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第1章 でも、好きかもしれない

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 頬の下を両手でくるみ、安西はすくうようにして環和が逃れられないようにした。
 強引なこのしぐさがキスだということくらい環和にもわかる。箱入りの子供ではないし、キスがはじめてでもなかった。
 けれど、経験したキスとは全然違う。

 くちびるが舌で割られ、歯と歯の隙間に侵入して口を開かされる。煙草の味なんて知らないはずが、口内に紛れこむ薫りが環和の味覚を刺激する。舌をすくっては掻きまわされ、そのくすぐったさに環和はのぼせていく。
 口の中で混じり合った唾液はシロップみたいに甘く感じた。無自覚に安西の舌を甘噛みしながら、こぼれそうになったシロップを呑みこんだ。必然的に安西の舌に吸着してしまう。環和の口内に唸り声が紛れこんで、キスはますます激しくなる。絡まり合うくすぐったさを通り越して、息がしづらくなっていった。

 そして、さっきのおかえしが環和を襲う。舌がすくわれて吸いつかれた。環和は喘ぎ、舌が勝手に反応して小刻みにふるえた。
 その悦楽は全身に及び、立っていることさえ危うくなりそうで、環和は安西の腰に手をまわした。
 すると、ゆっくりと安西がくちびるを放していく。かすかな吸着音を立てたあと、くちびるとくちびるの間に距離ができる。安西はほんの傍にとどまり、その間で互いの呼吸が荒っぽくこもって、くちびるが熱く湿り気を帯びた。

「受け身だな。あまり積極的じゃないってことは経験が少ないってことか?」
 間近にある瞳がけぶって見えるのは湯気のせいか、環和がのぼせて熱っぽいせいか。声は、からかうというよりは小ばかにしているように聞こえた。
「……“おじさん”の基準からしたら、経験が少ないのはあたりまえじゃない?」
 キスの経験度を比べている相手は青田なのか。そう思ったら癪に触って挑発をしてみた。環和はにっこりと笑う。
 安西は目を細めて怒っているように見えたが、直後にはニヤリとくちびるを歪めた。
「余裕ありそうだな」

 安西は環和の頬から離した手を腰におろしてぐっと引き寄せた。百八十センチを軽く超えていそうな安西との背丈の違いは明らかで、躰が密着したとたん、環和の腹部に何かが当たった。
 いや、何かがと曖昧に云わなくてもはっきりとしている。思わず離れようと身をよじったものの、安西の腕はびくともしない。びくついたのは下腹部に当たるソレだった。安西は含み笑う。
「責任取るつもりでついてきたんだろう。若い男とどっちがメリットあるか、比べてみればいい」
 安西はオス力を誇示したかったのか、自信たっぷりな言葉を放って環和を解放した。

「いい歳した大人のくせに遊び人て感じ」
 環和の咎めた言葉は鼻先で笑ってはね除けられた。
「わかってるんなら期待しないな? まさか、今日会ったばかりで、ましてや好かれる要素はなかったし、好きとか恋だとか云いださないだろう?」
「……もしかして、好きとかカノジョになりたいとか云ったら追い返すの?」
 安西はさっきよりもひどく口を歪めて、薄く笑みを浮かべた。
「察しがいいな。危機管理はなってないけど、やっぱり頭はいいらしい」
 褒め言葉かというと微妙だ。環和は軽く睨みつけるが、安西はどこ吹く風で、手に持ったスポンジを指差す。
「洗ってやろうか」
「いらない!」
「その返事の仕方、違わないか」
 安西は呆れたように笑いながら云い、自分はボディタオルを取った。ボディソープを垂らして泡立てながら、「洗ってくれるとか?」とからかう。
「いらない」
 その返事は予測していたのだろう、安西は肩をそびやかすとさっさと自分の躰を洗い始めた。

 すると、へんに競争意識を刺激されて環和は急いで洗いだす。すんでのところで安西がシャワーを先取りするのを阻止した。してやったり、という子供っぽい勝ち誇った気持ちはつかの間、シャワーで泡を洗い流すところをじっと見られて居心地の悪さと云ったらなかった。胸から足もとまで烟った視線が這う。

「エロおやじみたいに見てる」
「おまえの躰のほうがエロチックだ」
 ごまかすのに年寄り扱いしても安西は取り合わずに云い返した。ただ、その言葉は環和をいい気にさせる。
「若くてエロチック。光栄に思うべきじゃない?」
 環和はシャワーを押しつける。出入り口のほうに躰の向きを変えると――
「髪は?」
「朝シャン派」
「風呂、入らないのか」
「嫌いなの。断然、シャワー派」
 背中越しに答えながら、環和はバスルームを出た。
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