お風呂屋おりはら

爼海真下

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「いやぁ、いつか煌は四季くんに手を出すだろうとは思ってたけど」
あのあと、煌は病院に運ばれ、貧血による失神と診断された。それに付き添った四季はそれに至るまでの経緯を話さなくてはいけなくなったし「そういった状態でのそういった行為はお控えください」という思慮と呆れを含んだ注意を受けるという恥辱を体験する羽目になった。
煌の迎えのために呼んだ樹にも手を煩わせてしまう義理としてぼかしながらも事情説明をしたらゲラゲラと笑われた。
「合意です……というか、知ってたんですか。美澄くんが、俺のこと好きって」
「そりゃあ、まぁ。直接聞いたわけじゃないけど、四季くんの店が気になるって言い出したあいつ、見たことない目してたからさ。仕事を遂行するときにも似てるけれど、それ以上にぎらっぎらしてて火傷しそうなくらいに熱くて、四季くんいつの間になにをしたの~って思ったもん」
煌にはなにもしていないのだけれど——四季の意図しないところで煌の恋は開花し、四季の目の前に現れた。
「そのときだったんだよね。煌が刺青入れたって聞いたのも」
「え?」
「あいつが二十歳になったときに刺青入れないのって聞いたら、組長に指示されたら入れますって言っていたようなやつがさ、突然背中に花彫ったんだよ。このタイミングで。ねぇ、偶然だと思う?」
ポインセチアを彫ったのは見せてもらったが、その所以は聞いていない。だから、偶然の可能性もある。けれど、ばかまっすぐに四季に恋をしている煌のことだ。あり得ない話ではない。でもそうだとしたら、ポインセチアと四季に何を掛けたのだろう。ベッドに横たわってすうすうと眠る煌を見る。
「すげぇの目覚めさせちゃったね、四季くん」
樹がにんまりと笑って、それからわずかに神妙な色を浮かべた。
「こいつはさ、組のために死ねって言ったら簡単に死にそうなやつだったの」
わずかに目を見開く四季に、樹は続けた。
「仕事もできるし、その上忠誠心の塊。組の狗としてだけ見るなら、それはとてもありがたい存在だよ。でもさ、組長も俺も、あいつが小さい頃から知ってて、愛着がある。だからどうにかあいつに生きる理由を、縁ってやつを作ってやりたいと思っていた。でも、ずっとうまくいかなくて半ば諦めてた、そんなところで、四季くんが、煌の目の届くところに現れてくれた」
サングラスの向こうの瞳が柔らかく綻んだのが見えた。
「ありがとう、四季くん」
それから、またいつものようにへらりとした表情に戻った。
「とはいえ、あいつの恋愛感情思ったより過激だったし、俺は四季くんのことも気に入ってたからさ。あいつが四季くんの嫌がることをしようとしたら、止めてやろうと思ってたけど。合意なんだよね?」
「そうっすね」
「それは、煌のこれになったってことでいいのかな?」
樹が立てた小指をくいっと曲げる。
「それは……」
あのとき、四季はたしかに、煌に抱かれたいとは思った。性欲を発散したいではなく、この男の熱を受け止めたいと思ったのははじめてだった。それが恋によるものなのか、煌の熱に当てられた一過性のものなのか、自信が持てなかった。だからそのことを素直に告げたうえで煌を乞うたわけだけれど——四季の中にはいまだに、煌に対する欲求が残っている。自信を抱いていた男の失神やら搬送やら状況説明の恥辱やらというとんでもない賢者タイムを経てもなお、四季はもっと煌の愛を飲みたいと思っている。
「そうなると思います」
「思います?」
「美澄くんが起きたら、俺もちゃんと告白しようと思うので」
瞬いた樹が、ふっと眉を下げて肩を竦めた。
「四季くんってさ、律儀で勇気があるよね」
「なんですか突然」
「本当に不器用な男だなと思って。煌も大概だけど」
「悪口ですか」
「どっちかっていうと心配?」
樹がくすくすと笑いながら、四季の頭に手を乗せた髪を混ぜて何かを言いかけとき、固く閉ざされていた煌の瞼が緩やかに持ち上がった。現れた薄色の瞳はゆるりとこちらに傾いて、白い眉間に皺が寄る。
「……岩瀬さん、なにしてるんですか」
「鼻血で貧血になったダサい男をここまで介抱してくれた功労者を称えてるところ?」
煌はぐっと悔しげな顔をする。
「樹さん……」
「四季さん、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「いや、なんというか、俺も悪いかったから」
「それはそうですけど」
「え、四季くんそんなに激しく興奮を煽ったの? なにしたの?」
「岩瀬さん」
ぎろっと睨みをきかせる煌に樹は「わぁ、怖」とわざとらしく肩を窄めた。
「堪え性がない男は嫌われるよ」
薄色の瞳がぱっと見開かれる。それに樹がさらに笑みを深める。
「ね、四季くん? やっぱ男は余裕がある方がいいよね」
「え」
なんという水の向け方をしてくれるのか。頬を引き攣らせて樹を見たら、くるりと背を向けられた。
「さぁて、俺はお医者さんに煌が起きたこと伝えてくるかね」
文句を言う間もなくさっといなくなった樹にため息を吐く。
「四季さん」
かたい声に呼ばれて目を戻せば、ベッドに横たわったまま煌が真っ直ぐに樹を見つめていた。その表情は一見無愛想ながら、しかしうっすらと不安が滲んでいるのが見てとれた。
「……四季さんのことになると、俺、自分が抑えられなくなる自覚はあるんです」
それはたしかに、身をもって実感したけれども。
「これからも、抑えられるとは思いません」
なんとも正直。
「そんな俺は、嫌ですか」
嫌だと答えたら一体どんな顔をするのだろうか。その顔に今度はうっすらと痛みを乗せるのだろうか。その煌は見たくはないなと思った。
「そのままでいいよ」
四季はベッドに近づいて膝を折る。
「色々あって、俺ずっと恋愛っていうものが苦手だったんだけど。美澄くんが俺にあまりに一生懸命だから……はじめて、俺は恋をしてみようって思った」
白雪の頬にそっと手を添える。
「美澄くんが好きだよ」
煌の瞳が丸く見開かれる。四季を大きく反射してきらきらと煌めく瞳は宝石のように美しかった。
「俺とお付き合いしていただけますか」
微笑み問いかける四季に煌がばっと上体を起こして、すぐにくらりとベッドに倒れこんだ。
「いきなり動いちゃ駄目だよ」
「四季さん」
瞳を細めながらも、煌は今度は手だけを起こして四季の手をきゅっと掴んだ。
「好きです、大好きです、愛しています。一生、大切にします」
「てんこもりだな。あ、でも、前戯だけは覚えてほしい」
「前戯」
「セックスの前にすること。普通は突っ込む前に触り合ったり、中を慣らしたりするもんなんだよ。そうしたら、もっと気持ちよくなれるから。ま、今度一緒にお勉強しような」
呆然と四季を見上げていた煌がふいに鼻と口を手で覆った。
「鼻血、出そうです」
「それもちょっと堪えられるようになろうか」
また貧血になったら大変だと言えばこくりと頷いて「鼻の粘膜強くします……」とぼやく煌に四季は笑ってしまった。
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