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23:本音と決意
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「紫黒のところ、わたしが案内する。……信じてもらえるかは、わからないけど」
ひとしきり泣いたあと、藍白はやっと落ち着いたようで、すっきりした顔をしていた。憑き物が落ちたようだ。
もう必要はないだろうということで、拘束を解いてやった藍白は、俺たちの道案内をしてくれるという。
豆狸がいるとはいえ、把握できるのは大まかな位置だけだ。詳細な居場所まではわからない。確実な案内がある方が助かるのは間違いない。
「信じるわよ。依織にちゃんと謝るなら、だけどね」
「淡紅……」
答えは同じだったが、俺よりも早く淡紅が答える。
藍白に大怪我を負わされた淡紅だが、妹の気持ちを汲んでくれたのだろう。短気なところはあるが、昔から物事を引きずらない、気持ちのいい性格をしている。
「もちろん、謝る。兄様たちにも……ごめんなさい」
「俺も、役割を果たすことに精一杯で、お前のことを見てやれていなかった。これからはもっと、兄としての考え方も改めよう」
「わたしも、いい妹になる。淡紅、朱も……また、仲良くしてくれる?」
「仲良くもなにも、アタシは最初からそのつもりだったわ。アンタが言うこと聞こうとしなかっただけでね」
「元よりオレたちは、縁を切ったつもりもありませんよ」
あやかしは情を大切にする。だからこそ、一度生まれた情は簡単に消えることはない。だとしても今一度、妹を受け入れてもらえるのはありがたいことだった。
俯く藍白の頭をひと撫ですると、俺たちは移動を開始する。こうしている間にも、依織に危害が加えられていないとも限らない。
今日ほど紫黒のように、転移の手段があればいいと思ったこともなかった。
「あの人間……依織は、兄様の仮の婚約者だと聞いたわ」
「ああ、そうだな。依織には縁繋ぎの役割を与えて、妖都への力の供給を手伝ってもらっている」
「……それだけとは、思えないけど」
「?」
藍白の言葉の意味がわからず、俺は横目にその意図を探ろうとする。
元々があまり感情の起伏が激しい方ではないので、妹ながらに何を考えているのかを読み取れないことも多い。
「……こんなことになるなら、もっと早くに元の世界へ帰すべきだったとは思っている」
「そうしなかったのは、兄様に特別な”情”があるからじゃないの?」
「特別な情……?」
依織を帰す決断ができなかったのは、彼女がそう望んだことはもちろん、妖都に人間が必要だったからだ。
王として、妖都に有益な判断をするのは当然のこと。力を貸してくれるというのだから、そうする選択肢は自然なものだった。
そこにいつからか、俺自身の意思が介入していただけで。
(人間ならば、誰でも良かったはずだ)
相手が人間でありさえすれば、赤子や年寄りでない限り問題はない。契約さえ交わしてしまえば、一時的にでも力を得られるのだから。
だというのに、依織が妖都にやってきたのは、偶然だとは思えなかった。
同じ時間を過ごすうちに、気づけば王としての役割よりも、彼女と共に生きたいという気持ちの方が強くなっていた。
依織を傍に置いて、彼女が与えてくれる力と同じだけ――いや、それ以上に、彼女を愛し尽くしたいと強く願ったのだ。
そんな気持ちが、結果として最悪の状況を招くことになっている。
「……藍白。お前は、母を憎んでいるか?」
「え……母様?」
「俺は……少しだけ、理解できるような気がするんだ」
王として、親としての役割を無責任に放棄した、母の行いは到底許されるものではない。歴代の王の中にも、そんなあやかしがいたなんて記録は残されていない。
だが、王である前に一人のあやかしとして、彼女は伴侶の存在を必要としていたのだ。
「今でさえ、魂を半分失ったような気分なんだ。それなら、契りを交わした唯一を失う絶望は、どれほどのものなんだろうな」
離れるなんてどうかしている。そう思うのが当たり前なほど、依織が傍にいないことがどうしようもなく不安を煽る。
こうして目的地を目指す今も、俺は妖都を守る王だというのに、行く手を阻むすべてのものを焼き尽くしてしまいたいと考えていた。
「……わたしには、理解できないけれど」
藍白は、少しだけ寂しそうな顔をしているような気がする。
それが俺に向けられたものなのか、それとも母を思い出してのものなのかはわからない。
「兄様も、特別なひとを見つけたんだ」
特別。
そうだ。俺にとって依織は、誰でもいい人間の一人などではない。
答えはとうに出ていたというのに、俺もまた母のようになるのを恐れていたのかもしれない。けれどもう、俺の中に生まれた答えを否定することはできなかった。
「ああ、仮なんかじゃない。依織は俺の、大切な婚約者だ」
今さら、彼女を手放すことなどできるはずがない。人間の世界に戻りたいと言われても、俺には依織が必要だ。
一秒でも早く、依織をこの腕に閉じ込めたい。俺の気持ちを彼女に伝えるために。
「もうすぐ、あの霧の先が紫黒の隠れ家だから」
藍白の声音が変化したかと思うと、どうやら間もなく目的地に到着するようだ。
周囲にあやかしの気配は感じられず、だが妖魔らしき気配はそこかしこにある。紫黒がいるのは間違いなさそうだ。
「カラスを先行させます」
「こんな果てに暮らしてたなんて、随分とジメジメした男になったのね」
「よし、急ごう」
目的地が近いと知って、俺の脚は自然と速度を上げる。
朱の指示で風のように俺たちを追い抜くカラスの後を、全力で追いかけた。
ひとしきり泣いたあと、藍白はやっと落ち着いたようで、すっきりした顔をしていた。憑き物が落ちたようだ。
もう必要はないだろうということで、拘束を解いてやった藍白は、俺たちの道案内をしてくれるという。
豆狸がいるとはいえ、把握できるのは大まかな位置だけだ。詳細な居場所まではわからない。確実な案内がある方が助かるのは間違いない。
「信じるわよ。依織にちゃんと謝るなら、だけどね」
「淡紅……」
答えは同じだったが、俺よりも早く淡紅が答える。
藍白に大怪我を負わされた淡紅だが、妹の気持ちを汲んでくれたのだろう。短気なところはあるが、昔から物事を引きずらない、気持ちのいい性格をしている。
「もちろん、謝る。兄様たちにも……ごめんなさい」
「俺も、役割を果たすことに精一杯で、お前のことを見てやれていなかった。これからはもっと、兄としての考え方も改めよう」
「わたしも、いい妹になる。淡紅、朱も……また、仲良くしてくれる?」
「仲良くもなにも、アタシは最初からそのつもりだったわ。アンタが言うこと聞こうとしなかっただけでね」
「元よりオレたちは、縁を切ったつもりもありませんよ」
あやかしは情を大切にする。だからこそ、一度生まれた情は簡単に消えることはない。だとしても今一度、妹を受け入れてもらえるのはありがたいことだった。
俯く藍白の頭をひと撫ですると、俺たちは移動を開始する。こうしている間にも、依織に危害が加えられていないとも限らない。
今日ほど紫黒のように、転移の手段があればいいと思ったこともなかった。
「あの人間……依織は、兄様の仮の婚約者だと聞いたわ」
「ああ、そうだな。依織には縁繋ぎの役割を与えて、妖都への力の供給を手伝ってもらっている」
「……それだけとは、思えないけど」
「?」
藍白の言葉の意味がわからず、俺は横目にその意図を探ろうとする。
元々があまり感情の起伏が激しい方ではないので、妹ながらに何を考えているのかを読み取れないことも多い。
「……こんなことになるなら、もっと早くに元の世界へ帰すべきだったとは思っている」
「そうしなかったのは、兄様に特別な”情”があるからじゃないの?」
「特別な情……?」
依織を帰す決断ができなかったのは、彼女がそう望んだことはもちろん、妖都に人間が必要だったからだ。
王として、妖都に有益な判断をするのは当然のこと。力を貸してくれるというのだから、そうする選択肢は自然なものだった。
そこにいつからか、俺自身の意思が介入していただけで。
(人間ならば、誰でも良かったはずだ)
相手が人間でありさえすれば、赤子や年寄りでない限り問題はない。契約さえ交わしてしまえば、一時的にでも力を得られるのだから。
だというのに、依織が妖都にやってきたのは、偶然だとは思えなかった。
同じ時間を過ごすうちに、気づけば王としての役割よりも、彼女と共に生きたいという気持ちの方が強くなっていた。
依織を傍に置いて、彼女が与えてくれる力と同じだけ――いや、それ以上に、彼女を愛し尽くしたいと強く願ったのだ。
そんな気持ちが、結果として最悪の状況を招くことになっている。
「……藍白。お前は、母を憎んでいるか?」
「え……母様?」
「俺は……少しだけ、理解できるような気がするんだ」
王として、親としての役割を無責任に放棄した、母の行いは到底許されるものではない。歴代の王の中にも、そんなあやかしがいたなんて記録は残されていない。
だが、王である前に一人のあやかしとして、彼女は伴侶の存在を必要としていたのだ。
「今でさえ、魂を半分失ったような気分なんだ。それなら、契りを交わした唯一を失う絶望は、どれほどのものなんだろうな」
離れるなんてどうかしている。そう思うのが当たり前なほど、依織が傍にいないことがどうしようもなく不安を煽る。
こうして目的地を目指す今も、俺は妖都を守る王だというのに、行く手を阻むすべてのものを焼き尽くしてしまいたいと考えていた。
「……わたしには、理解できないけれど」
藍白は、少しだけ寂しそうな顔をしているような気がする。
それが俺に向けられたものなのか、それとも母を思い出してのものなのかはわからない。
「兄様も、特別なひとを見つけたんだ」
特別。
そうだ。俺にとって依織は、誰でもいい人間の一人などではない。
答えはとうに出ていたというのに、俺もまた母のようになるのを恐れていたのかもしれない。けれどもう、俺の中に生まれた答えを否定することはできなかった。
「ああ、仮なんかじゃない。依織は俺の、大切な婚約者だ」
今さら、彼女を手放すことなどできるはずがない。人間の世界に戻りたいと言われても、俺には依織が必要だ。
一秒でも早く、依織をこの腕に閉じ込めたい。俺の気持ちを彼女に伝えるために。
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周囲にあやかしの気配は感じられず、だが妖魔らしき気配はそこかしこにある。紫黒がいるのは間違いなさそうだ。
「カラスを先行させます」
「こんな果てに暮らしてたなんて、随分とジメジメした男になったのね」
「よし、急ごう」
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