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舞が壊れた日8

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 それでも眉間から伝わる衝撃は消せなかったようで、怪物のあるかどうか分からない視線が辛に集中する。どうやら怒り狂わせることには成功したようだ。
 武器もなくなりあとは己の身体だけとなっても辛は恐れる気配もなくゆったりと構える。利き手を正眼に置き、反対の手は貫手の形で腰に添える。守り、反撃を得意とする辛ならではの構えだった。
 対して六波羅は利き手を下げて反対の手を前に出す攻撃的な構えを取る。背中合わせになる2人は絵になるが、美女と野獣と言うにはいささか暴力的だった。
「さっきのだが、もし貫通していたら近隣住宅に被害が出て始末書になってたぞ」
「今言います?」
「今言わなきゃ効果がないだろ」
 ふむと納得して辛が頷いた時、空が消える。日光を遮る怪物の手が頭上から振り下ろされ、2人は背中を押し合わせてその場から飛び退いていた。
「このっ!」
 散り際、踵を引っ掛けるように蹴りあげてみせるも、柔らかな肉が衝撃を吸収、無理な体勢からの攻撃はそもそも牽制程度の威力しかなく、蚊に刺されるよりも影響を及ぼさない。
 そこへ風切り音が頭上を通る。異常事態に反応したのは何も辛に限ったことでは無く、銃火器が法律上使用できないと言う建前を守るため、職員たちは和弓を持って矢を放つ。前線で戦う2人を避けるように飛来する矢の雨は、的が大きいこともあって面白いように当たっていた。しかし鈍器のように面でもなく刃物のように線でもない点での攻撃は、刺さりはするものの肉塊に吸い込まれてろくに出血すらさせることはなかった。
 その光景を見て辛はまずいと汗をにじませる。中途半端な攻撃は標的を変えるだけだ、広いグラウンドで羽虫のように対応するならばまだ被害は抑えられるが校舎を背にしている職員に逃げ場はないのだから。
 人材の損失は会社の損失、労災の支払いは会社の支払い、そこまで考えてようやく会社員として1人前になるのだから世知辛いものである。
 やらせないと辛は跳ぶ。狙いはここだと言うように怪物の腕を駆け上り、その顔を殴りつけようと拳を固めた時だった。
「辛さん、触れちゃダメ!」
 愛しい人の声に腕が止まる。代わりに顎を足蹴に体操選手よろしく空中で1回転して難なく着地する。
 振り返り、
「舞ちゃん、説明っ!」
 聞きたいこと全てを飲み込んで喫緊の問題だけに集中する。
 弓を構える集団、その隙間を縫うように飛び出した舞がいた。その後ろから続々と見知った顔が出てくるが今は関係ない、射殺すほど厳しい目で睨みつけるのはそうでもしないと舞はのほほんと語らない可能性があったからだ。
 しかし語ったところで別の問題が起こり得ることまでは想定できなかった。
「辛さん貧者の水使ってるから! そいつと同じだから吸収される可能性があるの!」
 言い切ってしまった、全員の時が凍りつく。それこそ怪物ですら挙動を停止させたかに見えるほど。
 急ぎ新堂が舞の口をふさぐも、もう遅い。今まで皆が隠してきた内容が一般職員にまで広く知れ渡ることとなっていた。
「あの子は……」
 辛が頭を抱えていた。それは彼女に限ったことではなく、遠く、怪物を挟んで向こう側にいる六波羅も呆れを通り越して息が枯れるほどに笑っていた。
「はぁ……」
 軽くため息が漏れる。もう言ってしまったことは覆らないのだ、今後の処理は上司がどうにかするだろうと邪念を振り切るように頭を振り、
「じゃあどうすればいいの!?」
「えっと……わかりません!」
 堂々と胸を張って答える舞の頭上に新堂の拳が突き刺さる。遠くからでも聞こえる派手な打撃音に自分の頭まで痛くなるようだった。
 その後、見るに堪えない罵倒が繰り広げられていたが辛には見る余裕などなかった。いや、そもそも余裕などあるはずがないのだ、怪物を駆除しない限りは。
「くっ……忌々しい!」
 雑に腕を振るう、ただそれだけで必殺になる怪物へ、触れられもしない辛はただ避けるしかなかった。靴越しなら問題ないことは証明済みであるため上着を脱いで手に巻き付けるも、攻撃力ががくっと下がっただけで状況は好転せず、辛は歯がゆさに奥歯を噛み締めていた。
 武器がない、弱点もわからない、手助けもない。ないない尽くしで逆に笑えてくる。怪物が地面を叩くたびに砂煙が舞い、口の中がじゃりじゃりと音を立てる。不快不愉快、それでも辛が足を止める理由にはならなかった。
 なぜなら。
「まだ!?」
 舞なら、きっとこの状況を打破する方法を思いつくと信じていたからだ。
 急かされ、腕を組む少女に視線が集まる。なんと無責任なことだろうか、それでも期待を背に必死で考えるが出ないものは出ないのだ。
 駄目そうだ、と諦観の雰囲気が辺りに充満する。低層のビルより高くなった肉塊を倒すにはそれこそ機関銃や無反動砲でも持ってこないと手のつけようがないが、そんなもの民間企業が持っているはずもない。原始的な武器で立ち向かうことを余儀なくされた現実に誰かが呟いた。
「神様でもなんでもいいから助けてくれよ……」
 困ったときの神頼りとはよく言ったもの。だが、こうも希望が見えなければ仕方がないのだろう。
 そして、その願いは当然神という不確定の存在に届くことはなく、その代わり、
「……あ、その手があったね」
 小悪魔のような笑みを浮かべる少女に拾われていた。
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