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第8話 Love Call

14.

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 伊東がスコアを持って席を離れると、実那都と唯子はテーブルと椅子を片付け、それから部屋の隅に椅子を二つ並べて座った。航たちがプレー手順を確認しているなか、唯子が実那都に身を寄せてきた。

「戒斗さんの云うとおり、高弥はFATEの曲を気に入ってるから来たんだよ。電車に乗ってるときとか、けっこう聴いてるっぽい。本人が気づいてるかどうか知らないけど、教室移動中、イヤホン付けたままで口ずさんでるときあったんだよね。それがFATEの曲だったから」

 唯子にも、せがまれてUSBメモリを渡した。あれこれ評しながら絶賛するほどだから、伊東が口ずさむ曲を聴き間違えるようなことはないだろう。伊東はさっき、『引き受けるわけじゃない』と前置きをしたけれど、望みは大きい。
「ホント? よかったぁ」
 実那都は肩の荷が下りた気分で、まさに脱力したように肩を落とすと唯子が可笑しそうにしながら首をかしげた。
「わたしとしては実那都が歌うのも聴いてみたいけど」
「わたしは学芸会レベル。祐真くんや伊東くんとは全然違うよ」

 自分の経験を考えると、いまは気が進まない伊東もいざ歌いだせば乗せられるはずだ。あの伊東の声がFATEの曲にどう乗ってくるのか、好奇心と期待を超えて俄に楽しくなる。
「実はね、“噂のユーマ”のことも高弥は相当、気にしてるんだよ。気にしてるっていうか、歌を聴き逃して残念がってる、かな。それも、ここに来たかった理由のひとつかもね」

 伊東がライヴで歌ったあと『ダウンしてる』と唯子が云ったのは誇張でもなんでもなく、本当にそうだったらしい。かつての文化発表会で歌ったあと、実那都は放心状態だったけれど、それと似た感じだろうか。気楽になったいま、実那都は他人事としておもしろく思う。

 ステージに立った伊東は航たちに引けを取らない容姿に見えたけれど、間近で会った今日、実際にまったく負けていないとわかって実那都は驚いたものだ。雰囲気は、中学時代の祐真に――もっと限定するなら、実那都が親しくなる以前に抱いていた祐真の印象に似て、ほかに対して無関心だったり、あるいはすまして見えたり、近寄りがたい。

 唯子がどうやって伊東と友人関係を築いたのか興味深いところだ。
 もっとも、実那都は自分がいまここにいる縁すら、あらためて考えると不思議に思えてくる。あの教室でたまたま祐真と実那都がふたりきりだったこと、そこにちょうど航が来たこと。そんな成り行きに流された結果で、案外、縁とはそういうものなんだろう。

「伊東くん、ユーマを知ってる……っていうか、ファンだってこと?」
「すっごいファンだとかは聞いたことないけど……っていうか、高弥はそんなこと云うヤツじゃないし、でも、もちろん知ってるよ。そもそも、わたしたちの世代で知らない人いる? 月曜日はチェーンメールかって思うくらい、あちこちからユーマが来てたってメッセージが来たよ。実那都ったら、ステージ裏に行ったときも“神瀬くん”としか紹介してくれなかったし」

 唯子には青南祭が終わった翌日、日曜日に“ユーマ”についてメッセージを送った。既読がついたかと思えば直後、電話で返事が来て、唯子がびっくり仰天したことは素っ頓狂な声に現れていた。
 そして、今週、青南大はユーマの話題で持ち切りだ。

『青南祭のライヴにユーマが参加して歌ってたんだって!!!』というメッセージは、実那都にも巡ってきた。
 それがFATEというバンドで、そのドラマーが航で、航のカノジョは実那都だ、と、尻取りと連想ゲームが合体した結果、終点になった実那都は名前も知らない青南大生から問い質されるという事態になっている。
 そのたびに実那都は、中学からの友人だけれどそれ以上のことは何も話せないとだけ伝えてしのいでいる。ただの同級生だったらどれだけでも噂のネタを提供できるだろう。親友だからこそ話せないのだ。

「祐真くんとの約束だったから云えなかっただけ。どっちにしろ、こうやって会えて、話して、これからだって会える。それで許してくれない?」
 唯子は、生徒から百点満点の答えを聞いたかのようににっこりと笑い――
「つまり、わたしも仲間の一人だってことよね。だったら許す」
 と、都合よく尾ひれをつけて自己完結した。

 実那都からも都合よく考えれば――おそらく伊東は祐真に似ている面もあるけれど、シャイだったり人付き合いが苦手だったり、実那都にも似ている。つまり、そんな伊東も、唯子がいることで少しは気がらくになって、FATEに引き留めておけるかもしれない。
 伊東を見やると、さっきまで祐真の指南のもと首をまわすなどのちょっとしたストレッチをしていたけれど、いまは軽い発声練習をしている。

「実那都、やるぞ。聴き役を頼むからな。水納ちゃんも」
 まもなく航が呼びかけた。うん、と実那都がこっくりうなずく傍らで。
「わたしはついでかぁ」
 唯子はのんびりとした口調で当て擦るようにからかう。
 航は片手を上げて往なしたあと、ドラムのコンディションを確かめるように軽く叩く。全員が円になって内側を向き、うなずき合うと航がカウントを取った。

 伊東は曲がスタートしたとたん、スコアを見ながらわずかにうなずくようなしぐさを繰り返してリズムに乗った。そうしてスコアから目を離し、同時に顔を向けた航と視線を交わした。
 伊東が息を吸う。正確にはそれが見えたり聞きとれたりしたわけではなく、実那都は祐真から教わった呼吸を感じとった。

 そうして、航はわずかにリズムを変えて合図を送った。直後にイントロが終わり、寸分の狂いなく歌に入った伊東の声は、考えていた以上にFATEにフィットしていた。
 はじめからその一員であったかのように声は曲の一部になっていて、実那都は鳥肌が立つほどぞくぞくする。すべての音が絡まる調和ハーモニーに怖いほどの昂奮を覚えて、それが一周まわってあまりに心地がいい。

 各々が各々の音に乗せられている感じで、航はともすれば酔ったように躰を揺らしながらよりグルービーに、良哉は躰ごと波打つようにキーボードを弾き、戒斗は時折、可笑しそうに、そしていかにも楽しそうにベース音を響かせる。祐真は、ひとつひとつ調和を照らし合わせ、もっとだ、とそれぞれと顔を見合わせながら無言で煽って、さらに音をベストな方向へと噛み合わせている。

 伊東に渡していた曲は三曲だ。ライヴの二曲に加えて、ライヴではユーマとばれるかもしれないからと披露を避けたバラード。二曲めに歌ったそのバラードは、声が伸びてビブラートが効果的に歌を盛りあげて、実那都はうっとりする。
 曲と曲の境目がわからないくらい、三曲を途切れさせることなく自然と繋ぎ、早くも最後の曲に入った。

 例えば蔦が絡まり合いながらぐんぐんと天高く伸びていくように――それはだれが引っ張っているのか、いや、全員で天に轟かそうとしているのだろう、これでもかと盛りあがっていく。聴く側の実那都も、もっともっと、と欲求が昂る。そうして、歌と演奏が同時に、なお且つたった一拍のフレーズを各々がパワフルに響かせて終わった。

 ライヴのときとは違う終わり方だった。耳の奥に感じる残響と、しんとしたスタジオ内の沈黙は、ここに立ち会った面々が言葉を失っているからだ。感動とか達成感とか快感とか、いろんな感情が入り混じっている。
 第一声は――
「すっげぇ」
 ふっ、と気が緩んだように笑みをこぼしたあと、祐真がつぶやいた。
 実那都たちが聴き役にまわって評価を下すまでもなく、航たち自身がわかりきっている。
 戒斗は呆れたように首を横に振っていて、それほど想定していた以上にしっくりきて、きっと驚いているのだ。航はといえば、驚きを通り越して豪快に笑いだした。
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