上 下
34 / 100

30.ボディガード志願(3)

しおりを挟む
 典子は怪訝そうに眉をひそめた。それが、自分の責任と言及されたことに対してか、智奈とキョウゴの関係に対してか――いや、おそらくどちらも気にかかったのだろう。
 一方で、智奈もまたキョウゴの言葉に引っかかった。『必要』というのがやけに断言して聞こえたのだ。なんだろう、と考えて、するとキョウゴに最初に会ったときの会話が甦った。
『フロント企業と関わっていたからには、危ない連中に絡まれるかもしれない』
 キョウゴはそう云って智奈を怖がらせた。あえてそうしたとは思っていないけれど、いままたほのめかした云い分からするとはったりではないだろうし、あり得ないと云いきれることでもない。事務所の閉鎖が難航したのも、フロント企業との兼ね合いがあるとは弁護士から聞かされていた。
 それなのに、堂貫はやると申し出てから一カ月もかからず、清算まで取り運んだ。
 どういうこと?
 やはり謎だと思う。裏社会との繋がりがあろうが物ともせず、進んで関わった堂貫のことも、『危ない連中』を怖れないキョウゴも。
 めずらしく思考に耽っている様子の典子は、コーヒーの味がわかっているのか否か、見るともなくその一点を見つめたまま一口飲んで、ゆっくりと口を開く。
「まず、わたしが撒いた種ってなんのことかしら」
 その言葉からすると、典子はまるで知らなかったのだ。子供でもあるまいし、あまりに人任せで、能天気にも程がある。
「まさか、お父さんが自分から犯罪に手を貸したと思ってるの? お父さんが犯罪に関わったのは、お母さんがヘンなところから借金したからでしょ。なんの自覚もないの?」
 たまらず智奈は口を出した。その間に、キョウゴの左手が智奈の右手をくるんだ。そうされて、自分が握り拳をつくっていたと気づいた。
「もう借りてないわよ。お父さんは全部返したって云ったわ」
「それは、ご主人が吐いた嘘です」
 今度はキョウゴが口を挟み、典子の思いこみを訂正した。
 行雄はどれだけ妻のことを甘やかし、なんのためにそうしていたのだろう。智奈には理解できない。
「嘘ですって?」
「返せなかったんです。あなたが自分の借りた金額をしっかり把握していなかったせいで、元本を水増しして、簡単には返せない額の請求をされた。加えて、ご主人が――三枝さんが弁護士や警察に相談できず、法外の仕事をせざるを得なくなったのは脅されたからですよ。家族に被害が及ぶ、と。あなたと智奈を守るために、三枝さんはその仕事を引き受けることを選択した」
 キョウゴは智奈が知っていた以上のことを云っている。それは本当なのか、方便なのか。
 典子が驚愕しているのを見て、智奈は母もそういう反応をするのだと冷静に、もしくは皮肉っぽく思う。それとも、単に自分に危険が及ぶ可能性を考えて怯えているというのもあり得るが――
「その……いまも危険なの? だから智奈のボディガードなんてやってるの?」
 案の定、後者のほうが正解だったようだ。行雄に対する後悔は見えない。夫が亡くなった以上、収入は余裕なく限られている。きっと典子にとってはそちらのほうがより重要なのだ。フルタイムで働く気もないのか。短時間だけでも働いているだけましだと考えるべきなのか。ちゃんと働き始めているとしたら、典子が自立しようと心が変わりつつある兆候で、少しは智奈の気分的な救いになるのに。
「僕は用心に用心を重ねてここにいるだけです」
 キョウゴの言葉を簡単に前向きに捉えたのだろう、典子はあからさまに肩をおろして安堵している。
「だったら、やっぱりボディガード以上の関係じゃない。でも、あなたは――名前……立岡さんだったわよね、智奈と結婚してるわけじゃない。ふたりで、わたしをごまかすなんて許さないから」
「でしたら、清算に立ち会ったらどうです? 今度の金曜日の午後、事務所に来てください。知らせがあったとおり、そちらの弁護士はそのままですから、話も簡単に運びますよ。同席して確認すれば気もすむでしょう」
 キョウゴは淡々として典子に云い渡し、智奈はびっくり眼でキョウゴを見やった。
「キョウゴ、それ、堂貫さんに無断で……」
「そっちはかまわない」
 キョウゴはちらりと横目で智奈を見やった。そして、再び典子に向かう。
「それでかまいませんね? もし事務所にみえなかったとしても、そのときは以降、あなたは自分で自分の責任を負ってください。遅くまでお待たせしました。明日は仕事がありますから」
 キョウゴはやんわりとした声音ながら、強行に退去を迫った。
 例えば、キョウゴの美貌に圧倒されつつも、それを逆に顔だけだと侮っていたとしたら、典子はとんでもない勘違いをしていたと気づかされただろう。
 智奈にしろ、キョウゴにホストだと云われたときはあまり違和感がなかったけれど、ただのホストではなくそのクラブの経営者だとわかって驚かされた。立ち回りがうまくなければ、簡単にそうはなれない。立ち回りがうまいということは頭が切れるということだ。
「ぜひ、そうさせてちょうだい」
 典子はすっくと立ちあがった。身なりだけはいつもきちんとしていて、スカートの皺を伸ばすようなしぐさをすると、くるっと身をひるがえして玄関へと立ち去った。
 考えたにしろ本能にしろ、キョウゴが示唆した不快感を典子が悟ったのは確かで、まるっきりばかではなかったことに智奈はほっとした。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

10 sweet wedding

国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

完結*三年も付き合った恋人に、家柄を理由に騙されて捨てられたのに、名家の婚約者のいる御曹司から溺愛されました。

恩田璃星
恋愛
清永凛(きよなが りん)は平日はごく普通のOL、土日のいずれかは交通整理の副業に励む働き者。 副業先の上司である夏目仁希(なつめ にき)から、会う度に嫌味を言われたって気にしたことなどなかった。 なぜなら、凛には付き合って三年になる恋人がいるからだ。 しかし、そろそろプロポーズされるかも?と期待していたある日、彼から一方的に別れを告げられてしまいー!? それを機に、凛の運命は思いも寄らない方向に引っ張られていく。 果たして凛は、両親のように、愛の溢れる家庭を築けるのか!? *この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 *不定期更新になることがあります。

最後の恋って、なに?~Happy wedding?~

氷萌
恋愛
彼との未来を本気で考えていた――― ブライダルプランナーとして日々仕事に追われていた“棗 瑠歌”は、2年という年月を共に過ごしてきた相手“鷹松 凪”から、ある日突然フラれてしまう。 それは同棲の話が出ていた矢先だった。 凪が傍にいて当たり前の生活になっていた結果、結婚の機を完全に逃してしまい更に彼は、同じ職場の年下と付き合った事を知りショックと動揺が大きくなった。 ヤケ酒に1人酔い潰れていたところ、偶然居合わせた上司で支配人“桐葉李月”に介抱されるのだが。 実は彼、厄介な事に大の女嫌いで―― 元彼を忘れたいアラサー女と、女嫌いを克服したい35歳の拗らせ男が織りなす、恋か戦いの物語―――――――

絶体絶命!!天敵天才外科医と一夜限りの過ち犯したら猛烈求愛されちゃいました

鳴宮鶉子
恋愛
絶体絶命!!天敵天才外科医と一夜限りの過ち犯したら猛烈求愛されちゃいました

一夜限りのお相手は

栗原さとみ
恋愛
私は大学3年の倉持ひより。サークルにも属さず、いたって地味にキャンパスライフを送っている。大学の図書館で一人読書をしたり、好きな写真のスタジオでバイトをして過ごす毎日だ。ある日、アニメサークルに入っている友達の亜美に頼みごとを懇願されて、私はそれを引き受けてしまう。その事がきっかけで思いがけない人と思わぬ展開に……。『その人』は、私が尊敬する写真家で憧れの人だった。R5.1月

優しい紳士はもう牙を隠さない

なかな悠桃
恋愛
密かに想いを寄せていた同僚の先輩にある出来事がきっかけで襲われてしまうヒロインの話です。

小野寺社長のお気に入り

茜色
恋愛
朝岡渚(あさおかなぎさ)、28歳。小さなイベント企画会社に転職して以来、社長のアシスタント兼お守り役として振り回される毎日。34歳の社長・小野寺貢(おのでらみつぐ)は、ルックスは良いが生活態度はいい加減、デリカシーに欠ける困った男。 悪天候の夜、残業で家に帰れなくなった渚は小野寺と応接室で仮眠をとることに。思いがけず緊張する渚に、「おまえ、あんまり男を知らないだろう」と小野寺が突然迫ってきて・・・。 ☆全19話です。「オフィスラブ」と謳っていますが、あまりオフィスっぽくありません。 ☆「ムーンライトノベルズ」様にも掲載しています。

社長はお隣の幼馴染を溺愛している

椿蛍
恋愛
【改稿】2023.5.13 【初出】2020.9.17 倉地志茉(くらちしま)は両親を交通事故で亡くし、天涯孤独の身の上だった。 そのせいか、厭世的で静かな田舎暮らしに憧れている。 大企業沖重グループの経理課に務め、平和な日々を送っていたのだが、4月から新しい社長が来ると言う。 その社長というのはお隣のお屋敷に住む仁礼木要人(にれきかなめ)だった。 要人の家は大病院を経営しており、要人の両親は貧乏で身寄りのない志茉のことをよく思っていない。 志茉も気づいており、距離を置かなくてはならないと考え、何度か要人の申し出を断っている。 けれど、要人はそう思っておらず、志茉に冷たくされても離れる気はない。 社長となった要人は親会社の宮ノ入グループ会長から、婚約者の女性、扇田愛弓(おおぎだあゆみ)を紹介され――― ★宮ノ入シリーズ第4弾

処理中です...