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第3話 BE MAD
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男は角を曲がってビルが立ち並ぶ通りをしばらく走った。休日の昼間、車は多く人通りもあるけれど、またひとつ角を曲がった通りは、オフィスや専門学校というビル群に占められているせいか、人は数えられるくらいしか見当たらない。
ビル街の合間にはぽつんと手狭な公園があって、男はその敷地内に入っていった。迷わず向かったのは、片隅にある大きな桜の木の下だ。緑の葉が茂り、影をつくっているけれど、この真夏の熱気で涼しいとはとてもいえない。あまつさえ、走ってきたから立ち止まった瞬間に汗が噴きだした。
「あっついなぁ、くそっ」
男は悪態を吐きながら、Tシャツの胸もとをつかんでパタパタと仰ぐように揺らしている。実那都の腕はつかんだままだ。
ということは、手にナイフを持っていた男は航のところに残っているということだ。それとも、この男がデニムパンツのポケットにしまっているのか。
航をどうするつもりだろう。不安は押し寄せるけれど、暑さで不機嫌になっている男に訊ねる気にはなれなかった。手を放してと抗議するにも、へんに刺激してしまうかもしれず、はばかられる。汗ばんでいるのは実那都の腕か男の手のひらか、捕まれている場所が不快でたまらない。
荒かった呼吸が落ち着いてくると、実那都は左の太腿だけひんやりとしていることに気づいた。見下ろしてみると、航から預かったコンビニの袋をしっかりと左手に持っている。飲料水とおそらくは溶けたアイスクリームの冷たさが、ショートパンツを穿いて剥きだしになった太腿に当たっていた。
もう溶けて食べられないだろうが、腿にあたる冷たさが頭をも冷やしてくれているのか、少し冷静になる。そうすると、さっき走りながら笑いそうになったけれど、それは余裕からではなく、恐怖の裏返しで感情が麻痺した結果だったのかもしれないと思う。
実那都は何をしようもなく周囲を見渡した。人の通りは本当に少なく、大通りの雑音がわずかに紛れこむ奇妙な静けさがはびこっている。やがて、足音がいくつか聞こえだした。そのひとつがヒールの音だと察しながら来た方向に目を向けたとたん。
「実那都っ」
実那都がその姿を認めた瞬間とどちらが早かったのか、航の叫び声が辺りに響いた。
手を拘束されているのも忘れて本能的に航のところへ行こうとした刹那、脱臼するかと思うくらい強く手が引かれた。
「てめぇ、きったねぇ手で触るんじゃねぇ! その手を放しやがれっ」
実那都が体勢を立て直している間に航の声がビルの谷間で反響する。目を戻すと同時に、くそっ放せっ、と航が今度は自分を捕らえた男たちに叫んだ。
よく見ると、航は男二人から両脇を抱えられていた。それをメグが従えて先頭を歩いてくる。
「彼女には何もしないわよ。航がおとなしくしてればね」
「なら、おれだけ襲えばいい話だ。こうやってついてきただろ。もう実那都を放せっ」
「航、意気がってるのも今日までよ。あんたがやったことは大人の間では、はいどうぞ、なんて通じないの。子供だからわからなくてもしょうがない。だから、わたしが教えておいてあげる」
メグが云い終える間に、航は桜の木の近くにたどり着いた。
航は、ふん、とメグの言葉に鼻先で笑った。
「大人のやり方は卑怯だな。おれ一人を相手すんのに三人も連れてくるってガキ以下じゃねぇのか」
「子供の世界以上に大人の世界はシビアよ。一対一なんて勝負があると思ってるの? 多勢に無勢は日常茶飯事、みんな保身ばっかりでだれもかばってくれないから。仲間を信用していられるのも学生のうちだけよ」
「それはあんたの場合だろ。おれらは違う」
「だから、それがいまのうちって云ってるの」
「だから、一緒にすんなっつってる」
即座に云い返した航は、メグに向けていた目をゆっくりと転じさせて、実那都へと向けた。
「大丈夫か」
「うん、大丈夫」
実那都は返事と一緒に大きくうなずいた。
航はふてぶてしい様でにやりとしてみせる。二人の男から腕を後ろにやって押さえつけられているというのに、まるで、いつでも自由に動けるという余裕が見える。自由を妨げているものがあるとするなら、きっと人質になっている実那都だ。
自分が自由になれれば、と思うけれど、手を引こうが振り払おうが男の手が緩むことはなかった。
「実那都、無理やり叫んで喉を痛めてんじゃねぇぞ。おまえは歌ってるだけでいい。バックはおれらに任せとけ」
航がいまなぜそんなことをわざわざ云うのか。不遜に云いながらも航の顔を見れば、なんらかの深刻な意志が込められているように感じた。リラックスさせたり安心させたりするためでそのまま受けとっていいのか、それとも云い含んだことがあるのだろうか。
うなずいた直後、実那都は視界の隅に人を捉えた。通りすがりの人だろうと思いつつも、引力が働いたようにそこに視線が行く。同時に歩道を歩いていたその二人が駆けだし、公園に入ってくるのを見ながら、実那都は目を引かれたのはそれが祐真と良哉だったからだと合点がいった。
「航」
目を戻して実那都が呼びかけただけで通じたようで、航は不敵な様で口を歪めた。
メグたちがどうかはわからないけれど、航が祐真たちの登場を知っていたのは確かだ。
実那都を捕らえた男が祐真たちに気づいたのか否か、目立った反応は感じられない。最初に実那都が感じたようにただの通りすがりとでも思っているのか、航は横目で斜め前にいるメグを見やった。
「メグさん、こいつらとどういう関係か知らねぇし、どの程度、親密なのかも知んねぇけど、おれがやったことをあんたは責められねぇだろ」
「どういう意味?」
「いくら遊びだからっつって、ダチの味見までしてんじゃねぇよ。その時点で、おれに対して大人のやり方っつうのを振りかざしてもアンフェアだ。ガキだからって見くびってんじゃねぇ。祐真、良哉、やるぞっ」
ビル街の合間にはぽつんと手狭な公園があって、男はその敷地内に入っていった。迷わず向かったのは、片隅にある大きな桜の木の下だ。緑の葉が茂り、影をつくっているけれど、この真夏の熱気で涼しいとはとてもいえない。あまつさえ、走ってきたから立ち止まった瞬間に汗が噴きだした。
「あっついなぁ、くそっ」
男は悪態を吐きながら、Tシャツの胸もとをつかんでパタパタと仰ぐように揺らしている。実那都の腕はつかんだままだ。
ということは、手にナイフを持っていた男は航のところに残っているということだ。それとも、この男がデニムパンツのポケットにしまっているのか。
航をどうするつもりだろう。不安は押し寄せるけれど、暑さで不機嫌になっている男に訊ねる気にはなれなかった。手を放してと抗議するにも、へんに刺激してしまうかもしれず、はばかられる。汗ばんでいるのは実那都の腕か男の手のひらか、捕まれている場所が不快でたまらない。
荒かった呼吸が落ち着いてくると、実那都は左の太腿だけひんやりとしていることに気づいた。見下ろしてみると、航から預かったコンビニの袋をしっかりと左手に持っている。飲料水とおそらくは溶けたアイスクリームの冷たさが、ショートパンツを穿いて剥きだしになった太腿に当たっていた。
もう溶けて食べられないだろうが、腿にあたる冷たさが頭をも冷やしてくれているのか、少し冷静になる。そうすると、さっき走りながら笑いそうになったけれど、それは余裕からではなく、恐怖の裏返しで感情が麻痺した結果だったのかもしれないと思う。
実那都は何をしようもなく周囲を見渡した。人の通りは本当に少なく、大通りの雑音がわずかに紛れこむ奇妙な静けさがはびこっている。やがて、足音がいくつか聞こえだした。そのひとつがヒールの音だと察しながら来た方向に目を向けたとたん。
「実那都っ」
実那都がその姿を認めた瞬間とどちらが早かったのか、航の叫び声が辺りに響いた。
手を拘束されているのも忘れて本能的に航のところへ行こうとした刹那、脱臼するかと思うくらい強く手が引かれた。
「てめぇ、きったねぇ手で触るんじゃねぇ! その手を放しやがれっ」
実那都が体勢を立て直している間に航の声がビルの谷間で反響する。目を戻すと同時に、くそっ放せっ、と航が今度は自分を捕らえた男たちに叫んだ。
よく見ると、航は男二人から両脇を抱えられていた。それをメグが従えて先頭を歩いてくる。
「彼女には何もしないわよ。航がおとなしくしてればね」
「なら、おれだけ襲えばいい話だ。こうやってついてきただろ。もう実那都を放せっ」
「航、意気がってるのも今日までよ。あんたがやったことは大人の間では、はいどうぞ、なんて通じないの。子供だからわからなくてもしょうがない。だから、わたしが教えておいてあげる」
メグが云い終える間に、航は桜の木の近くにたどり着いた。
航は、ふん、とメグの言葉に鼻先で笑った。
「大人のやり方は卑怯だな。おれ一人を相手すんのに三人も連れてくるってガキ以下じゃねぇのか」
「子供の世界以上に大人の世界はシビアよ。一対一なんて勝負があると思ってるの? 多勢に無勢は日常茶飯事、みんな保身ばっかりでだれもかばってくれないから。仲間を信用していられるのも学生のうちだけよ」
「それはあんたの場合だろ。おれらは違う」
「だから、それがいまのうちって云ってるの」
「だから、一緒にすんなっつってる」
即座に云い返した航は、メグに向けていた目をゆっくりと転じさせて、実那都へと向けた。
「大丈夫か」
「うん、大丈夫」
実那都は返事と一緒に大きくうなずいた。
航はふてぶてしい様でにやりとしてみせる。二人の男から腕を後ろにやって押さえつけられているというのに、まるで、いつでも自由に動けるという余裕が見える。自由を妨げているものがあるとするなら、きっと人質になっている実那都だ。
自分が自由になれれば、と思うけれど、手を引こうが振り払おうが男の手が緩むことはなかった。
「実那都、無理やり叫んで喉を痛めてんじゃねぇぞ。おまえは歌ってるだけでいい。バックはおれらに任せとけ」
航がいまなぜそんなことをわざわざ云うのか。不遜に云いながらも航の顔を見れば、なんらかの深刻な意志が込められているように感じた。リラックスさせたり安心させたりするためでそのまま受けとっていいのか、それとも云い含んだことがあるのだろうか。
うなずいた直後、実那都は視界の隅に人を捉えた。通りすがりの人だろうと思いつつも、引力が働いたようにそこに視線が行く。同時に歩道を歩いていたその二人が駆けだし、公園に入ってくるのを見ながら、実那都は目を引かれたのはそれが祐真と良哉だったからだと合点がいった。
「航」
目を戻して実那都が呼びかけただけで通じたようで、航は不敵な様で口を歪めた。
メグたちがどうかはわからないけれど、航が祐真たちの登場を知っていたのは確かだ。
実那都を捕らえた男が祐真たちに気づいたのか否か、目立った反応は感じられない。最初に実那都が感じたようにただの通りすがりとでも思っているのか、航は横目で斜め前にいるメグを見やった。
「メグさん、こいつらとどういう関係か知らねぇし、どの程度、親密なのかも知んねぇけど、おれがやったことをあんたは責められねぇだろ」
「どういう意味?」
「いくら遊びだからっつって、ダチの味見までしてんじゃねぇよ。その時点で、おれに対して大人のやり方っつうのを振りかざしてもアンフェアだ。ガキだからって見くびってんじゃねぇ。祐真、良哉、やるぞっ」
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