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実働1部2
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早速集団に混じり訓練を、ということにはならなかった。
理由は2つ。既に入社から3ヶ月以上訓練している社員と足並みを揃えられるかが不明なこと。そして舞がどの程度身体を動かせるか数値化されていないことだ。
なのでまず体力測定から。筋力、走力、跳躍力に柔軟性。それを休憩無しで1時間回し、その後はまた最初から測定する。1周目で全力を出した舞の成績は当然下降し、どうにかやり終えた時には肩で息をする程だった。
動き始めて早3時間。測定の後ひたすらに走り込みをさせられていた舞は、どこからか聞こえる昼を告げるサイレンの音に合わせて、糸が切れた人形のように地面を転がっていた。
夏の厳しい日差しは運良く厚い雲に覆われて濃い灰色を落としている。雨の降りそうな重い湿気が肌に触れていた。
……ぐぇぇ。
ニコチンとタールで弱った肺が浅くしか呼吸をさせない。突き飛ばすような呼吸を繰り返す舞に1つ影が落ちた。
「おーい、生きてるか?」
のー……。
新堂の声に弱々しく手を振る。三十分ほど前までは滝のように吹き出していた汗も水分が枯渇したのか不快な粘り気だけ残して乾いてしまっていた。その代わり体内は焼却炉のように熱い。
虚ろな目をした舞を見下ろしながら、新堂は感心したように笑みを作っていた。
「なかなかいい成績じゃないか。これなら1部の奴らとも張り合えるな」
測定結果の書かれた紙が挟まれたバインダーを見せてくるが、鉛筆で書かれた文字は影になって見えない。仮に見えたとしても舞にはどうでもいいことだったが。
「……ず……みず……」
カラカラに乾いた喉が震え、必死の要求をする。そこへ、
「ほらよ」
「んんっ!?」
バシャリ、という音とともに水道から汲み出されたばかりの水が瀑布となって身体を湿らせていた。
視界から一瞬消えた新堂は空になったバケツを投げ捨て、
「体温下げないと熱中症で死ぬからな。ほら」
汗のかいたペットボトルを舞の目の前に掲げていた。
乱暴だと非難する前に手が伸びる。指から伝わる冷たさに欠けていたものが満たされる充足感を覚えていた。
だから、
「はぁ……良かった。おしるこじゃなくて」
奪い取りキャップを乱暴に開け、一息に飲み干した舞はつい口が軽くなっていた。
「あー、その手があったか」
新堂は眉間を押さえて仰け反る。ただ本気で悔しがっているようではなく、口の端が冗談めかして吊り上がっていた。
……も少し優しくしよっかな。
「こんなことして意味あるんですか?」
2本目のスポーツ飲料に口をつけながら舞が尋ねる。
基礎体力は何をするにしても大事なことは分かっていた。しかしそれは一朝一夕で身につくものではない。少なくともいきなり体力を空にするほど運動させてから訓練ですというのは非効率だし不満も溜まる。
それに対して、新堂はうむと頷き、
「あるしないとも言える」
「また面倒くさい言い回しして。カッコつけてるつもりですか」
おっと、言いすぎたなと舞は後悔するが、新堂は唇を尖らせ眉を下げていた。
「……いいじゃん別に。事実なんだから」
伝える気のない小さな声が愚痴をこぼす。悪いなと思いつつ、叱られた子供のようにしゅんとする態度に、
……全く、もう!
本当に手のかかると憤慨しながら立ち上がる。
うなだれる彼に、舞は無防備な背中を思いっきり平手打ちすると、はじけるような快音が空に響く。
「大人が拗ねるな、もう! で、なんですって?」
音だけは一丁前の張り手に新堂はいてぇと吐露する。痛くないでしょと脇をつつくと、諦めの色をしたため息を漏らして、
「……実働1部はダンジョンの奥へ奥へと進んで、必要があればコアまで破壊することがメインの業務なんだ。だから戦闘訓練を重視したい」
「したいってすればいいじゃないですか」
「そんなことしたら危ないだろ」
……はぁ。
真に迫った表情を新堂は浮かべていた。
それを舞は冷ややかな目で見つめ、
「危ないって……危ないことしてるんだから当たり前じゃないですか」
「違う、危ないのは教える側だ」
わかっていないなと新堂が首を振る。
……むぅ。
いつものことになったが根本的に舞は会社の実情を知らなすぎた。それが意思疎通に明確な影を落としていることがわかっていたが、壁へぶち当たる度に不愉快な思いをさせられることにいらだちを隠せなくなっていた。
仕方ないことだった。まだ入社して数か月、慣れるにしてもまだ時間が足りない。ただ情報に1人取り残されているのに誰も親切に教えてくれないのだ。
これは指導者の怠慢なのではと考えていると、新堂がいいか、と前置きし舞の思考を置き去りにする。
「万年人材不足のうちに入りたいと考えるような奴は今まで何かしらやらかしてきてんだ。それこそ履歴書なんかまともに読める方が珍しいくらいにな。そんな奴に武器なんて持たせてみろ、とち狂って何し出すかわかったもんじゃない。しかもそういう奴ほどすぐにダンジョンへ潜りたいだなんだと文句つけてくるから、まずは人の言うことを聞けるようになるまでひたすら走らせてるんだよ」
「は、はぁ……」
納得いかない感情が口から飛び出す。大人になってそんな奴しかいないなんてことないだろうとか、そもそも書類の段階で弾けよとか、言いたいことはあるが新堂の顔を見て止めていた。多分だけれどその答えを用意していて、ただ不機嫌にさせるだけだと察したからだ。
言うことが無くなり、舞が黙っているとその頭に温かい手が乗る。鬱陶しいと思いつつ払いのける気力のない舞へ、
「前にも言ったが皆が皆、自分と同水準だと考えていると苦労するぞ。世の中こんなとこも満足にできないのかって奴は幾らでもいるからな」
優しく諭すように新堂が言う。
「でもそれって威張って言うことじゃないですよね」
「言うな。俺にはともかく他の人事部の奴には絶対言うなよ」
「あ、はい……」
急に頭を強く掴まれ、舞は頷くことしかできなかった。
「それでも離職率上がってたらただの悪循環なんじゃ――」
「言うなって、刺さるんだよいちいち」
理由は2つ。既に入社から3ヶ月以上訓練している社員と足並みを揃えられるかが不明なこと。そして舞がどの程度身体を動かせるか数値化されていないことだ。
なのでまず体力測定から。筋力、走力、跳躍力に柔軟性。それを休憩無しで1時間回し、その後はまた最初から測定する。1周目で全力を出した舞の成績は当然下降し、どうにかやり終えた時には肩で息をする程だった。
動き始めて早3時間。測定の後ひたすらに走り込みをさせられていた舞は、どこからか聞こえる昼を告げるサイレンの音に合わせて、糸が切れた人形のように地面を転がっていた。
夏の厳しい日差しは運良く厚い雲に覆われて濃い灰色を落としている。雨の降りそうな重い湿気が肌に触れていた。
……ぐぇぇ。
ニコチンとタールで弱った肺が浅くしか呼吸をさせない。突き飛ばすような呼吸を繰り返す舞に1つ影が落ちた。
「おーい、生きてるか?」
のー……。
新堂の声に弱々しく手を振る。三十分ほど前までは滝のように吹き出していた汗も水分が枯渇したのか不快な粘り気だけ残して乾いてしまっていた。その代わり体内は焼却炉のように熱い。
虚ろな目をした舞を見下ろしながら、新堂は感心したように笑みを作っていた。
「なかなかいい成績じゃないか。これなら1部の奴らとも張り合えるな」
測定結果の書かれた紙が挟まれたバインダーを見せてくるが、鉛筆で書かれた文字は影になって見えない。仮に見えたとしても舞にはどうでもいいことだったが。
「……ず……みず……」
カラカラに乾いた喉が震え、必死の要求をする。そこへ、
「ほらよ」
「んんっ!?」
バシャリ、という音とともに水道から汲み出されたばかりの水が瀑布となって身体を湿らせていた。
視界から一瞬消えた新堂は空になったバケツを投げ捨て、
「体温下げないと熱中症で死ぬからな。ほら」
汗のかいたペットボトルを舞の目の前に掲げていた。
乱暴だと非難する前に手が伸びる。指から伝わる冷たさに欠けていたものが満たされる充足感を覚えていた。
だから、
「はぁ……良かった。おしるこじゃなくて」
奪い取りキャップを乱暴に開け、一息に飲み干した舞はつい口が軽くなっていた。
「あー、その手があったか」
新堂は眉間を押さえて仰け反る。ただ本気で悔しがっているようではなく、口の端が冗談めかして吊り上がっていた。
……も少し優しくしよっかな。
「こんなことして意味あるんですか?」
2本目のスポーツ飲料に口をつけながら舞が尋ねる。
基礎体力は何をするにしても大事なことは分かっていた。しかしそれは一朝一夕で身につくものではない。少なくともいきなり体力を空にするほど運動させてから訓練ですというのは非効率だし不満も溜まる。
それに対して、新堂はうむと頷き、
「あるしないとも言える」
「また面倒くさい言い回しして。カッコつけてるつもりですか」
おっと、言いすぎたなと舞は後悔するが、新堂は唇を尖らせ眉を下げていた。
「……いいじゃん別に。事実なんだから」
伝える気のない小さな声が愚痴をこぼす。悪いなと思いつつ、叱られた子供のようにしゅんとする態度に、
……全く、もう!
本当に手のかかると憤慨しながら立ち上がる。
うなだれる彼に、舞は無防備な背中を思いっきり平手打ちすると、はじけるような快音が空に響く。
「大人が拗ねるな、もう! で、なんですって?」
音だけは一丁前の張り手に新堂はいてぇと吐露する。痛くないでしょと脇をつつくと、諦めの色をしたため息を漏らして、
「……実働1部はダンジョンの奥へ奥へと進んで、必要があればコアまで破壊することがメインの業務なんだ。だから戦闘訓練を重視したい」
「したいってすればいいじゃないですか」
「そんなことしたら危ないだろ」
……はぁ。
真に迫った表情を新堂は浮かべていた。
それを舞は冷ややかな目で見つめ、
「危ないって……危ないことしてるんだから当たり前じゃないですか」
「違う、危ないのは教える側だ」
わかっていないなと新堂が首を振る。
……むぅ。
いつものことになったが根本的に舞は会社の実情を知らなすぎた。それが意思疎通に明確な影を落としていることがわかっていたが、壁へぶち当たる度に不愉快な思いをさせられることにいらだちを隠せなくなっていた。
仕方ないことだった。まだ入社して数か月、慣れるにしてもまだ時間が足りない。ただ情報に1人取り残されているのに誰も親切に教えてくれないのだ。
これは指導者の怠慢なのではと考えていると、新堂がいいか、と前置きし舞の思考を置き去りにする。
「万年人材不足のうちに入りたいと考えるような奴は今まで何かしらやらかしてきてんだ。それこそ履歴書なんかまともに読める方が珍しいくらいにな。そんな奴に武器なんて持たせてみろ、とち狂って何し出すかわかったもんじゃない。しかもそういう奴ほどすぐにダンジョンへ潜りたいだなんだと文句つけてくるから、まずは人の言うことを聞けるようになるまでひたすら走らせてるんだよ」
「は、はぁ……」
納得いかない感情が口から飛び出す。大人になってそんな奴しかいないなんてことないだろうとか、そもそも書類の段階で弾けよとか、言いたいことはあるが新堂の顔を見て止めていた。多分だけれどその答えを用意していて、ただ不機嫌にさせるだけだと察したからだ。
言うことが無くなり、舞が黙っているとその頭に温かい手が乗る。鬱陶しいと思いつつ払いのける気力のない舞へ、
「前にも言ったが皆が皆、自分と同水準だと考えていると苦労するぞ。世の中こんなとこも満足にできないのかって奴は幾らでもいるからな」
優しく諭すように新堂が言う。
「でもそれって威張って言うことじゃないですよね」
「言うな。俺にはともかく他の人事部の奴には絶対言うなよ」
「あ、はい……」
急に頭を強く掴まれ、舞は頷くことしかできなかった。
「それでも離職率上がってたらただの悪循環なんじゃ――」
「言うなって、刺さるんだよいちいち」
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