夏のお弁当係

いとま子

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4.クビ

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 蝉の合唱がさらなる盛り上がりを見せ始め、僕が毎朝二つの弁当をつくることにもすっかり慣れたころ、小嶋マートには子どもたちがよく店にやってくるようになっていた。土日にはお菓子やジュース、アイスを買いに来る子がいるが、今日は平日だった。振替休日だろうか。

「違う、違う」

 小嶋さんは顔の前で手を振りながら笑った。

「もう夏休みだよ」

 カレンダーを見て驚いた。世間はいつのまにか夏休みに入っていた。もうそんな時期なのか。
 いつも通り弁当をもらいに来た賢治くんに話すと、賢治くんも笑った。

「身近に子どもがいないと気付きませんもんね」
「僕は今ずっと夏休み状態だからね」

 お客さんがいないレジの前で、賢治くんとふたり、話をする。汗を冷やそうと、賢治くんは胸元をしきりに仰いで、クーラーの冷気を取り込んでいた。今日も外は暑い。
 夏休みになったということで、僕は、ここに来る前に母さんが言っていた夏休みの宿題を賢治くんに話した。

「人生の休息と刺激、ですか。なるほど」

 賢治くんはかみ締めるようにしみじみと言った。

「いいお母さんですね」
「口げんかで勝てたことはないよ」
「女の人は強いっていいますもんね」

 賢治くんは、思い当たる節があるのか僅かに顔をゆがめた。おばあさんを思い出しているのかもしれない。
 賢治くんは腕を組みながら、首をかしげた。

「それにしても、難しい宿題が出ましたね。『今後の人生を充実させるために大切なもの』ですか……」
「簡単には見つからないよね。漠然としているし」
「そうですね」

 賢治くんは頭の後ろで手を組みながらのんびりと言った。

「でも見つかるときには結構あっさりと見つかるものですよ」

 はっきりと言い切る賢治くんの言葉は、予言のようにも聞こえた。

「いっそ探そうと思わないほうがいいのかもしれませんよ。ほら、探し物って探していないときに出てきたりしません?」
「そういうものかな」
「そういうもんですよ」
 
 賢治くんは微笑んで、言った。

「いつか見つかるといいですね」
「ありがとう、賢治く――」
「こら、待ちなさい!」

 外から声が聞こえてきた。僕と賢治くんは外を見る。
 小嶋さんが声を荒げている姿を、僕ははじめて見た。いつもニコニコとしている姿しか見たことがない。よほどのことがあったのか、とそっと外の様子を窺う。
 小嶋さんの向かいには女の子がいた。高校生だとは思うが、髪の色は明らかに校則違反だろうと思われるほど、明るい色だった。日に当たって金色というより白髪に見える。服装も南国の花みたいに派手な色で、臍も足も出している。下着とあまり変わらないのではないかと目のやり場に困る服装だ。
 話の様子から、彼女は小嶋さんの娘らしい。

「……どうしたんですかね」

 賢治くんが小声で言った。僕もつられて小声になる。

「……小嶋さんの娘だよね?」
「ええ、さやかっていうんです。高校生ですよ。夏休みですもんね」

 それから僕と賢治くんは示し合わせたように無言になり、小嶋さんとさやかちゃんの口げんかに耳を傾ける。
 どうやら、夏休みに入ってからというもの、さやかちゃんは朝から晩まで友人たちと遊びまわり、髪まで染め、昨日は無断外泊までしたらしい。小嶋さんが怒るのも無理はない。いや、心配なのだろう。しかしさやかちゃんは、小嶋さんの気持ちなど知る由もなく、鬱陶しそうにそっぽを向いているだけだった。
 結局痺れを切らしたさやかちゃんが、怒鳴って逃げるようにその場から去っていった。小嶋さんが肩を落とす。ため息がここまで聞こえてくるほどだった。賢治くんと僕は互いに顔を見合わせ、曖昧な表情をする。
 そこに小嶋さんが戻ってきた。僕たちの表情に気付き、恥ずかしそうに頭をかく。

「ああ、聞かれちゃったかな。いやあ、恥ずかしいところを見せてしまったね」
「大変ですね」と僕。
「遊びまわってばかりで困ったものだよ。まったく。どうしたものかね」

 小嶋さんは腕を組み唸った。本当に困っているようだ。

「遊びたいって気持ちも分かりますけどね」

 さやかちゃんと一番歳の近い賢治くんが肩をすくめる。

「部活とかもやってないんですもんね。何か役割っていうか、仕事でもあればいいんでしょうけど」
「仕事か……」

 小嶋さんのつぶやきに、賢治くんは頷いた。

「たとえば、バイトとか」
「バイトねえ」

 確かに時間が余りまくっているから遊んでいるし、羽目を外すのかも。バイトを始めれば、遊びまわる暇も少しは減るだろう。高校生がバイト先を探すとなると、離れた街の方まで行かないと見つからないのでは。でも、さやかちゃんの実家はもう店じゃないか、と考えているうちに小嶋さんが両手を打ち合わせた。

「うん、バイトか。じゃあここで店番やってもらおうかな」

 小嶋さんが僕を見た。

「と、いうことで、雨恵くんはお休みね」
「あ、はい。ええと……明日、ですか?」

 僕が尋ねると、小嶋さんは微笑みながらうんうんと頷いた。

「うん、明日も、明後日も。というか、夏休み中はいいよ」
「え」
「全部、さやかにやらせるから」
「クビってことですかっ? いや、でも、それはいくらなんでも大変じゃないですか?」

 小嶋さんに反抗していたから、そもそもまともにバイトに来てくれるかもわからないんじゃ。

「もともとこの店は僕ひとりで回してたしね。雨恵くんが来てくれて助かってたのは本当だけど、さすがにこの小さな店で二人は雇えないなあ」
「そ、そんな……」
「ごめんねえ、いきなりで」

 小嶋さんは全く申し訳なさそうに見えない笑顔を浮かべながら続けた。

「でも、雨恵くんはもともと休暇のために田舎まで来てるんだから、店番なんてやらなくていいんだよ?」

 実際、小嶋マートで働いているのは、僕が焦って仕事を見つけようとしていたからで、母さんが小嶋さんに、僕をここで働かせてもらえるように頼んでいたからだ。

「この際だからさ、ゆっくり休みなよ。何もないところだけど楽しいよ、海とか、山とか」

 小嶋さんにそういわれたものの、困った。退職して平日の昼間からぽっかりと時間が空いてしまった日のことを思い出す。仕事はないし、じゃあ、遊べ、自由にしろ、後は知らん、と言われてもどうしたらいいのか分からない。

「じゃあ、俺のところ来ます?」

 今までずっと僕と小嶋さんのやり取りを黙って見ていた賢治くんが言った。

「雨恵さん、暇になったのなら、俺のところ手伝いに来てくれませんか?」

 僕は頷いた。頼まれたらもちろん僕は断われない。
 暇になったから、断わる理由もないけれども。
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