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22:崩壊
しおりを挟む「拒絶って、だってあんなの受け入れられるわけないだろ。僕はこんな場所に残るつもりはない」
桧野さんを殺してしまったのは僕だ。けれど、あんな無茶な要求を受け入れろだなんて、聞けるはずがない。
死にたくないから必死にここまで来たというのに、一緒に死のうと言われて承諾する人間なんかいないだろう。
じりじりと近づいてくる喜多川から感じる威圧感は、体格のせいだけではない。
「お前は、高月さんと二人で助かればそれでいいと思ってるんだろ」
「な、なに言ってんだ!? そんなわけないだろ、僕はみんなで助かりたいと思ってるよ!」
「俺が桧野さんを好きなことを知ってたくせに、桧野さんにも好かれてデレデレ鼻の下伸ばしてたよなあ」
「言いがかりだ……! 桧野さんのことは、今日まで全然……」
「いいよ、お前の話とかもう聞きたくない」
一方的な言葉を投げつけてくる喜多川は、僕とまともに会話をする気はないらしい。
伸びてきた腕が、僕の首を鷲掴みにする。力任せに圧迫されて呼吸ができない。
「ぐぁ……ッき……が、わ……!」
「桧野さんにもう会えないなら、電車を降りる意味なんかない」
昏い瞳で僕を見る喜多川は、明らかに正気を失っている。
桧野さんとは違って、腕力も体格差もある喜多川を振り払うことができない。酸欠で頭が上手く回らなくなっていく。
皮膚を抉るほど腕に爪を立てても、目の前の男は動じなかった。
「放しなさい!!」
「がッ……!!」
「っ……げほ、ゲホッ……!!」
ゴン! という音と共に、喜多川の腕の力が緩む。その隙に力を振り絞った僕は、上体を捻ってどうにか拘束から抜け出すことに成功する。
上手く息を吸うことができずに咳込んでしまいながら顔を上げると、そこには消火器を手にした高月さんが立っていた。
不意打ちで頭を殴り付けられた喜多川は、よろめきながら掌で流血する頭部を確かめている。
「清瀬くん、大丈夫……!?」
「だい、じょぶです……ッ……喜多川、もうやめてくれ……!」
違和感の残る喉を擦りながら、僕は喜多川に呼び掛ける。痛みによって少しでも正気を取り戻してはくれないか。
そんな期待も虚しく、闇を帯びた瞳が僕ではなく高月さんの姿を捉えた。
「……俺は、お前だけが助かって幸せになるのも許せない」
「喜多川……?」
「俺はずっと、お前のことが嫌いだった……憎かった……」
この異常な空間に飲まれて頭が正常に働いていないだけ。
そう思いたいのに、喜多川の血走った目は心の底から僕のことが恨めしいと訴えかけている。
「僕は……友達だと思ってるよ、今も……!」
「友達……?」
「そうだよ、大事な同期で友達だろ!」
少し空気は読めないが、憎めない明るさのあるいい奴だった。こんな風に誰かに恨みを持つような男じゃないのに、今は面影すらない別人のようだ。
ちらり、と喜多川が僕の方を見る。
「友達なら、一緒に苦しんでくれるか?」
「な、何するつもりだよ?」
「高月さんを殺したら、お前も俺と同じ気持ちを味わうことができる」
そう言って伸ばされた喜多川の腕が狙っているのは、僕ではなく隣に立つ高月さんだった。
僕は考えるよりも先に身体が動いて、高月さんから奪い取った消火器で喜多川の横っ面を殴りつける。
少し怯みはしたものの、背後から不意打ちされるほどではない。よろけた喜多川は、数歩下がった程度で再び殺意をこちらに向けてくる。
消火器の使い方は、幡垣さんのやり方を見ていたから覚えている。
安全ピンを引き抜いてから、消化ホースを喜多川の顔面に向けて思い切りレバーを握った。
「ぐああああああッ!!!!」
正面からモロに薬剤を受けた喜多川は、両手で顔を覆いながら窓の上を転げ回っている。
「高月さん、急いで……!」
消火器を投げ捨てた僕は、高月さんの手を取って幡垣さんの方へと逃げ出す。
自分の役割を理解していたらしい幡垣さんは、2両目に続く貫通扉を開けるために動き出しているのが見えた。
「ざ、っけんな……逃がさねえぞ清瀬!!!!」
背後から空気がビリビリと震えるほどの怒鳴り声が聞こえてきて、思わず足を止めそうになる。
窓の上を走る僕たちの足元は、いつガラスが割れてもおかしくない。けれど、足を止めている余裕などないのだから、前に進むことだけを考える。
とはいえ、一定の間隔で設置されている手すりが行く手を阻む。上体を丸めてそれを潜りつつ、足を怪我している高月さんのスピードにも限界がある。
「清瀬く……ッ、行って、私のことはいいから……!」
「なに言ってるんですか!? 置いていくわけないじゃないですか!」
「清瀬くん一人なら逃げ切れるから……!」
自分が足手まといだと判断した高月さんが、繋いでいた僕の手を払って先へ促そうとする。
その背後には喜多川が迫っていて、掴まれば間違いなく殺されるだろうとわかった。
「高月さんは、僕と一緒にこの電車を降りるんです!」
高月さんの腕を掴むと、彼女の足が痛むのにも構わず僕は前へと進んでいく。
彼女をこんな所に置いていけるはずがない。喜多川に殺させたりなんかするもんか。
『次は、大焦熱駅。次は、大焦熱駅。お出口は右側です』
「うそだろ、こんな時に……ッ!」
喜多川から逃げるだけで精一杯だというのに、電車は次の駅に到着するのだという。
次で何駅目だ? あとどのくらい時間がある? 本当に降りられるのか?
そんな疑問が次々と頭の中を駆け巡るが、僕の身体がぐらりと傾いたことで思考が中断される。
「わ、ッ……!?」
窓ガラスが割れてしまったのかと思ったが、そうではない。カーブを曲がった時のように、電車そのものが傾いているのだ。
横倒しだった車体は大きく動いて、進行方向――先頭車両が天井になろうとしている。
片手で手すりに掴まることはできたが、火傷が痛むし血で滑る。長く掴まっていることはできそうにない。
もう一方は高月さんの腕を掴んだままでいるから、二人分の体重を支え続けるのは難しいだろう。
「た、高月さん……っ、どこか、掴まれますか……!?」
「待って……ッ……だ、大丈夫……!」
車体が完全に向きを変える前に、高月さんは吊り革に掴まることができた。
僕たちは2両目に一番近い乗降扉の手前にいるから、落下すればただでは済まないだろう。
喜多川はどうなったのだろうか?
そう思って足元へと視線を落とすと、喜多川もまた途中の手すりに掴まって難を逃れたようだった。
先ほど追われていた時よりも距離は空いた。そうはいっても、安心できる状況ではない。
幸い、幡垣さんは車両が傾く前に貫通扉を開けることができたらしい。
扉の向こうから覗き込むようにして、僕たちに腕を伸ばしてくれているのが見えた。
「おい、清瀬。登ってこられるか?」
「多分……幡垣さん、そっちは大丈夫ですか?」
「ああ、今のところこっちの車両に怪異がいる様子はない。それより……」
言いかけて、幡垣さんが言葉を途切れさせる。その理由は聞くまでもなくて、僕のすぐ目の前にある乗降扉が開いた。
僕たち三人が不安定にぶら下がった状態のまま、次の駅に到着してしまったのだ。
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