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第6話 魔王城での生活

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 ミサが魔王城に来てから一週間ほどが経過していた。
 魔王城で働くものは多い。建物自体が大きく、維持するハウスキーパーだけでもミサの村の人ほどいた。
 廊下ですれ違うたびにされる怪訝な目は慣れたもの。陰口程度ならかわいいほうで、基本は徹底した無視だ。
 ハウスキーパーは時間をずらして食堂で三食食事をとる。来賓ではないミサも同様にそこで食事することになっていたが、あまりに向けられる目が多く、三日目には自室に持っていくようになった。
 ただひとつ、肉体的な接触だけは一切なかった。魔王ヘルマンが連れてきた、認めているというだけで十分に守られていたのだ。
 居心地は悪いが、その程度でミサは下を向くことはなかった。
 ……慣れって怖いわ。
 思いだしていたのは村でのこと。
 あの時も同じような感じだった。原因は――。

「農家だねぇ」

 中庭で作業中、後ろから降り注いだ声に考え事をしていたミサは頭を真っ白にして立ち上がる。
 ルーサーだ。相変わらず裏のある笑みを浮かべて木陰からミサを見つめていた。
 神出鬼没にも慣れてしまった。初めの頃の初々しい反応が無くなり、途端につまらないという表情を浮かべるルーサーにミサは膝に着いた土を払いながら頭を下げる。
 魔王城から支給された普段着ではなく、村で来ていた麻の服だ。汚しても構わないものはそれしかもっていなかった。

「付き合っていただかなくとも大丈夫なのですけど」

「あのさ、一応俺監視役なんだけど」

「でも見ていてもつまらないでしょうし」

「それはそう」

 ルーサーは正直に答える。
 棘のある言い方だが、ミサにとってはむしろ心地よかった。真正面から言われるほうがこそこそとされるよりもわかりやすい。
 それに、
 ……本当に、不器用で優しい人。
 あの日以来滅多に会えないヘルマンと違い、ルーサーとはよく出会っていた。監視しているのだから当然なのだろうが、嫌がらせを受けるたびにちょうど姿を現すため、被害が大きくなっていないのだ。
 以前に感謝の意を述べたミサに、ルーサーは軽い怒気を込めて勘違いするなと怒鳴っていた。それもまた照れ隠しだと察し、それ以上そのことを追及したりはしていない。
 代わりに微笑を投げかけてミサはルーサーに背を向ける。
 目の前に広がるのは銀蝶蘭の花。昼間は純白の花弁は、いまだ大半が散らずに咲いていた。

「綺麗……」

 感嘆の声が漏れる。
 銀蝶蘭は自然にもよく自生している花だ。しかし人の手がなくてはここまで華麗に咲くことはなく、不揃いな黄色味かかった花がところどころ腫瘍のように咲くだけだった。

「凄く丁寧にお世話されているのですね」

「仕事だからだろ。そうだ、焼き尽くしてみるか?」

「駄目ですよ。庭師の方が困ってしまいます」

「困った顔が見たいんだよ」

 冗談か、冗談じゃないのか。やるといったら本当にやりそうな態度にミサは眉を真ん中に寄せていた。

「……今私が困ってます」




「……今私が困ってます」

 ミサの言葉にルーサーはため息をつく。
 ……やりにくい。
 怒るように誘導しているのに田舎の小娘は乗らずに諫めてくる。意固地になればなるだけ恥を重ねるだけと考えるとやる気も萎えてくる。

「そういうのじゃないから」

「では少しお話しませんか?」

 すぐに顔をほころばせたミサが言う。
 ルーサーは言葉を失う。ここ数日で扱いが上手くなったミサに、無理に言葉を重ねるほうが悪手だと考えていた。
 何をと、絞り出した言葉にミサはんっと、喉を鳴らして見返していた。

「殿下と陛下は御兄弟なのですよね?」

「そうだけど血の繋がりとかはないよ」

「そうなのですか?」

「俺たちは濃い魔力溜りが形を作って生まれるからね。滅多に生まれることもないし老いも病もない。ただ赤の他人よりは兄弟ってことにしといた方が皆も受け入れやすいってこと」

「老いも病も……」

「羨ましい?」

 ルーサーは問う。
 外傷がない限り永遠の命。羨むものも多い。目の前の彼女がどう答えるのか、考えただけで口角が上がる。
 しばらく考えるように視線を地面に落としていたミサは、顔を上げるとゆっくりと横に振る。
 そして、言葉を選びながらたどたどしく口を開いた。

「子供の頃、冬に朝起きて広がる白銀の感動が大人になると億劫に感じるのです。あの人にはそれすらないのですね」

「雪が億劫なのは一緒だろ?」

 魔王だろうが人間だろうが、それは変わらない。積った雪の除去と身を縛るような寒さに違いはないのだ。
 そう言うとミサは朝もやの中の陽のように柔らかく笑っていた。その奥には若干の憂いが見えて、それがルーサーの心の中を妙に刺激させる。

「殿下」

 小汚い女が言う。

「私でよろしければいつでも遊び相手になりますよ」

 ……なんだこいつ。
 ルーサーはわざと視線を逸らしていた。直視したら飲まれそうだという危惧があった。

「……そんな簡単に言っていいのかな。どうなるかわかんないよ」

「殿下にも感謝しているのです。あの日、あの天幕の中で話を聞いていただいたこと。すぐに追い出されていたら今の私はいなかったのですから」

「気まぐれさ。気にすることでもない」

「それでも、です。私が何を出来るわけではないですけれど――」

 言葉が止んだ。
 ルーサーが視線を戻すとすぐ目の前までミサが来ていた。
 思わず後ずさりしそうになるのをぐっとこらえる。その代わりに強張った身体をミサに抱かれていた。
 胸に彼女の顔が押し当てられて、腰へ回った腕が繋ぎとめるように固く結ばれる。
 ……熱い。

「……なにしてんのさ」

 恥ずかしいほど声が震えている。

「寂しさを紛らわせるなら、こうするのが一番ですから」

「言ってる意味が分かんないし」

「実は私も上手くわかっていないんです。ただなんとなく、認めてあげたいんです」

「認めるって、何を――」

「弱さを」

 ミサが食い気味に言う。
 ふざけるなと、押し返そうとした腕が空を切る。
 魔人であり、魔王の弟が弱い。不敬にもほどがある行為だ。このまま斬り殺されても文句は言えない。
 浮かんでくる言葉は霧散して、ルーサーの口からはかすれた息ばかりが飛び出ていた。
 ……あぁ、こんな女に力を与えた女神も馬鹿だなぁ。
 ルーサーは空を見上げる。まだ月は出ていなかった。



 ヘルマンがいるのは見張塔を除いた魔王城の最上階にある執務室だ。
 日々、積み上げられる書類にひとつひとつ目を通し、可否の判を押していく。単調な作業だが平時の大半はその作業で終わっていた。
 極論を言えば睡眠や食事は必要のない身体は機械のようにとめどなく動く。行政の歯車としてはこれ以上ない利点でもあった。
 ヘルマン以外誰もいない部屋で、ふと羽ペンを置く。窓から差し込む月明りはゲーテのもので、間もなく陽が昇るかという時間だった。

「最近はどうだ」

 ヘルマンは虚空へ向かって話しかける。
 誰もいない。しかし一呼吸置いて応答が返ってくる。

「どうって?」

「わかっている質問を返すな。ミサのことだ」

「へぇ」

 部屋の隅、陰っている場所から現れたルーサーが挑発的な笑みを向けていた。
 影に隠れ、移動できる魔法だった。主にヘルマンの影に忍ぶ彼へ、最近ではミサに着くように指示をしていた。
 ヘルマンはもの言いたげにしているルーサーになんだ、と強い視線を向ける。

「いや名前で呼ぶんだってね」

「名前で呼ぶことの何が変なのだ?」

「別にぃ」

 ……意味が分からんな。
 昔からそうだった。百年以上年をあけて生まれた同種族を理解できたことはない。邪魔になることだけはしてこなかったので些事かと切り捨てていたことが、今になって気にかかる。
 村から連れてきた勇者の女について、他に聞けるものなど、エンオウを除いていなかった。そのエンオウですら極力距離を取るほどに人族と魔族の溝は深いことを示していた。
 ……不自由していなければいいが。
 今のところ何をさせるでもない、宙ぶらりん。城内の魔族への不満も溜まっている。いっそのこと勇者であると言えれば楽だがと考えて、ないなと内心で首を振る。
 その時だった。

「魔王様!」

「……どうした?」

 扉が乱暴に開かれて飛び込んできた兵士が、膝をつく。
 異常事態だと明確に伝える覇気に、ヘルマンは背筋を伸ばして聞く体勢を取っていた。

「西方より人間軍が侵略しているとの情報が。数は一万、勇者と思われる戦力は少なくとも三あると」

「西方……獣人族か」

 案の定。
 予想が当たり、ヘルマンはため息をつく。ひとつ前の戦争からまだひと月も経っていない。兵数に余裕がある人間領だからできる波状攻撃にはいつも悩まされていた。

「どうするの?」

 ルーサーが尋ねる。

「出るしかないだろう。一氏族に任せるには荷が重い」

「エンオウが怒るね」

 そうだな、とヘルマンは頷く。
 少なくとも大規模な遠征が確定している。出費もそうだが、最高決定者である魔王が不在ということは行政に大きく影響があった。
 魔族は力こそすべてという考えの者が多い。戦争が続いているのだから仕方のないことだが、政治を軽視し碌な運営のできていない領地も多かった。
 魔王という立場になってからまず変えたかったのがその意識だったが、二百余年経った今でも油汚れのようにしつこくこびりついた思想はなかなか変わるものでなく、想像通りに文臣が育たずにいた。
 それでもエンオウを始め、魔王城の中では政務に精通しているものも多い。ヘルマンが数日いないだけで致命的に滞るようなことはないようにはしていた。

「そのための議会だ」

 ヘルマンは投げ捨てるように言う。
 そもそも悪いのは攻めてくる人間領側である。味方からせっつかれるのは理不尽であった。

「エンオウに議会の召集と第三大隊長への出陣準備を。議会は一時間後とする」

 ヘルマンが告げる。兵士は深々と頭を下げると足早に部屋を後にしていた。
 ……頭が痛い。
 ヘルマンは悟られぬように目を閉じて黙する。
 考えなければならぬことは多い。敵の数、勇者の数から主戦場を選び、必要な補給線を確保する。それまでに敵がどれだけ攻めてくるかでまた対応を変えていかねばならない。
 勇者はそれほど強くない。ヘルマンなら十人を相手に勝つことも出来、魔人の中でも弱いルーサーですら一体一なら圧勝できる。魔族の雑兵でも、集めれば討ち取ることも可能だ。
 だからこそ群れて戦略を立て襲ってくる。人間領人間族が生きている限り終わることの無い血の塗りあいが続く。
 ……やってられんな。
 魔王とは損なものだと肺に溜まった息を吐く。
 
「――げっ」

 弟が突如悲鳴を上げていた。その表情はいつもの余裕綽々は消え失せて、汚物をながめるように憎々しく歪んでいた。

「どうした、時間が無い」

「……こいつは何時も見たくないものを見せるな」

 吐き捨てるようにルーサーが独りごちる。
 原因は、予知魔法だ。ただし、不完全な。
 本人の証言曰く、見えるものに大した意味はない。日々の風景や、食事、誰かと話しているなど。能動的に使えるが見たい場面を選ぶことは出来ず、なにより酷く体力を消耗する。
 しかし全く役に立たないかと言えばそうでもない。何かが見えることよりも重要なことがあった。
 ルーサーは言いずらそうに頬を掻く。珍しい行動に期待よりも生まれてこの方初めての不安を感じていた。

「ミサを連れていかないと、この戦い負けるよ」
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