ヒトの世界にて

prologue 【灯—トウ—】

《システムエラー、緊急の離脱を推奨します。機体の安全を速やかに確保してください》
（分かっている、あぁ分かっているさ）

　スパーク音と砂鉄の落ちる音が彼の聴覚センサーに響く。
　頭の中には警告メッセージがうるさい程鳴り響いている。
　しかし、そのメッセージに従う訳にはいかない。
　自分の頭上に、その双腕が支える何十ｔもの鉄屑があろうともだ。

《ヘラクレス合金製フレームの耐久度を既に超えています、速やかな離脱を推奨》
（それは、出来ない）

　もう何時間こうしているだろうか、しかしここで自分が崩れればこの遺跡は崩壊するだろう。

（3日かけてここまで来たんだ、脱出まではどうしても時間がかかる……生体センサーが届かない領域は九時間五十分前に突破している、あいつらならもう脱出しているかも知れないが……）

　だからと言って今この場所を離れる訳には行かない。
　そもそもここを離れれば自分が脱出する前にこの遺跡は崩れてしまうだろう。
　既に自分の安全は投げ捨てた。

《後10分でクロノスのオーバーロードが限界を迎えます、そうなれば機体が壊れる確率は99パーセント》
（だろうな……構わん）

　乾く事の無い瞳を閉じて思い耽る。
　壊れる自分を何処か冷静に見てしまう。
　命の無い自分が死ぬ事にこの世界は何も影響はないだろう。
　血も肉もない電気の血と鉄の肉を持つ自分はこの世界の1にはカウントされないであろう。
　だから、自分が死ぬ事で助かる命があるのならそれでいい。

（博士、この世界は。この世界は貴女の思いを……きっと……）

　自分の創設者の事を考えると色々な事を思い出してくる。
　機械である自分にこんな事があるのだろうか、と首を傾げそうになるが。

（あぁ、そうか……これが走馬灯、というやつか）

　人が死ぬ時に見る最後の夢。
　そう語られた事をメモリーが記憶している。

（最後、か……）

　機械である自分にとってそれはなんて贅沢な事だろうか。
　そう思いながら彼は、アレスは思い耽る事にした。

＊

「よし、起動準備完了……コスモAIの起動、どう？ アレス、わたしが解るかしら？」
「……起動コードアレス、確認」

　銀髪を一括りにした少女が中に浮いたキーボードを叩く。
　そのキーボードは少女の周りに2つありキーボードに連動してパソコンのモニターに文字が凄まじい速度で打ち込まれていく。

「おはよう、アレス。仕事中でごめんね？ 貴方のボディを作る為なのだから」
「……貴女は、私の母でしょうか」
「あはは、まぁそうなるかしら？ 結婚したことは無いけど貴方のお母さん、ね」
「お母さん……つまり創設者、データがあります。Dr.ウェヌスですね」
「えぇ、わたしはウェヌス……えっとデータの照合はできる？ 少しおさらいしましょうか。今は西暦何年？」
「かしこまりました、現在は西暦2132年、3月22日……午前3時23分15秒を回りました」
「西暦だけでよかったのに——いやまってもう3時？ うわ本当だ……」

　アレスの声に反応した少女が愕然とした表情で時計を見上げる。
　レトロな時計針はアレスの言った時間を無慈悲にも刺している。

「一般的に深夜を迎えての作業は肌へのダメージになる、とあります」
「わ、わぁってるわよ……！ 貴方のデータ照合を終えたら寝るわ……えっと、今の世界情勢のデータは入っている？」
「はい、現在第三次世界大戦を迎えて32年と1ヶ月、5時間24分15秒が経ちました」
「……そうね、長年大きな大戦が無かった世界各国は遂に我慢の限界が来たのか世界を二分した大戦が起きてしまったわ。最初は自国の小競り合いだったのだけどね」

　世界各国の不満は何だったろうか。
　もうそれを思い出せる人は居ないだろう。
　自分の国の政治に不満がある、あの国に不満がある、それが重なりに重なって内戦になりそれが大きくなり世界を二分する大戦になった。

「それで、この大戦が今どうなっているか、そのデータはある？」
「はい、長期化した戦争は人々の道徳を狂わせました。既に人間を改造した生体兵器は戦争に多数利用されています」
「そうね、力と生命力を強くした人間、諜報の為に動植物と喋れるようになった人間、活動範囲を広げようと水を自由に活動できるようになった人間……この上条約禁止をされた兵器も次々と使われ始めてたの……」
「……そんな中、私が作られた目的は、やはり戦争の為でしょうか？」
「そう、本当は嫌だけど貴方は敵地潜入型単独制圧兵器……無数の転送兵器を利用し一点突破を行うための兵器……」
「……なぜ、その様に悲しい声を出すのですか？ 兵器を兵器として作る事に何の悲しみが？」
「そうね、アレス……この戦争が今後どうなるか、貴方は解る？」

　唐突な質問だった。
　それも漠然とした、起動したてのAIであるアレスはその言葉に具体的な答えを持ち合わせてはいない。

「……わかりません、質問が漠然としすぎています」
「そうよね……うん、それでいいの。未来は不透明な事が多すぎるわ……でもね、そんな不透明な事でもわかる事はあるの……この世界は、うぅん。文明はもう直ぐ一度崩壊するわ」
「それは、どういう事でしょうか？ 私が起動するよりも前に文明が崩壊しては私が作られた意味がありません」
「そうね、でも日々人々は理性を失っているの道徳が狂った条約禁止兵器を使って……もう何ヶ月もすれば全世界で核兵器も使われるでしょうね。世界中にどれだけの核兵器があるのかはもう誰も解らない位世界中で核兵器が造られてるわ」
「……世界中の核を使用した場合人類、否生物がこの星に住むことが出来なくなります」
「そんな事を考えている人はもう居ないわ……あの国の人間を殺したい、それだけで生きてるの……アレス、貴方にはそんな殺し合いをして欲しくない」
「それは矛盾ですDr.ウェヌス、私は兵器として作られました。その私が戦争をしない等——」
「違うわ、私は貴方をそんな目的で作ったんじゃないの……アレスっていうのは、宇宙飛行士、平和、希望。そして捜す……Astronaut Peace Hope  Seek……この頭文字から取ったのよ……」
「……Dr.ウェヌス」
「貴方はスペック的には宇宙の活動も可能の予定よ……でも貴方を兵器になんてしない……貴方の最終調整を終えたら貴方を封印するわ」
「Dr.ウェヌス、それは軍の規定に逆らう事になります」
「いいの、いいのよ……どうせ遠くない未来に今の文明は滅びるもの……だから核兵器の影響がなくなった世界で、貴方は平和と希望を捜して欲しいの……この会話もきっとどこかで盗聴されてる……兵士が来ないのは貴方のボディを完成させるのが私しかいないから、ね……アレス、今はまだ眠っていて頂戴？ きっと次に目を覚ますのは平和な世界よ」
「……Dr.ウェヌス、最後に聞かせて下さい。貴女は、私をなぜ作ったのですか？」
「…………人間だからよ。最後くらい、自分の子供を後世に残したかったのよ」

　そう言いながらウェヌスはアレスの電源を落とす。
　アレスが知っているのはそこまでだった。