呪配

真霜ナオ

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10:玄関

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「髪の毛……だよな?」

 気味の悪い光景に思考が停止しかけるが、玄関扉を半開きのままにもしておけないと、慧斗は恐る恐る近づいていく。

 隙間から垂れ下がる髪の毛はゆうに40cm以上はあるであろう長さで、よく見れば風で揺れることもなく、扉に張り付いているようだった。

「うわ、キモっ……」

 触れてみるとねっとりとした透明の粘液を纏っているらしく、指先で摘まんだ一部を手前に引き寄せると透明な糸を引いているのがわかる。

「あんた、よくソレ触れますね」

「嫌だけど、このままの方がもっと嫌だろ!」

 慧斗の行動にドン引きしていますと言わんばかりの來の声に、不本意ではあるのだと訴えながら意を決して、髪の束を鷲掴みにしてひと思いに引っ張る。

 扉の向こうがどうなっているのかはわからなかったが、髪は抵抗もなくずるりと隙間から抜け落ちる。

 嫌な音を立ててたたき・・・に落下したそれが、スニーカーに直撃しなかったのだけが幸いだ。

 慧斗がそう思えたのは一瞬のことで、それ・・と目が合った瞬間、下肢の力が抜けて尻もちをついてしまう。

「うわあッ!!?」

「慧斗さ、っ……」

 慧斗と同じ視線の先を確認した來もまた、崩れ落ちこそしないものの近寄りかけた足を止めて思わず身構える。

 引きずり落とした髪の束の隙間から二つ、血走った丸い目玉が二人をじっと見つめていた。

「こ、これって本物か…!?」

「わかりませんけど、そう見えます」

 吐き気を催しながらも、慧斗は目を細めてその物体を確認する。黒い糸を何本も絡みつかせる眼球には光が宿っておらず、当然だが動き出す様子もない。

 ――――ピンポーン。

「っ……マジかよ」

 再び鳴り響くチャイムの音に大袈裟なほどに肩が跳ねてしまい、二人は顔を見合わせる。

 足元に落ちたままだった包丁を咄嗟に拾い上げるのだが、掌にじっとりと滲んだ汗のせいで上手く握ることができない。

 そもそもこんな物理的な攻撃方法で、この世のものではない存在に太刀打ちできるのかは不明なのだが。

 続けてドンドンドン、と少々乱暴に扉を叩く音がする。

「比嘉さーん、いらっしゃいます?」

「……あれ、この声って……加苅刑事?」

 扉越しなので篭って聞こえるものの、聞き覚えのある声に慧斗の緊張が解ける。

 外に加苅がいるのであれば、少なくともそこに不自然な存在が立っているということはないだろう。そう願いたい。

 足元の異物を踏まないよう気を配りつつドアノブに手を掛けようとしたところで、それを止めたのは後ろから伸びてきた來の手だった。

「え、どうしたんだよ?」

「待ってください」

 説明もなく慧斗を押し退けた來が眼鏡を外す。数秒ほど覗き穴の向こうを見つめた後、扉から離れた來は室内へと引き返していく。

「大丈夫そうです」

「そりゃ、加苅さんが来てるんだからそうだろ」

 アパートに来るという話をしていた相手だったのだから、そこにいても不思議ではない。

 そう言いたげな慧斗の心の内を見透かしてか、來は眼鏡をかけ直しながら言葉を付け足す。

「たまに……いるんですよ、生者の声を真似て獲物を呼び寄せる奴が」

「……マジ?」

「開けますよー……って、なんだこりゃ!?」

「んぶっ!?」

 そうしている間に待ちきれなくなった加苅がドアノブに手を掛けたらしい。

 先ほどの対応で鍵を閉めてはいなかったので、簡単に開かれた扉の向こうから加苅が姿を現す。

 彼の視線はすぐに足元の異変に気がついたようだが、驚きと共に身を引いたせいで、背後にいた倉敷の顎に後頭部をぶつけていた。

「いったぁ……加苅さぁん」

「すまん、わざとじゃない。というかその包丁はなんだ?」

「あっ、違います……! これは身を守ろうとして……!」

 刑事二人のやり取りを眺めていた慧斗は、指摘を受けて包丁を握り締めたままだったことを思い出す。

 慌ててそれを床に置くと顔の横に両手を挙げて、攻撃の意思はないことを示した。

「加苅さん、どうして慧斗さんの部屋に?」

 慧斗も感じていた当然の疑問を、來がぶつけていく。約束をしていたのは來と加苅であって、電話では慧斗の部屋にいることを知らせている様子もなかった。

「ああ、いや。來の部屋に行くつもりだったんだがな」

「慧斗くんの部屋の前、大変なことになってるっスよ」

「え、部屋の前……?」

 刑事と一応の容疑者という間柄であるのに、下の名前を親しげに呼んでくるのはどうなのだろうか。

 そんな疑問は横に置いておくものとして、倉敷の話に心当たりがない慧斗は、手招く彼につられるまま部屋の外へと出てみる。

「うわっ……!?」

 彼らが二階の來の部屋ではなく、一階の慧斗の部屋を訪ねてきた理由はすぐに理解できた。

 玄関扉の前はまるで水漏れでも起こしたかのように、透明の粘液で水浸し状態になっている。

 そこには白い小さなゴミにも思える何かが複数散らばっており、顔を近づけた慧斗はそれが人間の歯であることに気がついて、指先が冷たくなるのを感じた。

「ど、どうなってるんですか……?」

「そりゃあオレたちが聞きたいんだがな。八一、鑑識に連絡入れろ」

「は、はいっス!」

 異様な光景といえども、職業柄見慣れてもいるのだろう。加苅は大きな動揺を見せることもなく、倉敷に指示を出している。

「加苅さん、今回のは多分……そう・・です」

「……だろうなあ」

 抽象的な來の言葉でもその意図は伝わったようで、加苅は苦虫を噛み潰したような顔で現場の状況を確認している。

 人ではないものの仕業である。知識のない慧斗でも、それだけは理解できていた。

 起こった出来事を説明するにも、來が一緒にいたこともあって加苅を納得させるのに時間はかからなかった。

 しばらくして鑑識の人間が到着したかと思えば、写真を撮ったり証拠品の採取を行っていたらしい。

 ”らしい”というのは、慧斗自身はその現場を自分の目で見ていなかったからだ。

 自身には視えない何かがすぐそばにいて、一挙手一投足を監視している。そんな想像をしてしまって、その場に留まることができなかったのだ。

「おい、終わったぞ」

「あ……はい」

 アパートの前には専用の駐車場がなかったので、倉敷の運転してきた車は近くのコインパーキングに駐車されていた。

 夜の屋外ではあるが、目の前に大きい道路があって車の通りもそれなりにある。慧斗にとっては、こちらの方がまだ気持ちが楽に感じられた。

 白黒で赤色回転灯付きの目立つパトカーではなく、黒の覆面パトカーだったので人目を引くことがなかったのも幸いだ。

 車内で待たせてもらっていた慧斗は、窓をノックする音に気づいて顔を上げる。

 外から開けられたドアに促されるまま車外へと出て、加苅に頭を下げるとポンポンと肩を叩かれる。

「幸い玄関周りだけだったから、綺麗に片付いてはいるはずだ」

「ありがとうございます」

「とんだ災難だな。悪いが、解決まで付き合ってもらうことになるぞ」

 加苅の言葉に渋々頷くしかない慧斗は、もう一度会釈をしてからアパートへと向かう。

 玄関先での出来事も含めて、慧斗の身に起こっていることと、世間を騒がせている連続怪死事件に関連があるかはわからない。

 けれど、加苅も來もほとんど確信に近い何かを感じ取っているようだった。

 いずれにしても呪いを解くことができなければ、再び怪異に見舞われて加苅の世話になることは避けられないだろう。

「慧斗さん」

 とぼとぼとした足取りで辿り着いたアパートの前に、來の姿があった。

 現場検証をしている間は加苅と話をしていたようだが、てっきり自室に戻っているとばかり思っていたのだが、慧斗を待っていたのかもしれない。

「呪いって……マジでマジなんだな」

「その言い方、頭悪そうですよ」

 揶揄するような言葉に突っ込みを返す元気もなく、すぐ傍に見える自分の部屋の扉へと視線を向ける。

 加苅の言った通り玄関の周りは綺麗に片付けられていて、歯や目玉が落ちているなんてことはなさそうだ。

 ただし、粘液の跡だけはすぐに消すことはできないようで、コンクリートの灰色を不自然に濃くしているのがわかる。

「…………あの」

 気が重いし足取りだって重い。いっそ何かが纏わりついていて動きを阻害しているような、そんな気分になってくる。

 だから、慧斗は向けられた來の言葉も聞き逃しかけていたのだが。

「良かったら、僕の部屋で寝ます?」

「え……?」

 提案の内容を理解できずに聞き返してしまうと、來は視線を一度玄関に向けてから慧斗に向き直る。

「同じ建物なんで気休めですけど、自分の部屋は嫌かなって思ったので」

「……いいのか……?」

「客用の布団は無いんで、自分の持ってきてくださいね」

 思いがけない助け舟に、光を失っていた慧斗の瞳が瞬く間に輝きを取り戻していく。

「わ、わかった……!!」

 伝えるべきことは伝えたとばかりに來が階段を上がり始めたのを見て、慧斗は慌てて自分の部屋に向かう。

 あれほど動くことを拒んでいた手足は、自身でも驚くほど素早く動いて寝具をかき集める。

 急ぐあまりに玄関を施錠せずに出てきた慧斗は、呆れた來に追い出されて鍵を閉めに再び一階までの道のりを往復させられたのだった。

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