26 / 83
第2章 過保護な皇子と恋の落とし穴
9.
しおりを挟む
凪乃羽を見下ろしたままヴァンはほのかに息をつき、ゆっくりと瞬きをして見せた。任せておけ、あるいはよけいなことを口にするな、とそんな言葉のかわりだろうか。
「ラヴィ、無粋だな。こういう場合、見て見ぬふりではないのか。特に、きみは愛の象徴だろう」
ヴァンはおもむろに背後を振り向きながら、女性に声をかけた。かすかにおもしろがっている声音だ。
ヴァンが躰の向きを変えたことで、突如として現れた女性が凪乃羽の視界にも入った。ラヴィと呼ばれた彼女をしっかりと捉えたとき、凪乃羽は目を瞠った。
絶世の美女、あるいはヴィーナスとはラヴィのことだ。ヴァンの女性版というべきか、それほど容姿も躰の線も、些細なぶれもなく整っていた。
淡いピンクゴールドのまっすぐな髪は腰に届くほど長く、大きな瞳の目尻は細く切りこんでいて鼻もすっと筋が通っている。くちびるは薄くありながらふわりとして見えてけちがつけられない。マーメイド型のドレスを纏っているが、パフ袖が可憐で、肩から膝もとまで躰の線があらわになっている。胸は充分に存在感があり、腰はくびれて臀部になるとまた張っているという、女性から見てもうらやましくなるくらい魅惑的な体型だ。
人間離れしているというけれど、ヴァンと同じ“上人”なら納得もいく。ひょっとしたら、ヴァンの妹かもしれない。ふたりにはいかにも親し気な、遠慮のなさがある。
「だって、うるさいんですもの」
ラヴィはうんざりとした様子でわずかに肩を落として見せた。
「何がうるさい?」
「ロードの渾身の労作が壊されたことは知ってるでしょう?」
ヴァンに訊ねたラヴィの目がふと凪乃羽に向かった。それまで凪乃羽の存在はどうでもいいと無視するようだったけれど、いざ目が合うと内心まで窺うような眼差しになる。人に見えて人ではない存在を知ったいま、本当に心を読まれてしまったらという不安を抱いた。
「知っている。残酷なことだ。ロードはおれたちの前から消えただけでその存在まで消えたとは限らない。いまこそ皇帝の力を見せるべきというときに、寝た子を起こすような真似をするなどどうかしている」
ヴァンの返事を果たして聞き遂げたのか、ラヴィは凪乃羽に目を留めたまま口を開いた。
「ヴァンフリーが自由を好んでいることは知っているけど、いくらなんでも下層の愛人の分際で、上人に頭を垂れることもしない無礼さには感心しないわ」
なんのことかと思ったのは一瞬で、凪乃羽は慌てて頭を下げた――つもりが、不意打ちで腕を取られて思わずヴァンを見上げ、一礼することは果たせなかった。
「凪乃羽はシュプリムグッドの辺境で暮らしていた。この国のこと自体をよくは知らない。作法も習慣もこれから学ぶだろう。きみはおざなりの礼儀で満足するほど傲慢か? 自発的でなければ意味がないと思うが」
ラヴィはヴァンが云い終えたところで、凪乃羽からヴァンへと目を転じた。
「愚かなヴァンフリーがもっともなことを云ってるけど、わたしはこの子をどう捉えたらいいの?」
ラヴィがいう『この子』は自分のことだというのは凪乃羽にも容易に察せられる。ヴァンと同じで、彼女も永久を生きているのだ。凪乃羽はほんの子供に見えるだろう。
「ラヴィ、いまきみ自身が云っただろう。そのとおりだ」
「こんなときに本気で遊戯に耽ってるの? 地球に行ってたっていうのはまるきり嘘で、国の果てでこの子を口説いてたって云うの?」
ラヴィは呆れ果てた口調で云い、ヴァンは軽薄そうな様で吹くように笑った。
「これはおれのお気に入りだ。いちいち驚くし、傍で甘やかすのが楽しくてたまらない」
「さっきはお父さまを扱きおろすようなことを云ってたのに……ヴァンフリーってほんとに人を愚弄するんだから」
「いまさら云うか。旧知の仲だろう」
「そうね」
と、尖らせていた口を緩めていったんにっこりしたラヴィは、一転して深刻そうにため息をついた。
「ヴァンフリー、いくら息子だからって皇帝のお叱りは受けることにならない? それでなくても不機嫌なのに。命を受けて地球に行ったふりしてただけなんて……結局、正体はわからないままだわ」
「いずれにしても、父はおれに命じたのと同時に、ジャッジにも命じていることがあった。呪いはロードの悪戯なのか、もしくは目覚めないまま地球が終わるのと一緒にその存在は終わったのかもしれない」
「シュプリムグッドはどうなるの?」
ラヴィは心配そうに首をかしげた。
「云うまでもない。皇帝次第だろう。ラヴィ、何をそんなに案じている?」
「永遠の囚人が脱獄したらしいの」
「ハングが?」
「そう、この騒動の合間に。ワールがいなくなって秩序は確実に乱れてる。それが上人にも影響してるなんて……もしかしたら“永久”がなくなったのかもしれないっていう噂も出始めてるの」
「皇帝は戦々恐々としているだろうな」
「ヴァンフリーはのんびりしてるのね」
その言葉は責めているようにも聞こえ、ヴァンは肩をすくめてかわす。
「彼女に庭を案内しているところだ。皇帝のもとへはあとで行く。めったに見られない――いや、はじめての皇帝の慌てぶりを眺めていたらどうだ?」
ラヴィは賛同できないとばかりに首を横に振る。
「わたしを追い払いたいんでしょう。せいぜい永遠のすき間を楽しめばいいんだわ。ヴァンフリーを連れてくるって逃げる口実に使ってしまったから、とりあえず顔を出しただけ。わたしの心は広いのよ。わざと邪魔したなんて思わないで」
「それでこそ、愛の化身だ」
ヴァンがからかうように云うと、ラヴィはつんと顎を上げ、それからにっこりしたあと――
「じゃあ、あとでね」
と、凪乃羽をちらりと見やり、それから背中を見せて遠ざかっていく。
ラヴィの後ろ姿も、歩き方と相まって完成している。同性――と限定していいのかどうかはわからないが、少なくとも同じ躰つきをした凪乃羽がついつい、足を進めるたびにぷるんと揺れる臀部に目が行ってしまうくらいだ、ヴァンがそうあってもおかしくない。
ちょっと心細くなりながらヴァンを見上げると、予想と違って目が合った。
「……あんまりきれいでびっくりしてる」
何をごまかしているのか自分でもはっきりしないままそうしなければならない気がして、凪乃羽は他愛ないことを口走った。
「ラヴィ、無粋だな。こういう場合、見て見ぬふりではないのか。特に、きみは愛の象徴だろう」
ヴァンはおもむろに背後を振り向きながら、女性に声をかけた。かすかにおもしろがっている声音だ。
ヴァンが躰の向きを変えたことで、突如として現れた女性が凪乃羽の視界にも入った。ラヴィと呼ばれた彼女をしっかりと捉えたとき、凪乃羽は目を瞠った。
絶世の美女、あるいはヴィーナスとはラヴィのことだ。ヴァンの女性版というべきか、それほど容姿も躰の線も、些細なぶれもなく整っていた。
淡いピンクゴールドのまっすぐな髪は腰に届くほど長く、大きな瞳の目尻は細く切りこんでいて鼻もすっと筋が通っている。くちびるは薄くありながらふわりとして見えてけちがつけられない。マーメイド型のドレスを纏っているが、パフ袖が可憐で、肩から膝もとまで躰の線があらわになっている。胸は充分に存在感があり、腰はくびれて臀部になるとまた張っているという、女性から見てもうらやましくなるくらい魅惑的な体型だ。
人間離れしているというけれど、ヴァンと同じ“上人”なら納得もいく。ひょっとしたら、ヴァンの妹かもしれない。ふたりにはいかにも親し気な、遠慮のなさがある。
「だって、うるさいんですもの」
ラヴィはうんざりとした様子でわずかに肩を落として見せた。
「何がうるさい?」
「ロードの渾身の労作が壊されたことは知ってるでしょう?」
ヴァンに訊ねたラヴィの目がふと凪乃羽に向かった。それまで凪乃羽の存在はどうでもいいと無視するようだったけれど、いざ目が合うと内心まで窺うような眼差しになる。人に見えて人ではない存在を知ったいま、本当に心を読まれてしまったらという不安を抱いた。
「知っている。残酷なことだ。ロードはおれたちの前から消えただけでその存在まで消えたとは限らない。いまこそ皇帝の力を見せるべきというときに、寝た子を起こすような真似をするなどどうかしている」
ヴァンの返事を果たして聞き遂げたのか、ラヴィは凪乃羽に目を留めたまま口を開いた。
「ヴァンフリーが自由を好んでいることは知っているけど、いくらなんでも下層の愛人の分際で、上人に頭を垂れることもしない無礼さには感心しないわ」
なんのことかと思ったのは一瞬で、凪乃羽は慌てて頭を下げた――つもりが、不意打ちで腕を取られて思わずヴァンを見上げ、一礼することは果たせなかった。
「凪乃羽はシュプリムグッドの辺境で暮らしていた。この国のこと自体をよくは知らない。作法も習慣もこれから学ぶだろう。きみはおざなりの礼儀で満足するほど傲慢か? 自発的でなければ意味がないと思うが」
ラヴィはヴァンが云い終えたところで、凪乃羽からヴァンへと目を転じた。
「愚かなヴァンフリーがもっともなことを云ってるけど、わたしはこの子をどう捉えたらいいの?」
ラヴィがいう『この子』は自分のことだというのは凪乃羽にも容易に察せられる。ヴァンと同じで、彼女も永久を生きているのだ。凪乃羽はほんの子供に見えるだろう。
「ラヴィ、いまきみ自身が云っただろう。そのとおりだ」
「こんなときに本気で遊戯に耽ってるの? 地球に行ってたっていうのはまるきり嘘で、国の果てでこの子を口説いてたって云うの?」
ラヴィは呆れ果てた口調で云い、ヴァンは軽薄そうな様で吹くように笑った。
「これはおれのお気に入りだ。いちいち驚くし、傍で甘やかすのが楽しくてたまらない」
「さっきはお父さまを扱きおろすようなことを云ってたのに……ヴァンフリーってほんとに人を愚弄するんだから」
「いまさら云うか。旧知の仲だろう」
「そうね」
と、尖らせていた口を緩めていったんにっこりしたラヴィは、一転して深刻そうにため息をついた。
「ヴァンフリー、いくら息子だからって皇帝のお叱りは受けることにならない? それでなくても不機嫌なのに。命を受けて地球に行ったふりしてただけなんて……結局、正体はわからないままだわ」
「いずれにしても、父はおれに命じたのと同時に、ジャッジにも命じていることがあった。呪いはロードの悪戯なのか、もしくは目覚めないまま地球が終わるのと一緒にその存在は終わったのかもしれない」
「シュプリムグッドはどうなるの?」
ラヴィは心配そうに首をかしげた。
「云うまでもない。皇帝次第だろう。ラヴィ、何をそんなに案じている?」
「永遠の囚人が脱獄したらしいの」
「ハングが?」
「そう、この騒動の合間に。ワールがいなくなって秩序は確実に乱れてる。それが上人にも影響してるなんて……もしかしたら“永久”がなくなったのかもしれないっていう噂も出始めてるの」
「皇帝は戦々恐々としているだろうな」
「ヴァンフリーはのんびりしてるのね」
その言葉は責めているようにも聞こえ、ヴァンは肩をすくめてかわす。
「彼女に庭を案内しているところだ。皇帝のもとへはあとで行く。めったに見られない――いや、はじめての皇帝の慌てぶりを眺めていたらどうだ?」
ラヴィは賛同できないとばかりに首を横に振る。
「わたしを追い払いたいんでしょう。せいぜい永遠のすき間を楽しめばいいんだわ。ヴァンフリーを連れてくるって逃げる口実に使ってしまったから、とりあえず顔を出しただけ。わたしの心は広いのよ。わざと邪魔したなんて思わないで」
「それでこそ、愛の化身だ」
ヴァンがからかうように云うと、ラヴィはつんと顎を上げ、それからにっこりしたあと――
「じゃあ、あとでね」
と、凪乃羽をちらりと見やり、それから背中を見せて遠ざかっていく。
ラヴィの後ろ姿も、歩き方と相まって完成している。同性――と限定していいのかどうかはわからないが、少なくとも同じ躰つきをした凪乃羽がついつい、足を進めるたびにぷるんと揺れる臀部に目が行ってしまうくらいだ、ヴァンがそうあってもおかしくない。
ちょっと心細くなりながらヴァンを見上げると、予想と違って目が合った。
「……あんまりきれいでびっくりしてる」
何をごまかしているのか自分でもはっきりしないままそうしなければならない気がして、凪乃羽は他愛ないことを口走った。
0
お気に入りに追加
162
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
我儘王女は目下逃亡中につき
春賀 天(はるか てん)
恋愛
暴君と恐れられている父王から
愛妾である母と同様に溺愛されている
第四王女は、何でも自分の思い通りに
になるのが当たり前で、
その我儘ぶりから世間からも悪名高い
親子として嫌われていた。
そんなある日、突然の父の訃報により
自分の周囲が一変し国中全てが敵になり、
王女は逃げる、捕まる、また逃げる。
お願いだから、もう放っておいてよ!
果たして王女は捕まるのか?
【別サイト**~なろう(~読もう)さん
でも掲載させて頂いてます**休止中】
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる