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70.想定

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 GUの大株主との対面は、会談後、予定外で昼食に招待された。智奈には昼食をお預けにしたまま、自分だけさきに空腹を満たすのは申し訳ないが、それで怒るような智奈ではないし、智奈の食事には約束どおりに付き合う。美味しそうに食べる智奈を眺めるのも、京吾にとっては癒やしだ。
 京吾と長友、そして株主二人との昼食は、緊張を孕んだ会談時と違って、世間話が飛び交う至って和やかな雰囲気で進み、最後にコーヒーが運ばれてきた。
 京介の“城”に輪をかけたこの豪邸は、さすがに元財閥、玉城たましろ一族の本家だけある。通りとは邸宅を挟んで反対側に位置した庭園は、ちょっとした学校の校庭並みに広い。それを一望できる応接用のダイニングルームは、開放感たっぷりだ。
 それが嫌いではないが、庭の広さはともかく、わざわざ客用のダイニングを設けるほど家のなかは広くなくていい。京吾はついそんなことに考え至った。
 智奈が眠っているときは別にして、家のなかではその姿が見えなくなると、つい探してしまう。智奈のマンションでは、どこにいても常に呼吸が感じられていた。あれくらいの空間がベストだ。
 もっとも、智奈は海の中みたいだといって、京吾の住み処がお気に入りだ。
「社長、そろそろ……」
 隣席に座った長友が小声で、なお且つ気を利かせて相手方に届くように呼びかけた。
 ああ、と応じながら、あらためてこの場ではどうでもいいことを考えていたと気づき、京吾は内心で苦笑しながら目の前のことに意識を戻した。
 京吾は椅子を引いて立ちあがり、長友もそれに従った。
「では玉城会長、里見さとみ社長、これで失礼します。お休みのところ午餐にもお招きいただき、光栄でした」
「いいや。国の動向で枢要な一端を担う、新たな誘導者と早々に面会がかなった。こちらこそ光栄だ。将来が楽しみだな。まあ、私も古希が目の前だ。きみの雄姿もそう長くは見られんだろうが」
「玉城会長、まだ現役の方が何を仰います。グループの方々との橋渡しも頼りにさせていただきますよ」
「もちろん我が社の安泰のためだ、そうさせてもらおう」
「長友くんも本領発揮するときだ。GUの資産価値がますます上がることを期待している」
「もちろん、失望させるつもりはありません。今後ともよろしくお願いします」
 里見社長の言葉に長友は力強く応じ、二対二でそれぞれ入れ替わって握手を交わすと、京吾は長友とともに玉城家をあとにした。
「ひとまず、大株主の承認は取りつけられましたね」
 社用車の後部座席に乗り、車が通りに出ると、隣に座った長友が前方に目を向けたまま云い、緊張を解いてひと息ついた。
 玉城家と里見家という二つの財閥が手を組むことによって巨大化した玉里Pravyたまさとプラヴィホールディングスは、数々の業界においてトップテンに名を連ねる会社を傘下に置く。その功績に伴い、現会長と社長は経済界の重鎮で、交渉するには緊張して当然の相手だ。
「ああ、あとは両家がほかの株主にも取り成してくれるだろう」
 スマホを弄りながら京吾が応じると、長友はハッと気の抜けた笑みを漏らした。
「なんなんだ」
 顔を向けると、長友は肩をすくめた。
「いえ。社長が、倍以上も年上の重要人物を相手に平然とされているので、こっちも慌てずにすみますよ」
「いまさらなんだ。そういう人物が出入りする環境でおれが育ったことは知っているだろう。それに、ビジネスに年齢は関係ない。その証明が、成長したいまのUGであり、GUだ。おれたちの関係も然り。一緒にやってきてわかってるはずだ」
「まあ、自信はありますが」
 長友の答えに今度は京吾が笑った。
 長友は大学の一つ年上の先輩に当たるが、GUを立ちあげて補佐という立場になって以降、ポジションにこだわって言葉遣いは逆転した。京吾としてはなんのこだわりもなかったが、上下関係を年齢などの条件なしに捉えられる柔軟さは、上に立つ優秀な人間には必要な資質だ。
 それから、車中、今後の予定を話しているうちに――
「社長、どうしたんですか?」
 と、長友が京吾のほうに顔を向けた。長友は目を伏せ、京吾の手もとを見たのち視線をすぐに戻した。
 京吾はその手もとのスマホを操作して耳に当てた。
「智奈にメッセージを送っても返事が来ない」
 智奈は妊娠してからやたらと眠いと云う。掃除して疲れたすえ熟睡しているのか。電話をかけてみたがコール音を十回数えても応答がない。
 そうしている間に、長友が運転手に智奈のマンションの住所を告げ、行き先変更の指示をした。
 京吾はいったん電話を切り、コージを呼びだす。
「すぐ智奈のマンションに行ってほしい」
『はい、すぐに向かえます』
 京吾が『すぐ』と云ったニュアンスを逃さず、コージはさっそく動いている気配で口早に応じた。
 京吾はまた別の番号を呼びだした。俄に焦った気持ちが通じているかのように、待つことなく通話モードに切り替わった。
「京吾です。之史さん、すみません、念のためですが、安藤真治がいまどこにいるのか調べてもらえませんか」
『了解した』
 妻の危機を経験していることもあり、之史は端的に応じた。
 こういうときに深く触れずとも話が通じるのは、京吾にとって力になる。再度、智奈に電話をかけてみた。そうしながら――
「取り越し苦労だと願ってくれ」
 ぼやくと、長友が京吾を見やって目を見開いた。
 長友は何か云いかけて、思い直したように口を閉じた。あらためて口を開き――
「いま何か問題があったとは限りませんが」
 と、前置きをして。
「智奈さんを脅かすとわかっていながら、おまえが安藤を野放しにしてるのはなぜだ? 北村が警戒するくらいだ、普通なら問答無用、危害を加えるまえに即行でUGに送りやってるだろう?」
 長友は唐突に喋り方を以前のように変えて問うた。
 京吾にとっては不意を衝かれた質問だった。もっといえば、触れられたくない部分を衝かれた。逃げたのと変わりない。
 京吾はため息をついて葛藤を払い、それから薄く笑った。
「黙っていればすむことでも、智奈に関わることで智奈に秘密にしておくような――あとで知ってそれを裏切られたと思われるようなことをしたくなかった。加えて、危ういところに身を置くからこそ、智奈に怖がられたくなかったってところだ」
「おまえ、意外と繊細なんだな」
 長友の揶揄した軽口を笑い飛ばすには、案じる気持ちが強すぎた。
 京吾は電話の呼びだしを断ちきると、首を横に振ってごちゃごちゃした思考をいったん一掃する。ヘッドレストに頭を預けて目を閉じると、これからなすべきパターンを想定した。
 その想定のひとつ、眠ってて気づかなかった、と、のんびりした智奈に罰を与える――とそんな結末を京吾は切願した。
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