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第4話 いざ、魔王城へ

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 魔王城はミサの村から馬車を乗り継いで十日はかかる距離にあった。
 魔王、タクト・ジ・ヘルマン。先代から引き継いだ王位を彼は二百余年守り続けている。永遠凍土の賢王とも称されるほど、その政治的手腕は卓越していて、そして非情なまでに公平だった。
 また戦争においても右に並ぶものはいない。超広範囲に及ぶ魔法を駆使し、単体で街を滅ぼすことも出来ると噂され、魔王城のある王都で開催される剣闘会では、余興として優勝者に片手だけで勝つ腕前でもあった。
 文武において隙のない魔王。その彼を今悩ませているものがあった。

「適正なし、ですな」

 王城の一室で、一人の老人がつぶやく。
 皺だらけの顔は赤く染まっている。火酒を浴びるほど飲んでいるわけではなく、生来の肌の色だ。
 鬼族と呼ばれる種族の特徴だった。酒好き喧嘩好きの彼らは頭にひとつ、ないしはふたつの角を持ち、非常に発達した筋肉を見せつけるような薄着を好んでいる。
 しかし歳を取れば自慢の肉体も萎んでしまうようで、余った皮がミミズのように皺をつくり腰は深く曲がっていた。
 彼の言葉を聞いて魔王、ヘルマンは眉間に深い影を作っていた。

「何かしらあるだろう、エンオウ」

「何かしらでいいならわしは同族の女を推します。この魔王城に勤めたい、魔王様の側にいたいと考える者は星の数ほどいますぞ。わざわざ卑族から選ぶなど嬲ってくれと言うようなものです。無論、そういう目的なら口出しはしませんがね」

 エンオウと呼ばれた鬼族の老人は嫌味をこすりつけるように告げる。
 部屋には綿をいっぱいに詰め込んだソファーがあり、ローテーブルを挟んでミサとエンオウが座っていた。その横で壁に背をつけてヘルマンが様子を伺っている。
 ザイスィン村から王都について、ミサがまず通されたのはこの部屋だった。村にある櫓よりも高い天井からは金細工をあしらった象より大きなシャンデリアが光を降らし、遠目からも躍動感を感じる絵画が壁一面を占めていた。
 部屋に入るなりソファーに座るよう命令され、その後現れたエンオウの質問が始まった。村では何をしていたのか、どのような仕事をしていたのか、基礎的な学力から専門的な知識まで。幼少期までさかのぼる徹底した追及ぶりは高くあった陽が傾くほどにまで続いていた。
 そして告げられた結果が適正なし。つまり何の仕事もさせられないということだ。
 それでは困るが口出しする余力がミサには残っていなかった。
 ……昔の事を思い出すって案外疲れるのね。
 いい記憶ばかりでは無い。むしろ悪いことの方が鮮明に浮かぶ。聞かれているのは学業のことや農業なのに、付随した苦い思い出が顔を覗かせていた。
 結果を聞いたヘルマンは瞳だけをミサに向けた後、組んだ腕に力を込めて小煩い鬼を見る。

「……卑族という呼び方はよせ。領内の者は全て我が臣である」

 卑族。それは魔王領に住む人族の蔑称だ。
 表立って使われる言葉では無いが、ヘルマンが魔王になる前は普通に使われていた言葉でもあった。
 わざわざミサがいる前で使うのは歓迎されていない証でもある。同じ領内にいても隣人ではなく敵のような扱いをされるのはミサには慣れてしまったことだった。
 ヘルマンからの訓戒にエンオウはため息をつく。書き綴っていた書をたたみ、小さく首を振って、ヘルマンを見上げていた。

「本質から目を背けなさるな。とにかく周りを納得させる理由が必要です。王城にいなければならない、その理由が」

 それだけ言うと、仕事を終えたというように彼は部屋から出ていく。
 残された二人の間には口を開くことを躊躇わせる雰囲気が漂っていた。



「……申し訳ありません」

 ソファーに座るミサは肩を落としていた。
 魔王城までの道中で、ヘルマンは多くを語っていた。勇者とは何か、聖剣とは何か。そしてミサの今後の身の振り方についても。
 女神ミハエルが力を与えた者、それが勇者だった。勇者は聖剣を持ち、魔王領を侵略する。目的は人間のみが生きる清浄なる世界を作るため、そのために魔王を殺す尖兵だ。
 聖剣にはひとつ能力がある。それは勇者それぞれでいずれも強力な女神の寵愛の結晶だった。
 ……そんなもの、いらないのだけれど。
 ミサは聖剣の柄をしまったポーチを撫でていた。
 女神の声か、聖剣の声か。柄を握ると福音が脳内に響き渡る。もはや洗脳だ。抗いがたい衝動はミサからすればただ不快でしかなかった。
 ザイスィン村を襲ったのは人間領。その中には当然勇者がいた。村を焼かれ、知人を殺され、それで助けていただいた魔王に剣を向けるなんて普通に考えたらやらない。
 人と魔王が戦い初めてから、勇者という存在はあった。お互い倒し倒され、巻き込まれ死んでいった生命も多い。魔王領で不用意に勇者と吹聴すれば明日も生きていられない。
 だから隠すことにした。ただの使用人として魔王城で働くために。
 ……駄目だったけど。
 結果は芳しくなく、かといってただの村娘が王の食客という訳にもいかず、今後に濃い暗雲が立ち込めていた。

「謝る必要などない。私の決定が間違っていたことになる」

 窓際から微動だにしないヘルマンが告げる。
 長い睫毛は物憂げに下を向いていた。恩人である。村にとっても、ミサにとっても。
 勇者として覚醒してしまったミサをすぐに殺さなかったのはヘルマンの温情でしかなかった。
 そもそも、直訴すら必要なかったのだ。村の被害状況を目で確認していた彼は減税を予定していた。しかし直訴されてしまったからにはただで村に返す訳にはいかない、仕方なく身分を隠して王城で下働きをさせる算段だった。
 話を聞いた時、ミサは顔から火が出るほどに赤く頬を染めていた。同時にどこまでも恩のある方に剣を振らずに済んで心落ち着くところもあった。

「はい……」

 弱々しくミサは頷く。
 何かしらで恩返しせねば、恥を背負って生きてはいけない。考える能がないことをこの時ばかりは深く悔やんだ。

「――お困りかな?」

「帰れ」

 ノックもせずに現れた男性を、ヘルマンは強く拒絶する。
 あの日、直訴した時、最初にミサの話を聞いた短角の男性だ。名をタクト・ジ・ルーサー。ヘルマンとは兄弟の仲だった。
 彼はつれないなぁと含みのある笑みを浮かべながら部屋に入ってくる。長いローブをはためかせ、ヘルマンを目指していたかと思えば途中で止まり、ミサの向かいの椅子に座る。
 本心を見せない愛想だけの笑顔が嘘くさい。その表皮の下は憤怒か嘲笑か、図り知ることはできない。

「引っ掻き回すなら他へ行け」

 ヘルマンは強固な姿勢を崩さず、咎めるような鋭い視線でルーサーを見つめていた。
 普通の人ならば心臓が止まるほどに恐ろしい目を、ルーサーは気にしない。両手を上げ、顔の横で広げて軽く振るだけで反省した様子などなかった。

「それもあるけどさ。悩める陛下の手助けをするのも臣下の役目でしょ。アイデアなら持ってきたよ」

「……言ってみろ」

「僕の研究の実験台」

 ルーサーが軽口を叩く。
 直後のことだった。彼を取り巻くように幾本もの白銀の長剣が空中に現れて檻を作る。
 掲げた手が停止する。心臓の鼓動程度のブレですら深い傷を作るには十分なほど研ぎ澄まされた刃は、すべてルーサーに向いていた。

「……冗談だって」

「遊びに付き合ってる時間は無い」

「硬いなぁ……分かってたけど」

 ルーサーが目を閉じため息をつくと、堅牢な檻は姿を消していた。
 ……これが、魔法。
 やり取りを眺めていたミサは改めて純粋な力を見て、目を見開いていた。
 魔王領の中でも一部のものが使える、魔法。虚空から森羅万象を生み、容易く命を奪うもの。その頂点が魔王ヘルマンだった。

「はいはいごめんなさいすみませんでした……でもあながち悪くは無いんじゃない?」

 ルーサーは椅子のひじ掛けに体重をかけながら言う。
 冗談ではない声色に、ヘルマンは猜疑の目を向け たまま待っていた。

「社会実験として、陛下が飼うって言うなら誰も文句は言わないでしょ」

 社会実験。
 それが何を示しているかをミサは理解していない。
 ……でも。
 なんとなく、それでも大丈夫なような気がしていた。
 ……優しい子だもの、ルーサー殿下は。
 ひねくれた言葉の中に致命的な悪意は感じられない。全幅の信頼はできないが、必要以上に警戒することもないと態度から感じ取っていた。

「……根本的に何も変わっていないように思えるが」

「そうだよ? でも言い訳にはなるでしょ、社会実験中だから手を出すなって。大体人種に対して魔族は理解がなさすぎるんだよ。無尽蔵に湧いてくる勇者の生態を知ってるだけでも取れる手は増えるっていうのに、分かっちゃいないんだから」

「……具体的に私は何をすればいいのでしょうか?」

 恐る恐るミサが尋ねる。

「何も。何もしなくていいし、何かしてもいい。感じたことをそのまま伝えてくれるだけでそれが勇者への有効打になる可能性があるということだ」 

「そんな大役、できません」

「いいんだよ、もとより期待なんてしてないから。役に立ったら儲けもの、それとも自分はもっと役に立てるとでも思ってたの? ただの小娘ごときが」

「ルーサー」

 ヘルマンが苛立ち交じりの声をぶつける。しかしルーサーの挑発的な瞳が陰ることはなかった。
 間違ったことは言っていない。だから恥じることも訂正することもない。そうだろ? とミサに圧をかけていた。
 ……その通りだわ。
 どこかおごりがあったことを反省する。役に立とうという気持ちが独りよがりな出来るに変わっていたのは事実だった。それを手痛い失敗をする前に気付かせてくれたルーサーに感謝すれども怒ることはない。
 だからミサは笑っていた。柔らかい日向のような笑みを。

「陛下、私のことはいかようにもお使いください。」

 ミサは頭を下げる。その姿は歴代の王に使えてきた忠臣のようだった。
 
「……わかった」

 ヘルマンは短く告げると重い腰を持ち上げる。そのままミサを尻目に部屋を出て行ってしまった。

「……気に入られてるねぇ」

「そうでしょうか?」

 ゆっくりと顔をあげたミサは首を傾げる。
 ルーサーは大して興味がないとでもいうようにさあねと前置きして、

「ま、せいぜい捨てられないように頑張んなよ。あんまり早くに捨てられてもつまらないし」

 善意からの忠告か、はたまた未来の暗示なのか。ミサに向けられた表情は答えを隠すように幼い笑みを貼り付けていた。
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