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25:殺意
しおりを挟む「清瀬くん……!!」
「僕はいいから、先に行ってください!!」
「でも……っ」
「清瀬がああ言ってるんだ、行くぞ」
僕のことを気にかけてくれる高月さんの腕を引いて、幡垣さんが車両の前方へと移動を始める。
幸いにも怪異は僕の目の前にいて、二人の進路を妨げることはない。それならば、動ける二人が先に進んでもらう方がいいに決まっている。
怪異となった店長が、僕のことを認識しているのかはわからない。それでも、雛橋さんの怪異は福村のことを狙ったように見えた。
それならば、この怪異にも店長の意識がある可能性を考慮すべきなのかもしれない。
「店長、そこを退いてください……! あなたのことは救えなかったけど、僕たちまで巻き添えにする必要ないでしょ!?」
僕の声が届いているのかはわからないが、怪異は素早い動きで黒い液体の流れる通路の上を移動していく。
そのままこちらに寄ってきたかと思うと、僕の乗るロングシートへと這い上がってきた。
「うわっ!? クソ、やっぱ意思疎通なんて無理か……!!」
怪異は明らかに僕を捕まえようとする動きを見せる。捕まればどうなるかなんて、考えるまでもないことだ。
怪異が乗降扉の前から移動したことで、僕の前には道ができる。迷う暇もなく踏み出すと、乗降扉前の吊り革に飛びついた。
その勢いのままに隣のロングシートへと飛び移ったのだが、振り返ると怪異が飛び上がって僕を追ってきているのがわかる。跳躍力は人間の比ではない。
僕はロングシートを思いきり蹴りつけると、通路を挟んだ向かい側のロングシートへと身を投げた。
「い、ってえ……!!」
危うく転がり落ちるところだったが、どうにか移動に成功する。
先ほどまで僕がいたロングシートの上には、仰向けになって手足を動かしている怪異の姿があった。
「ヒッ……!?」
そこに視線を向けた僕は、あまりのおぞましさに息を呑む。
怪異の腹の上で、何かが蠢いていたのだ。そこには、意思を持って動く無数の手首が生えていた。
それらが、まるでムカデやダンゴムシの脚のようにうぞうぞと蠢いていて、生理的な嫌悪感が生まれる。
早くこの場を離れたい。そう思って、僕は体勢を立て直しながら隣のロングシートへ移動しかけたのだが。
僕を狙っていたはずの怪異が、身体を反転させて一足先に移動を始める。通路を横断して向かう先は、僕の前方を行く高月さんと幡垣さんのところだった。
「高月さん、幡垣さん、後ろ!!」
「えっ……?」
僕の声に振り向いた二人は、自分たちの方へと向かってくる怪異の存在に気がついたのだろう。
先頭車両へ急ごうとするのだが、車体の傾斜と怪我のせいで思うように進むことができないらしい。四つ目の乗降扉の前で手間取っていた。
そうしている間にも、怪異は二人のもとへと迫っている。けれど、僕だってすぐに駆け付けられるような状態ではない。
どうにかして二人で凌いでもらわなければ。そう考えるよりも先に、怪異が二人の背中に向けて飛び掛かっていくのが見える。
その直後、幡垣さんが高月さんの腕を離した。
「え……幡垣さ……ッ」
傾斜と怪我で幡垣さんに頼りながら進んでいた高月さんは、完全に意表を突かれた形になる。
バランスを取ることもできずに、彼女の身体は後方へと倒れ込んでしまう。
「高月さん!!」
ロングシートの上を転がる高月さんの上を、怪異が飛び越えていったのは幸いだったのかもしれない。あのままでは、高月さんは間違いなく背中に飛びつかれていただろう。
けれど、それを幡垣さんが意図してやったとは思えなかった。
目標を見失った怪異は落下して、ロングシートの上で這いつくばっている。
一方の幡垣さんは、身軽になったことで優先席の方までその身を移していた。
「幡垣さん、何するんですか!?」
高月さんは、ロングシートの端の手すりに身体を打ちつけてしまったようだ。それでも、どうにか起き上がることができている。
幡垣さんは悪びれた様子もなく、貫通扉の方へ向かおうとしているのが見えた。
「お前、オレがここまでどうやって一人で来たかって聞いてたな。教えてやろうか?」
「こんな時に何を……」
「頭を使ったんだよ。怪異の囮になる奴がいれば、オレは安全に前へ進めるからな」
「囮って……」
「見ず知らずの人間と手を取り合って、仲良しこよし脱出できると思ったか?」
告げられた言葉に、僕は自分の耳を疑った。まさかこの人は、自分の安全のために他人を犠牲にしてここまでやってきたというのか。
「危ないところ、何度も助けてくれたじゃないですか!?」
「そりゃあそうだろ、どんな怪異が出るかもわからん。先頭車両まで十分な囮がいなけりゃ、オレのリスクも上がるんだからな」
何度もあった危険な状況の中で、幡垣さんは僕たちに手を差し伸べてくれた。
そのお陰でここまで来られたのだし、先頭車両へ向かうという目的を同じくした仲間だと思っていたのに。
これまでの行動は全部、自分のためでしかなかったというのか。
「じゃあ、僕たちはもう用済みってことですか」
「ああ、ようやく先頭車両だからな。お役目ご苦労さん」
ここまで来られたのは、協力ではなく利用されていただけだった。彼は本気で僕たちを囮要員としか見ていない。
自分一人が先頭車両に行くことができればいいと考えている。そのために、高月さんまであんな危険な目に遭わせたというのか。
「……して、やる」
「あ?」
目の前が真っ赤に染まっていくような感覚の中、痛みも忘れて僕はロングシートの上を駆け出していく。
「殺してやる……!」
「清瀬くん、っ!?」
吊り革へと飛び移って乗降扉の前を通過し、驚きの声を上げる高月さんの横を抜けてロングシートの上へと着地する。
そのまま幡垣さんを目指して走る僕を止めようとした高月さんの腕は、届くことなく空気を掴んだ。
桧野さんの時も、喜多川の時も、僕自身に命の危険があった。彼らの命を奪うことは、あの状況ではやむを得ない選択だったのだ。
けれど、今の僕ははっきりとした殺意を抱いている。
目の前のこの男を『殺してやる』という、明確な意思を持って身体が動いている。
僕という人間の中に、こんなにも荒々しい感情があったなんて。
「幡垣ィ!!!!」
優先席へ飛び移るために吊り革に飛びつこうとした僕の目の前を、飛び上がった怪異が遮る。
幡垣のことしか視界に入っていなかったが、彼の手前には怪異がいたのだ。
気づいたところで、勢いのついた身体を止めることなどできない。
僕はそのまま、怪異の身体へと突っ込んでいく形になった。
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