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実働1部8
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「……すまない」
椅子に座り、頭に濡れたタオルを置いた六波羅が小さく呟いていた。
失神した彼を3人でどうにか椅子に座らせたのが今の状況だ。まだ彼の口から何も聞いていなかった。
まだ体調が悪いようで顔色は白い。原因次第では今すぐ病院に連れていくべきなのだろうがそうできない理由があった。
実働1部の部長、その肩書きが邪魔をしていた。もし救急車など呼べば社内に激震が走る。人間なのだから体調が悪くなることも老いることも当然あるが、まだ若い会社故に屋台骨が揺らぐことは避けねばならない。
場合によってはこのことに箝口令を敷く必要すらある。新堂はいまだ弱々しく胸を上下させている六波羅へ質問する。
「いやいいんですけど、大丈夫なんですか?」
「……薬師丸先輩のことを知ってるなら隠しても無駄か。情けない話だがトラウマなんだ」
……わお。
その巨体に似つかわしくない言葉が飛び出す。人を率いるということは本人に能力ないしは魅力が必要だ。そのどちらも兼ね備えている彼から出た言葉にしては頼りない。
あれだけ威圧的だった存在もこうなってしまえば枯れ木の老人のよう。言葉を選びあぐねていると、右膝の近くに居た舞が1歩進む。
「やーさんに酷いことされたなら後で制裁食らわせときますよ?」
気安い口調に馬鹿やめろと口を開く。その前に六波羅が見たことの無い笑みを零し、
「いや……頼みたいところだがあとが怖いから大丈夫だ」
また誰にも聞かせられない情けない言葉が飛び出す。
そして、彼は胸の熱を吐き出して新堂へ顔を向ける。
「新堂は後発組だから知らんだろうがうちの会社の前身、東京都遺跡調査協会の頃の話でな」
「俺の入社が5年前だから……6年前くらいですか」
「ああそうだな。その頃はノウハウなんか何にもなくて何もかもがトライアンドエラーの繰り返しだった。まぁ流石にいつまでもそれじゃ示しがつかないから外部の協力をお願いしたんだよ」
「それが薬師丸さんだと」
六波羅は軽く頷く。
「ダンジョンが出来た時から潜ってるハンターだからな。それからはとにかく毎日ダンジョンに入ってた。両手じゃ効かないくらい死にそうになって、それでも先輩が後ろにいるから撤退も出来ねぇから、無理でも何でも前に進むしかなかったんだ」
「それで――」
言い切る前に首を横に振られてしまう。
「言っちゃなんだがそれくらい慣れないと実働1部じゃやって行けねえ。問題はその後だ」
と言うと六波羅は一息置く。記憶を手繰り寄せ、ここからが本題とでも言うように。
「ある日先輩はダンジョン攻略中ヘトヘトになった俺たちを狭い部屋に閉じ込めたんだ。そしてそこで火をおこした」
「ダンジョンの中で?」
ありえない、と新堂は声をうわずらせる。
外部から切り崩せないというダンジョンの特性は転じて内部の空気も抜けるところがないということだった。坑道と同じく換気が悪いため無闇に火を焚くことは酸欠の恐れがある。それを小部屋で行うことはただの自殺行為に過ぎなかった。
そんな常識を専業ハンターが知らないはずもなく、疑問を口にする前よりも早く六波羅が続ける。
「あぁ、死ぬかと思ったけどその時は止める気力もなくて。それからだ、何か葉っぱみたいなものを大量にくべた後意識が馬鹿みたいに冴え出したのは」
……ん?
どこかで聞いた話に舞を見る。彼女は素知らぬ顔をして天井を眺めていた。
……どうすんだよ。
六波羅のトラウマの原因は間違いなく舞が製造しているたばこ葉だ。いまだ製造方法を教えてくれないあれには麻薬なんてかわいく見えるほどの効能がある。
まず大変味がいい。そして葉っぱから抽出される成分を身体に取り込むと、神経が鋭敏になり時間が遅くなったと錯覚するほど思考が回るようになる。さらに味がいい。
加速する感覚も慣れるまでは乗り物酔いのような感覚に陥るが、ただそれだけだ。3日も常飲していれば不快な感覚はなくなり甘美な味を楽しめるようになる。
また切らしても中毒症状などは現れない。せいぜい口さみしく感じる程度だ。煙草という形以外にも水に溶かして飲むことでも同様の効果が得られるが、その際非常にえぐみが出るため進められるものではなかった。
ただあのたばこ葉に人を害する要素はない。子供のように怯える六波羅の姿との接点が見えず、新堂はようやく口を挟む。
「疲れが取れたんですよね? 状況次第では助かったんじゃないですか?」
「そうだな、あぁそうさ。だからその後も薬漬けで何度もアタックさせられたよ。人間の心ってな、あんなにも簡単に壊れるもんだなんてそこで初めて知ったんだ。幾つも成功体験を積み上げるうちに増長していく同期を見るのが辛かった。普段ならかからないような罠にかかったり、引き際を誤ったり。結局今生きてるのは俺と先輩だけになっちまったよ」
「……舞」
「んなこと私に言われても」
お門違いであることはわかっていても新堂は咎めるような目で見つめる。
わからないでもない。まだダンジョンというものがなんなのか理解が浅い時代、世界の問題に対して先陣を切っているという高揚感は計り知れないものだ。人は後からなら後悔出来る生き物だが、なかなか先に予防線を張ることは難しい。
それでも製造元として良心の呵責はないのかと目配せするが、舞はつまらなそうに口元をゆがめていた。
それどころか、
「気質でしょ。ただモンスターに嬲り殺される未来もあったけど、それをドーピングして回避出来た。それでよかったじゃん。その後の責任取れなんてねぇ……全員死んでるならまだしも生き残っている人がいるならただ健康を害するものじゃないってことだし」
「人が死んでるんだ、そういう言い草はないだろ」
「だから? 私はい号で100人以上の家族を切り捨てて生きてきたの。数の多寡なら負けないわよ」
そう言って舞はふんと鼻を鳴らす。口の減らなさはいつも通りだが、
……その話どこまでしていい話なんだよ。
舞の保護者2人が何かを隠そうとしていることは知っている。だから直接ではなく迂遠な方法で調査を依頼してるのだ。それが最低限の誠実さだと思って行動してる新堂の配慮を、ぶち壊す勢いで当の本人が暴露してしまうのだから気持ちの置き場に困ってしまう。
「なんの話をしているんだ?」
案の定、六波羅が気になってしまっていた。すこしづつ血色がよくなってきた顔に、舞は物怖じせず指を突き付ける。
「おっさんには関係の無いこと。だいたいね、いい大人が過ぎたことにうじうじうじうじ。臆病なのはいい事だけど、心が弱くなったら意味ないじゃん」
「舞!」
「何よ、言っとくけど他人事じゃないからね。で、その悩み事をやーさんにも相談したんでしょ。その時一蹴されたことをなんで私達に言うのよ。さっさと飲み込んで消化しなさい」
「すみません、こいつ人の感情ってもんが分からない奴で」
新堂は急ぎ頭を下げる。本当なら舞も頭を下げさせたいが椅子を挟んで向こう側にいるため手出しが出来なかった。
復調したら殺されるんじゃないかなと頭をよぎる。ここはさっさと退室しようとした新堂を止める者がいた。
「……なんか言ったらどうなの?」
舞だ。言い足りないのか、新堂の心労を犠牲にして叱るように聞いていた。
「……耳が痛いな」
「阿呆、そうじゃないでしょ。こういう時にやることは――」
……阿呆とか言うな!
心が参っているのか、六波羅は何も言わずに少女に目を向ける。その彼女は腰に手を置き、胸いっぱいに息を吸い込んで、
「――飲む打つ買うよ!」
意気揚々と言い切っていた。
椅子に座り、頭に濡れたタオルを置いた六波羅が小さく呟いていた。
失神した彼を3人でどうにか椅子に座らせたのが今の状況だ。まだ彼の口から何も聞いていなかった。
まだ体調が悪いようで顔色は白い。原因次第では今すぐ病院に連れていくべきなのだろうがそうできない理由があった。
実働1部の部長、その肩書きが邪魔をしていた。もし救急車など呼べば社内に激震が走る。人間なのだから体調が悪くなることも老いることも当然あるが、まだ若い会社故に屋台骨が揺らぐことは避けねばならない。
場合によってはこのことに箝口令を敷く必要すらある。新堂はいまだ弱々しく胸を上下させている六波羅へ質問する。
「いやいいんですけど、大丈夫なんですか?」
「……薬師丸先輩のことを知ってるなら隠しても無駄か。情けない話だがトラウマなんだ」
……わお。
その巨体に似つかわしくない言葉が飛び出す。人を率いるということは本人に能力ないしは魅力が必要だ。そのどちらも兼ね備えている彼から出た言葉にしては頼りない。
あれだけ威圧的だった存在もこうなってしまえば枯れ木の老人のよう。言葉を選びあぐねていると、右膝の近くに居た舞が1歩進む。
「やーさんに酷いことされたなら後で制裁食らわせときますよ?」
気安い口調に馬鹿やめろと口を開く。その前に六波羅が見たことの無い笑みを零し、
「いや……頼みたいところだがあとが怖いから大丈夫だ」
また誰にも聞かせられない情けない言葉が飛び出す。
そして、彼は胸の熱を吐き出して新堂へ顔を向ける。
「新堂は後発組だから知らんだろうがうちの会社の前身、東京都遺跡調査協会の頃の話でな」
「俺の入社が5年前だから……6年前くらいですか」
「ああそうだな。その頃はノウハウなんか何にもなくて何もかもがトライアンドエラーの繰り返しだった。まぁ流石にいつまでもそれじゃ示しがつかないから外部の協力をお願いしたんだよ」
「それが薬師丸さんだと」
六波羅は軽く頷く。
「ダンジョンが出来た時から潜ってるハンターだからな。それからはとにかく毎日ダンジョンに入ってた。両手じゃ効かないくらい死にそうになって、それでも先輩が後ろにいるから撤退も出来ねぇから、無理でも何でも前に進むしかなかったんだ」
「それで――」
言い切る前に首を横に振られてしまう。
「言っちゃなんだがそれくらい慣れないと実働1部じゃやって行けねえ。問題はその後だ」
と言うと六波羅は一息置く。記憶を手繰り寄せ、ここからが本題とでも言うように。
「ある日先輩はダンジョン攻略中ヘトヘトになった俺たちを狭い部屋に閉じ込めたんだ。そしてそこで火をおこした」
「ダンジョンの中で?」
ありえない、と新堂は声をうわずらせる。
外部から切り崩せないというダンジョンの特性は転じて内部の空気も抜けるところがないということだった。坑道と同じく換気が悪いため無闇に火を焚くことは酸欠の恐れがある。それを小部屋で行うことはただの自殺行為に過ぎなかった。
そんな常識を専業ハンターが知らないはずもなく、疑問を口にする前よりも早く六波羅が続ける。
「あぁ、死ぬかと思ったけどその時は止める気力もなくて。それからだ、何か葉っぱみたいなものを大量にくべた後意識が馬鹿みたいに冴え出したのは」
……ん?
どこかで聞いた話に舞を見る。彼女は素知らぬ顔をして天井を眺めていた。
……どうすんだよ。
六波羅のトラウマの原因は間違いなく舞が製造しているたばこ葉だ。いまだ製造方法を教えてくれないあれには麻薬なんてかわいく見えるほどの効能がある。
まず大変味がいい。そして葉っぱから抽出される成分を身体に取り込むと、神経が鋭敏になり時間が遅くなったと錯覚するほど思考が回るようになる。さらに味がいい。
加速する感覚も慣れるまでは乗り物酔いのような感覚に陥るが、ただそれだけだ。3日も常飲していれば不快な感覚はなくなり甘美な味を楽しめるようになる。
また切らしても中毒症状などは現れない。せいぜい口さみしく感じる程度だ。煙草という形以外にも水に溶かして飲むことでも同様の効果が得られるが、その際非常にえぐみが出るため進められるものではなかった。
ただあのたばこ葉に人を害する要素はない。子供のように怯える六波羅の姿との接点が見えず、新堂はようやく口を挟む。
「疲れが取れたんですよね? 状況次第では助かったんじゃないですか?」
「そうだな、あぁそうさ。だからその後も薬漬けで何度もアタックさせられたよ。人間の心ってな、あんなにも簡単に壊れるもんだなんてそこで初めて知ったんだ。幾つも成功体験を積み上げるうちに増長していく同期を見るのが辛かった。普段ならかからないような罠にかかったり、引き際を誤ったり。結局今生きてるのは俺と先輩だけになっちまったよ」
「……舞」
「んなこと私に言われても」
お門違いであることはわかっていても新堂は咎めるような目で見つめる。
わからないでもない。まだダンジョンというものがなんなのか理解が浅い時代、世界の問題に対して先陣を切っているという高揚感は計り知れないものだ。人は後からなら後悔出来る生き物だが、なかなか先に予防線を張ることは難しい。
それでも製造元として良心の呵責はないのかと目配せするが、舞はつまらなそうに口元をゆがめていた。
それどころか、
「気質でしょ。ただモンスターに嬲り殺される未来もあったけど、それをドーピングして回避出来た。それでよかったじゃん。その後の責任取れなんてねぇ……全員死んでるならまだしも生き残っている人がいるならただ健康を害するものじゃないってことだし」
「人が死んでるんだ、そういう言い草はないだろ」
「だから? 私はい号で100人以上の家族を切り捨てて生きてきたの。数の多寡なら負けないわよ」
そう言って舞はふんと鼻を鳴らす。口の減らなさはいつも通りだが、
……その話どこまでしていい話なんだよ。
舞の保護者2人が何かを隠そうとしていることは知っている。だから直接ではなく迂遠な方法で調査を依頼してるのだ。それが最低限の誠実さだと思って行動してる新堂の配慮を、ぶち壊す勢いで当の本人が暴露してしまうのだから気持ちの置き場に困ってしまう。
「なんの話をしているんだ?」
案の定、六波羅が気になってしまっていた。すこしづつ血色がよくなってきた顔に、舞は物怖じせず指を突き付ける。
「おっさんには関係の無いこと。だいたいね、いい大人が過ぎたことにうじうじうじうじ。臆病なのはいい事だけど、心が弱くなったら意味ないじゃん」
「舞!」
「何よ、言っとくけど他人事じゃないからね。で、その悩み事をやーさんにも相談したんでしょ。その時一蹴されたことをなんで私達に言うのよ。さっさと飲み込んで消化しなさい」
「すみません、こいつ人の感情ってもんが分からない奴で」
新堂は急ぎ頭を下げる。本当なら舞も頭を下げさせたいが椅子を挟んで向こう側にいるため手出しが出来なかった。
復調したら殺されるんじゃないかなと頭をよぎる。ここはさっさと退室しようとした新堂を止める者がいた。
「……なんか言ったらどうなの?」
舞だ。言い足りないのか、新堂の心労を犠牲にして叱るように聞いていた。
「……耳が痛いな」
「阿呆、そうじゃないでしょ。こういう時にやることは――」
……阿呆とか言うな!
心が参っているのか、六波羅は何も言わずに少女に目を向ける。その彼女は腰に手を置き、胸いっぱいに息を吸い込んで、
「――飲む打つ買うよ!」
意気揚々と言い切っていた。
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