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第4章 ミスリード~恋いする理由~
13.
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秀朗の娘ではないのか。遠回しに問うたのは信じたくないからだった。それをいとも簡単に、あまつさえ後ろめたさもなく、美帆子は響生と環和にとって残酷なことを告げた。
美帆子が云った『認められない』は、響生が――おそらくは環和も――思っていたこととは違った。美帆子が認める以前に、道義的に認められないのだ。
真実かどうかなんてわからない。
悪足掻きと承知していながらのつぶやきは実際に声になったのか否か。
「嘘だと思ってるの?」
何も見逃すまいといったふうに美帆子は響生から目を離さない。
「……わかりません。そんなことはひと言も聞いてないなかった」
「あたりまえよ。あなたが環和に手を出さなければ、一生だれにも云うつもりはなかった。父親のあなたにもね。云ったでしょう、投資って」
そのさきは自分で察してみろということなのか、美帆子は響生を試すように見て押し黙った。
子供だった響生は漠然と投資という言葉を鵜呑みにしていたが、投資というのは将来にわたっての成長と利益を期待しての資金投下だ。俳優になるわけでもなく響生が演技を身に着けたところで、美帆子に利益は及ばない。
それなのに、追い払ったとき、美帆子は五千万という大金の入った通帳一式を響生に渡した。それ以来、美帆子から接触してくることはなく、即ち投資は完遂したということではないか。
だとしたら、いま、響生に対する投資とは子供の父親になることしか思いつかなかった。
「最初から……おれの子を産むつもりで……?」
信じられない、とその驚愕は声にも顔にもあからさまに出てしまう。美帆子が浮かべた非の打ちどころのない微笑は、響生が真をついたと告げている。
「正確に云えば、響生の子供が欲しかったんじゃなくて、パーフェクトな遺伝子が欲しかったの」
「なんで……」
人間的ではない並外れた言葉に響生は言葉を失う。ますます混乱していくばかりだ。
「わたしが水谷と結婚した理由は一つ。綺麗な子供が欲しかっただけ。あのひとは子供ができないんじゃないかしら。調べたわけじゃないからはっきりは云えないけど、再婚しても子供はいないみたいだし。少なくとも、ある時点までは環和を自分の子だって思ってたから、水谷は自分が不妊症だとしても気づいてなかったことになるわね」
「ある時点……?」と問うようにつぶやくさなか、空回りしていた思考力が俄に働き、響生は思い当たった。
「離婚したときですか」
環和がケガをして完治していないにもかかわらず、離婚する理由がそれなら納得もいく。ただし、環和のことを思うと理不尽でしかない。
「そうよ。環和がいて、わたしは結婚に未練なんてなかった。環和の躰に傷がつくなんて許せないけど、仲のいいふりをするのも疲れてたから、きっかけをつくってくれた環和には感謝してるの。生まれてくる子の父親として響生を選んだのは、水谷に似ていて綺麗だったから。施設長と話したときに、気が利く子だってこともわかったし、申し分ない子供ができるだろうと思ったの。でも、欠点が一つあった」
美帆子の脳には人工知能が埋められているんじゃないか。そんなばかげたことを思うほど、彼女の云い分には血が通っていない。
仕事で様々な人間の役をこなすくせに、美帆子は感情が欠如している。もしくは、あらゆる人格に成りきったすえ、自分を見失っているのか。
人はだれしも完璧ではない。娘に欠点が一つしか見いだせないというのは愛情があってこそなのか。言葉の端々から見えるのは、娘への美帆子の執着心だった。
「何が欠点ですか」
「濡れるのを異様に怖がることよ。自我のない頃からずっと」
思い当たるでしょう、と云いたそうな視線が響生に向けられた。
「響生、そういうこと、あなたにもない? 家族と一緒に洪水に巻きこまれて天涯孤独になったのよね?」
「……どういうことです?」
美帆子がなんらかを云い含んでいることは確かで、響生は慎重に問い返した。
「親が受けたトラウマとか恐怖は遺伝的に子供に継承されるんですって。なぜお風呂を嫌がるのかまったくわからなかったけど、それを聞いたとき、環和はわたしだけのものじゃないんだってがっかりしたわ」
そんな負の遺伝が親子である証拠なのか。
響生は無力感に襲われる。
美帆子は脚を組み、ソファから背を起こして少し前にのめると腿の上に片方の肘をつく。指先で顎を支えると、響生を上目遣いに見ながら距離をわずかに詰めた。
「響生、検査をしなくても環和があなたの子であることは確かよ。知ってる? 環和は水谷が大好きだったのよ。つまりどういうことかわかる? 環和があなたと会って惹かれるのも当然だと思わない? 遺伝子がそうさせているとしたら――と考えるのも突飛ではないわ。環和はそれを恋だと勘違いしてるの。遺伝子のミスリードね。あなたもよ、響生。肉親の存在に飢えてたでしょ。すぐこの家に懐いてた」
遺伝子など関係ない。
反論はできずに呑みこんだ。
「どうするべきか、わかってるわね?」
そんな美帆子の言葉に送られ、外に出たとたん、響生は魂を奪われたように途方にくれ、立ち尽くした。
美帆子が云った『認められない』は、響生が――おそらくは環和も――思っていたこととは違った。美帆子が認める以前に、道義的に認められないのだ。
真実かどうかなんてわからない。
悪足掻きと承知していながらのつぶやきは実際に声になったのか否か。
「嘘だと思ってるの?」
何も見逃すまいといったふうに美帆子は響生から目を離さない。
「……わかりません。そんなことはひと言も聞いてないなかった」
「あたりまえよ。あなたが環和に手を出さなければ、一生だれにも云うつもりはなかった。父親のあなたにもね。云ったでしょう、投資って」
そのさきは自分で察してみろということなのか、美帆子は響生を試すように見て押し黙った。
子供だった響生は漠然と投資という言葉を鵜呑みにしていたが、投資というのは将来にわたっての成長と利益を期待しての資金投下だ。俳優になるわけでもなく響生が演技を身に着けたところで、美帆子に利益は及ばない。
それなのに、追い払ったとき、美帆子は五千万という大金の入った通帳一式を響生に渡した。それ以来、美帆子から接触してくることはなく、即ち投資は完遂したということではないか。
だとしたら、いま、響生に対する投資とは子供の父親になることしか思いつかなかった。
「最初から……おれの子を産むつもりで……?」
信じられない、とその驚愕は声にも顔にもあからさまに出てしまう。美帆子が浮かべた非の打ちどころのない微笑は、響生が真をついたと告げている。
「正確に云えば、響生の子供が欲しかったんじゃなくて、パーフェクトな遺伝子が欲しかったの」
「なんで……」
人間的ではない並外れた言葉に響生は言葉を失う。ますます混乱していくばかりだ。
「わたしが水谷と結婚した理由は一つ。綺麗な子供が欲しかっただけ。あのひとは子供ができないんじゃないかしら。調べたわけじゃないからはっきりは云えないけど、再婚しても子供はいないみたいだし。少なくとも、ある時点までは環和を自分の子だって思ってたから、水谷は自分が不妊症だとしても気づいてなかったことになるわね」
「ある時点……?」と問うようにつぶやくさなか、空回りしていた思考力が俄に働き、響生は思い当たった。
「離婚したときですか」
環和がケガをして完治していないにもかかわらず、離婚する理由がそれなら納得もいく。ただし、環和のことを思うと理不尽でしかない。
「そうよ。環和がいて、わたしは結婚に未練なんてなかった。環和の躰に傷がつくなんて許せないけど、仲のいいふりをするのも疲れてたから、きっかけをつくってくれた環和には感謝してるの。生まれてくる子の父親として響生を選んだのは、水谷に似ていて綺麗だったから。施設長と話したときに、気が利く子だってこともわかったし、申し分ない子供ができるだろうと思ったの。でも、欠点が一つあった」
美帆子の脳には人工知能が埋められているんじゃないか。そんなばかげたことを思うほど、彼女の云い分には血が通っていない。
仕事で様々な人間の役をこなすくせに、美帆子は感情が欠如している。もしくは、あらゆる人格に成りきったすえ、自分を見失っているのか。
人はだれしも完璧ではない。娘に欠点が一つしか見いだせないというのは愛情があってこそなのか。言葉の端々から見えるのは、娘への美帆子の執着心だった。
「何が欠点ですか」
「濡れるのを異様に怖がることよ。自我のない頃からずっと」
思い当たるでしょう、と云いたそうな視線が響生に向けられた。
「響生、そういうこと、あなたにもない? 家族と一緒に洪水に巻きこまれて天涯孤独になったのよね?」
「……どういうことです?」
美帆子がなんらかを云い含んでいることは確かで、響生は慎重に問い返した。
「親が受けたトラウマとか恐怖は遺伝的に子供に継承されるんですって。なぜお風呂を嫌がるのかまったくわからなかったけど、それを聞いたとき、環和はわたしだけのものじゃないんだってがっかりしたわ」
そんな負の遺伝が親子である証拠なのか。
響生は無力感に襲われる。
美帆子は脚を組み、ソファから背を起こして少し前にのめると腿の上に片方の肘をつく。指先で顎を支えると、響生を上目遣いに見ながら距離をわずかに詰めた。
「響生、検査をしなくても環和があなたの子であることは確かよ。知ってる? 環和は水谷が大好きだったのよ。つまりどういうことかわかる? 環和があなたと会って惹かれるのも当然だと思わない? 遺伝子がそうさせているとしたら――と考えるのも突飛ではないわ。環和はそれを恋だと勘違いしてるの。遺伝子のミスリードね。あなたもよ、響生。肉親の存在に飢えてたでしょ。すぐこの家に懐いてた」
遺伝子など関係ない。
反論はできずに呑みこんだ。
「どうするべきか、わかってるわね?」
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