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第九十五話 「寄贈する戸帳一つでこの騒ぎ」 ~大奥vs勘定奉行~

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 松浦静山著「甲子夜話三篇」

 巻三十五、一三「新勘矢部氏潔白之事 付 感応寺へ戸帳とちょう御寄附之評議」より


 新しい勘定奉行、矢部氏は賄賂の横行した寛政後には珍しい清廉潔白な役人で、賄賂の類を固く戒めていたので、町方の与力や御普請方等も彼に倣い賄賂などを受け取らなくなったという。

 又、こういう話も聞いた。

 近頃建立された、新感応寺に将軍家から戸帳とちょう(仏像を納めた厨子等にかける布)を寄贈することになり、その金額を見積もったところ、通常のにしきであれば三十両ほどで済むところを、大奥から異議が出た。

 「将軍から寄贈する物が普通の錦では、後々の笑いものになりましょう。多少高価ではあるが蜀紅錦しょっこうにしきすれば、将軍の御威光も高まるでしょう」

 ・・・大奥の御台所達はそう言うのである。

 して、その蜀紅錦しょっこうにしきにて戸帳とちょうを作らせると、なんと五百両にもなるという。
 大奥の御意向ではあるが、これは過分な出費ということで表向きに評議にかけられることになった。
 閣老・加州殿や、参政・林肥州殿も口々に言った。

 「・・・・さすがに五百両はちと高値こうじきかと存じます、もう少し値段を抑えた布地にされては・・・」

 「いえ、それはなりませぬ、後世に残るもの故、上様・・・・ひいては将軍家の御威光にもかかわります」

 「では、寄贈先の新感応寺のご住職の意見も聞いて決定されては・・・・」

 議論は紛糾する。
 新勘定奉行の矢部氏に発言の順番が回り、矢部氏が口を開いた。

 「そもそも寺院と言えども、住職は変わり、建物自体が火災等で焼失することもございましょう。たとえ上様がご寄贈された戸帳も、後の世までそのことが伝わるものでもございません。また、戸帳の布地の事を寺院に決めてもらうなどは、かえって将軍家の御威光を損ねることと存じます。」

 矢部氏は続けた。

 「現在の泰平の世、どのような高価なものでも整えることが出来ましょうが、それを上様はあえて御倹約なさってこのようなものを寄贈されたと後世の者達が思う事こそ、お上の御威光を増す事にはならないでしょうか・・・」

 矢部氏の言葉に加州殿や肥州殿も大きく頷いて、安い錦を使った戸帳を寄贈することに決まったという。


 この矢部氏というのは、天保七(1836)年に勘定奉行に就任した矢部定謙さだのりの事でしょう。
 松浦静山は、この矢部定謙に好印象をもっているようです。
 
 矢部貞謙は波乱万丈な生涯を送った人で、大塩平八郎と親交があり、彼の助言で貧民救済政策を実施。
 しかし、後にその大塩平八郎から「奸佞かんねい」と糾弾されています。
 その後、老中・水野忠邦と対立、陰謀により罷免されて、そのことで抗議の絶食を行い自死したといいます。

 なお、大奥の浪費を押さえるのには、あの「暴れん坊将軍」こと八代将軍・吉宗も苦労したようですが、寄贈する戸帳ひとつでこんな騒ぎとは・・・苦労がしのばれます。


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