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広報部4

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「じゃあ作戦だけど」
 軽い口調で舞が言う。そしてその後ろを新堂が続く。それだけでなくぞろぞろと職員が列をなし、最後尾には見守るようにストーンゴーレムが歩いていた。一見すると遠足のように微笑ましい光景だったが先頭を行く舞以外の表情は固く引きつっている。
 夏の太陽は頂点から流れるように落ちていた。もう1時間もすれば空が赤に染まるだろう。地面からは焼けたアスファルトの臭いが立ち上り、歩く1団の額に汗を滲ませていた。
 ストーンゴーレムから発せられる足音に何事かと周囲から人が集まっている。列に加わらなかった職員が刺激しないようにと身体でバリケードを作るが、手に持った無数の目から逃げることは出来ずにいた。
 あるところまで歩いていた舞が、その歩を緩める。目的地が近いことを示していた。
 そこには蕎麦屋があった。行きの車窓から見えた店舗にはあったはずの暖簾のれんが片づけられ、引き戸には『準備中』の札がかけられている。だというのにかまう様子もなく舞が向かうところを新堂は手を掴んで止めさせていた。 
「ちょっと待て」
「なんですか、怖気づいたんですか?」
「普通にゴーレムが追ってきてるんだが」
「引き離さないようにしましたからね」
 そういうことをいってるんじゃないという顔をした新堂をよそに、舞は店の戸に手をかけていた。
 ガラガラと音を立てて外の風を取り込む。綺麗きれいに並んだテーブルの奥には仕込みをしているのだろうか、老夫婦らしき姿が目に映る。
「すみませーん」
 舞が声をあげる。奥に向かって飛んでいく音に1人の男性が顔をのぞかせていた。
 視線を下げ、無法の来訪者に向かって、
「なんだ、今は休憩中だよ」
「知ってまーす。ちょっとお願いがありまして」
 悪びれる様子もなく舞は踏み込む。それにならうように続々と人が入ってきていた。
 ……いい店だね。
 鼻をくすぐるのは甘い醤油しょうゆの香りだ。関東風の色の濃いつゆは空腹の胃を殴りつけるように暴力的だった。
 そういえば何も食べてないやと思いだす。本来ならイベントの最中に弁当があったが移動でつぶれ、炊き出しの後に食べるはずがモンスターの襲来でそれどころじゃなくなっていた。
 もちろん今も食べるわけにはいかない。舞はくぅと小さく悲鳴を上げるお腹をさすりながら、
「廃油ありますか? 全部欲しいんですけど」
 ためらうことなく要望を口にしていた。
 蕎麦屋なら天ぷらを揚げていることだろう。なら絶対に廃油が出るはずである。
 その発想から出た提案を聞いて、店主は首を横に振る。
「すまんな、業者へ渡すことになってるから上げられん」
 にべもなく断られ、背後に動揺が走る。勇んで誰かが口を開く前に舞は腰を曲げて礼をしていた。
「了解です。じゃあ次のお店へ交渉に行きましょうか」
 振り返ると頭1つ以上高い位置にある眼が舞を見つめていた。不安そうに潤む瞳は揺れ、先頭に立つ者が総意を代弁する。
「もう引き下がるのか?」
「えぇ。ここがストーンゴーレムにきつぶされようが私にはなんの関係もないですし」
 はっきりと声を張り上げて舞が言う。例え店の奥にいても聞こえるようにと。
「ちょ――」
「今度は御蕎麦食べに来ますね、その時まで店が残っていたらですけど」
 舞が手を振って店を出ようとする。竹林のように並んだ足を抜けようとしたとき、店全体が小さく震えだしていた。
 岩の魔人が近い。それを嫌というほどわかってしまった店主は、カウンターから身を乗り出していた。
 ……よしよし。
 背中を見せながら舞は醜い笑みを作る。今の法律では建物が破壊されれば賠償はされる。しかしだからいくら壊してくれてもいいという人間などいない。自分の店を構えているならなおのことだ。
「廃油だな、廃油があればどうにかしてくれるんだな!?」
 投げかけられた言葉に舞は足を止めていた。
 ゆっくりと振り返り、なんの感情も浮かばない笑みを顔に貼り付けて、
「えぇ。確証はできないですけど」
 事務的な返しに、新堂がため息をつく。
「お前なぁ……」
「本当のことでしょう? イレギュラーなんていくらでも起こりえるんですから」
 どこまでも現実的で、冷たい誠実さを告げる。
 そして、再度頭を下げた。先ほどよりも深く、膝をめるほどに。
「ご協力感謝します」



くぞ」
 新堂が指揮する言葉と同時に、並べられた一斗缶が一斉に蹴り転がされていた。
 市道を我が物顔で邁進まいしんするゴーレム。そこへ川のように黄ばんだ油が襲い掛かる。
 本当に効果があるのか。半信半疑のまま、その場にいた全員が行く末を見守っていた。
「――あっ」
 誰かが声を上げる。油を踏みつけたゴーレムが次の足を前に出していた。
 1歩、また1歩。アスファルトを砕きながら岩の巨神が太陽を背に全てを破壊しようと降臨する。
 不安に動揺が走る。糸が切れたようにざわめき出す職員たち。腕を組んで見守っていた舞の横で新堂がささやくように尋ねていた。
「……大丈夫なのか?」
「ダメかもしれないですね」
「えっ!?」
「いや昨日テレビ見てたんですよ。そしたら『汚男おとこパラダイス~冬の陣~極寒の雪土俵でローション相撲、ポロリもあるよハレンチなのは逝けません』って番組やってて。行けるかなぁって思いついたんですけどきついかぁ」
 いやー笑った笑ったと舞が感想を述べる。
 地獄絵図のような番組を放送するテレビ局とそれを楽しむ怪物に物申したい気持ちを抑え、
「……あの部屋にテレビなんかあったか?」
 まず今聞く必要のないことを新堂は口に出していた。
「何言ってるんです? 今どきスマホで見れるじゃないですか」
「そうか……そうだったな……」
 力無く相槌あいづちを打つ。今すぐそのテレビ局にゴーレムを突っ込ませた方が世のためになるのでは無いかと邪念が頭の中を渦巻いていた。
 その時、
「あっ」
 場違いな笑みを浮かべていた舞の喉から短い声が漏れる。前方に釘付くぎづけだった視線が揺れる。釣られるように新堂も前を向く。
 岩が宙を舞う。そんな非現実を網膜が捉えていた。
 ……わお。
 ゴーレムの踏み出した1歩は地面を捕まえられず前のめりに転んでいた。直後道路と激突した巨岩はつんざくような地響きをたてて動きを止める。
 ……やったか?
 油の池に身を浸すゴーレムを見て新堂はそう考えて、すぐにダメだと否定する。身体の半分を道路にめり込ませたゴーレムは、一瞬だけ静止した後起き上がるためにその手を地面に突き立てていた。
 ずるっ。
 ドシン。
 ……ずるっ。
 ……ドシン。
 油に滑り、壊れた機械のように起き上がろうとするがゴーレムはその度地面に落ちていく。その無情な姿を様子見していた新堂は哀愁すら感じていた。



 少し遅れて到着したバンから柄の長いハンマー、ツルハシを受け取った職員達が死に体のゴーレムにトドメを刺していく。
 死に際の悪あがきを警戒していたが四肢が砕かれるとその動きも悪くなる。周囲の石を集め時間経過で回復していく特性も、囲まれている状況ではなんの意味もなさなかった。
 背中の大岩を砕くと、そこは黒いスポンジ状の何かで埋め尽くされていた。人で言う筋肉と血管、そして神経の役割をはたしている、本体とも言える部位だ。
 そしてそのスポンジに守られている中心にコアがある。ガラス玉のように透き通ったそれは、ツルハシを突き立てただけでもろく崩れ落ちていた。
 コアが破壊されると緊張が解け、スポンジが溶け出す。支えられていた岩も重力に従い道路へ散乱するようになっていた。
 そして地獄の撤去作業が始まるのだ。
 業者に依頼すると産業廃棄物として有料での処分になるため自分たちで片付けなければならない。職員のほとんどが大きい岩を細かく砕き、ネコ一輪車に乗せてダンジョンへ廃棄する作業に専念していた。
 夕方とはいえ、季節は夏。ぬるい風では身体を冷やすことは出来ず、Tシャツの色が濃くなるほどの汗を飛ばしながら誰1人口を開かずに黙々と作業をしていた。カツンカツンと鉄工所のような音だけが辺りに充満する。そこへ女性陣が近づいてきていた。
 手には大きなビニール袋を両手に下げている。中に入っている缶やペットボトルが歪な凹凸を描いていた。
「お待たせしましたー。休憩しましょう」
 大声を張り上げるとともに、作業の手が止まる。近くにいた人から順に、水が滴るほど冷えた飲料が手渡されていた。
 ゴーレムの残骸の真ん中で作業していた新堂も手を止める。硬くなった腰を伸ばし、ハンマーを杖代わりにして緩く吹く風に身を預けていると、小学生ほどの小さな女児が足元に歩いてきていた。
 舞だ。ある意味で一番の功労者は手に納まりきらない小さなスチール缶を掲げていた。
「課長にはこちらを」
「おう、悪いな――あっつぅ!?」
 汗ばんだ手に伝わる業火のような熱に持ちあげた缶を放り投げる。からからと音を立てて転がる缶は、濃い赤紫のパッケージで、
『熱愛おしるこ。3時間経ってもアッツアツ』
 と書かれた白い文字が夕日に照らされていた。
 乾きひりつく喉が水分を欲してうなりを上げる。周囲の歓声がなおそれを助長させるが舞の手にはもう何も無かった。
「……嫌がらせか?」
 カサついた声が出る。新堂は泣きそうなほど目を弓なりに細め、唇を尖らせていた。
 しかし舞は気にする様子もなく、子供らしいいい笑顔で言う。
「この後怒られることが確定してるなら相手にとことんダメージを食らわせても誤差かなと」
 何の話だと頭をよぎり、そういえば後で殴ると言っていたことを思い出す。
 ……意外と根に持つタイプなのか。
 可愛らしい、いや可愛くない1面を見て、新堂は頭を下げていた。
「……頼む」
「はい?」
「頼むから冷えたお茶にしてくれ。まじで死ぬ」
「りょーかいです」
 朗らかに笑う舞は背中からびっしりと汗のかいたペットボトルを差し出していた。
 いい笑顔だな、ちくしょう。
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