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第3章 恋は刹那の嵐のようで
7.
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ラフティング体験をしてウエットスーツを着たままの勇は何をするつもりか、川のほうに向かう。
手を引っ張られながら環和は響生のほうに目を向けた。すると、声をかけられたことに気づいていたのか、眉をひそめて何か云いたそうにした響生の目と合った。勇を止めてくれるかと思いきや、恵に話しかけられて響生の関心は環和から逸れる。テーブルに着いたまま打ち合わせに戻った。
「琴吹さん、何をするんですか」
「勇でいいよ」
「じゃあ勇さん、何するんですか」
環和の声から何を感じとったのか、勇は後ろを振り向いて立ち止まると可笑しそうに笑った。
「気に入らないって感じだ。京香から安西さんと付き合ってるって聞いたけど、そんなに安西さんのことが好き? おれじゃダメ?」
女性から断られる経験がないのだろうか。響生も自信満々だけれど、勇も負けていない。違うのは、響生は自分から声をかけず、勇は甘いマスクという見かけによらず、積極的に押しまくる肉食派という点だ。
「勇さんのことが考えられないくらいにダメ」
響生に好きなんて云ったことがないし、ましてやはじめて告白するのが他人というのも嫌で、環和はちょっと遠回りに答えた。
勇はわかっているはずがまったく失恋したふうではなく、おもしろがっている。
「環和ちゃんとは普通に付き合えそうな気がしてるんだけどな。まあ、いますぐはだめだとしても、友だちっぽく付き合うのはありだろう?」
口がうまいというのはこういうことだろうか。いずれ自分の意に添わせるべく、勇は絶対のノーを相手に云わせなくする。ただし、それは少しでも社交的な人に有効な手段であって、協調性が欠点ぎみの環和に効力はない。
「わたし、めんどくさがりだから友だちいないんです。だから……」
「べつに友だちだって型に嵌まって付き合うこともないよ。会うときに会う、そういう感じ。だから、今日は仕事絡みでもこうやって会ってるわけだし、いま楽しもうってそれだけでよくないかな?」
やっぱり勇は話術に長けている。丸め込むように云い、再び歩き始めた。
「おれ、泳ぐの好きなんだ。環和ちゃんは泳げないんだって?」
だれから聞いたのだろう、と考えて間もなく京香が出所だと気づく。さっきふたりでいる間に環和のことも話題になってたのか、あまりいい気はしない。噂話をされたときに、環和が良く云われることはまずない。好かれるような付き合い方をだれともやっていないからだ。
「そうですね」
「今度、教えてやるよ。国体は行けなかったけど、高校までずっと水泳やってたんだ」
「わたしは無理です」
「もしかして水が怖いって口? 海とかも行かない?」
「眺めるぶんにはいいけど、流されると思うと嫌かも」
「プールは流されないよ、レジャーランドのプールは別にして」
笑いながら云った勇はまもなく、ここだったら安全だろう、と平べったくて大きな岩の上を指差した。
すぐ向こうは川だが、そこに立ってみると確かに安定している。
「大丈夫みたい」
どう? と訊ねた勇にうなずいて答えた。
「泳ぐから、環和ちゃんは監視員やってくれるかな」
「……監視員て、何かあっても助けられないけど」
「叫べばいいよ。じゃあ、向こうまで泳いでいくから見てて」
勇は環和の返事も聞かないうちに頭から川に飛びこんだ。
飛びこみは上手なんだろうが水飛沫は避けられない。少し降りかかってきて、環和は顔をしかめ、髪と顔についた小さな水滴を手で払った。その不快感はけれど、心配した気持ちに紛れる。
この辺りは岩が多く、勇が頭を打たないのかひやりとした。勇が泳いだあとを見れば、水の色が濃くて深いとわかる。ただ、いくら泳ぎが達者でも、なだらかで流れも緩やかに見えようと川は川だ。よく流されないなと感心するくらい、勇はまっすぐ向こう岸に渡った。国体に行けなかったと云ったけれど、穿てば、きっと行けるかもしれないほどの才能を持ち得ていたということだ。
勇は向こう岸の岩につかまって手を大きく振っている。
「環和ちゃん、どう?」
水流音にも負けない、張りあげた声が届くと、環和は手を叩いて称賛を示した。
「すごいですね」
「気持ちよさそうって思わなかった?」
その質問には曖昧に首を振る。
「冷たくないんですか?」
「全然、ウエット……」
「勇くん、ゴーグルいるんじゃなかった?」
勇をさえぎって、ふいに環和の後方から京香の声が響き渡った。
「それそれ! なんか違和感あったんだよな」
「何やってんだか! 環和ちゃん」
向こう岸から勇が泳ぎ始めるのを横目に見ながら振り向きかけたとき、京香が環和を呼んだ。
すると、手前を歩いている京香よりもさきに、その後ろにいる響生が目に入る。スタッフたちからちょうど抜けだしたところだった。こっちに向かってくるようで、それが京香、もしくは勇を追ってきたのか、環和に用事があるのかはわからない。
ただ、目が合ったと思った瞬間。
「環和ちゃん、これ渡して!」
京香に再び声をかけられた。
視線を向けると同時に何かがきらりと光って飛んでくる。それがゴーグルだと判断したのが早いか――
「環和!」
と響生の声が空気をつんざく。
それは制止だったのかもしれないが、環和は反射的に手を伸ばしてそれを追っていた。
よろけた刹那、岩場を踏み外した。環和の躰がかしぐ。そうして、宙に浮いた直後、痛いほど背中を打ち、その水の壁は“つかまえた”と云わんばかりに環和の躰を包みこんだ。
手を引っ張られながら環和は響生のほうに目を向けた。すると、声をかけられたことに気づいていたのか、眉をひそめて何か云いたそうにした響生の目と合った。勇を止めてくれるかと思いきや、恵に話しかけられて響生の関心は環和から逸れる。テーブルに着いたまま打ち合わせに戻った。
「琴吹さん、何をするんですか」
「勇でいいよ」
「じゃあ勇さん、何するんですか」
環和の声から何を感じとったのか、勇は後ろを振り向いて立ち止まると可笑しそうに笑った。
「気に入らないって感じだ。京香から安西さんと付き合ってるって聞いたけど、そんなに安西さんのことが好き? おれじゃダメ?」
女性から断られる経験がないのだろうか。響生も自信満々だけれど、勇も負けていない。違うのは、響生は自分から声をかけず、勇は甘いマスクという見かけによらず、積極的に押しまくる肉食派という点だ。
「勇さんのことが考えられないくらいにダメ」
響生に好きなんて云ったことがないし、ましてやはじめて告白するのが他人というのも嫌で、環和はちょっと遠回りに答えた。
勇はわかっているはずがまったく失恋したふうではなく、おもしろがっている。
「環和ちゃんとは普通に付き合えそうな気がしてるんだけどな。まあ、いますぐはだめだとしても、友だちっぽく付き合うのはありだろう?」
口がうまいというのはこういうことだろうか。いずれ自分の意に添わせるべく、勇は絶対のノーを相手に云わせなくする。ただし、それは少しでも社交的な人に有効な手段であって、協調性が欠点ぎみの環和に効力はない。
「わたし、めんどくさがりだから友だちいないんです。だから……」
「べつに友だちだって型に嵌まって付き合うこともないよ。会うときに会う、そういう感じ。だから、今日は仕事絡みでもこうやって会ってるわけだし、いま楽しもうってそれだけでよくないかな?」
やっぱり勇は話術に長けている。丸め込むように云い、再び歩き始めた。
「おれ、泳ぐの好きなんだ。環和ちゃんは泳げないんだって?」
だれから聞いたのだろう、と考えて間もなく京香が出所だと気づく。さっきふたりでいる間に環和のことも話題になってたのか、あまりいい気はしない。噂話をされたときに、環和が良く云われることはまずない。好かれるような付き合い方をだれともやっていないからだ。
「そうですね」
「今度、教えてやるよ。国体は行けなかったけど、高校までずっと水泳やってたんだ」
「わたしは無理です」
「もしかして水が怖いって口? 海とかも行かない?」
「眺めるぶんにはいいけど、流されると思うと嫌かも」
「プールは流されないよ、レジャーランドのプールは別にして」
笑いながら云った勇はまもなく、ここだったら安全だろう、と平べったくて大きな岩の上を指差した。
すぐ向こうは川だが、そこに立ってみると確かに安定している。
「大丈夫みたい」
どう? と訊ねた勇にうなずいて答えた。
「泳ぐから、環和ちゃんは監視員やってくれるかな」
「……監視員て、何かあっても助けられないけど」
「叫べばいいよ。じゃあ、向こうまで泳いでいくから見てて」
勇は環和の返事も聞かないうちに頭から川に飛びこんだ。
飛びこみは上手なんだろうが水飛沫は避けられない。少し降りかかってきて、環和は顔をしかめ、髪と顔についた小さな水滴を手で払った。その不快感はけれど、心配した気持ちに紛れる。
この辺りは岩が多く、勇が頭を打たないのかひやりとした。勇が泳いだあとを見れば、水の色が濃くて深いとわかる。ただ、いくら泳ぎが達者でも、なだらかで流れも緩やかに見えようと川は川だ。よく流されないなと感心するくらい、勇はまっすぐ向こう岸に渡った。国体に行けなかったと云ったけれど、穿てば、きっと行けるかもしれないほどの才能を持ち得ていたということだ。
勇は向こう岸の岩につかまって手を大きく振っている。
「環和ちゃん、どう?」
水流音にも負けない、張りあげた声が届くと、環和は手を叩いて称賛を示した。
「すごいですね」
「気持ちよさそうって思わなかった?」
その質問には曖昧に首を振る。
「冷たくないんですか?」
「全然、ウエット……」
「勇くん、ゴーグルいるんじゃなかった?」
勇をさえぎって、ふいに環和の後方から京香の声が響き渡った。
「それそれ! なんか違和感あったんだよな」
「何やってんだか! 環和ちゃん」
向こう岸から勇が泳ぎ始めるのを横目に見ながら振り向きかけたとき、京香が環和を呼んだ。
すると、手前を歩いている京香よりもさきに、その後ろにいる響生が目に入る。スタッフたちからちょうど抜けだしたところだった。こっちに向かってくるようで、それが京香、もしくは勇を追ってきたのか、環和に用事があるのかはわからない。
ただ、目が合ったと思った瞬間。
「環和ちゃん、これ渡して!」
京香に再び声をかけられた。
視線を向けると同時に何かがきらりと光って飛んでくる。それがゴーグルだと判断したのが早いか――
「環和!」
と響生の声が空気をつんざく。
それは制止だったのかもしれないが、環和は反射的に手を伸ばしてそれを追っていた。
よろけた刹那、岩場を踏み外した。環和の躰がかしぐ。そうして、宙に浮いた直後、痛いほど背中を打ち、その水の壁は“つかまえた”と云わんばかりに環和の躰を包みこんだ。
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