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第4章 ミスリード~恋いする理由~

10.

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 響生が振り向くと、美帆子はすぐ傍まで来ていた。
「……いい、自分でできるし……」
 美帆子は首をかしげて無言で響生の言葉をさえぎった。
 外で会うとき美帆子はヒールの高い靴を履いていて、背が低いとは感じない。家のなかではルームシューズを履いていてもせいぜい二センチくらいの高さしかなく、傍に立たれればなおさら響生は見下ろすことになる。百六十センチ近くあれば充分だと思うが、響生からすれば美帆子は大人なのにやはり小さい。
 背の高さに大人も子供もないと思うが、こういうシチュエーションに遭遇するたびに、響生はハッとするような言葉に表しがたい感覚に陥る。

「わたしね、女優になりたくて高校を卒業して広島から出てきたの。東京の生活はお金がかかるし、あのひとが云ったように並みの実力なんて役に立たない。どうやって生きていく? そうあきらめかけていたときチャンスに出会った」
 あのひとというのが夫の秀朗のことだとは察したが、美帆子が何を響生に伝えようとしているのかまではわからない。
 美帆子は視線を逸らし、遠く、まるで過去へと遡って見通しているかのような面持ちで宙を見やった。
「チャンスって?」
 響生が問いかけると美帆子は目を戻す。
「赤ちゃんを授かったのよ」
 美帆子の返事は響生を困惑させた。果たしてそれは質問に対する答えだったのか、そんな根本的なことに惑う。

「赤ちゃんて、けど、子供はいないんじゃ……」
「結婚するまえの話よ。あのひとには内緒の話。赤ちゃんはね、早く生まれてしまって丈夫ではなかった。ちょっとした細菌で病気が重症化して、助からなかったの。生まれてすぐ、ほんの少ししか抱いてあげられていない。男の子だったわ。子供の世話をしてる母親を見ると嫉妬してしまうの。わたしはできなかったから」
 つまり美帆子は、亡くなった子供にできなかったことを響生にやらせてほしいと云っているのだ。
 美帆子の云うことは大抵がまわりくどい。いまもそうだ。そのまわりくどさを読み取れるよう、これもまた響生は学ばされているのだろうか。

「わかった」
 響生がうなずくと、美帆子はにっこりと完璧な笑みを見せる。
 美帆子は綺麗とも可愛いとも云われるが、そういう女性は美帆子ばかりではなく数えきれないほどいる。ただ、そこにも個性はあって、美帆子なりに非の打ち所がない。
 生まれつき綺麗なのは贅沢だと響生に云ったことを考えれば、いま目にしている顔は生まれつきのものではないのかもしれない。それでもやはり、響生には完璧に映った。

 美帆子は、これ、と云いながら持っていた財布みたいながま口のポーチを開けている。中から取りだされたものを見ると、それらは、水谷美帆子という名が書かれた通帳に印鑑、そしてキャッシュカードだった。
「響生の名義で口座をつくるにはいろいろ問題があるから、わたしの名義になってるけどATMから引きだすぶんには支障ないわ。五千万、ちゃんと入ってるでしょ。自分で持つのが不安なら預かっておくけど」
 すぐには単位がわからないほど『0』が七つ付いた『5』という数字を見せられた。
「美帆子さんが預かってて。よくわからないんだ」
 美帆子はふふっとおもしろがって笑い、ポーチに一式をしまうとベッドの横にあるチェストの上に置いてから響生の前に戻ってきた。

「響生は意外に素直で真面目なのよね。美しくて頭も良くて、わたしが望むものを持ってる。あとは……」
 と、美帆子は言葉を切って、響生の毛羽だったつくりの厚手のシャツのボタンに手をかけた。
 了解したとはいえ、響生はやはり戸惑う。一つ一つボタンが外され、美帆子の手が下に行くにつれ躰が妙に緊張する。下腹部に美帆子の手が触れ、どくんと何かが脈を打つ感覚がした。
「やっぱり……」
 云いながら響生が一歩下がると、美帆子も一歩前に踏みだしてくる。
「演技をするのよ。わたしの望みに応えるの」

 美帆子はシャツをはだけるようにしながら響生の肩に手を置くと腕に滑らせ、伴ってシャツを脱がせた。次にアンダーシャツの裾をつかみ、引っ張りあげる。響生は戸惑ったまま万歳をする恰好で前かがみになり、そして上半身が裸になった。
 美帆子が響生の胸に手を置く。パニック状態だったかもしれない。響生はしばらくしてから美帆子の手のひらの下が心臓であり、響生の混乱ぶりは美帆子に筒抜けになっていると気づいた。

「鍛えてるの? 細いかと思ったのにもう子供じゃないわね」
「……ボランティアの人から躰の鍛え方を教わったんだ。あんまりやることないし……、っ」
 云っているさなか、響生はすんでのところで驚愕の声を堪えた。
 美帆子の手が胸から離れたかと思うと、デニムパンツのボタンが外された。ジッパーに手がかかったとたん、響生はとっさに美帆子の手をつかんだ。
「美帆子さん、もういいだろ!」
「だめよ。響生がすべてを持ってるか、確かめさせて」
 どういう意味か、完全にパニック状態になった響生が考えられるはずもない。

 美帆子の自由なほうの手がデニムパンツの中に入りこみ、そこに触れたとたん、カッと全身が火照り、その衝撃に美帆子の右手をつかむ響生の手が緩んだ。
 ジッパーは下げられ、デニムパンツが引き下ろされる。避けようと一歩下がった刹那、膝の裏がベッドの角に当たり、響生はすかされたように仰向けに倒れた。
「やめろっ」
 威嚇を声に含め叫んだが、それは混乱した響生の精いっぱいの虚勢だった。
 美帆子はそれを見透かし、響生が起きあがる間もなくトランクスの中に手を入れた。
 はじめてじかに触れられた瞬間のその感触は想像だにせず、美帆子の手に支配され、響生に羞恥心や混乱を掻き消すほどの快楽をもたらした。
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