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終章 赤裸の戀

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 またもや事の成り行きについていけず、理解するまでに少しの間を要して、それから凪乃羽はヴァンフリーと目を合わせた。
 驚いているのは凪乃羽だけではなく、ヴァンフリーもそうだった。わずかに見開いた目が伏せられ、すぐに凪乃羽の顔に戻ってくると、ヴァンフリーはまたフィリルを見やった。
「フィリル、本当か?」
「身に覚えがないの?」
 その口調はからかっているようにしか聞こえない。普通の神経なら恥ずかしくて答えられない質問も、ヴァンフリーがそんな感情を持ち合わせているはずもなく。
「凪乃羽に赤ん坊ができたのなら、父親はおれ以外にはあり得ない」
 ヴァンフリーの即答にフィリルはくすくすと笑った。
「その云い方、断言というよりは願望に聞こえるわ」
 お手上げだといった様子でヴァンフリーは首を横に振る。
 いまのやりとりで、凪乃羽にはふたりの――姉弟の仲の良さがはっきりと伝わってきた。
「欲しいと思っていたのは事実だ。凪乃羽と赤ん坊が傷つかなかったのはフィリルのおかげだ。このカードは盾になってくれたんだろう?」
 その問いはとたんにフィリルの顔をこわばらせた。真摯さを宿した目が、凪乃羽をまるでそれしか存在するものはないといった様子で射止める。そして、ゆっくりと玉座のほうに目を転じた。
「わたしだけではなく、わたしの娘と、その赤ん坊まで傷つけるなんて――」
 フィリルの睨めつけるような眼差しはローエンを射貫き、その様はエムのそれと似ていた。
「それは本当に私の子か。ワールによって上人は子を授からないという秩序が保たれていたはずだ」
 ローエンは微動だにせず、力を振り絞るような様で悪あがきを吐いた。
 確かに――と、タロは応じつつ口もとに薄く笑みを浮かべる。愚かな、とそんな呆れたふうに見えた。
「――ヴァンフリーの力を知ったのち、おまえの命によって上人の間に子が誕生することはなくなった。だがいま、私はタロであり、ワールだ」
 それが答えだとばかりにタロは断固として云いきった。
 つまり、ワールは、あるいはワールとなったタロはその秩序を解いたのだ。
 く……。
 口惜しく顔を歪めたローエンが呻く。
 ヴァンフリーは立ちあがり、続こうとした凪乃羽に手を貸した。
「ヴァン、傷は……動いて大丈夫なの?」
 臙脂色の羽織りは色濃く濡れ、ヴァンフリーからつかまれていた凪乃羽の手は真っ赤に染まっている。痛みはなくなったとしても、傷口は確かに存在するのだ。
「問題ない。修復された感覚がある」
「……もう?」
 不死身で傷を負っても治るとは聞いていたけれど、そんなに早く修復されるものだろうか。
 首をかしげた凪乃羽を見て、ヴァンフリーは薄く笑った。
「数日は思うように動けないくらいの傷だったが……おまえの力だ、おそらく」
「……わたしの?」
 ヴァンフリーはうなずいてからタロを見やった。
「でしょう?」
「私は単にフィリルを救う存在として、凪乃羽に生を与えた。力を開花させるか否か、どのような力をもたらすか、それは凪乃羽にかかっていた。厳密に云えば、凪乃羽の力は傷を癒やす力ではない。守ろうとする力が形を変えて現れる」
 タロはローエンのほうに向けてかすかに顎をしゃくり、続けた。
「あのように、ローエンの躰を操り、動きを封じることも、凪乃羽がヴァンフリーを守ろうとするゆえの力の現れだ。“呪縛”とは言い得て妙、か」
 ローエンは微動だにしないのではなく、動けないのか。
 それも、わたしの力で?
「もうおとなしくすることだ、ローエン」
「ハング、だれのおかげで――」
「おまえのおかげのみではないことは明らかだ。我々は皆、大陸を統一すべく志を立てたハングのもとに集まった有志者だ。あまりに時が経ち、それを忘れたか、ローエン」
 デスティが断じると、ローエンは歯噛みするようなしぐさで口を開く。
「永遠を選択したのはおまえたちであり、私がその力を授けた。欲を掻いたのは己もおまえたちも同じだ。要らぬというのなら差しだせっ。私が奪ってやろう」
「残念だがローエン、もはやおまえにその力がないことはわかっておろう。でなければ、わざわざヴァンフリーに剣を立てる必要はないはず。おまえの力は凪乃羽に吸収され、またその孕んだ子に継承されている、そのまま、あるいは形を変えて。凪乃羽がフィリルの中で誕生した時点で、おまえは上人たちを牛耳る力を失ったのだ」
 固唾を呑み緊張を孕んだ気配は、タロの言葉によって一気に緩んだ。なかには脱力したような吐息も紛れこむ。
 ふっ。
 ひと際大きな吐息はローエンのものだ。その顔貌を見れば、笑ってはいるが、悪あがきか、または虚勢にしか見えなかった。
「追放でも牢獄送りにでも、好きなようにすればいい。ハング、皇帝の座はおまえの息子に明け渡してやる」
「だそうだが、ヴァンフリー?」
 ハングはヴァンフリーに回答をゆだねた。
 ヴァンフリーは凪乃羽を見下ろして、その首をわずかに傾ける。
「どうする?」
 と、答えはまた凪乃羽へと振られた。
 目を丸くしてなんとも答えられずにいると――
「母のように着飾ってここに住むか、否か。行く末に、ローエンのように愚かな保守者になるおれを見たいか、否か」
 ヴァンフリーはサガとでも云うべきか、二者択一を重ねて迫った。本人がいる目の前で愚者などと云ってローエンを引き合いに出すのは、やはり〇番めの愚者らしいのか。
 ただ、凪乃羽には、その選択肢に迷いはなかった。
「わたしは森のなかのウラヌス邸が好き」
「だそうです。ロード・タロ、私にも選択権はあるでしょう?」
「そのとおりだ。ハング、おまえはどうする?」
「やっと自由になった。皇帝の座に縛りつけられる気はない。だが、民にとって皇帝は必要だ。権力者ではなく、象徴としてロード・タロの後釜にでもなればいい」
「なるほど、よい考えだ。ローエン、皇帝の座はおまえのものだ。思う存分、居座っていられる。これで安泰だ」
 タロが玉座を指差し、デヴィン、と呼びつけた。
「ローエン皇帝を座らせてやれ」
 デヴィンは低頭し、そそくさとローエンの思うようにならない躰を玉座と導いていく。
 玉座におさまったローエンを見届けたあとのタロの吐息には、清々したようでありながら、それでは足りないといった気持ちも混在していた。
「結着だ」
「いいえ」
 タロの終止符に、息をつく間もなく異論を唱えたのは、他ならぬヴァンフリーだった。
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