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第8話 Love Call
16.
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航が云う、戒斗が努力するべきこととは伊東の説得だ。
伊東は本当に何回も聴いたんだとわかるくらい、歌っているときに歌詞をカンニングすることはあまりなかった。みんなが意見を出し合ってアレンジしていた――いや、それよりももっと熱く、意見をぶつけ合っていたけれど、その“みんな”のなかには伊東も入っている。
遠慮がちではあったけれど、ここは音を溜めていいかとか、ここをもっと伸ばしてみたいとか、歌う側ならではの考えを提案していた。実那都にはできなかったことだ。
セッションを重ねて、最終的には最初の感激を上回る仕上がりになった。
ただし、伊東のシャイで排他的な性格がなせる業なのか、終わったあとFATE側はだれもが誘い、歓迎したけれど即オッケーとはならなかった。
手応えはあった。それはFATE側だけでなく伊東自身もそうだったはず――実那都からはそう見えた。無理だと云いながらも伊東はそろって解散するまで付き合って、だから迷っているのだと思う。たぶん、戒斗が、延いてはFATEがバンドを趣味で終わらせる気がないと知ったから。
伊東は絶対の拒絶を示さず、だから戒斗は抜かりなく伊東を口説き落とすのだろうと思う。
「戒斗さんは、伊東くんがうんて云うまでラブコール攻撃しそうな勢いだったよね。わたしも唯子に頼んでおいた。唯子、FATEの仲間になりたいらしいから、それだったら伊東くんを絶対に引き留めて、って」
そう云ったとたん、航はなぜかじろりといった目つきで実那都を見据えた。
「……何? わたし、よけいなことした?」
「ラブコールって、なぁ実那都、伊東の歌に惚れてただろ」
航は、質問に対して答えになっているようでなっていないことを放った。かといって、訳がわからないことはなく、その心中はおおよそ察した。
実那都は本能的に躰を引きかけたけれど、それを逃げていると航が判断すれば身に覚えのない言い掛かりを浴びせられそうで、どうにか押し止めた。
「それは……航たちだってそうでしょ。わたしが歌ってるときより、ずっと楽しそうだった!」
なんとかしのいだと思ったら、航は何を思ったのかソファからおりると実那都へと向き直って、ラグの上であぐらを掻いた。頭に手をやってクシャッと髪をつかむしぐさは、まずいことが起きて反省しているしぐさに見えた。
「確かに今日はテンション上がったけど、実那都とやってるときも楽しんでる。ヘンなふうに考えるなよ。今日、スタジオでおれたちを見てたらわかるだろ。おれは実那都とケンカしたくねぇんだ」
いいか? と、航は実那都の頭に手のひらをのせた。
確かに、航たちはけんかしているように見えることもあった。ただ、それはまったく関係なく、実那都は話の矛先を変えるために冗談で云ったつもりだ。それを航は真剣に受けとめてしまった。けれど、実那都の意図を誤解した発言こそ、航が実那都とのけんかを避けたがっているという意志を表している。
FATEのボーカル役を引き受けたのはあくまで仮歌役としてという、実那都の断固とした本心は航も承知しているはずなのに、こんなふうになぐさめられるとちょっと疑問に思ってしまう。
「航はわたしのこと、ペットじゃなくても子どもみたいな扱いしてる」
実那都の言葉に顔をしかめた航はくるっと宙に目を向けて、それから何やら気づいたかのように目を戻すと、実那都の頭の天辺から手をおろし――
「これ、嫌だったか」
と、航はまた実那都からすると見当外れのことを云った。
実那都がマイナスの方向に考えだすと航は大抵、笑い飛ばして、実那都の気を軽くしてくれたりおもしろがらせてくれたり、方向を修正してくれるけれど、いまは航のほうがマイナス方向に解釈している。
ひょっとして、同棲するようになって一緒にいる時間が多くなったせいで、実那都のネガティブさが航に伝染しているとしたら。
「航、いま、わたしが冗談で云ったことをいちいち悪いほうにばっかり考えてるよ? わたしのこと、気にしすぎてない?」
そうすることでフットワークの軽い航の足を引っ張っているのなら、それは実那都の本意ではないし、同棲がうまくいっているとは云えなくなる。
航はじっと実那都を見て、わずかに眉根を寄せ、おそらく言葉の真意を確かめている。急に痒みを覚えたかのように頭を掻いたのは、パソコンの最適化みたいに記憶を配置し直しているのかもしれない。散り散りになった記憶が効率的に配置された結果、正しい結論を得たのか、航は脱力したようにその手をすとんと脚の上に落とした。
「気にしてるってよりかは……おれさ、たぶん実那都にかまいすぎてんだと思う。もともとがつい手ぇ出したくなってたし、こっち来て一緒に住むようになって境界線がわからないっつうか……。つまり、一緒にいるぶん、おれは無意識でよけいなことをしてる。だから、悪いほうに考えてるってのはちょっと違ってて……、んー……実那都がいくらなんでもやりすぎだって感じることをおれが云ったりやったりしてて、それで嫌われたくねぇって思ってる」
自信過剰ぎみの航にしてはめずらしく弱気な云い分だ。実那都の驚きは顔に現れているはずで、そのせいか航は苦笑いをした。
実那都には思いがけなくて、そして、雲ひとつない世界が目の前に出現して、空に飛んでいけそうに浮き立ってくる。
「航にかまわれすぎてるってことはわたしもわかってる。でも、全然うるさいことはないし、それでわたしが航を嫌いになったりなんかしないよ。っていうより――」
と、そこで実那都は気が抜けてクスッと笑ってしまった。
航は逆に顔をしかめて、「なんだよ」とぶっきらぼうにつぶやく。
「こういうのをすれ違いって云うんだなと思って」
「すれ違い? おれと実那都が?」
「そう。いつも航が気にかけてくれてること、わたしは安心するし、うれしいけど、やっぱり航の負担になってるって不安もある」
「んなこと――」
「――ない、でしょ。だから、それがすれ違い。航は、手を出しすぎててわたしをうんざりさせるかもって不安になってる。でも、ほんとはお互いがなんでもないって思ってる」
「なんでもなくねぇ。好きだからやってる」
「うん。わたしも好きだからうれしいって思ってる」
航は突き動かされたように前のめりになると同時に、実那都の頬を両手でくるんだ。航の顔が至近距離になって反射的に目をつむった直後、くちびるがぶつかるように触れてきた。笑っていた実那都は隙だらけで、航がそれを見過ごすはずもなく、口の中に舌を潜りこませた。
伊東は本当に何回も聴いたんだとわかるくらい、歌っているときに歌詞をカンニングすることはあまりなかった。みんなが意見を出し合ってアレンジしていた――いや、それよりももっと熱く、意見をぶつけ合っていたけれど、その“みんな”のなかには伊東も入っている。
遠慮がちではあったけれど、ここは音を溜めていいかとか、ここをもっと伸ばしてみたいとか、歌う側ならではの考えを提案していた。実那都にはできなかったことだ。
セッションを重ねて、最終的には最初の感激を上回る仕上がりになった。
ただし、伊東のシャイで排他的な性格がなせる業なのか、終わったあとFATE側はだれもが誘い、歓迎したけれど即オッケーとはならなかった。
手応えはあった。それはFATE側だけでなく伊東自身もそうだったはず――実那都からはそう見えた。無理だと云いながらも伊東はそろって解散するまで付き合って、だから迷っているのだと思う。たぶん、戒斗が、延いてはFATEがバンドを趣味で終わらせる気がないと知ったから。
伊東は絶対の拒絶を示さず、だから戒斗は抜かりなく伊東を口説き落とすのだろうと思う。
「戒斗さんは、伊東くんがうんて云うまでラブコール攻撃しそうな勢いだったよね。わたしも唯子に頼んでおいた。唯子、FATEの仲間になりたいらしいから、それだったら伊東くんを絶対に引き留めて、って」
そう云ったとたん、航はなぜかじろりといった目つきで実那都を見据えた。
「……何? わたし、よけいなことした?」
「ラブコールって、なぁ実那都、伊東の歌に惚れてただろ」
航は、質問に対して答えになっているようでなっていないことを放った。かといって、訳がわからないことはなく、その心中はおおよそ察した。
実那都は本能的に躰を引きかけたけれど、それを逃げていると航が判断すれば身に覚えのない言い掛かりを浴びせられそうで、どうにか押し止めた。
「それは……航たちだってそうでしょ。わたしが歌ってるときより、ずっと楽しそうだった!」
なんとかしのいだと思ったら、航は何を思ったのかソファからおりると実那都へと向き直って、ラグの上であぐらを掻いた。頭に手をやってクシャッと髪をつかむしぐさは、まずいことが起きて反省しているしぐさに見えた。
「確かに今日はテンション上がったけど、実那都とやってるときも楽しんでる。ヘンなふうに考えるなよ。今日、スタジオでおれたちを見てたらわかるだろ。おれは実那都とケンカしたくねぇんだ」
いいか? と、航は実那都の頭に手のひらをのせた。
確かに、航たちはけんかしているように見えることもあった。ただ、それはまったく関係なく、実那都は話の矛先を変えるために冗談で云ったつもりだ。それを航は真剣に受けとめてしまった。けれど、実那都の意図を誤解した発言こそ、航が実那都とのけんかを避けたがっているという意志を表している。
FATEのボーカル役を引き受けたのはあくまで仮歌役としてという、実那都の断固とした本心は航も承知しているはずなのに、こんなふうになぐさめられるとちょっと疑問に思ってしまう。
「航はわたしのこと、ペットじゃなくても子どもみたいな扱いしてる」
実那都の言葉に顔をしかめた航はくるっと宙に目を向けて、それから何やら気づいたかのように目を戻すと、実那都の頭の天辺から手をおろし――
「これ、嫌だったか」
と、航はまた実那都からすると見当外れのことを云った。
実那都がマイナスの方向に考えだすと航は大抵、笑い飛ばして、実那都の気を軽くしてくれたりおもしろがらせてくれたり、方向を修正してくれるけれど、いまは航のほうがマイナス方向に解釈している。
ひょっとして、同棲するようになって一緒にいる時間が多くなったせいで、実那都のネガティブさが航に伝染しているとしたら。
「航、いま、わたしが冗談で云ったことをいちいち悪いほうにばっかり考えてるよ? わたしのこと、気にしすぎてない?」
そうすることでフットワークの軽い航の足を引っ張っているのなら、それは実那都の本意ではないし、同棲がうまくいっているとは云えなくなる。
航はじっと実那都を見て、わずかに眉根を寄せ、おそらく言葉の真意を確かめている。急に痒みを覚えたかのように頭を掻いたのは、パソコンの最適化みたいに記憶を配置し直しているのかもしれない。散り散りになった記憶が効率的に配置された結果、正しい結論を得たのか、航は脱力したようにその手をすとんと脚の上に落とした。
「気にしてるってよりかは……おれさ、たぶん実那都にかまいすぎてんだと思う。もともとがつい手ぇ出したくなってたし、こっち来て一緒に住むようになって境界線がわからないっつうか……。つまり、一緒にいるぶん、おれは無意識でよけいなことをしてる。だから、悪いほうに考えてるってのはちょっと違ってて……、んー……実那都がいくらなんでもやりすぎだって感じることをおれが云ったりやったりしてて、それで嫌われたくねぇって思ってる」
自信過剰ぎみの航にしてはめずらしく弱気な云い分だ。実那都の驚きは顔に現れているはずで、そのせいか航は苦笑いをした。
実那都には思いがけなくて、そして、雲ひとつない世界が目の前に出現して、空に飛んでいけそうに浮き立ってくる。
「航にかまわれすぎてるってことはわたしもわかってる。でも、全然うるさいことはないし、それでわたしが航を嫌いになったりなんかしないよ。っていうより――」
と、そこで実那都は気が抜けてクスッと笑ってしまった。
航は逆に顔をしかめて、「なんだよ」とぶっきらぼうにつぶやく。
「こういうのをすれ違いって云うんだなと思って」
「すれ違い? おれと実那都が?」
「そう。いつも航が気にかけてくれてること、わたしは安心するし、うれしいけど、やっぱり航の負担になってるって不安もある」
「んなこと――」
「――ない、でしょ。だから、それがすれ違い。航は、手を出しすぎててわたしをうんざりさせるかもって不安になってる。でも、ほんとはお互いがなんでもないって思ってる」
「なんでもなくねぇ。好きだからやってる」
「うん。わたしも好きだからうれしいって思ってる」
航は突き動かされたように前のめりになると同時に、実那都の頬を両手でくるんだ。航の顔が至近距離になって反射的に目をつむった直後、くちびるがぶつかるように触れてきた。笑っていた実那都は隙だらけで、航がそれを見過ごすはずもなく、口の中に舌を潜りこませた。
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