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人事部2
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蛍光灯の下、長机が並ぶ大部屋に舞と新堂が居た。
「じゃあまずは研修ということで、新堂君よろしくね」
ぐだぐだな朝礼が終わり、部長の狂島はそう言って自分のデスクに戻っていた。
元々その予定だったのだろう、新堂はいくつかの書類が挟まったバインダーを手にすると、舞の前に立ち、
「今日からここが夜巡さんの机だから。荷物置いたら着いてきて」
「分かりました」
ごく一般的な応対の後、2人は連れ立って別室に向かっていた。
小学校だった頃の名残だろう、視聴覚室と書かれたプレートの下にある戸を開き、中に入る。カーテンは締め切られて怪しさをにじませる程度に薄暗い。そこに男女が二人っきりという状況は仕事でなければ余計な想像をさせることだろう。
「適当なところに座ってくれ」
明かりをつけた新堂が投げかける。舞は小さく首を動かして周囲を見てから、前から2番目の机に移動していた。
新雪の朝のように静まり返る部屋の中で、新堂の手元の音だけが大きく響く。小学校だった時から張り替えていない床は擦り切れたフェルトのような生地で覆われていて、接地した足を優しく押し返す。
「研修だが、最初の2時間は自習だ」
「自習……ですか」
教材の束が舞の前に置かれる。高さにしてライター1つ分。ジャンルごとにホッチキス止めされているようで、ずいぶんと読み応えがありそうだった。
「子供じゃないからな。1から全部教えるほどこっちだって暇じゃない。といっても隅から隅まで暗記しろなんて言わない、覚えてほしいところはマーカーしてあるから後は流し見しておいてくれ」
軽い様子で要点を伝えた新堂は背後にある大きなホワイトボードへマーカーを走らせる。小気味いい音を立てて書かれていくのは今日のスケジュール、自習が終われば昼休憩前に小テストの時間が設けられていた。
午後の予定まで書き終えて、新堂は筆を置く。午後からは他部署への挨拶回りが中心になるようで、そういえばと舞は頭を上げる。
「すみません」
「なんだ?」
「研修って私だけなんですか?」
机と椅子だけが並ぶがらんとした部屋に視線を投げかけて舞は言う。
就活中ホームページの企業概要を見た所、従業員の人数は500人程度。今年の新入社員が自分1人だとどうしても思えなかった。
それを聞いて新堂は疲れた顔にさらに疲労を乗せて、
「他の新人は別で受けるんだ」
「どうしてか聞いてもいいですか?」
「まぁ隠すことでもないしな。まともに話を聞けるやつが少ないからある程度教育してからにしてるんだ」
「どういう意味ですか?」
舞は疑問を投げつける。少なくとも相手は大人であるというのに新堂の言い回しは小学生を相手にするときのそれだった。
尋ねられ、しかし新堂は答えない。禁じられているわけでもなく、誰に配慮するわけでもない、ただ面倒くさそうに頭に手を添えて、
「いやでもわかるさ、そのうちな」
意味深な言葉を残して部屋を出ていってしまった。
……自分に酔ってる?
思わず舞はそう考えて、見なかったことにした。
世界で初めてダンジョンが発見されたのは10年前になる。場所は群馬県北部、青々とした田園風景は竹を割るように突如岩の山が出来上がった。
周囲を地震が襲い、最大震度は6弱を記録。震源地には一軒の住宅があったが、警察消防が駆け付けた時には周囲に柱や瓦屋根の残骸だけが散らばっている状況だった。
その家には4人の家族が住んでいた。両親と子供2人、生存は絶望的だった。それに拍車をかけたのが突然出来た岩山を掘り返そうにも、既存の重機では傷1つ、小石1つ避けることすらできなかったからだ。
岩山に、誘うように開いた大穴。周囲は立ち入り禁止となり、自衛隊が救助のために乗り込む。そこからが地獄の始まりだった。
現れたのは子供にも、猿にも見える異形の生物、巨大な粘液、動く岩、人よりも大きな蝙蝠など。それらが人を積極的に襲いかかるのだ。救助活動のためまともな武器を携帯せずに突入した自衛隊は負傷者を多数出し撤退を余儀なくされた。
その数日後、新たなダンジョンが発見され、群馬のダンジョンに目を向けるものはいなくなっていた。アメリカ、ニューヨークの中心地に出現したダンジョンにより周囲のビルは倒壊、地中に埋まっていたライフラインは軒並み断絶。死傷者数万人、被害総額は数兆ドルという未曽有の大災害の前では一家4人程度の被害はすぐに埋もれてしまっていた。
それ以降も雨後の筍のように世界中で出現するダンジョンの影響で地価は暴落、引っ張られるように株価、通貨価値も下落した。異常事態に各国もすぐさま経済対策を講じたがいまだに以前の水準まで戻っていない。
ダンジョンクライシス。今や教科書にすら掲載される世界規模の災害は終着点すら見えていない。そもそもダンジョンが出来るメカニズムすら不明なのだ。災害なのか人災なのか、その議論でさえもまだ続いていた。
以降10年間、人々は生まれるダンジョンに怯えて生活してきた、訳では無い。むしろその恩恵を得るために模索している所だった。
未知の金属や素材、新たな技術。それらを手にすれば一躍大金を稼げるということもあり、貧する者から富める者まで躍起になってダンジョンへ殺到した。もちろん全てが全て上手くいくはずもないが、少なくない人数が夢を叶えたために、希望の熱気は加速してとどまるところを知らなかった。
数多の屍を築き上げたダンジョンへ人々は今日も挑戦する。新たな産業の1つとして。
「はぁ……」
テキストを読んで舞は大きなあくびを、はばかることなく口を開けていた。
あほらし……。
読んだ感想はそんなものだった。内容は小学生の教科書と殆ど変わらない。言わば広く広まっている常識だ。
そしてそれがただの欺瞞であることを舞は知っていた。
ダンジョンが関係する死者は年々増加している。中にいるモンスターや罠にかかり命を落とす以外にも、殺人目的で連れ去られダンジョンに処理されるケースだって少なくない。
それが続けば出てくるのがダンジョン反対派の団体や政治家だ。犯罪の温床になり得るのなら完全に出入りを禁止する、もしくはダンジョン自体を破壊すべきと声を上げることも当然だった。
しかし未だダンジョンは閉鎖されていない。理由は2つ。1つはダンジョンを完全に閉鎖するとアリの巣のように別の箇所に出入り口が生まれ、放置していると中からモンスターが湧いて出てくるからだ。それも年月を重ねる毎により強力になって。
回避するにはダンジョンコアと呼ばれる宝石のようなものを砕くしかなく、産まれたばかりの小さなダンジョンならまだしもそこそこ大きなダンジョンではコアを守るモンスターが多すぎて難易度が跳ね上がる。最初期に発生したダンジョンはそれを知らずにいたため大型ダンジョンとして未だ残り続けていることが何よりの証拠だった。
もう1つ、これは日本に限ったことなのだが、私有地に発生したダンジョンの権利はその土地の所有者にあるということだった。ダンジョンが出来たからと言って許可なく勝手に入ることは叶わず、コアも破壊してはいけない。不法侵入と器物損壊、現行の法律がダンジョンの閉鎖を妨げていた。
だからダンジョンは金になるという情報を政府は止めていないのだ。ダンジョンの所有者に門戸を開かさせ、間引きを外部から呼び寄せる。管理が面倒と感じさせコアを破壊する依頼を出させる。個人の自由を最大まで尊重し、古臭い法律に準じた形で共存するにはそれ以外方法がなかった。
確かに一攫千金の夢はある。それ以上にダンジョンには政治と金が絡み合う、いつもの日本だった。
「じゃあまずは研修ということで、新堂君よろしくね」
ぐだぐだな朝礼が終わり、部長の狂島はそう言って自分のデスクに戻っていた。
元々その予定だったのだろう、新堂はいくつかの書類が挟まったバインダーを手にすると、舞の前に立ち、
「今日からここが夜巡さんの机だから。荷物置いたら着いてきて」
「分かりました」
ごく一般的な応対の後、2人は連れ立って別室に向かっていた。
小学校だった頃の名残だろう、視聴覚室と書かれたプレートの下にある戸を開き、中に入る。カーテンは締め切られて怪しさをにじませる程度に薄暗い。そこに男女が二人っきりという状況は仕事でなければ余計な想像をさせることだろう。
「適当なところに座ってくれ」
明かりをつけた新堂が投げかける。舞は小さく首を動かして周囲を見てから、前から2番目の机に移動していた。
新雪の朝のように静まり返る部屋の中で、新堂の手元の音だけが大きく響く。小学校だった時から張り替えていない床は擦り切れたフェルトのような生地で覆われていて、接地した足を優しく押し返す。
「研修だが、最初の2時間は自習だ」
「自習……ですか」
教材の束が舞の前に置かれる。高さにしてライター1つ分。ジャンルごとにホッチキス止めされているようで、ずいぶんと読み応えがありそうだった。
「子供じゃないからな。1から全部教えるほどこっちだって暇じゃない。といっても隅から隅まで暗記しろなんて言わない、覚えてほしいところはマーカーしてあるから後は流し見しておいてくれ」
軽い様子で要点を伝えた新堂は背後にある大きなホワイトボードへマーカーを走らせる。小気味いい音を立てて書かれていくのは今日のスケジュール、自習が終われば昼休憩前に小テストの時間が設けられていた。
午後の予定まで書き終えて、新堂は筆を置く。午後からは他部署への挨拶回りが中心になるようで、そういえばと舞は頭を上げる。
「すみません」
「なんだ?」
「研修って私だけなんですか?」
机と椅子だけが並ぶがらんとした部屋に視線を投げかけて舞は言う。
就活中ホームページの企業概要を見た所、従業員の人数は500人程度。今年の新入社員が自分1人だとどうしても思えなかった。
それを聞いて新堂は疲れた顔にさらに疲労を乗せて、
「他の新人は別で受けるんだ」
「どうしてか聞いてもいいですか?」
「まぁ隠すことでもないしな。まともに話を聞けるやつが少ないからある程度教育してからにしてるんだ」
「どういう意味ですか?」
舞は疑問を投げつける。少なくとも相手は大人であるというのに新堂の言い回しは小学生を相手にするときのそれだった。
尋ねられ、しかし新堂は答えない。禁じられているわけでもなく、誰に配慮するわけでもない、ただ面倒くさそうに頭に手を添えて、
「いやでもわかるさ、そのうちな」
意味深な言葉を残して部屋を出ていってしまった。
……自分に酔ってる?
思わず舞はそう考えて、見なかったことにした。
世界で初めてダンジョンが発見されたのは10年前になる。場所は群馬県北部、青々とした田園風景は竹を割るように突如岩の山が出来上がった。
周囲を地震が襲い、最大震度は6弱を記録。震源地には一軒の住宅があったが、警察消防が駆け付けた時には周囲に柱や瓦屋根の残骸だけが散らばっている状況だった。
その家には4人の家族が住んでいた。両親と子供2人、生存は絶望的だった。それに拍車をかけたのが突然出来た岩山を掘り返そうにも、既存の重機では傷1つ、小石1つ避けることすらできなかったからだ。
岩山に、誘うように開いた大穴。周囲は立ち入り禁止となり、自衛隊が救助のために乗り込む。そこからが地獄の始まりだった。
現れたのは子供にも、猿にも見える異形の生物、巨大な粘液、動く岩、人よりも大きな蝙蝠など。それらが人を積極的に襲いかかるのだ。救助活動のためまともな武器を携帯せずに突入した自衛隊は負傷者を多数出し撤退を余儀なくされた。
その数日後、新たなダンジョンが発見され、群馬のダンジョンに目を向けるものはいなくなっていた。アメリカ、ニューヨークの中心地に出現したダンジョンにより周囲のビルは倒壊、地中に埋まっていたライフラインは軒並み断絶。死傷者数万人、被害総額は数兆ドルという未曽有の大災害の前では一家4人程度の被害はすぐに埋もれてしまっていた。
それ以降も雨後の筍のように世界中で出現するダンジョンの影響で地価は暴落、引っ張られるように株価、通貨価値も下落した。異常事態に各国もすぐさま経済対策を講じたがいまだに以前の水準まで戻っていない。
ダンジョンクライシス。今や教科書にすら掲載される世界規模の災害は終着点すら見えていない。そもそもダンジョンが出来るメカニズムすら不明なのだ。災害なのか人災なのか、その議論でさえもまだ続いていた。
以降10年間、人々は生まれるダンジョンに怯えて生活してきた、訳では無い。むしろその恩恵を得るために模索している所だった。
未知の金属や素材、新たな技術。それらを手にすれば一躍大金を稼げるということもあり、貧する者から富める者まで躍起になってダンジョンへ殺到した。もちろん全てが全て上手くいくはずもないが、少なくない人数が夢を叶えたために、希望の熱気は加速してとどまるところを知らなかった。
数多の屍を築き上げたダンジョンへ人々は今日も挑戦する。新たな産業の1つとして。
「はぁ……」
テキストを読んで舞は大きなあくびを、はばかることなく口を開けていた。
あほらし……。
読んだ感想はそんなものだった。内容は小学生の教科書と殆ど変わらない。言わば広く広まっている常識だ。
そしてそれがただの欺瞞であることを舞は知っていた。
ダンジョンが関係する死者は年々増加している。中にいるモンスターや罠にかかり命を落とす以外にも、殺人目的で連れ去られダンジョンに処理されるケースだって少なくない。
それが続けば出てくるのがダンジョン反対派の団体や政治家だ。犯罪の温床になり得るのなら完全に出入りを禁止する、もしくはダンジョン自体を破壊すべきと声を上げることも当然だった。
しかし未だダンジョンは閉鎖されていない。理由は2つ。1つはダンジョンを完全に閉鎖するとアリの巣のように別の箇所に出入り口が生まれ、放置していると中からモンスターが湧いて出てくるからだ。それも年月を重ねる毎により強力になって。
回避するにはダンジョンコアと呼ばれる宝石のようなものを砕くしかなく、産まれたばかりの小さなダンジョンならまだしもそこそこ大きなダンジョンではコアを守るモンスターが多すぎて難易度が跳ね上がる。最初期に発生したダンジョンはそれを知らずにいたため大型ダンジョンとして未だ残り続けていることが何よりの証拠だった。
もう1つ、これは日本に限ったことなのだが、私有地に発生したダンジョンの権利はその土地の所有者にあるということだった。ダンジョンが出来たからと言って許可なく勝手に入ることは叶わず、コアも破壊してはいけない。不法侵入と器物損壊、現行の法律がダンジョンの閉鎖を妨げていた。
だからダンジョンは金になるという情報を政府は止めていないのだ。ダンジョンの所有者に門戸を開かさせ、間引きを外部から呼び寄せる。管理が面倒と感じさせコアを破壊する依頼を出させる。個人の自由を最大まで尊重し、古臭い法律に準じた形で共存するにはそれ以外方法がなかった。
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