上 下
44 / 93
第3章 恋は刹那の嵐のようで

16.

しおりを挟む
 友樹の内定祝いだと云って、恐縮する友樹を強引に誘って三人で食事をしたのち、環和のマンションに向かった。
「おまえ、車の運転しないのになんで駐車場まで持ってるんだ?」
 地下の駐車場から地上に出てコンシェルジュがいるフロントを通りすぎ、乗ったエレベーターの中はふたりきりだ。上昇するのを待っていたように響生は訊ねた。
 響生が環和の住み処に来るのは三回めだが――そのうち一回は送られて来ただけだが、車で来るのははじめだった。
「ママ用の駐車場」
 環和の答えを受け、響生は眉をひそめて何やら考えこんだ様子だ。
 それきり地上十四階の最上階の角部屋に入るまでふたりとも黙ったままだった。

 はじめてきたわけでもないのに、響生はリビングを見回した。
 響生の家と同じく、ダイニングもキッチンも同じ空間にある。ほかに二つ部屋があって、一つは使うことなく予備の寝室となっている。響生の住み処には負けるけれど、独り暮らしには広すぎるほど余裕の間取りだ。
「何か飲む? 炭酸水、置いてるよ」
 環和は苦く感じて炭酸水は飲まないのだが、響生はビールがわりに飲むと聞いて常備している。ビールもあるけれど、今日みたいに車で帰るときに飲ませるわけにはいかない。本音は、泊まっていけばと誘う理由にビールを勧めたいところだ。
「それでいい」
 響生は肩をすくめてリビングのソファに座った。

 環和は冷蔵庫から炭酸水とオレンジエキス入りのミネラルウオーターを取り、ソファのところに行くと響生に炭酸水を渡して隣に座った。
 響生はペットボトルのふたをひねりながら口を開いた。
「ここ賃貸って云ってたけど、よく考えれば最上階だし、マンションの立地条件はいいし、家賃はおまえの給料が吹っ飛ぶ以上に高いんじゃないのか。大学から住んでるって云うし、親に払ってもらってるってことか?」
「正解。ミニョンで働いてるのは洋服が好きだし、友だちいないし独りじゃ暇だから。働きだしてからは、電気代とか食事代とか、生活費と小遣いはちゃんと自分で払ってる」
「母親と父親と、どっちから?」
「パパとは音信不通だって云ったでしょ」
「母親は何やってるんだ? 実家が資産家とか?」
「人に云うなって云われてる。家を出た理由もそれが発端。ママが自分の娘だってわからないようにしろって訳のわかんないこと云ってきて、家に帰るのに、もしだれかに声をかけられたら家政婦の子供だって云えとか意味不明。面倒くさいと思わない?」

 何を思ったのか、だんだんと怪訝そうにしていた響生は一層、表情が思わしくなくなった。
「なんだそれ」
「でしょ。そのくせ、いざ家を出ると過干渉。コンシェルジュに帰ったかどうか監視させてるんだから。まえはわざわざ帰りましたってコンシェルジュに云わなきゃいけなかったんだよ。いまはもう顔パスになってるけど」
「なら、男を連れこんでるって、お母さんに連絡いってるんじゃないのか」
 環和は躰ごと響生のほうを向き、すると響生も首をまわして環和に目を向けた。
「……そうだとして、いまママが乗りこんできたら困る?」
「あたふたするほどガキじゃない。干渉されてるのは知ってたし、バッタリってシーンを避けたいなら、はじめからここには来ない」
 無難で隙のない答えだ。もっとも、環和は響生が逃げるなどとは思っていない。

「響生、生活に困ってないカノジョって何か気になる?」
 炭酸水を飲んでいた響生の喉仏が動く。そこにキスをしたくなる環和は変態なのか、その衝動は響生が振り向いて断ちきられた。
「なんなんだ、その質問」
「今日、日東テレビの前で京香さんと会ったの。響生とすれ違ったって云ってたよ」
「ああ……ドラマの打ち合わせっぽいこと云ってたな」
 響生は宙を見て、記憶を引っ張りだし、時間をたどっているような様でつぶやくように云った。

「京香さん、自分は響生と似てて、わたしとは違うって」
「何が?」
「仕事中毒で野心家なところ。それと、生活に困った経験があるところ」
 響生はばかばかしいといったふうに鼻先で笑った。
「確かに似てるけど、違うからってそのどこが問題なんだ」
「わたしも問題がわからないから訊いてる。生活に困らないから響生は京香さんじゃなくてわたしなんだって、やっぱり意味不明」
 響生はふと考えこむような面持ちになった。
「……響生?」
「おまえは箱入りっぽいけど、自分をしっかり持っていて頭は使えるし弱くない」
 沈黙が長引くかと思えば、たぶん褒め言葉だろう、響生は口を開いて並べ立てた。

「箱に入ってた憶えないけど」
「だからそう云ってる。けど、環和が想像している以上に意味不明なことは多い。ヘンに振り回されるなよ」
「それって、人生の先輩として? それとも恋人として云ってるの?」
「そこ、区別つける必要あるのか?」
「ない」
 いまさら確かめることでもないが、『恋人』という言葉は少なくとも否定されなくて環和はホッとした。満面の笑みを見て響生こそ意味不明だと思ったのだろう、環和を見やった目は気が触れたのかと云いたそうだ。

「外で話せないことって京香さんのことか?」
「それもあるけど……話がしたいっていうよりは報告かも」
「なんだ」
「待ってて」
 環和は素早く立ちあがってバスルームに行った。洗面台の棚に置いたスティックを取る。どきどきするのには不安も入り混じる。けれど、正面の鏡を見ると自分は微笑を浮かべていて、即ちそれが報告したときの響生の反応に違いない。そう信じてリビングに戻った。
 響生の正面にまわりこんで、そのままテーブルの上に座る。環和は持っていたものを差しだした。

「これ」
「……何?」
 響生は知らないらしく、スティックを見て首をひねった。
「妊娠検査薬。生理の予定すぎてて……」
 環和は言葉を濁して首をすくめた。
 響生の反応は微笑とは違い、思いがけなく、ため息だった。
「響生……」
「つまり、子供ができたってことだ。まさか、それをおれに云えなくていままで悩んでたっていうんじゃないだろうな」
 環和は急いで首を横に振った。
「そんなことない。わたしに選択権あるって云ったとき、響生は反論しなかったから。結果がノーだったらがっかりするし、最近、食べ物の好みが違ったり、ちょっと吐きたいような気がしたりしたから間違いないって思って朝、やってみた。響生と会ったときに報告できるから」
 そう云うと、響生の口もとに環和が期待していた微笑が浮かんだ。

「おまえのお母さんに挨拶しないとな」
 環和は目を丸くする。
「……それって?」
「結婚、するだろう?」
「うん、する! 響生を紹介するってこと口実にして、お父さんにも会えそう」
「そのファザコン、なんとかしろ」
 喜び勇んだ環和とは対照的に、響生は微笑を消して不満そうだ。
「なんとかなってる!」
 響生は軽薄な返事だと捉えたようだけれど、本当に今日、実際に会ってみてファザコンは卒業できた気がするのだ。

「今度いつ休みだ?」
「あさって」
「おれも付き合う」
「なんに?」
「病院だろ」
 ため息混じりに響生が云い、そこまで気のまわっていなかった環和は、即座に響生の腿の上に移動した。
「おいっ」
 炭酸水がこぼれて響生のスーツパンツを濡らしてしまう。もちろん、環和のスカートも濡れている。にもかかわらずうれしさを丸出しにして――
「泊まってけば?」
 と誘ってみた。
「……わざとじゃないだろうな」
「わざとじゃないけどラッキーって思ってる。うれしいの、なんだかいろいろ」

 環和より環和のことを気遣ってくれる。そんな満ち足りるようなうれしさは伝わっているのかいないのか、響生はくちびるを歪めて笑う。それは泊まるという意思表示なのだと阿吽の呼吸で感じとれ、裏付けるように響生は環和の腰を引き寄せる。環和の笑みを、同じ笑みを浮かべたくちびるで封じた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

今日の授業は保健体育

にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり) 僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。 その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。 ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。

処理中です...