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第3章 恋は刹那の嵐のようで
16.
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友樹の内定祝いだと云って、恐縮する友樹を強引に誘って三人で食事をしたのち、環和のマンションに向かった。
「おまえ、車の運転しないのになんで駐車場まで持ってるんだ?」
地下の駐車場から地上に出てコンシェルジュがいるフロントを通りすぎ、乗ったエレベーターの中はふたりきりだ。上昇するのを待っていたように響生は訊ねた。
響生が環和の住み処に来るのは三回めだが――そのうち一回は送られて来ただけだが、車で来るのははじめだった。
「ママ用の駐車場」
環和の答えを受け、響生は眉をひそめて何やら考えこんだ様子だ。
それきり地上十四階の最上階の角部屋に入るまでふたりとも黙ったままだった。
はじめてきたわけでもないのに、響生はリビングを見回した。
響生の家と同じく、ダイニングもキッチンも同じ空間にある。ほかに二つ部屋があって、一つは使うことなく予備の寝室となっている。響生の住み処には負けるけれど、独り暮らしには広すぎるほど余裕の間取りだ。
「何か飲む? 炭酸水、置いてるよ」
環和は苦く感じて炭酸水は飲まないのだが、響生はビールがわりに飲むと聞いて常備している。ビールもあるけれど、今日みたいに車で帰るときに飲ませるわけにはいかない。本音は、泊まっていけばと誘う理由にビールを勧めたいところだ。
「それでいい」
響生は肩をすくめてリビングのソファに座った。
環和は冷蔵庫から炭酸水とオレンジエキス入りのミネラルウオーターを取り、ソファのところに行くと響生に炭酸水を渡して隣に座った。
響生はペットボトルのふたをひねりながら口を開いた。
「ここ賃貸って云ってたけど、よく考えれば最上階だし、マンションの立地条件はいいし、家賃はおまえの給料が吹っ飛ぶ以上に高いんじゃないのか。大学から住んでるって云うし、親に払ってもらってるってことか?」
「正解。ミニョンで働いてるのは洋服が好きだし、友だちいないし独りじゃ暇だから。働きだしてからは、電気代とか食事代とか、生活費と小遣いはちゃんと自分で払ってる」
「母親と父親と、どっちから?」
「パパとは音信不通だって云ったでしょ」
「母親は何やってるんだ? 実家が資産家とか?」
「人に云うなって云われてる。家を出た理由もそれが発端。ママが自分の娘だってわからないようにしろって訳のわかんないこと云ってきて、家に帰るのに、もしだれかに声をかけられたら家政婦の子供だって云えとか意味不明。面倒くさいと思わない?」
何を思ったのか、だんだんと怪訝そうにしていた響生は一層、表情が思わしくなくなった。
「なんだそれ」
「でしょ。そのくせ、いざ家を出ると過干渉。コンシェルジュに帰ったかどうか監視させてるんだから。まえはわざわざ帰りましたってコンシェルジュに云わなきゃいけなかったんだよ。いまはもう顔パスになってるけど」
「なら、男を連れこんでるって、お母さんに連絡いってるんじゃないのか」
環和は躰ごと響生のほうを向き、すると響生も首をまわして環和に目を向けた。
「……そうだとして、いまママが乗りこんできたら困る?」
「あたふたするほどガキじゃない。干渉されてるのは知ってたし、バッタリってシーンを避けたいなら、はじめからここには来ない」
無難で隙のない答えだ。もっとも、環和は響生が逃げるなどとは思っていない。
「響生、生活に困ってないカノジョって何か気になる?」
炭酸水を飲んでいた響生の喉仏が動く。そこにキスをしたくなる環和は変態なのか、その衝動は響生が振り向いて断ちきられた。
「なんなんだ、その質問」
「今日、日東テレビの前で京香さんと会ったの。響生とすれ違ったって云ってたよ」
「ああ……ドラマの打ち合わせっぽいこと云ってたな」
響生は宙を見て、記憶を引っ張りだし、時間をたどっているような様でつぶやくように云った。
「京香さん、自分は響生と似てて、わたしとは違うって」
「何が?」
「仕事中毒で野心家なところ。それと、生活に困った経験があるところ」
響生はばかばかしいといったふうに鼻先で笑った。
「確かに似てるけど、違うからってそのどこが問題なんだ」
「わたしも問題がわからないから訊いてる。生活に困らないから響生は京香さんじゃなくてわたしなんだって、やっぱり意味不明」
響生はふと考えこむような面持ちになった。
「……響生?」
「おまえは箱入りっぽいけど、自分をしっかり持っていて頭は使えるし弱くない」
沈黙が長引くかと思えば、たぶん褒め言葉だろう、響生は口を開いて並べ立てた。
「箱に入ってた憶えないけど」
「だからそう云ってる。けど、環和が想像している以上に意味不明なことは多い。ヘンに振り回されるなよ」
「それって、人生の先輩として? それとも恋人として云ってるの?」
「そこ、区別つける必要あるのか?」
「ない」
いまさら確かめることでもないが、『恋人』という言葉は少なくとも否定されなくて環和はホッとした。満面の笑みを見て響生こそ意味不明だと思ったのだろう、環和を見やった目は気が触れたのかと云いたそうだ。
「外で話せないことって京香さんのことか?」
「それもあるけど……話がしたいっていうよりは報告かも」
「なんだ」
「待ってて」
環和は素早く立ちあがってバスルームに行った。洗面台の棚に置いたスティックを取る。どきどきするのには不安も入り混じる。けれど、正面の鏡を見ると自分は微笑を浮かべていて、即ちそれが報告したときの響生の反応に違いない。そう信じてリビングに戻った。
響生の正面にまわりこんで、そのままテーブルの上に座る。環和は持っていたものを差しだした。
「これ」
「……何?」
響生は知らないらしく、スティックを見て首をひねった。
「妊娠検査薬。生理の予定すぎてて……」
環和は言葉を濁して首をすくめた。
響生の反応は微笑とは違い、思いがけなく、ため息だった。
「響生……」
「つまり、子供ができたってことだ。まさか、それをおれに云えなくていままで悩んでたっていうんじゃないだろうな」
環和は急いで首を横に振った。
「そんなことない。わたしに選択権あるって云ったとき、響生は反論しなかったから。結果がノーだったらがっかりするし、最近、食べ物の好みが違ったり、ちょっと吐きたいような気がしたりしたから間違いないって思って朝、やってみた。響生と会ったときに報告できるから」
そう云うと、響生の口もとに環和が期待していた微笑が浮かんだ。
「おまえのお母さんに挨拶しないとな」
環和は目を丸くする。
「……それって?」
「結婚、するだろう?」
「うん、する! 響生を紹介するってこと口実にして、お父さんにも会えそう」
「そのファザコン、なんとかしろ」
喜び勇んだ環和とは対照的に、響生は微笑を消して不満そうだ。
「なんとかなってる!」
響生は軽薄な返事だと捉えたようだけれど、本当に今日、実際に会ってみてファザコンは卒業できた気がするのだ。
「今度いつ休みだ?」
「あさって」
「おれも付き合う」
「なんに?」
「病院だろ」
ため息混じりに響生が云い、そこまで気のまわっていなかった環和は、即座に響生の腿の上に移動した。
「おいっ」
炭酸水がこぼれて響生のスーツパンツを濡らしてしまう。もちろん、環和のスカートも濡れている。にもかかわらずうれしさを丸出しにして――
「泊まってけば?」
と誘ってみた。
「……わざとじゃないだろうな」
「わざとじゃないけどラッキーって思ってる。うれしいの、なんだかいろいろ」
環和より環和のことを気遣ってくれる。そんな満ち足りるようなうれしさは伝わっているのかいないのか、響生はくちびるを歪めて笑う。それは泊まるという意思表示なのだと阿吽の呼吸で感じとれ、裏付けるように響生は環和の腰を引き寄せる。環和の笑みを、同じ笑みを浮かべたくちびるで封じた。
「おまえ、車の運転しないのになんで駐車場まで持ってるんだ?」
地下の駐車場から地上に出てコンシェルジュがいるフロントを通りすぎ、乗ったエレベーターの中はふたりきりだ。上昇するのを待っていたように響生は訊ねた。
響生が環和の住み処に来るのは三回めだが――そのうち一回は送られて来ただけだが、車で来るのははじめだった。
「ママ用の駐車場」
環和の答えを受け、響生は眉をひそめて何やら考えこんだ様子だ。
それきり地上十四階の最上階の角部屋に入るまでふたりとも黙ったままだった。
はじめてきたわけでもないのに、響生はリビングを見回した。
響生の家と同じく、ダイニングもキッチンも同じ空間にある。ほかに二つ部屋があって、一つは使うことなく予備の寝室となっている。響生の住み処には負けるけれど、独り暮らしには広すぎるほど余裕の間取りだ。
「何か飲む? 炭酸水、置いてるよ」
環和は苦く感じて炭酸水は飲まないのだが、響生はビールがわりに飲むと聞いて常備している。ビールもあるけれど、今日みたいに車で帰るときに飲ませるわけにはいかない。本音は、泊まっていけばと誘う理由にビールを勧めたいところだ。
「それでいい」
響生は肩をすくめてリビングのソファに座った。
環和は冷蔵庫から炭酸水とオレンジエキス入りのミネラルウオーターを取り、ソファのところに行くと響生に炭酸水を渡して隣に座った。
響生はペットボトルのふたをひねりながら口を開いた。
「ここ賃貸って云ってたけど、よく考えれば最上階だし、マンションの立地条件はいいし、家賃はおまえの給料が吹っ飛ぶ以上に高いんじゃないのか。大学から住んでるって云うし、親に払ってもらってるってことか?」
「正解。ミニョンで働いてるのは洋服が好きだし、友だちいないし独りじゃ暇だから。働きだしてからは、電気代とか食事代とか、生活費と小遣いはちゃんと自分で払ってる」
「母親と父親と、どっちから?」
「パパとは音信不通だって云ったでしょ」
「母親は何やってるんだ? 実家が資産家とか?」
「人に云うなって云われてる。家を出た理由もそれが発端。ママが自分の娘だってわからないようにしろって訳のわかんないこと云ってきて、家に帰るのに、もしだれかに声をかけられたら家政婦の子供だって云えとか意味不明。面倒くさいと思わない?」
何を思ったのか、だんだんと怪訝そうにしていた響生は一層、表情が思わしくなくなった。
「なんだそれ」
「でしょ。そのくせ、いざ家を出ると過干渉。コンシェルジュに帰ったかどうか監視させてるんだから。まえはわざわざ帰りましたってコンシェルジュに云わなきゃいけなかったんだよ。いまはもう顔パスになってるけど」
「なら、男を連れこんでるって、お母さんに連絡いってるんじゃないのか」
環和は躰ごと響生のほうを向き、すると響生も首をまわして環和に目を向けた。
「……そうだとして、いまママが乗りこんできたら困る?」
「あたふたするほどガキじゃない。干渉されてるのは知ってたし、バッタリってシーンを避けたいなら、はじめからここには来ない」
無難で隙のない答えだ。もっとも、環和は響生が逃げるなどとは思っていない。
「響生、生活に困ってないカノジョって何か気になる?」
炭酸水を飲んでいた響生の喉仏が動く。そこにキスをしたくなる環和は変態なのか、その衝動は響生が振り向いて断ちきられた。
「なんなんだ、その質問」
「今日、日東テレビの前で京香さんと会ったの。響生とすれ違ったって云ってたよ」
「ああ……ドラマの打ち合わせっぽいこと云ってたな」
響生は宙を見て、記憶を引っ張りだし、時間をたどっているような様でつぶやくように云った。
「京香さん、自分は響生と似てて、わたしとは違うって」
「何が?」
「仕事中毒で野心家なところ。それと、生活に困った経験があるところ」
響生はばかばかしいといったふうに鼻先で笑った。
「確かに似てるけど、違うからってそのどこが問題なんだ」
「わたしも問題がわからないから訊いてる。生活に困らないから響生は京香さんじゃなくてわたしなんだって、やっぱり意味不明」
響生はふと考えこむような面持ちになった。
「……響生?」
「おまえは箱入りっぽいけど、自分をしっかり持っていて頭は使えるし弱くない」
沈黙が長引くかと思えば、たぶん褒め言葉だろう、響生は口を開いて並べ立てた。
「箱に入ってた憶えないけど」
「だからそう云ってる。けど、環和が想像している以上に意味不明なことは多い。ヘンに振り回されるなよ」
「それって、人生の先輩として? それとも恋人として云ってるの?」
「そこ、区別つける必要あるのか?」
「ない」
いまさら確かめることでもないが、『恋人』という言葉は少なくとも否定されなくて環和はホッとした。満面の笑みを見て響生こそ意味不明だと思ったのだろう、環和を見やった目は気が触れたのかと云いたそうだ。
「外で話せないことって京香さんのことか?」
「それもあるけど……話がしたいっていうよりは報告かも」
「なんだ」
「待ってて」
環和は素早く立ちあがってバスルームに行った。洗面台の棚に置いたスティックを取る。どきどきするのには不安も入り混じる。けれど、正面の鏡を見ると自分は微笑を浮かべていて、即ちそれが報告したときの響生の反応に違いない。そう信じてリビングに戻った。
響生の正面にまわりこんで、そのままテーブルの上に座る。環和は持っていたものを差しだした。
「これ」
「……何?」
響生は知らないらしく、スティックを見て首をひねった。
「妊娠検査薬。生理の予定すぎてて……」
環和は言葉を濁して首をすくめた。
響生の反応は微笑とは違い、思いがけなく、ため息だった。
「響生……」
「つまり、子供ができたってことだ。まさか、それをおれに云えなくていままで悩んでたっていうんじゃないだろうな」
環和は急いで首を横に振った。
「そんなことない。わたしに選択権あるって云ったとき、響生は反論しなかったから。結果がノーだったらがっかりするし、最近、食べ物の好みが違ったり、ちょっと吐きたいような気がしたりしたから間違いないって思って朝、やってみた。響生と会ったときに報告できるから」
そう云うと、響生の口もとに環和が期待していた微笑が浮かんだ。
「おまえのお母さんに挨拶しないとな」
環和は目を丸くする。
「……それって?」
「結婚、するだろう?」
「うん、する! 響生を紹介するってこと口実にして、お父さんにも会えそう」
「そのファザコン、なんとかしろ」
喜び勇んだ環和とは対照的に、響生は微笑を消して不満そうだ。
「なんとかなってる!」
響生は軽薄な返事だと捉えたようだけれど、本当に今日、実際に会ってみてファザコンは卒業できた気がするのだ。
「今度いつ休みだ?」
「あさって」
「おれも付き合う」
「なんに?」
「病院だろ」
ため息混じりに響生が云い、そこまで気のまわっていなかった環和は、即座に響生の腿の上に移動した。
「おいっ」
炭酸水がこぼれて響生のスーツパンツを濡らしてしまう。もちろん、環和のスカートも濡れている。にもかかわらずうれしさを丸出しにして――
「泊まってけば?」
と誘ってみた。
「……わざとじゃないだろうな」
「わざとじゃないけどラッキーって思ってる。うれしいの、なんだかいろいろ」
環和より環和のことを気遣ってくれる。そんな満ち足りるようなうれしさは伝わっているのかいないのか、響生はくちびるを歪めて笑う。それは泊まるという意思表示なのだと阿吽の呼吸で感じとれ、裏付けるように響生は環和の腰を引き寄せる。環和の笑みを、同じ笑みを浮かべたくちびるで封じた。
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