上 下
91 / 100

71.そして悪人は途方に暮れる

しおりを挟む
 車の速度が遅々として感じる。それが、京吾が焦り、逸っているせいなのは明々白々だ。悶々とするなか、どうにか自分をなだめすかしつつ、智奈のマンションまであと五分ほどのところでコージから電話が来た。
「どうだった」
 連絡が智奈からではなくコージからなのは、即ち問題が起きているということにほかならない。通話モードにするのももどかしく、だが冷静にと努めて京吾は問いかけた。
『智奈さんはマンションに不在です。部屋は鍵が開けっぱなしでした。スマホもバッグも置いたまま、荒らされた形跡はありません』
 いくつかのパターンを想定することで覚悟はしていたが、その覚悟に沿って未練を残さず思考を切り替える、とそんなふうにいつものようにはいかなかった。京吾は握り拳をつくって自分の腿を叩きつける。
「コージ、管理会社と連絡を取って――」
『防犯カメラのことなら、この電話よりさきに手配をすませました。いまからそこに向かうところです』
 その言葉どおり、はじめの電話のときと同様にコージは移動しながら話している気配が感じとれる。
「頼む」
 ひと言のあと、互いに通話を切った。
「智奈さんは?」
 せっかちに長友が訊ねた。
「いない」
「いない?」
「ああ。スマホも含めて荷物は置きっぱなし、家の鍵もかかっていない」
「まさか……誘拐ですか。安藤が?」
「なぜ安藤は智奈のマンションを知ってる? なんのために誘拐する?」
 心の内の疑問がそのまま声になって京吾は自問自答をする。
 会社の前に来て智奈を待ち伏せするくらいだ。安藤はずっと智奈を付け狙っていたのかもしれない。だが、ホスト時代の悪行と違って、誘拐には相当なリスクが伴う。そこまで単純に愚かなのか、それとも、京吾と智奈の関係を知り、何かしら思いついたのか。いや、純粋に智奈を自分のものにしたいという理由でないかぎり、さらうなら京吾を脅迫するためとしか考えられなかった。
 京吾は再度、之史に連絡を入れた。
『連絡しようとしていたところだ』
「之史さん、智奈は行方不明です。これも念のためですが、事件事故に巻きこまれていないか、警察への通報を調べてもらえませんか」
『了解した。安藤の行方だが、今朝八時十分頃、智奈さんのマンション近くの駅にいるところまでつかめている』
「ありがとうございます」
『引き続き追ってる。京吾、冷静になれよ。わかっているだろうが』
「はい」
 之史の云うとおり、わかっているが、冷静に――それがうまくいっているとは到底感じられない。焦りばかりが募る。
「安藤がマンションの近辺に来たことまでわかった」
 冷静な自分の声になだめられる傍らで、長友は最悪の事態に直面したかのようにすっと息を呑む。
「警察には通報しないんですか?」
「すでに初動対応しているこっちが有利だ。裏から手をまわしている。それをさえぎられたら、逆に滞る。元も子もない。それに、いま本当に智奈の行方にあの男が関わっているなら、警察に引き渡すつもりはない。おれが片付ける」
「賛成です。行き先はどうします?」
「このままでいい。自分の目で確かめたい」
 智奈と電話で話してからおよそ二時間、どの時点で異常が起きたのか、その時間は取り戻せない。京吾はコージと之史からの連絡を待つしかなかった。
 程なくマンションに着くと、京吾は一緒に降りかけた長友を止めた。
「遠回りさせて悪かった。おまえは帰れ」
「ですが……」
「できることは、いま、おれにもそうないんだ。車はここに置いてるし、手を貸してほしいときは連絡する。おまえは夜の懇親会に備えてくれ」
「わかりました。智奈さんのこと、連絡を待ってますから」
「ああ」
 京吾は車を降りるなり、足早にエントランスに向かった。
 建物内に入って暗証番号を押しながら、安藤が訪ねてきたとしても智奈が解錠するはずがないと、京吾はどこか安心材料を探す自分に待ったをかけなければならなかった。こんなときに安心材料を求めるのは逃避にほかならない。
 オートロックであってもだれかが解錠した隙に侵入するのは簡単だ。
 だが、なぜ智奈の部屋を知っている? だれが手引きした? 手当たり次第で部屋を当たれば、たどり着けないことはないが。
 五階に到着して急ぎ足で智奈の部屋に向かう。
 京吾の住み処と同様、ここの鍵もコージに預けていて、鍵は閉められていたが、室内に入ってみるとコージが報告したとおり、智奈のバッグはリビングのソファに、スマホはソファの前のテーブルに置きっぱなしだった。
 浴室からベランダまで、隈無く見てまわったが智奈はどこにもいない。荒らされたあとも見当たらない。つけっぱなしのエアコン、溶けたマンゴーと飲みかけのペットボトル、それらがやけに生々しく見えて京吾の心底を揺さぶる。途方にくれて立ち尽くした。
 そうしたのは一時だったのか久しかったのか。バッグとスマホを拾いあげてエアコンを切ると、京吾は部屋を出た。
 上階から降りてくるエレベーターを待ち、すると扉が開いたとたん京吾を見て、「あら!」と乗っていた住人が目を見開いた。
 ここに住んでいた頃、朝出かけるときによくエレベーターで一緒になった女性うちの一人だ――と、認識して軽く会釈した刹那。
「彼女、大丈夫だった?」
 唐突に質問され、直後、その意味を把握すると目まぐるしく思考が回転し始めた。
「どういうことです? いま来たところですが彼女がいないので……」
「まあ! 救急車が来てたいへんだったのよ」
 女性が云い、京吾はその意味が理解できないほど一瞬、頭が真っ白になった。
「――救急車?」
「ええ。避難階段で転んだらしいの。彼女のお母さんていう人が付き添ってたわ。それはもう大騒ぎで」
 京吾がいちいち訊ねなくとも、女性は端的に必要な情報を提供した。が――
「彼女、意識なくて……」 
 血の気が引く。京吾は経験したことのない、そんな恐怖に襲われた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

10 sweet wedding

国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

完結*三年も付き合った恋人に、家柄を理由に騙されて捨てられたのに、名家の婚約者のいる御曹司から溺愛されました。

恩田璃星
恋愛
清永凛(きよなが りん)は平日はごく普通のOL、土日のいずれかは交通整理の副業に励む働き者。 副業先の上司である夏目仁希(なつめ にき)から、会う度に嫌味を言われたって気にしたことなどなかった。 なぜなら、凛には付き合って三年になる恋人がいるからだ。 しかし、そろそろプロポーズされるかも?と期待していたある日、彼から一方的に別れを告げられてしまいー!? それを機に、凛の運命は思いも寄らない方向に引っ張られていく。 果たして凛は、両親のように、愛の溢れる家庭を築けるのか!? *この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 *不定期更新になることがあります。

最後の恋って、なに?~Happy wedding?~

氷萌
恋愛
彼との未来を本気で考えていた――― ブライダルプランナーとして日々仕事に追われていた“棗 瑠歌”は、2年という年月を共に過ごしてきた相手“鷹松 凪”から、ある日突然フラれてしまう。 それは同棲の話が出ていた矢先だった。 凪が傍にいて当たり前の生活になっていた結果、結婚の機を完全に逃してしまい更に彼は、同じ職場の年下と付き合った事を知りショックと動揺が大きくなった。 ヤケ酒に1人酔い潰れていたところ、偶然居合わせた上司で支配人“桐葉李月”に介抱されるのだが。 実は彼、厄介な事に大の女嫌いで―― 元彼を忘れたいアラサー女と、女嫌いを克服したい35歳の拗らせ男が織りなす、恋か戦いの物語―――――――

絶体絶命!!天敵天才外科医と一夜限りの過ち犯したら猛烈求愛されちゃいました

鳴宮鶉子
恋愛
絶体絶命!!天敵天才外科医と一夜限りの過ち犯したら猛烈求愛されちゃいました

一夜限りのお相手は

栗原さとみ
恋愛
私は大学3年の倉持ひより。サークルにも属さず、いたって地味にキャンパスライフを送っている。大学の図書館で一人読書をしたり、好きな写真のスタジオでバイトをして過ごす毎日だ。ある日、アニメサークルに入っている友達の亜美に頼みごとを懇願されて、私はそれを引き受けてしまう。その事がきっかけで思いがけない人と思わぬ展開に……。『その人』は、私が尊敬する写真家で憧れの人だった。R5.1月

優しい紳士はもう牙を隠さない

なかな悠桃
恋愛
密かに想いを寄せていた同僚の先輩にある出来事がきっかけで襲われてしまうヒロインの話です。

小野寺社長のお気に入り

茜色
恋愛
朝岡渚(あさおかなぎさ)、28歳。小さなイベント企画会社に転職して以来、社長のアシスタント兼お守り役として振り回される毎日。34歳の社長・小野寺貢(おのでらみつぐ)は、ルックスは良いが生活態度はいい加減、デリカシーに欠ける困った男。 悪天候の夜、残業で家に帰れなくなった渚は小野寺と応接室で仮眠をとることに。思いがけず緊張する渚に、「おまえ、あんまり男を知らないだろう」と小野寺が突然迫ってきて・・・。 ☆全19話です。「オフィスラブ」と謳っていますが、あまりオフィスっぽくありません。 ☆「ムーンライトノベルズ」様にも掲載しています。

社長はお隣の幼馴染を溺愛している

椿蛍
恋愛
【改稿】2023.5.13 【初出】2020.9.17 倉地志茉(くらちしま)は両親を交通事故で亡くし、天涯孤独の身の上だった。 そのせいか、厭世的で静かな田舎暮らしに憧れている。 大企業沖重グループの経理課に務め、平和な日々を送っていたのだが、4月から新しい社長が来ると言う。 その社長というのはお隣のお屋敷に住む仁礼木要人(にれきかなめ)だった。 要人の家は大病院を経営しており、要人の両親は貧乏で身寄りのない志茉のことをよく思っていない。 志茉も気づいており、距離を置かなくてはならないと考え、何度か要人の申し出を断っている。 けれど、要人はそう思っておらず、志茉に冷たくされても離れる気はない。 社長となった要人は親会社の宮ノ入グループ会長から、婚約者の女性、扇田愛弓(おおぎだあゆみ)を紹介され――― ★宮ノ入シリーズ第4弾

処理中です...