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第4章 二十三番めの呪縛

11.

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 廊下で一歩退いたときのように、ヴァンフリーは彫像のように固まって見えた。
 嘘だったりごまかしだったり、それらを聞くまえに凪乃羽は続けた。
「わたしを普通の人間じゃないって思ったってことは、お母さんのこともお父さんのこともヴァンは知ってるってことじゃないの? アルカナ・ラヴィは呪縛の力を思いどおりにできるって云ってた。わたしは“二十三番め”なの? だとしたら、少なくとも父親は上人ってことじゃないの?」
 矢継ぎ早に、そして責め立てるように凪乃羽は口走った。
 ヴァンフリーの奥歯を噛みしめているような面持ちは、感情を抑制しているとはわかっても、肝心の感情の意はわからない。抉じ開けるような様でヴァンフリーは口を開いた。
「おれは推測でしか答えられない。そんな答えで凪乃羽を惑わせるつもりもない。真実を知るのはロード・タロだけだ」
「そうやってごまかすのはどうして?」
「ごまかしていない」
「ごまかしてる! ヴァンはわたしが持ってる力が必要なの? 最初からそれを手に入れるためにわたしを探してたの? やっとわかった。わたしがだれとも違うって云ってた意味は、恋いしてるからじゃない、二十三番めの力があるから。わたしの扱いはすごく簡単だったでしょ。〇番めの愚者よりもわたしはバカで愚か……」
「黙れ」
 激しく放ち、ヴァンフリーはつかつかと近づいてくる。
「黙らない。残念だけど、きっと人違い。それか、見込み違い。わたしにはなんの力もないから!」
 逃げられないとわかっていても、世里奈は身をひるがえして観音開きの窓に向かい、外へと出るべく手を伸ばした。その手がすかさずつかまれ、腰もとに腕が絡みつく。
「放して! わたしは出てい……」
「残念だが、手放すつもりはない」
「わたしに利用価値なんてない。ごまかしてばかりで、ヴァンはもう信用できない……っ」
 叫んでいるさなか、ずるずると躰を引きずられていた凪乃羽は一瞬、宙に浮いた。あ、と悲鳴をあげた直後、寝台の上で躰が弾み、安定しないうちにヴァンフリーが寝台に上がって凪乃羽を跨いだ。躰の脇に手をついて逃げ場を防ぐ。それでも凪乃羽はもがくようにして仰向けになった躰を起こそうとした。
「少し黙れ」
「嫌っ」
「凪乃羽、落ち着けと云ってる」
「放してっ」
 形振りかまわず振りあげた手が、意図せずぴしゃりと嵌まった。真上でヴァンフリーが顔を背け、それが頬をはたいた反動だと気づいたのは、その顔がゆったりと正面に直ったときだった。
 凪乃羽を射貫く双眸がきらりと不吉に光って見えたのは幻想にすぎないのか、すくんだ刹那、左右の手首がつかまれて頭上に括られた。右の手のひらはじんじんとして、その痺れの代償がヴァンフリーの左の頬に赤く浮かびあがる。
「おれに手を上げるとはいい度胸だ」
 愚者だと云い張りながら、上人としての自尊心、あるいは傲慢さは排除しきれていない。これがヴァンフリーの本性なのか、双眸に情けは見当たらない。
 “万生”であったときは見守るような気配を持ち、そしてこの国に来て強引でありながらも甘やかになった皇子は消えてしまったのか。
 凪乃羽は顔を背けた。それは逆らうように、もしくは拒むように見えたかもしれない。
「逃げるな」
 鋭く放たれた瞬間、呼吸を間近に感じたかと思うと、そっぽを向いた凪乃羽のくちびるがすくうようにふさがれた。
 んっ。
 本能的に逃れようと首を振ったけれど、ヴァンフリーは頭が寝台に沈むほどくちびるを押しつけてきて役に立たなかった。激しい口づけはいままでもあった。ただし、その激しさは熱であり、こんな痛みを伴うようなものではなかった。
 いやっ。
 無意識に心底で放った叫びは、あることを急速に凪乃羽の中に還らせる。
 夢だ。
 そう認識したとたん、夢の中のフィリルと凪乃羽の波長がぴたりと重なった。
 やめてっ。
 口を抉じ開けながらそう叫んだ声は、言葉にはならず合わせた口の間でくぐもった。同時にヴァンフリーまでもが口を開いて、その歯が凪乃羽のくちびるにぶつかった。悲鳴は呻き声にしかならない。凪乃羽の苦痛は伝わっていないのか、ヴァンフリーはかまわず舌で口腔を侵してきた。
 うくっ。
 嗚咽もまた呻き声にしかならない。そうして、すくわれた舌に異質の味覚が乗り、痺れるような感じがした。
 すると、ヴァンフリーは口づけたままハッと息を呑み、すぐさま顔を上げた。
 直後、嗚咽がこぼれだすくちびるに何かが触れる。瞼を伏せた視界の先に、ヴァンフリーの指が映り、傷ついた上唇をそっと撫でていた。凪乃羽は避けるように首を振りかけると、ヴァンフリーは両側の頬を手のひらでくるんで顔を正面に向けさせた。
「凪乃羽、悪かった。傷つけるつもりはなかった」
 ヴァンフリーは呻くようにつぶやいた。
「ぅっ……いまのは……夢と同じ」
「違う」
 ヴァンフリーはなんのことかと考える必要もなく即座に否定した。
 凪乃羽は顔を上向けられても目を伏せたまま、首を振ってさらに否定した。
「違わ、ない。やっぱり、上人は上人……」
「おれを皇帝と一緒にするな」
 鋭く、怒ったようにさえ聞こえ、凪乃羽は身をすくめた。
「ごめ……なさい。叩く、つもりじゃなかった……偶然……」
 そう云う声はふるえている。真上からため息と小さな舌打ちが降ってきた。
「わかってる。夢と混同して、おれを怖がるな。口づけたのは懲らしめようとしたわけではない。おれの意思を聞いてほしい。誤解のもと、早急な結論に至るまえに。頼む、おれを見てくれ」
 最後の言葉はしんから懇願するようで、凪乃羽はゆっくりと瞼を上げていく。ヴァンフリーと目が合う寸前、少しためらって、それから目を合わせた。
 そこには喰い入るような眼差しがあり、嘘偽りや疾しさは覗けない。もっとも、それらを隠すのはヴァンフリーにとって造作もないことだろう。信じたい。そう思わされているのかもしれない。夢を恋と名づけられたもと、惑わされているのかもしれない。けれど。
 利用するつもりでも、ただ利用するだけならヴァンフリーは万生であったときに、決着は自分でつけろ、と凪乃羽に選択権を与える必要などない。それ以前に、待っていた、といまならその意味がわかる気がした。利用するためであれ、万生が自ら働きかけることはなく――万生がしたことといえば凪乃羽の前に現れたことだけで、あとは凪乃羽が自ら動くのを待っていた。
 なぜそうなるとわかっていたのか、簡単な言葉で片付けるのなら運命だろうけれど、それならなおさら、信じたい気持ちを信じていい気がした。
 嗚咽が静まり――
「ヴァン……」
 呼びかけたとたん、ヴァンフリーは力が尽きたようなため息を漏らした。
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