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第3章 恋は刹那の嵐のようで
9.
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河原から道路沿いに出て間もなく、スタッフの車がやってきて、響生がずっと歩かずにすんだことに環和はほっとした。いざ、車で撮影の現地に戻ってみると、道が蛇行しているとはいえ、一キロではすまないくらいかかった。
それだけ流されて助かったのは、きっと響生の判断がよかったのだ。友樹には訓練を受けていると云っていたからその成果なのだろう。けれど、助かったというのに、そのあとの響生の発作ともいうべき反応はどういうことだろう。
戻ったあとは、キャンプ場の共同シャワー室でシャワーを浴びたり着替えたり、ふたりは別々になって話せていない。
環和の着替えは、ちょうど河原での撮影が終わったところだったから、京香の撮影用の服を借りた。下着のかわりは濡れていない水着で、流された靴のかわりはビーチサンダルだ。
施設から借りたドライヤーである程度、髪を乾かしたあと環和がスタッフに合流したときは、バンガローでの撮影が行われていて響生はとっくに仕事に戻っていた。
だれもが撮影に集中していて、あらためて謝るような雰囲気でもないが、とりあえず恵には謝罪しておくべきだと思って探した。バンガローのなかから声がして窓から覗くと、打ち合わせとメイク直しの最中で、撮影は休止している。
人影に目ざとく気づいたのだろうか、環和がいち早く捉えた横顔がまっすぐに向き直ってきた。
響生は離れるなと云ったけれど、本当は視界に入らないところにいたほうがいいのかもしれない。それほど冷ややかな気配で響生は環和を捉えた。けっして環和だけのせいじゃないと思うのに後ろめたい気にさせられ、環和はここにいると云うかわりにちょっと後ろのほうを指差した。
響生は呆れ返っているのかなんなのか、ため息をついてそっぽを向くように室内に目を戻した。横顔をよく見ると、髪はタオルドライをして乾かしていないようだ。耳辺りのウエーブが少しきつくなっている。服は、環和の場合と同じで、勇が撮影用に着ていたものだった。
恵の、じゃあお願いね、という言葉が聞こえたかと思うと、響生が、じゃ行こう、といつものどおりの声音で合図を出した。
さっき自分が指差したところまで下がったとき、恵はバンガローから出てきた。環和は駆け寄っていく。
「青田さん、すみませんでした」
深々と一礼をしたあと顔を上げると、恵は響生と同じように環和を見下ろしてため息をつく。
「だから、気をつけなさいって云ったのに。響生がわかってるといいけど」
嫌味だったり責められたりするかと思ったのに、恵はともすれば心配したようで、そのうえ、不穏な言葉を口にした。
「……え?」
環和が問うような眼差しをしばらく見つめていた恵は、なんでもないわ、と首を横に振り、続けた。
「響生は泳げるって聞いてたから大丈夫だとは思ったけど、こんなにハラハラさせられたのははじめてよ。でも……」
中途半端に云って、恵はしげしげと環和を見つめた。批難の眼差しではない。出し抜けにふっと鼻先で笑った恵は、「あなた、文字どおり生き延びたわね」と意味不明なことを云った。
「生き延びた、って?」
確かに響生のおかげで生き延びたが、恵が云ったのはそのことではないような気がした。
「延命措置かしら。うまく響生を絡み取ってるってことよ。もしかしたらお互いに絡み合ってるのかしら。といっても蝶々結びくらいだから、だれかにリボンの端を引っ張られないようにがんばることね」
思いがけず、応援するような言葉が恵の口から飛びだした。恵が云う『延命措置』は三カ月というカノジョとしての期限が延びたという意味なのだ。
「……そうします」
「じゃあ、これから何事もなく終わるように、響生の目の届くところでじっとしててちょうだい」
まるで小さな子供に云い聞かせるような口調で云い、恵は京香と勇のマネージャーたちのところへ向かった。
子供扱いをされてもしかたがない。響生といると自分が惨めだと思うことがよくある。それを響生のせいだと、さすがの環和もいまだけは云えなかった。
バーベキューシーンまで撮り終わり、そのまま全員でバーベキューの時間を楽しんだあと、それぞれに帰途についた。
響生の車は響生自らが運転し、友樹が助手席で環和は運転席の後ろに乗るなか、男ふたりばかりで喋っていた。カメラや撮影の話だから、そうなるのは当然ではあったけれど、環和を排除したがっていることは肌で感じる。そんなふうに、環和は完全に無視されていた。
もしかしたら、このまま駅に送り届けられるんじゃないかと思っていたのに、そうされたのは友樹のほうだった。
どちらにともなく、お疲れさまでした、と云い、車から降りた友樹は後部座席に頭を突っこんで荷物を取りながら環和を見やった。昼間の泣きそうだった表情はどこへやら、からかうような眼差しとともににやりとして、車から頭を引っこめた。
ラハザに戻るまでふたりともやはり黙ったままで、恵からはああ云われたものの、本当に延命措置になっているのか環和の自信は皆無だ。どうすればいいのか戸惑ったままラハザに着いた。
家に連れて帰ったすえ、帰れと云わないのは、つまり家に入れということだ。そう判断して、環和はいくつか車から響生が外におろしたぶんを持てるだけ持って家に向かった。
「上に行っておけ」
背後からひと言だけ云い渡して、響生はまた外に戻った。
環和は二階に上がり、バスルームに行って、濡れたふたりの服を洗濯機の中に入れるとリビングに戻った。どうしていいのかわからない戸惑いは続いていて、響生は煙草がさきだろうが、とりあえずコーヒーの準備をし始めた。
階段をのぼってくる足音がする。俄に緊張しながら顔を上げたところで、響生がリビングに現れた。
「響生、今日はごめんなさい」
「そう思ってるなら、黙ってやられろ」
剣呑とした声は地底から響くように残虐に聞こえた。
どういう意味だろう。
傍に来た響生はコーヒーメーカーのスイッチを切り、本能的に後ずさろうとした環和をすくいあげる。すたすたと歩いてキッチンから連れだされ、ベッドルームに入ったかと思うと、環和は乱暴にベッドに放られた。
それだけ流されて助かったのは、きっと響生の判断がよかったのだ。友樹には訓練を受けていると云っていたからその成果なのだろう。けれど、助かったというのに、そのあとの響生の発作ともいうべき反応はどういうことだろう。
戻ったあとは、キャンプ場の共同シャワー室でシャワーを浴びたり着替えたり、ふたりは別々になって話せていない。
環和の着替えは、ちょうど河原での撮影が終わったところだったから、京香の撮影用の服を借りた。下着のかわりは濡れていない水着で、流された靴のかわりはビーチサンダルだ。
施設から借りたドライヤーである程度、髪を乾かしたあと環和がスタッフに合流したときは、バンガローでの撮影が行われていて響生はとっくに仕事に戻っていた。
だれもが撮影に集中していて、あらためて謝るような雰囲気でもないが、とりあえず恵には謝罪しておくべきだと思って探した。バンガローのなかから声がして窓から覗くと、打ち合わせとメイク直しの最中で、撮影は休止している。
人影に目ざとく気づいたのだろうか、環和がいち早く捉えた横顔がまっすぐに向き直ってきた。
響生は離れるなと云ったけれど、本当は視界に入らないところにいたほうがいいのかもしれない。それほど冷ややかな気配で響生は環和を捉えた。けっして環和だけのせいじゃないと思うのに後ろめたい気にさせられ、環和はここにいると云うかわりにちょっと後ろのほうを指差した。
響生は呆れ返っているのかなんなのか、ため息をついてそっぽを向くように室内に目を戻した。横顔をよく見ると、髪はタオルドライをして乾かしていないようだ。耳辺りのウエーブが少しきつくなっている。服は、環和の場合と同じで、勇が撮影用に着ていたものだった。
恵の、じゃあお願いね、という言葉が聞こえたかと思うと、響生が、じゃ行こう、といつものどおりの声音で合図を出した。
さっき自分が指差したところまで下がったとき、恵はバンガローから出てきた。環和は駆け寄っていく。
「青田さん、すみませんでした」
深々と一礼をしたあと顔を上げると、恵は響生と同じように環和を見下ろしてため息をつく。
「だから、気をつけなさいって云ったのに。響生がわかってるといいけど」
嫌味だったり責められたりするかと思ったのに、恵はともすれば心配したようで、そのうえ、不穏な言葉を口にした。
「……え?」
環和が問うような眼差しをしばらく見つめていた恵は、なんでもないわ、と首を横に振り、続けた。
「響生は泳げるって聞いてたから大丈夫だとは思ったけど、こんなにハラハラさせられたのははじめてよ。でも……」
中途半端に云って、恵はしげしげと環和を見つめた。批難の眼差しではない。出し抜けにふっと鼻先で笑った恵は、「あなた、文字どおり生き延びたわね」と意味不明なことを云った。
「生き延びた、って?」
確かに響生のおかげで生き延びたが、恵が云ったのはそのことではないような気がした。
「延命措置かしら。うまく響生を絡み取ってるってことよ。もしかしたらお互いに絡み合ってるのかしら。といっても蝶々結びくらいだから、だれかにリボンの端を引っ張られないようにがんばることね」
思いがけず、応援するような言葉が恵の口から飛びだした。恵が云う『延命措置』は三カ月というカノジョとしての期限が延びたという意味なのだ。
「……そうします」
「じゃあ、これから何事もなく終わるように、響生の目の届くところでじっとしててちょうだい」
まるで小さな子供に云い聞かせるような口調で云い、恵は京香と勇のマネージャーたちのところへ向かった。
子供扱いをされてもしかたがない。響生といると自分が惨めだと思うことがよくある。それを響生のせいだと、さすがの環和もいまだけは云えなかった。
バーベキューシーンまで撮り終わり、そのまま全員でバーベキューの時間を楽しんだあと、それぞれに帰途についた。
響生の車は響生自らが運転し、友樹が助手席で環和は運転席の後ろに乗るなか、男ふたりばかりで喋っていた。カメラや撮影の話だから、そうなるのは当然ではあったけれど、環和を排除したがっていることは肌で感じる。そんなふうに、環和は完全に無視されていた。
もしかしたら、このまま駅に送り届けられるんじゃないかと思っていたのに、そうされたのは友樹のほうだった。
どちらにともなく、お疲れさまでした、と云い、車から降りた友樹は後部座席に頭を突っこんで荷物を取りながら環和を見やった。昼間の泣きそうだった表情はどこへやら、からかうような眼差しとともににやりとして、車から頭を引っこめた。
ラハザに戻るまでふたりともやはり黙ったままで、恵からはああ云われたものの、本当に延命措置になっているのか環和の自信は皆無だ。どうすればいいのか戸惑ったままラハザに着いた。
家に連れて帰ったすえ、帰れと云わないのは、つまり家に入れということだ。そう判断して、環和はいくつか車から響生が外におろしたぶんを持てるだけ持って家に向かった。
「上に行っておけ」
背後からひと言だけ云い渡して、響生はまた外に戻った。
環和は二階に上がり、バスルームに行って、濡れたふたりの服を洗濯機の中に入れるとリビングに戻った。どうしていいのかわからない戸惑いは続いていて、響生は煙草がさきだろうが、とりあえずコーヒーの準備をし始めた。
階段をのぼってくる足音がする。俄に緊張しながら顔を上げたところで、響生がリビングに現れた。
「響生、今日はごめんなさい」
「そう思ってるなら、黙ってやられろ」
剣呑とした声は地底から響くように残虐に聞こえた。
どういう意味だろう。
傍に来た響生はコーヒーメーカーのスイッチを切り、本能的に後ずさろうとした環和をすくいあげる。すたすたと歩いてキッチンから連れだされ、ベッドルームに入ったかと思うと、環和は乱暴にベッドに放られた。
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