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初仕事5
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深夜、日付も代わり程なくした頃。
そこには誰の記憶にもない、何の記録にも残らない話があった。
手入れのされていない雑木林は天然の罠がそこら中に敷き詰められている。肌を裂く茂み、足を絡め取る雑草、ぬかるんだ泥の地面など、昼間でも薄暗い林は夜になれば大人でも用がなければ、いや用があっても延ばせるなら延ばしてしまう、聖域のような犯しがたい、人ならざるもののための場所であった。
初め、闇夜に浮くは一対の瞳であった。芯は黒く、周りは濃い茶、コンパスで切り抜いたように丸く白が漆黒によく映える。
その後ろ、先を行く双眸を追うように多数の緑色の目があった。数えることも億劫になるほどの一群は先頭に従っているのかゆっくりと、獲物を狙っているのか瞬き少なく見つめている。
眸の向かう先はいずこか、茂みをくぐり雑草を踏み越え、ぬかるみに足を取られながらもその歩が止まることはなく、やがて林を抜けることは自明であり、後ろ続く者達も一人としてはぐれることなく追従していた。
わずかに欠けた月夜が我が物顔で空を照らし、星々が彩りを添える、常闇の空を皿としたならば主菜と付け合せの野菜だろうか、目が痛くなるほどの黄色い月光に映し出されたのは少女と同じくらいの背丈の異形だった。
下着姿で全身に泥を被り、林の先にあったのは田園風景、山から落ちてきたまだ冷たい雪解け水が薄く張っただけ、青い若葉の存在がない泥水の中を少女はためらいもなく入水する。鋭利なナイフでめった刺しにされるような冷淡さをさほども気にせず、半身浴のように身を浸すと続いて異形の小人どもも後に続く。
その光景は宴のようであり、稚児の遊びのようでもあった。
翌朝、早くのことである。
ふたつ並んだ掛け布団は様々な形に姿を変えていた。ひとつはミノムシのように丸く太り、もうひとつは四十五度ほど傾いて、四方から人体の一部が飛び出していた。
外からは小鳥のさえずる歌が聞こえ、新しい日の訪れを告げるが、薄暮れの朝霧はまだ晴れるまで時間を要するようだ。安眠を妨害するものは何も無く、このまま日が高くなるを待つように思われたが、
「おーい、起きろ」
突如開いた襖に大きな掛け声、人を起こすには十分でまず目を覚ましたのは新堂だった。彼はゆっくり目を開くと、見知らぬ天井を見てからまた目を閉じる。直後布団を跳ね除けて起き上がり、
「お、おはようございます!」
正座をして土下座しそうな勢いで頭を下げていた。
今何時だよ……。
社会人となれば毎日、たとえ休日であろうとも普段起きる時間になれば自然と目が開くものである、そこから二度寝をするか否かは本人の裁量に任せるが、流石は老人、寝るのも早ければ起きるのも早く陽が昇ると同時に目を覚まし客を起こすことにためらいがない。
幸いなことに機嫌は悪くなさそうであることを声色から察して、新堂は横に目を向ける。何か入っているがすっぽりと布団に覆われているため中身までは確証を持てないそれに手を伸ばせば、しっかりとした抵抗の様子が見て取れる。これ以上力を入れると生地が痛むな、と引き剥がすのをやめて左右に揺すり始めた。
「夜め――舞、起きなさい、舞」
出かかった言葉を飲み込んで、言い直す。危ない、つかなくてもいい嘘がばれてしまえば蓮田の印象は急降下、事情に説明を求められ新堂ではろくに答えることもできない。軽い中身は想定以上に大きく揺れて、手の感触が触れているところが肩から背中の辺りだと告げていた。
しばらく続けていたが全く反応がない。と思いきやもぞもぞと布団の中で寝返るような動きの後、無人の枕に向かって主が顔を出す。
不機嫌に潰れた表情はまるで蛙のよう、思わず不細工と吹き出しそうになった新堂をきつく睨む目線があった。
「……おはよう、パパ」
「相変わらず寝ぼすけだな」
昨日の意趣返しと、知らない事実を捏造する。
怒りなどとは生ぬるいほど、牙を尖らせた笑みを浮かべる舞は身体を起こし、愛想笑いに切り替える。
「おはようございます、おじいちゃん」
「あぁ、よく眠れたかい?」
嫌味のようで、本人に全くその意思はないことがなおのことたち悪い、不自然なほど上機嫌であること不審感すら覚えるが、今はたたき起こされた殺意のほうが強い。
「……どうかしましたか?」
「朝飯の準備が出来たから呼びに来たんだ。お前さん達も仕事があるだろう、早いほうがいいと思ってな」
新堂の問いに返答はあるものの、理には叶っていないのでは無いだろうか、始業時間までまだ数時間、今も仕事中であるからサボりではなく朝礼までに帰る道理もないのだから。
などと考えても頷く以外の選択はなく、ありがとうございますと新堂は立ち上がる。しかし不意に鼻先に香る生水臭さというのだろうか、淀んだ池のような臭いに顔を顰め、その方向に顔を向ける。
……んん?
舞がいる、ただそれだけであり――
……いやないか。
鼻を鳴らしてすすると相変わらずの臭いだが、漏らしたような小便臭さではなく、つい成人ということを忘れがちになるその身長が悪いと結論づけ、居間に向かう蓮田の後を追った。
そこには誰の記憶にもない、何の記録にも残らない話があった。
手入れのされていない雑木林は天然の罠がそこら中に敷き詰められている。肌を裂く茂み、足を絡め取る雑草、ぬかるんだ泥の地面など、昼間でも薄暗い林は夜になれば大人でも用がなければ、いや用があっても延ばせるなら延ばしてしまう、聖域のような犯しがたい、人ならざるもののための場所であった。
初め、闇夜に浮くは一対の瞳であった。芯は黒く、周りは濃い茶、コンパスで切り抜いたように丸く白が漆黒によく映える。
その後ろ、先を行く双眸を追うように多数の緑色の目があった。数えることも億劫になるほどの一群は先頭に従っているのかゆっくりと、獲物を狙っているのか瞬き少なく見つめている。
眸の向かう先はいずこか、茂みをくぐり雑草を踏み越え、ぬかるみに足を取られながらもその歩が止まることはなく、やがて林を抜けることは自明であり、後ろ続く者達も一人としてはぐれることなく追従していた。
わずかに欠けた月夜が我が物顔で空を照らし、星々が彩りを添える、常闇の空を皿としたならば主菜と付け合せの野菜だろうか、目が痛くなるほどの黄色い月光に映し出されたのは少女と同じくらいの背丈の異形だった。
下着姿で全身に泥を被り、林の先にあったのは田園風景、山から落ちてきたまだ冷たい雪解け水が薄く張っただけ、青い若葉の存在がない泥水の中を少女はためらいもなく入水する。鋭利なナイフでめった刺しにされるような冷淡さをさほども気にせず、半身浴のように身を浸すと続いて異形の小人どもも後に続く。
その光景は宴のようであり、稚児の遊びのようでもあった。
翌朝、早くのことである。
ふたつ並んだ掛け布団は様々な形に姿を変えていた。ひとつはミノムシのように丸く太り、もうひとつは四十五度ほど傾いて、四方から人体の一部が飛び出していた。
外からは小鳥のさえずる歌が聞こえ、新しい日の訪れを告げるが、薄暮れの朝霧はまだ晴れるまで時間を要するようだ。安眠を妨害するものは何も無く、このまま日が高くなるを待つように思われたが、
「おーい、起きろ」
突如開いた襖に大きな掛け声、人を起こすには十分でまず目を覚ましたのは新堂だった。彼はゆっくり目を開くと、見知らぬ天井を見てからまた目を閉じる。直後布団を跳ね除けて起き上がり、
「お、おはようございます!」
正座をして土下座しそうな勢いで頭を下げていた。
今何時だよ……。
社会人となれば毎日、たとえ休日であろうとも普段起きる時間になれば自然と目が開くものである、そこから二度寝をするか否かは本人の裁量に任せるが、流石は老人、寝るのも早ければ起きるのも早く陽が昇ると同時に目を覚まし客を起こすことにためらいがない。
幸いなことに機嫌は悪くなさそうであることを声色から察して、新堂は横に目を向ける。何か入っているがすっぽりと布団に覆われているため中身までは確証を持てないそれに手を伸ばせば、しっかりとした抵抗の様子が見て取れる。これ以上力を入れると生地が痛むな、と引き剥がすのをやめて左右に揺すり始めた。
「夜め――舞、起きなさい、舞」
出かかった言葉を飲み込んで、言い直す。危ない、つかなくてもいい嘘がばれてしまえば蓮田の印象は急降下、事情に説明を求められ新堂ではろくに答えることもできない。軽い中身は想定以上に大きく揺れて、手の感触が触れているところが肩から背中の辺りだと告げていた。
しばらく続けていたが全く反応がない。と思いきやもぞもぞと布団の中で寝返るような動きの後、無人の枕に向かって主が顔を出す。
不機嫌に潰れた表情はまるで蛙のよう、思わず不細工と吹き出しそうになった新堂をきつく睨む目線があった。
「……おはよう、パパ」
「相変わらず寝ぼすけだな」
昨日の意趣返しと、知らない事実を捏造する。
怒りなどとは生ぬるいほど、牙を尖らせた笑みを浮かべる舞は身体を起こし、愛想笑いに切り替える。
「おはようございます、おじいちゃん」
「あぁ、よく眠れたかい?」
嫌味のようで、本人に全くその意思はないことがなおのことたち悪い、不自然なほど上機嫌であること不審感すら覚えるが、今はたたき起こされた殺意のほうが強い。
「……どうかしましたか?」
「朝飯の準備が出来たから呼びに来たんだ。お前さん達も仕事があるだろう、早いほうがいいと思ってな」
新堂の問いに返答はあるものの、理には叶っていないのでは無いだろうか、始業時間までまだ数時間、今も仕事中であるからサボりではなく朝礼までに帰る道理もないのだから。
などと考えても頷く以外の選択はなく、ありがとうございますと新堂は立ち上がる。しかし不意に鼻先に香る生水臭さというのだろうか、淀んだ池のような臭いに顔を顰め、その方向に顔を向ける。
……んん?
舞がいる、ただそれだけであり――
……いやないか。
鼻を鳴らしてすすると相変わらずの臭いだが、漏らしたような小便臭さではなく、つい成人ということを忘れがちになるその身長が悪いと結論づけ、居間に向かう蓮田の後を追った。
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