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第一話 不遇な男のある思い付き

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 金沢藩の勤番で江戸に来ている、ごく身分の軽い芦田 代之助という侍がいた。

 ・・・歳は二十七になるが未だに独り身、しかも彼は童貞であった。

 男でも女でも、それなりの歳になれば結婚して所帯を持ち、夫婦の営みを行ない子供を作るのが当然のこの時代、二十七歳まで童貞で嫁の来手もないというのは、なにか相応の理由わけがなくてはならない。

 ・・・代之助もその「ワケあり」の一人だった。


 武士でも町人でも同じであるが、子供を作り家を継がせる為にも、是が非でも結婚は必要なものというのがこの当時の価値観だ。
 当人にその気がなくとも、年頃になれば親戚や上司など、周囲が世話を焼き縁談を持ってくるという、そんな時代である。

 代之助は健康体で体格もよく、また武芸も一通りたしなみ、容姿も美男というほどでもないが、間違いなく中の上ほどには言える容貌である。
 また勤務態度も良く、組の中でも上司の覚えめでたく出世組に属し、酒もあまり飲まない・・・女性側からしてみれば、結婚相手としてまことに結構なタイプであるから、ますます不思議である。

 ・・・彼の「ワケあり」のその理由わけとは。


 代之助が女と全く縁がなく、こんな歳になっても女の肉体からだを知らない童貞なのは、彼の陽物(陰茎)が原因であった。

 なんと、彼の陽物は一尺(約30cm)を少し超えるほどもあるような巨根だったのである。
 その太さも、親指と人差し指で作った輪が届かないというのだから直径二寸(約6cm)はあるだろうか。

 無論それは屹立していない状態である、こんな陽物がいったん興奮して猛り狂えば、一体どのくらいに巨大化するのかは誰も見たことがないのだ。

 文字通り「馬並み」の巨根であるが、「過ぎたるは及ばざるが如し」のことわざの通り、この並外れた巨根ゆえに、この歳まで女とのまつりごと(性行為)をする勇気も、その機会もなく、親戚達もまた彼の身の上は知っているから縁談を持ってくるのを控えているのである。

 風呂は近所の湯屋か、彼の住む武家長屋にも小さいながら共同の風呂があるのだか、代之助は自分の異形の陽物を恥じて、なるべく人の少ない時間にひっそりと風呂に入った。
 しかし、朋輩達はみな彼の巨根を知っており、面と向かっては口にしないものの影では彼の事を「馬」とあだ名して嘲っていたのである。


 ・・・人として生まれて、男女の情交も知らずにこのまま子孫も残せず、歳をとり亡んでしまうとは、まことに残念至極、悔しいがこのイチモツでは仕方ない・・・

 独り身の夜に、彼はそういって嘆くのだった。


 ・・・そんな彼が、ある五月晴れで天気の良いうららかな日に、ふと浅草観音に詣でようと思い立った。

 自分のこの呪われた身の上をなんとか神頼みで・・・というほどの意識でもなかったが、さほど遠くない場所に住んでいながらもう半年近くも足を運んでいなかったのを思い出したのだ。

 昼前に浅草の観音様に着くと辺りは大変な人だかりである。
 楊枝売りの女の売り声や大道芸の歓声を聞き流しながら、一人で観音様にお参りし、仲見世の殺人的な混雑をやっとのことで抜け、大石に腰をかけて一服している時に、ふと彼の脳裏に思い浮かぶ事があった。


 ・・・そういやこの界隈には情を商う宿がいくつもあるっていう話だな・・・。

 江戸には官許の遊所、世に名高い吉原があったが、当然ながら彼はそこに足を踏み入れた事さえない。
 岡場所と言われる、幕府非公認の遊郭が集まった地域もあるが、代之助はそういう場所にもまったく縁がなかった。
 自分の尋常ではない陽物のために、はなから女遊びはあきらめていたのだ。

 それが観音様をお参りして、ふと思い立ったのである。

 ・・・まあ、駄目で元々、断れられて当然・・・しかし、せっかくここまで来たんだからちょっと覗いてみるか、こんな気持ちになったのも何かのお導きだろう、なに遠くない場所だ、散歩がてらに・・・


 代之助は、そのまま浅草寺からほど近い広小路に足を運び、まるでお上りさんのように、初めて歩く岡場所をキョロキョロと見ていた。

 そこは表向きは茶屋や飯屋、普通の町屋らしい家が立ち並ぶ一角だったが、裏では娼婦を揃え店の二階で非公認の春を商っているのである。
 江戸にはそういう場所がいくつもあったのだ。

 彼は一見なんの変哲もない茶屋の前に立って、掲げられた看板の文字を読んだ。

 ・・・「招福屋」という茶屋か・・・随分と縁起がいい店の名だが、この様子だと同僚が話していた「けころ」とかいう安い娼婦を置いている店らしい・・・同じ入るなら少しでも縁起の良さそうな店がいい、よし、ここにしよう。

 代之助は少し気後れしたが、勇気を振り絞って・・・観音様に背中を押してもらう気持ちで店に入り、多少震え気味の声で中の女に声をかけた。

 「・・・たのむぞ」

 「は~い、いらっしゃいまし」

 ひばりのような美しい声で返事をして振り向いた店の茶汲み女は、いかにも垢抜けない、遊び慣れていない風の勤番侍の代之助の顔を一瞥すると、すぐにニッコリと作り笑いを浮かべた。





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