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第1章 でも、好きかもしれない

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 ぺたりと熱っぽいくちびるが押しつけられたかと思うと、安西はいきなり顔を離した。
「冷たい」
 顔をしかめて、「どれくらい外にいたんだ?」と安西は問う。
「待ってたのは一時間くらいだと思う」
 云いながら、冷たいのは環和のくちびるなのだと気づいた。安西のくちびるが熱く感じたのもそのせいだ。
「なんの危機管理もできないんだな」
「今日はそう寒くないし、ダウン着てるし、危機管理って大げさじゃない?」
 不満げな環和の云い分に納得したふうではなく、安西は薄く笑った。
「風呂がさきだ」

 環和の背中に手を添え、安西は方向転換させると、二つ並んだドアのうち左側に促した。
 ちょっとした廊下があってそこを奥に行く。途中、左側のドアを指して、トイレだ、と教えたあと、安西は突き当たりのドアを開けてなかに入った。脱衣所らしく洗面台や洗濯機があって、ふたりいてもゆったりとしている。
 安西はさらに奥に進んだ。そこはスタジオでもなんでもなくバスルームに違いなく、かすかに水流の音が聞こえ始める。
「湯をはってる。躰をあっためろ。メイク落としとか、そこに適当にあるはずだ。使っていい」
 すぐに戻ってきた安西は洗面台を指差して、すれ違いざま環和をちらりと見やり、脱衣所を出ていった。

 早起きをして送っていくのは嫌だと云われ、当然それは深夜に送る気はないということで、明日の仕事の時間を訊かれたのだから、つまり安西の中では環和が泊まっていくことが前提になっている。
 ……でも、なぜキス?
 嫌ではなかった。むしろ、すぐに安西が離れていって環和はがっかりした。けれど、思いもよらない方向に進んでいる気がした。そもそも、何かを考えたすえ目的があってここに来たわけでもない。

 とりあえず、メイクをしたまま寝るのは嫌だし、シャワーを浴びないまま寝るのも好きじゃない。環和はダウンコートを脱いだ。暖房が入っていたのか暖かい。そういえば、家のなかもそう寒いとは思わなかった。贅(ぜい)が尽くされている感じだ。
 洗面台に向かって鏡の横の扉を開けてみた。すると、男物に限らず、女物の洗顔用品もそろっていた。当然のように並んでいて、安西は独身ではないのかもしれないと環和はまた疑いだす。
 気もそぞろにメイクを落として洗顔まですませ、環和は下着まですべて脱いでバスルームに入った。

 バスタブのふたはなく、お湯はもう半分くらい溜まって湯気が立ちこめている。温まるまでもなく、バスルームのなかも暖房がきいていた。
 大きな鏡があって、環和はその脇のシャワーを手に取った。もう片方には棚が埋めこまれている。シャンプーやボディソープも二種類ずつ備えられていて、一方はいかにも女性が好む香り付きだ。青田のものだろうかと考えかけて、環和はその思考を追い払った。どうであろうと、環和がとやかく云うことではない。
 ――が、気になる。

 環和はシャワーを浴びながら、必然的に目の前の鏡に映る自分を眺めた。
 胸のふくらみにかかかる髪はわずかにカールさせて、少しでも顔が華やかに見えるようにしているけれど、京香の足もとにも及ばない。目はかろうじて二重だけれどきついと云われることもある。鼻は取り立てて云うほどの特徴がなく、くちびるは少しはみ出してリップをつけていい程度に薄めだ。

 躰つきはといえば、細すぎず太ってもいない。唯一の自慢は胸だ。青田がどうだったか、憶えていないけれど、環和の胸は円錐型でボリュームもそれなりにあり、寝そべっても横に流れない。それが普通だと思っていたけれど、高校の修学旅行で同室の子たちと触り合いっこをしたときに云われた。天は二物を与えずと云うけれど、“一物”はあずかっていたのだとほっとしたことを憶えている。
 少なくとも、天は両親たちのように環和を見棄ててはいない。

 環和は香り付きのボディソープを選んでスポンジに垂らした。泡立てるとローズの香りが立って、ほんのり幸せな気分になる。
 出しっぱなしだったシャワーを止めたそのとき、不意打ちでスライドドアの動く音がした。反射的に振り向き、環和は目を丸くした。とっさには言葉も出ず、思わず後ずさりして、ちょうど膝の裏にカウンターが当たり、すかされたようによろけた。
 転ぶ寸前、環和の腕をつかんで安西が支えた。

「何やってる」
「……訊きたいのはこっち。何してるの?」
「見ればわかるだろう」
 なぜ服を着ているときのほうが細く見えるのだろう。そんなどうでもいい疑問は、十分前の続きをするべく再びくちびるがふさがれたと同時にふたをされた。
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