呪配

真霜ナオ

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13:現場

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「おー、来たか。悪いが裏に回ってくれ」

 來に連れられてやってきたのは閑静な住宅街の一角で、それなりの築年数を思わせるこじんまりとした平屋だった。

 家の周囲には黄色いテープで規制線が張られており、敷地内には関係者以外が立ち入れないようになっている。

 慧斗たちの到着を待っていたらしい加苅は、二人を見つけると手招きをして家の裏口の方へと誘導した。

 庭先や家の周りに立つ紺色の制服を身に着けた男たちは、一目で警察関係者なのだとわかる。

 値踏みするような視線を向けられて慧斗は居心地の悪さを感じるが、その視線の大半は自分の前を歩く青年の方へ注がれていることに気がついた。

 來はただでさえ目立つ容姿をしているが、こうした場に立つこともまた異質な存在だ。必要以上に目を引いてしまうのは致し方ないとも思える。

 それを差し引いても、到底歓迎されているとはいえない温度感ではあるのだが。

 そんなことを考えているうちに裏口へと到着する。勝手口と呼ばれる扉の向こうには、ダイニングテーブルやキッチンが見えた。

 入り口からは外に漏れるほど鼻につく独特の異臭が漂っていて、慧斗は着ているパーカーの襟元を引っ張って鼻と口の辺りを覆う。

 先に手渡されていた靴用の透明なカバーを装着したので、不用意に現場を荒らしてしまうことはないだろうが、意識せずとも慎重でぎこちない動きになる。

「仏さんはすぐそこだが……比嘉くんはこういう場所は初めてだよな?」

「えっ……あ、はい、もちろんです……!」

 足元に気を配っていたために、加苅の問い掛けに一瞬反応が遅れてしまう。

 取り調べを受けた経緯があるとはいえ、事件現場に足を踏み入れるなんて慧斗にすれば当然初めての体験だ。

「一応聞くが、大丈夫か?」

「だ、大丈夫です……!」

 慧斗の言葉をそのまま受け止めたのか、半信半疑かはわからないが、加苅は室内を数歩進んだかと思うと身体を二人の方に反転させる。

 続けて來と慧斗も室内に踏み込んだが、布地越しの控えめな呼吸でもわかるほど強まる異臭に、それが何の臭いなのかを嫌でも理解してしまう。

 年季を感じさせる外装とは異なり、内装はリフォームでもした後なのか、床板や壁紙は綺麗なものに張り替えられている。

 ただ、物があちこちに置かれているだけでなく、口を縛った複数のゴミ袋も隅の方に寄せられていて、片付けられているとは言い難い印象だ。

「こっちだ」

 示されたのは、勝手口に面した壁の辺り。そろりと視線を向けてみると、口から飛び出すのではないかと思うほどに心臓が大きな音を立てた。

 入り口のすぐ横に置かれた白い冷蔵庫。そこに凭れ掛かるようにして、ショートヘアの女性が座り込んでいる――ように見えた。

 彼女の座高がやけに低く不自然に感じられたのだが、慧斗は全体を視認してその理由をすぐに理解する。

「あ……脚……ッ」

 その女性は、胴体で・・・床に座っていた。腰から下のパーツが忽然と姿を消していたのだ。

 柔らかなクリーム色をしていたであろう縦長のキッチンマットには、べっとりと染み着いた赤黒い染みが固まっている。

 誰がどう見ても事切れているとわかるその女性は、血の気が引いているせいか精巧な人形のようにすら見えた。

「う゛っ……!」

「おっと、吐くなら外でやってくれよ」

「だ……大丈夫、です」

 この場に吐瀉物を撒き散らせば迷惑になってしまう。瞬間的にそう思った慧斗は、胃の中から込み上げてくる気持ち悪さを辛うじて飲み込むことができた。

 視覚から得る凄惨な現場の情報よりも、そう・・だと認識した臭いの方がずっと強烈で、息を吸う度に慧斗の内側の不快な場所を刺激する。

「本来は一般人に立ち入らせていい場所じゃねえが、こればっかりはな」

「加苅さん、今までの被害者もこうだったんですか?」

 顔を青ざめさせている慧斗とは異なり、來と加苅は特に顔色を変えるわけでもなく言葉を交わしている。さすがに口元は覆っているようだが。

 加苅は仕事柄理解できるが、來が動じないのもまた、場馴れしているからなのだろうかとその横顔に問いたくなった。

「こう、といえばそうだな。今までは舌だとか小さいパーツだったから、ここまでデカい規模のは初めてだが」

「今回もデリバリーマスターを?」

「ああ、注文履歴があったらしい」

 気分の悪さをどうにかやり過ごしつつ、慧斗はできるだけ声の方に集中しようと加苅の説明に耳を傾ける。

「被害者は60代女性。夫に先立たれて一人暮らし、特にこれといった疾患があったって情報は無い」

「えーと、加苅さん。ひとついいですか?」

 二人の会話に割って入るのは気が引けたが、浮かんだ疑問をそのままにもしておけない慧斗は遠慮がちに片手を挙げる。

「なんだ? 吐くなら外で……」

「じゃなくて。被害者の人たちって、こうなる前に何かおかしなことが起こったりはしてなかったですか?」

「おかしなこと?」

「たとえば、アプリで死がデリバリーされる……みたいな」

 同じデリバリーマスターというアプリを介した呪いによる事件なのだとすれば、慧斗と同じことが被害者たちにも起きているはずだと考えた。

 それが繋がれば呪いを解く鍵が見つかるのではないか。そんな考えだったのだが、加苅は何度か首を捻った後に否定を口にする。

「いや、そんな話は出てないな。……つーか、死がデリバリーってなんの話だ?」

「あの、俺にはそういう通知みたいなやつが来てて……」

「お前、やっぱりオレに話してないことがあったんじゃねーか!」

「ちがっ……あの時は呪いの話とかできる感じじゃなかったし……!」

 來に事情を打ち明けたことで、すっかり加苅にも話が通じているものだと思い込んでいた慧斗は、まだ伝えられていない出来事があったのだと気がつく。

 拳でも振り上げそうな勢いの加苅から逃げるために思わず來の後ろに隠れると、二人のやり取りを見ていた來は溜め息を吐いて口を開く。

「被害者の前で言い合ってる場合じゃないでしょ。けど、慧斗さんみたいに予兆のようなものは、これまでの被害者には無かったんですね」

「ああ……普通じゃない案件の可能性を視野に入れてからは、そういう方面での聞き込みもさせてるからな」

「いずれにしても、根本の問題は同じはずなので……視てみます」

 そう言うと軽い深呼吸をした來は、自身の眼鏡に手を掛ける。

 その様子を見ていた加苅が神妙な面持ちで口を閉ざすので、慧斗も邪魔をしてはいけないような気がして、一歩を引いて彼を見守ることにした。

 被害者の女性に向き直った來は、彼女のそばに歩み寄るとその場にしゃがみ込む。

 遺体の様子をじっと見つめていたかと思うと、女性の周りにふわりとした黒い霧のようなものが浮かび上がるのが目に入った。

「ッ……!?」

 あれは何かと視線で問う慧斗に対して、加苅は黙って見ていろとばかりにゆるく首を振る。

 収束していく霧はやがて人の形のようになっていき、身体の下半分が大きな爆発と共に飛び散った。

 爆発の勢いに驚いて反射的に閉じた目をそっと開けてみると、爆発を免れてその場に残っていた上半分はパラパラと崩れ落ちて消えていく。

「やはり、霊の仕業ですね。呪いの残穢ざんえのようなものは無さそうです」

「そうか……参ったなあ」

「今の黒いの、來がやったのか?」

 加苅が声を発したことで緊張が解けて、ゆるりと立ち上がった來に慧斗は思わず問い掛ける。

「え、黒いのって……慧斗さん、視えたんですか?」

「え? だって加苅さんも……あれ?」

 來が驚いた反応を見せることに困惑した慧斗は、先ほど確かに目配せをしたはずの加苅の方を見る。

 しかし、彼もまた慧斗の方へ奇異なものでも見るような目を向けているので、何か思い違いをしていたのだと察する。

「そうか……慧斗さんは、呪いの関係者だからですね」

「呪いの関係者?」

「慧斗さんも、同じ霊に呪われている。だからその霊に関する呪いは、慧斗さんの目にも視えるはずなんです」

「へえ……そういうもんなのか?」

 確かに自分は呪われているのだろうから、本来であれば視えないはずの呪いに触れたということなのだろう。

 不思議な力を手に入れたようで、無垢な子どもであったなら気分は高揚したのかもしれないが、残念ながらそこまで慧斗は単純な思考回路の人間ではない。

「呪いが解ければ、普通の生活に戻れるとは――」

「……來?」

 眼鏡をかけ直そうとしていた來の動きが、なぜだか慧斗の方を凝視したまま止まってしまう。

 加苅も同じように慧斗の方を見るが、その表情は來とは違って疑問符を浮かべている。

「ら、」

「慧斗さんッ!!!!」

 もう一度名前を呼ぶことは叶わず、駆け寄ってきた彼の身体に思いきり体当たりをされて、慧斗は床に転がった。

 背中を強かに打ち付けたダイニングテーブルは派手な音を立てて倒れ、乗せられていたコップや新聞紙が散乱する。

「う……い、ってぇ……」

 骨までは折れていないだろうが、咄嗟に受け身も取れずにぶつけてしまった身体が痛む。

 見れば胸元にはシルバーブロンドの頭があって、呻く声が聞こえるので來も意識はあるのだろうとわかった。

 そこに黒い何かが視界をちらつくのが鬱陶しくて、顔を上げた慧斗は瞬間的に全身の痛みが消えたように錯覚する。

 ファミレスで見たあの女の霊が、吐息がかかりそうなほどの距離で慧斗の顔を覗き込んでいた。

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