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一章

石材を採取しよう(1)

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 惑星カレドの、とある高地の岩壁の内側。
 それは風の瞬きの間に行われた。
 空間の宙に、どこからともなくふっと現れた無数微小の青白い粒子が、
 くるくると渦巻きながら、二つの人の形を形成する。
 そんな青白いヒトガタに、
 ぱりぱりと、どこかホログラフィックなエフェクトが覆いかぶさり、
 そこに現れたのは――

 *────


「おっ、グーテンアーベント、カノン」
「あっ、フーガくん。……ぐ、ぐーてんあーべん」
「いやすまん、なにかしらのネタを挟みたがる性分でな。
 ……こんばんは、カノン。ふつうにセドナ語でいいぞ」
「せどな、ご……?」

 あるいはカレド語か。
 そんなものが存在するのかはわからないけれど。

「今回は、ぴったり一緒、だね?」
「んむ、結局5分前行動で定着してきたな、俺たち」
「フーガくん、だいたいそんな感じかなって」
「見抜かれている……」

 どうやら今回は、カノンとほぼ同じタイミングでダイブインできたようだ。
 今日はできるだけカノンを一人にしたくなかったから、よかった。

 俺たちが現れた場所は、セドナ南の柱状節理の岩壁の傍ら。
 ダイブアウトした場所と寸分たがわない。
 拠点外ダイブアウトは無事に行われたようだ。
 空を仰げば、白い恒星は中天にいまだ届かず。
 つまりセドナの時刻はまだ昼前ということだ。
 やはりこの世界の一日は長い。

「夜ご飯、ちゃんと食べてきた?」
「んっ、大丈夫。……ちゃんと食べた、よ?」

 ついついおかんのような心配をしてしまった俺に対して、言葉を返すカノンの様子をうかがう。
 今のカノンには、ダイブアウトする前にちらりと覗かせていたような、不安の気配は感じられない。
 気にしすぎてもあれだ。平常運転に戻ろう。


 *────


「では、ここから西へ向かうぞー」
「岩壁に沿って行けばいい?」
「おう。ここからは帰路になるし、面白そうなものあったらどんどん拾っていこうぞ」

 現在俺たちがいるのは、セドナのマップ南圏外。
 セドナを遮断するこの柱状節理の岩壁は、ここから西北西に伸びていき、やがてマップに映る乳褐色の岩場まで続いていると思われる。

 そういやいま俺たちの目の前にあるこの柱状節理、どう見ても黒灰色なんだよな。
 衛星写真に映ると乳褐色になるのか、それとも途中から岩質が変化しているのか。
 どちらかと言えば後者の可能性の方が高そうだ。
 となると、色が変わる前に黒灰色の方の岩石も採取しておきたいな。
 なにか性質が違うのかもしれん。

 進行方向左手側に遥か続く岩壁を成す岩石について思いを馳せつつ、硬質な玄武岩が敷き詰められた道を歩いていく。
 岩壁付近のこのあたりの地面には、植物はまったく生えていない。
 玄武岩の隙間に植物が入り込む余地はありそうなものだが、それもない。
 この岩盤自体は、あまり植物が育つに適さないのだろうか。
 水はけがよすぎる、とか?

「歩きやすい、ね?」
「ああ。ここまで樹林帯とか緑に覆われた川沿いの道とかばかりだったからな。
 ここまで硬質な道は久しぶり……というか、この世界では初めてじゃないか?」

 コンコン、と革のブーツの爪先で地面を叩く。
 硬質な手応えとともに、小気味良い音が返ってくる。
 まるで現代の街中の路上を歩いているかのようだ。
 玄武岩の表面はざらついているが、岩盤を構成する一つ一つの多角形は平らで歩きやすい。
 こういうデザインの遊歩道です、と言われたら信じてしまいそうだ。


 *────


「むっ」

 岩壁に沿ってしばらく歩いていると、左手の岩壁が徐々に崩れ始める。
 蛇腹状の一枚の壁を成していた岩の柱は、ところどころが崩れ、不揃いになり、風化して細かく破砕した破片が土壌となったのか、その隙間には植物が潜り込んで生命が芽吹いている。

「……なんか、樹林とかで見る草とはちょっと違うな?」

 角柱の隙間からもさっと生えている、若草色のやわらかそうな葉の塊。
 一枚一枚の葉は手のひらの半分ほどと大きく、一方で茎は1mm程度と細い。
 香りを嗅いでみると、ほんのりとした……
 なんだこれ、あま、い……ような?
 強いて言うならバニラの香り……か?
 虫に食われているような様子はない。
 ……なんか、食えそうだなこれ。

「……カノン、ちょっと食ってみていい?」
「あ、じゃあ、わたしも食べる」
「えっ」

 なにその即答。

「えっ。……フーガくん、食べてみたいんだよ、ね?」
「いやそうだけど」

 巻き添えにするつもりはなかったし、道連れにするつもりもないのだが。
 ……そういえば、カノンはそういう抵抗はないのか。
 そういやそうだな。

「ん、じゃあちょっとんでみよう。
 単なる勘だけど、こいつは食えそうな気がする。ただ、毒性は分からん」

 葉脈の色が淡くて筋張ってなさそうだし、少しだけ生えた産毛は春の野草を連想させる。
 香りがないのも、却って躊躇わずに食えていいかもしれない。
 拠点に持って帰って分析装置に掛ける、というのがもっとも安全で無駄がない。
 だが今は、なんとなくアウトドア的なことをやりたい気分だ。

「いちおう、わたしの危機感知には、ひっかからない、みたい」
「五感で感じられない毒とかには、はたらかないだろうけどな」

 危機感知は万能ではない。
 あくまで危機に際して五感が鋭敏になるだけだ。
 無味無臭の毒性なんかには反応しない。前作で検証済みだ。

「じゃあ、いただきます」
「いただきます」

 はむっ。

 むしゃ。

 もしゃ。

 ……。

 ほとんど味がしねぇ。
 ……でもやわらかいぞ。サラダにすれば普通に食えそう。

「ん、なんか、苦味と、酸味? ある、ような? ……気のせい、かも」
「まじで」

 前からちょいちょい思ってたけど、カノンの感覚が鋭いんじゃなくて、俺の感覚が鈍いのか?
 もしかして俺の五感、聴覚にぶっぱし過ぎて他の感覚鈍くなってる?

「ん、やわらかいし、ふつうに食べられる、かも」
「……玄武岩が風化して土壌化したと考えるなら、岩に含まれているミネラルがこの葉に濃縮されて……?」

 駄目だ。それっぽいことは考えられるが、それ以上には考えが深められない。
 土壌ってのは大半が岩石が風化して破砕したものと植物が微生物に分解されたものの混合物なわけだし、推論の方向性としてはあっている気はするんだが。
 あとでマキノさんに聞いて……いや、流石にこれは畑違いかな。

「せっかく食べられるみたいだし、採っていく?」
「そうしようか。運が良ければミネラル源になりそう」

 岩壁に、まるで雑草のごとくもさもさと生えている。
 この分なら、しばらくの間は採り尽くしてしまうようなこともないだろう。
 しかし栄養素の中で最初に目途が立ちそうなのがミネラル分だというのもおかしな話だ。
 カロリー、どうかカロリーをプリーズ!

 カノンと共に、岩壁の隙間から顔を覗かせる若葉を少々摘み取らせてもらう。
 うむ、いい感じだ。……今のところ、胃が痛んだりもしない。

「これくらい、かな?」
「おう。……カノン、腹が痛くなったりしたら言ってくれな?」
「ん。でも、わたし、けっこう頑丈だと思う」
「……たしかに、俺の方が弱そうだな」

 胃の消化機能はフーガとカノンで変わらないだろうけれど。


 *────


 さらに進むと、岩壁の崩れはますます大きくなり、並び立つ岩の角柱も不揃いになっていく。
 風化し破砕した玄武岩が地面に降り積もったためか、足元の地面にも植物の緑が繁茂し始める。
 左手に厚く聳え立っていた岩壁は、その最上部から丸く崩れ、無数の多角柱からなる斜度の強い岩の丘のような様相を見せ始める。
 それでも高さは10mほどありそうだ。
 斜度もほぼ直角だし、この丘に攀じ登るのは……道具なしでは、ちょっと難しそうだ。
 ……このあたりなら、多少石を貰っても大丈夫かな。

「カノン、ここらでこの辺りの黒い石を採取していこう。
 まだ拠点直下の位置までは来てないけど、衛星写真で見た拠点直下あたりの岩場の色からして、このあたりのものとは岩質が変わっている可能性が高いからな。
 だからここらの黒い石も調べておきたい」
「ん、わかった。……いい感じの大きさの、拾う?」
「そうだな。それでもいいけど、せっかくだしなんかよさげな――おっ?」

 なにか珍しいものでもないかと、上部が崩れた柱状節理の柱の列を見分していると、一つだけ、他の柱とは少し様子が異なる柱を見つける。
 崩れた台形のような面の岩石が積み上がって、一つの岩の柱を成している玄武岩。
 その岩石の色は、他のものと同じ黒灰色で、しかし。

「わっ、なんか、きらきらしてる、ね?」
「ああ。……なんだろう、成形段階で、なにか他の鉱物が混ざり込んだのかな?」

 まるで雪華のような、きらきらとした白い水晶片がそのうちに含まれている。
 黒い素地も相まって、まるで夜空のようだ。
 岩柱の上面を成す歪な台形は、縦15cm、横20cmほど。
 岩の柱は大きく崩れてなお1m以上はある。
 この岩の柱をまるごと持って帰ろうなど到底無理な話だが――
 さいわい、この岩石は柱状摂理だ。

「よし、カノン。この柱の一番上の、5cmくらいの厚さを頂こう。
 貴重な自然遺産だが、サンプルとして採取させて頂くのだ」

 なんか希少な環境サンプルになりそうだけど。
 上澄みを一つ頂くだけだから許してくれ。

「ん、でも、これ、硬いというか――採れる、かな?」

 カノンがその柱の一番上の岩のブロックに手を添えるが、一番上に載っているだけのように見えるその岩塊はびくともしない。
 この柱状節理は、その見た目通り岩のブロックが無数に積み重なってできている……のではなく、もともとは一本の岩の柱に、竹の節状のひび割れができてこうなっている。たしか。
 だから、縦に積み重なっているように見えるそれぞれの岩の塊は、部分的にはまだくっついているはずだ。
 人の力で押した程度では、それぞれの岩塊を剥離させることはできないだろう。

 では、この一番上の岩塊を岩の柱から剥離させるためにはどうすればいい?
 ダルマ落としの要領で、横からガツンと叩いてやる?
 それでもいい。
 ただし岩塊のくっつき方と度合によっては相当な衝撃が必要になるし、採取しようとしている岩塊が傷つくし、剥離の方向によっては岩塊が狙った大きさにならないし、破片が飛んだら危ないしと、あまりいいことはない。
 この岩の柱はなにやら希少そうな雰囲気があるし、あまり乱暴な方法を採りたくもない。

 そこで、だ。
 ここで人類の叡智を借りさせて貰おう。

「そこで取り出したるは、これだ」
「あっ、作ったくさび、ここで?」
「うむ」

 柱状節理。
 それは溶岩が柱状の岩の形に冷え固まるときに、その体積が収縮して、岩の柱に竹の節のような亀裂が入ってできるものだという。
 つまり体積の収縮にあたってひび割れたその部分は、岩石全体の中で力学的に脆かったということだ。

 柱状節理に限らず、すべての岩の内部には、脆い部分がある。
 その脆い部分は、岩の「目」とも呼ばれることがある。
 割れるときは、いつもその「目」……岩の脆い部分に沿って割れる。
 だから人間は、巨大な岩を割ろうと思うなら、その脆い部分に沿った力を加えてやればいい。
 そうすれば、力尽くで大きな衝撃を加えなくても、ほんの小さな衝撃で、ぱかり、と岩は割れる。

 かつて、ピラミッドの石はそうして切り出された……かどうかは知らないが。
 しかし、古代エジプト王朝当時から石を割る技術を持った技術者たちは存在した。
 彼らは「メーソン」――すなわち「石工いしく」と呼ばれた。
 そして、彼らが用いた石を割る技術を「石工せっこう術」と呼ぶ。

 俺には彼らのように、岩の正しい目を読む力はない。
 だが俺が読まなくても、この柱状節理は、俺が力を加えるべき目を既に示してくれている。
 つまり――柱状節理の亀裂。
 そこがこの岩の柱の目に相違ない。

 ……と。
 それっぽく解説をしてみたが、極めて平易に言い換えれば。


 亀裂に楔をあてがって、コンコン叩けばきれいに割れるはずだよ!


 *────


 さて、実践してみようか。
 取り出したるは、カオリマツの木で作った木製の楔。
 長さは6cmほど、底面となる長方形は縦が2cm、横は3cmほど。
 当然だが、この木製の楔は、目の前の岩の塊より数段やわらかい。
 この楔を力ずくで振り下ろしても、楔がひしゃげるだけだ。
 だが、この楔を岩の柱に走る亀裂にあてがい、その辺に落ちていた手ごろな石でコンコンと叩けば、楔は亀裂に少しずつ食い込んでいく。
 ……ちょっと木の楔が変形しているが、特に問題はない。

 あとは、このまま静かにコンコンと叩いてやれば――

  パキッ

「お、ひび入った音」
「すごい、あっさり割れたね? びくともしなかったのに」
「楔を崇めよ」

 こんな風に、大した力を加えずとも、至極あっさりと岩は割れる。
 今回は既に亀裂が入っている柱状節理だったから、果たしてここまでやる必要があったのかは疑問だが……これであの技能の取得に値する体験は得ることができたのではないかと思う。
 道具を使って石を割る技術。すなわち――【石工せっこう術】。
 あの技能、気持ちよくて好きだったんだけど……今作でも残ってるかな?

「カノンもやってみる? 技能取れるかもよ」
「……ん、じゃあ、ちょっと、挑戦する」
「あ、俺が採った岩の柱からじゃなくて、別の柱でやってもらっていい?
 対照実験のために、俺が採った白華交じりの奴だけじゃなくて、普通の玄武岩も取りたい」
「ん、わかった」

 乗り気になってくれたカノンに楔と手ごろな石を手渡す。
 楔をあてがう角度が重要で、加える力の強さは大して重要ではない。
 たとえ現実のカノンであっても、同じように割ることができるだろう。
 なんというか、まき割りの理屈に似ている、かな?


 *────


 ところで、今回はやらなかったが、楔を用いた石割りでは、ちょっと変わった方法を用いることもある。
 楔の素材となる木の種類によっては、亀裂に食い込ませた木製の楔に水を含みこませることで、その繊維の膨張によって亀裂を押し広げ、岩を剥離させることができるのだ。
 わかりやすく言えば、天然素材・労力要らずのジャッキアップリフト。
 車の下に置いて車体を持ち上げるあれだ。

 この方法は素材となる木の膨張率がある程度高くないと成功しないし、それなりに時間もかかる。
 半面、かなり巨大な岩でも人力に拠らずに割ることができたりする。
 自然の驚異を思い知ることができる、興味深い手法だ。

 この割り方は、当然だが鉄や石の楔では真似することができない。
 水を含むと膨らみ、ある程度の強度も持つ、木製の楔だからこそできる手法だ。
 以前俺が、鉄や石の楔ではなく木の楔だからこそできることもあると言っていたのは、この手法のことだ。


 *────


  カコッ

「あ、割れた、かも?」

 カノンの目の前には、横に走った亀裂を楔で割られ、軽く浮き上がった岩塊がある。
 亀裂に沿って地面に水平に、綺麗に割れている。

「いいじゃん。……どうだ、けっこう簡単だろ?」
「ちょっと工夫するだけで、すごい簡単になる、ね」
「人類の知恵袋に感謝しとこう」

 やってみれば簡単だ。
 特に工夫というほどでもないように感じるかもしれない。
 だがこうした小さな技術一つ一つにも、先人たちの叡智は活きている。
 お世話になるたびに、つど感謝していこう。

 で。
 楽しい石工術のあとには、あまり楽しくない運搬の時間が待っているわけで。

「……ちょっと、おもい、かも」
「……5kg以上はあるな」
「……持っていく?」
「……ここから拠点までたぶん30分もない。頑張ろう」

 このくらいの大きさであれば、ある程度の石刃が作れるはずだ。
 これで石斧つくるぞ、石斧!
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