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プロローグ 突然の来訪 俯瞰視点

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「……あの日から、ちょうど一年になるのよね。あの時は、一年後にこうしていられるとは思いもしなかったわ」

 外では春特有の爽やかな風がのどかに吹く、4月7日の正午過ぎ。ラヴィラット伯爵邸――その一階部にある厨房では、おっとりとした女性が隣に向けて柔和な微笑みを浮かべていました。
 彼女はこの家の当主夫人、ロランス。彼女の視線の先でオーブンを眺めているのは、娘のクリスチアーヌです。

「ええお母様、わたくしも同じ感情を抱いておりますわ。このような日々を過ごせるようになるとは、夢にも思いませんでした」

 それは今からぴったり1年前となる、4月7日の正午過ぎのこと。クリスチアーヌを始めとした一家3人は、突如言葉を失う羽目になりました。

『クリスチアーヌ。お前との婚約は解消する』

 クリスチアーヌが17歳の時に今から1年半前に婚約者となった、ハンデリア侯爵家の嫡男ブノア。そんな婚約者と当主が突然ラヴィラット邸を訪れ、何の前触れもなくこう口にしたのです。


『ザテラー伯爵家のナタリー――お前以上に、愛したいと思う女性と出会えたんだ。彼女と交際を始めるために別れてもらう』

『円滑に関係を持てるように、婚約解消は『契約に齟齬が生じた』とする。必ず守るようにな』

『俺に興味を抱かせ続けられなかったお前に問題があるが、あまりにも突然の宣告だったという自覚はある。そこで特別に慰謝料を支払ってやるから、有難く受け取るといい』

『解消も口止めも納得ができない? そうか。別に構わないが、俺は俺の邪魔をする者を許さない。叩き潰されてもいいのであれば、歯向かってくるといいぞ・・・・・・・・・・


 そして彼らは更に信じられない言葉をいくつも告げ、こうして理不尽かつ一方的に関係は解消されてしまったのでした。

『…………そんな……。ブノア、さま……』

 クリスチアーヌとブノアの婚約、それはブノアからの――舞踏会にて偶々一曲踊ったことで所謂一目惚れをした、ブノアからの申し出によるものでした。
 その時の二人は初対面でしたが、ブノアはいつも紳士的で優しい人・・・・・・・・・・・だった。そのためクリスチアーヌはあっという間に惹かれ、相手は格上のため『家』の意思で――政略的な意味で承諾されることになっていましたが、彼女の意思もしっかりと含まえた『本意』の婚約が結ばれていたのです。
 ですのでブノアが去ったあとその場に崩れ落ち、

 ――あんなにも優しかった人が、あんな態度を取ったこと――。

 ――一生涯愛し合おうという誓いが、あっさりと崩壊してしまったこと――。

 それらによって、クリスチアーヌは3日3晩泣き続けました。
 そうして彼女は心身に深い傷を負いましたが、その後に気付いた『とあること』によって状況が一変。ソレによって絶望は跡形もなく去り、今では幸せに包まれた日常を過ごせるようになっているのです。

「今ではあの出来事を、笑い話にできてしまえる。たった一年で、こんなにも変わるものなんですのね」
「ふふっ、人生って不思議よね。まさか、あの出来事があんなことに繋がるなんて――あら。そういうお話は、あとにしましょうか」

 頬を緩め合っていると、オーブンが焼き上がりを知らせました。ですのでクリスチーヌは頷きを返しながら扉を開き、天板に乗った12個のマドレーヌを取り出しました。

「どう? 上手く焼けている?」
「はい、完璧ですわ。料理長マイケルのレクチャーのおかげで、とてもよいものが完成して――? パトリスお父様? ど、どうなさったのですか……!?」
「あなた……? なにがあったの……!?」

 父や夫ではなく『当主』の顔をしたパトリスが、血相を変えて厨房に飛び込んで来た。それによってクリスチアーヌとロランスは戸惑い、まもなく、更に激しく戸惑う羽目になるのでした。
 なぜならば――

「ブノアとハンデリア卿が、いきなりやって来てな……。クリスチアーヌとの婚約解消を、撤回させてもらいたいと言い出したのだよ!!」

 1年前あのような形で別れた元婚約者が、関係の修復を望んでいたのですから。

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