだ、見にくい、かも。
 もうちょっと、入ってみても、いい?」
「……足元と頭上だけ気をつけろよ。……変な音がしたら、飛びのけ」
「んっ、大丈夫」

 そう言って、カノンが亀裂に足を踏み入れる。
 いつでもカノンの腕を引けるように構えたまま、俺もカノンの背後につく。
 ……亀裂に数mほど入ってみても、やはり俺の目には亀裂の奥は見えない。
 どこかから、風の音が聞こえてくるだけだ。
 ただその風の音は、上方や下方からではなく、どこか遠く、正面の方から聞こえてくるような……?

「……。」
「……。」

 カノンは更に数歩進む。
 【夜目】を持つカノンは、俺よりはこの暗闇を見通せているはずだ。
 そろそろ俺には、足元に地面があるかどうかすら危うい。

「カノン、そろそろ――」
「……」

 ……カノン?

 革ブーツを擦る足音以外の物音一つ立てず、
 カノンは更に、暗闇の中へと歩みを進める。
 俺には、なにも見えない。
 ただ、か細い風の音が聞こえてくるだけだ。

 カノンは、そこで立ち止まる。
 なにかに気づいたかのように。

 ……。

 そうして、少し俯く。
 なにかを考えるように。

 ……。

 そうして、肩に掛かったケープに触れる。
 なにかを確かめるように。

 ……。

 そうして、首をふるふると横に振る。
 なにかを振り払うように。

 ……。

 そうして――こちらを振り返る。

「……あ、ごめん、フーガ、くん……さっき、呼んで、くれた?」

 ……。

 ……なんだ。

 いまの、一連の、仕草の、意味は――?

 こちらを見る、彼女の瞳の中に、負の色はない。
 なにか怖がっていたり、訝しんでいたり、そういう不安そうな気配はない。

「……なにか、見えた?」

 だから俺は目の前の彼女に問う。
 なにを見たのかと。なにかを見たのかと。

「……んん。暗すぎて、あんまり見えなかった」

 彼女は、そう答えた。
 なにも見えなかったと。

「あ、でも、……けっこう先まで、続いてる、と思う」
「……そっか。流石に危ないし、ここの調査は今はやめとこうぜ。
 岩石層に走った亀裂ってことで、もしかしたら壁になにかしら鉱石とか見つかるかもしれんけど、それをするなら明かりが欲しいな。松明とか」
「ん、そうしよっ」

 そう、弾むように答えたカノンは先立って、亀裂から出る。
 そんな彼女の仕草、口調は、なにか不安なことがあるというものではなく、それどころか、

(……なんか、吹っ切れた、ような?)

 よくわからない。
 彼女がなにを見て、なにを見なかったことにして、なにを吹っ切ったのか。
 その答えが、この暗い亀裂の先にあるというのか。
 俺には見えない、このどこまでも続く暗闇の中に。
 目を凝らす。だが【夜目】のない俺の目には何も見えない。
 自力で見るにしても、人間の暗順応には30分ほど掛かるのだ。
 今は、諦めるしかない。

 カノンの姿を追おうと振り返ると、外の光が目に突き刺さる。
 光にくらんだ目が、一瞬だけ、カノンの姿を見失う。
 そこにいるはずの彼女の姿が見えなくなる。

(……。)

 もちろん、それは一時的なものだ。
 光に順応した俺の目は、すぐに彼女の姿を捉える。
 身軽に岸壁からその身を降ろしたカノンに続き、俺もその亀裂を後にする。
 正体のない胸のざわつきを、なんとか鎮めようとしながら。


 *────


 この周囲にごろごろと転がる岩塊の中から、質のよさそうな花崗岩を見繕う。
 ……そろそろ、いい時間かな。

「――さて、そろそろ戻ろうか」
「んっ、そうだね。いい感じの石、採れた?」
「おう。ダンベルが2個になったけどな……」
「あとは戻るだけだから、平気、かな?」

 やはりどこか吹っ切れような、機嫌がよさそうなカノン。
 そんな彼女に少し戸惑いを覚えるが――その原因がわからず、またそれをカノンが明かそうとしていない以上、この場で引き摺るべきでもないだろう。
 うん、平常運転に戻ろう。今しばらくは。

「よっし、では戻るぞー」
「おーっ」



 ここから北へまっすぐ。
 一路、俺たちの拠点へ。


 ……計10kgほどの、岩塊を運びつつ。
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