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第4章 ミスリード~恋いする理由~
8.
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秀朗は嘘はないと証しを立てるかのように、環和からひと時も目を離すことがない。
「でもママは……パパの子供が産みたかったって……」
子供を醜いあひるの子にしないために選んだ――という美帆子の云い分をそのまま伝えるには憚られ、環和はためらったすえ云い換えた。
「そうかもしれないが……」
言葉を途切れさせたが、秀朗はためらっているのではなく環和のことを慮っているように見えた。
親子でないなら、そんな必要もないのに。
環和は内心で投げやりにつぶやいた。それとも環和が混乱してうまく考えられないまま、都合のいいように解釈しているだけなのか。
「……わたしがパパの子じゃないから離婚したの? それとも、ママのほかに好きな人ができたから?」
無意識といっていいほど、気づいたときはそう訊ねていた。どちらが真実か知りたいというよりは、環和にとってらくなのはどちらかということに重きを置いて、環和は秀朗の答えを待った。
秀朗は限界まで溜めこんでいたように深く息を吐きだした。
「環和、もうおまえも大人だ。私と美帆子の事情を話しておく。おまえがケガをしたとき、血液型を聞いてはじめて私たちが親子ではないと知った。私は子供ができない体質だ。再婚してからわかった。いまの妻が子供を欲しがって、それでも授からない。それで検査をした。私は子供は授かり物という考えだ。美帆子は女優業のために避妊しているのだろうと考えていたし、あえて訊くことなくそれでいいと思っていた。いまになってみると、美帆子は子供が欲しいと思いながらできないことで、私が不妊症だと知っていたかもしれない」
語るまえのため息は、しかたないという気持ちではなく、やっと打ち明けられるという覚悟だったかもしれない。秀朗の答えは環和が希望したものではなく、容赦なく聞こえた。
環和が自分の子ではない。秀朗の中で、その事実はそれまで築いてきた親子としての時間よりも遥かに比重が大きく、美帆子の裏切りに付随して環和の存在に耐えられなくなったのだ。
「パパ……」
それなら本当のわたしのパパはだれ? そう訊ねようとして環和は思いとどまった。
秀朗にとって残酷な質問かもしれないし、あるいは、もはや環和に無関心で迷惑がられるかもしれない。それに、『パパ』と呼ぶことさえためらわずにはいられない。
「環和、……」
「ごめんなさい。お邪魔しました」
秀朗が云いかけたことをさえぎり、環和はくるりと身をひるがえした。
引き止められなくてさみしかったのかほっとしたのか、感情が入り乱れて自分でもはっきりしない。
人前だからと気を張りつめて時間をやりすごし、仕事を終わっていざ家に帰って独りになると、泣くという感情さえ麻痺して空っぽになった感覚がした。
スマホの画面に響生の電話番号を出しては消すことを繰り返している。響生がいてくれれば、きっと空虚さなんて吹き飛んでいく。一週間が果てしなく感じた。
*
『明日の夜、八時にうちに来てちょうだい。いちばん安全だから。家は憶えてるわよね?』
響生のスマホにそんなメッセージが来たのは昨夜、日付が変わろうかとする時間だった。一週間という期間よりも一日早いのは、それだけ早く響生を追い払いたいということなのか。
だが、臆することも揺らぐこともない。欠けていたものがやっと見つかった。環和のことはそんなふうに感じている。何を聞かされようが手放す気はさらさらなかった。
響生は住宅街のなかでも豪邸が建ち並ぶ一画にタクシーを案内し、そして要塞のように塀に囲まれた邸宅の門扉の前で止まるよう指示をした。
響生もそこそこ名が知れている。それを配慮してのことだろうか、足が付きやすい自分の車ではなくタクシーで来るようにという指図に従ってやってきたわけだが、いざ降り立ってみると通い慣れていたこの家は不快な思い出に成り果てていた。
環和という存在が響生の中に根付いたからかもしれない。過去を取り消したいほどに、自分が穢らわしくなった。
はじめて真野家を訪れたのは――当時は水谷家だったが、響生が十四歳のときだった。
年に二回ほど施設に定期的に訪れる真野美帆子が女優であることは、職員から聞かされて認識していた程度だ。その頃、響生はまだ天涯孤独であることに対処しきれず、ボランティアでだれが訪れようが関心もなければ、だれかのファンでもなかった。そもそもテレビなど自由に見ることはかなわないのだ。
そんななか、十四歳のクリスマス前、美帆子は施設の子のぶんだけクリスマスプレゼントを持ってやってきた。
「響生くん、ここを抜けだしたいって……いつか、だれかを頼らなくても安心できる暮らしがしたいって思わない?」
隅っこで机に向かっていた響生のもとへ最後になってやってきた美帆子は、宿題をしていた手もとを見たのち、顔を上げてそう云った。
「わからない」
ぶっきらぼうな返事にめげず、美帆子は覗きこむように首をかしげてにっこりと笑う。
「そうね。うちに来てみない? 可能性をあげるわ」
そんな言葉に乗ったのは、将来のことを思い描くことすら拒否して響生がただ途方にくれていたからだろう。
「でもママは……パパの子供が産みたかったって……」
子供を醜いあひるの子にしないために選んだ――という美帆子の云い分をそのまま伝えるには憚られ、環和はためらったすえ云い換えた。
「そうかもしれないが……」
言葉を途切れさせたが、秀朗はためらっているのではなく環和のことを慮っているように見えた。
親子でないなら、そんな必要もないのに。
環和は内心で投げやりにつぶやいた。それとも環和が混乱してうまく考えられないまま、都合のいいように解釈しているだけなのか。
「……わたしがパパの子じゃないから離婚したの? それとも、ママのほかに好きな人ができたから?」
無意識といっていいほど、気づいたときはそう訊ねていた。どちらが真実か知りたいというよりは、環和にとってらくなのはどちらかということに重きを置いて、環和は秀朗の答えを待った。
秀朗は限界まで溜めこんでいたように深く息を吐きだした。
「環和、もうおまえも大人だ。私と美帆子の事情を話しておく。おまえがケガをしたとき、血液型を聞いてはじめて私たちが親子ではないと知った。私は子供ができない体質だ。再婚してからわかった。いまの妻が子供を欲しがって、それでも授からない。それで検査をした。私は子供は授かり物という考えだ。美帆子は女優業のために避妊しているのだろうと考えていたし、あえて訊くことなくそれでいいと思っていた。いまになってみると、美帆子は子供が欲しいと思いながらできないことで、私が不妊症だと知っていたかもしれない」
語るまえのため息は、しかたないという気持ちではなく、やっと打ち明けられるという覚悟だったかもしれない。秀朗の答えは環和が希望したものではなく、容赦なく聞こえた。
環和が自分の子ではない。秀朗の中で、その事実はそれまで築いてきた親子としての時間よりも遥かに比重が大きく、美帆子の裏切りに付随して環和の存在に耐えられなくなったのだ。
「パパ……」
それなら本当のわたしのパパはだれ? そう訊ねようとして環和は思いとどまった。
秀朗にとって残酷な質問かもしれないし、あるいは、もはや環和に無関心で迷惑がられるかもしれない。それに、『パパ』と呼ぶことさえためらわずにはいられない。
「環和、……」
「ごめんなさい。お邪魔しました」
秀朗が云いかけたことをさえぎり、環和はくるりと身をひるがえした。
引き止められなくてさみしかったのかほっとしたのか、感情が入り乱れて自分でもはっきりしない。
人前だからと気を張りつめて時間をやりすごし、仕事を終わっていざ家に帰って独りになると、泣くという感情さえ麻痺して空っぽになった感覚がした。
スマホの画面に響生の電話番号を出しては消すことを繰り返している。響生がいてくれれば、きっと空虚さなんて吹き飛んでいく。一週間が果てしなく感じた。
*
『明日の夜、八時にうちに来てちょうだい。いちばん安全だから。家は憶えてるわよね?』
響生のスマホにそんなメッセージが来たのは昨夜、日付が変わろうかとする時間だった。一週間という期間よりも一日早いのは、それだけ早く響生を追い払いたいということなのか。
だが、臆することも揺らぐこともない。欠けていたものがやっと見つかった。環和のことはそんなふうに感じている。何を聞かされようが手放す気はさらさらなかった。
響生は住宅街のなかでも豪邸が建ち並ぶ一画にタクシーを案内し、そして要塞のように塀に囲まれた邸宅の門扉の前で止まるよう指示をした。
響生もそこそこ名が知れている。それを配慮してのことだろうか、足が付きやすい自分の車ではなくタクシーで来るようにという指図に従ってやってきたわけだが、いざ降り立ってみると通い慣れていたこの家は不快な思い出に成り果てていた。
環和という存在が響生の中に根付いたからかもしれない。過去を取り消したいほどに、自分が穢らわしくなった。
はじめて真野家を訪れたのは――当時は水谷家だったが、響生が十四歳のときだった。
年に二回ほど施設に定期的に訪れる真野美帆子が女優であることは、職員から聞かされて認識していた程度だ。その頃、響生はまだ天涯孤独であることに対処しきれず、ボランティアでだれが訪れようが関心もなければ、だれかのファンでもなかった。そもそもテレビなど自由に見ることはかなわないのだ。
そんななか、十四歳のクリスマス前、美帆子は施設の子のぶんだけクリスマスプレゼントを持ってやってきた。
「響生くん、ここを抜けだしたいって……いつか、だれかを頼らなくても安心できる暮らしがしたいって思わない?」
隅っこで机に向かっていた響生のもとへ最後になってやってきた美帆子は、宿題をしていた手もとを見たのち、顔を上げてそう云った。
「わからない」
ぶっきらぼうな返事にめげず、美帆子は覗きこむように首をかしげてにっこりと笑う。
「そうね。うちに来てみない? 可能性をあげるわ」
そんな言葉に乗ったのは、将来のことを思い描くことすら拒否して響生がただ途方にくれていたからだろう。
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