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本編

65,華やかな舞台の傍らで

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 歩きながら話そうとセシルは妹のライラを誘う。歩きにくそうな妹に手を貸した。一緒に並んで歩くのは、十数年ぶりだろう。

「私が誘拐された時は七歳。あなたは五歳だな。
 私とあなたがひっそりと裏庭で遊びはじめたのは、その一年前だ。あなたは屋敷の一角から離れられず、私が見つけて、隠れて遊び始めたな」
「よく覚えています」
「その瞳の色だ、屋敷の外へ出さないのは仕方ないことだ」

 家の裏手、屋敷で使用人が出入りする勝手口のすぐ横が、妹の遊び場だった。そこから遠くに行ってはいけないと、壁横に自生している低い木の幹から伸びた紐で胴を縛られて、木陰で遊んでいたのだ。小枝とボロ布で作った人形と手のひら大の石、頭上から落ちてくる茶色い木の実だけが妹の世界だった。
 そこに大人の目を盗んで、逃げ出したセシルが、部屋にあるおもちゃを握りしめて遊びに行っていたのだ。誰かと遊ぶ一時は、一人で遊ぶよりずっと楽しかった。

「姉さんはいつ父と母が首謀者だとお知りになったのですか」
「それは簡単だ。私をさらった者たちが話していたんだ。子どもを売り払う貴族のお家事情など、面白おかしい話のタネだ。
 猿轡(さるぐつわ)をされていたし、後ろ手て手首も縛られ、寝転がされていたからな。耳だけ周囲に気を配っていたから、よく聞こえたよ。
 依頼は父。私は国外で売買目的での誘拐にあたる。金目当てと言えば簡単だな。途中で私は助けられ、犯行はとん挫した、それだけだ。
 父と母の関係が悪かったのだ。
 あなたの母は、貴族の女主人という立場に目がくらんだのかな。
 
 恐怖と憤りを突き抜けて、悲しかったな。あなたの母は優しかった。あの優しさが嘘だったのだから。これから命をとろうという子どもにさえ、直前まで優しくできる者の心底に慄いたよ」

「それだけじゃありません。
 前当主の命も、父と母が画策して、時をかけて毒殺しました」
「それも、薄々分かっていたよ。そしてあなたの母も死んだね。因果応報かな。そして、父は孤独になり、私の母への憎しみと、あなたの母への気持ちを混ぜ合わせて、袋小路に消えた」

 薄暗い廊下を抜け、華やいだ表の通路に差し掛かる。
 セシルと妹は繋いでいた手を離した。

「ここから先は、一人で戻りなさい。私にも仕事がある」
「送っていただき、ありがとうございます」

 緩やかな曲と、さざ波のような談話が混ざり合って届く。
 華やいだ世界の傍らで、二人は背を向け歩き出した。

 セシルがふと立ち止まり、振り向く。合わせるように、妹もまた振り向いた。

「後ろめたく思うことはなにもない。あなたが手にするものはすべてあなたのものでいい。私は望んで、子爵家を出たのだ」

 勝手な言い分を投げ捨てたセシルが再び背を向ける。もう振り向かなかった。不遇のなかで育った何も持たない妹にすべてを譲っても、後悔はない。
 家を出るだけの職と金がセシルにはある。みずからを維持して生きるには十分だ。

 そんな結論に至り、セシルは疑問に思う。

(母は、本当に血統主義であったのだろうか)

 誘拐事件の後に母は剣術などの教師をつけた。あの訓練が無ければセシルは騎士にはならなかっただろう。

(家を出たかったのは、母なのではないだろうか)

 母こそが家を出ることを望み、それを娘に託したようにも見える。殺されたという母自身が、毒杯と知りながら自ら煽ったのではないかとさえ、思えてくる。
 綿々と続く貴族の裏側は人の記憶の中に死とともに消えてゆく。なにも語らぬまま、明かされることもない。

 セシルは再び振り向いた。
 だいぶはなれたものの、会場から漏れる音楽がまだ響いてくる。煌々と華やいだ明かりが輝かしい。会場に消えていく妹の背を見送った。

 貴族たちは踊り、談話し、笑っているのだろう。
 魔眼は失われても、人々は集まっている。ただただ華やかさに焦がれた空虚な者たちの、互いに確かめ合う舞台があるだけだ。

 セシルには、どうでもいいことである。ただ仕事をし、ただ生きる。貴族でも何でもない、体一つしか自分を持たない。
 ふっと息を吐き、腰に拳を一つ添えた。

「そこにいるんだろう。隠れてないで、出てきたらどうだ。デュレク」

 セシルの呼びかけに、物陰からデュレクがひょっこり顔を出す。

「気づいてたの?」
「ずっと、尾行していただろ。気づかないと思ったのか」
 
 ばれちゃったとおどけた表情を浮かべ、デュレクがセシルの傍に寄る。

「綺麗な曲だな。明かりも煌々として華やかだ。さすが王宮の催し物だな」
「美しいが、あの中に魔眼まで持つ者はほぼいない。次世代の魔眼を持つのは、私たち三人だけかもしれないな」
「前線に、送られる貴族が出れば話は変わるだろう」
「危険な場所に自ら出向く者はいないさ」
「あっちは、ギリギリだぞ」
「そのうち私たちが行くことになるのではないか。殿下を本当に廃したいならな。私たちはその時のためにいるのかもしれない」
「そうか……。俺は、またあそこにもどることになるか」
「先のことはわからない。ただの可能性だよ。もっと前に、瓦解するかもしれない。ここは空っぽだ。あとは良いように流れていくだけだろう。いずれは色を持たない貴族が当たり前になり、魔眼は伝説になるさ」
「詩人だねえ」
「茶化すな」
 
 くくっと笑うデュレクを、セシルは軽く睨む。

「妹さんとの話を聞いてて疑問だったんだが。セシルはどうやって開眼したんだ。
 攻撃を主とする呪詛の魔眼なら物理的に襲われて開眼する。呪詛返しなら、呪詛を受けたり、魔族生の生物と対峙すれば開眼する。
 セシルの魔眼は浄化だろ。普通なら、呪詛か、魔族生の生物に攻撃を受けないと開眼しないだろ」
「受けたよ。たぶんあれは、どこぞの公爵家の魔眼による呪詛だ」
「セシルを助けるためにか?」
「いや、私もろとも殺すためだろ」

 再びデュレクは問わなければよかったと苦笑いする。
 もう遅いとセシルは話を続けた。

「誘拐された時に呪詛を受けた。呼吸が苦しくなり、鼻腔から喉、肺までもが爛れるようだった。意識が薄れていたから、どの家の魔眼かは分からない。誘拐した者たちは目の前でもだえ死んでいた。開眼した私だけが生き残った。これが、私が助かった真相だよ」
「誰がそんなことを」
「さあ。貴族の子どもを外に流出させないために動く者がいるのかもしれないな。いてもおかしくはないだろ」
「なんのために?」
「知らない。子どもの私に、調べるつてなんてない」

 はあと嘆息し、デュレクは額に手を当てた。

「俺。もう、嫌になるよ。ここから逃げたい」
「無理だな。私たち三人は残された最後の魔眼持ちだ、きっと殿下は手放さない」
 
 デュレクは、柳眉を曲げた。
 
「なんで、こうなるかな~。俺、前線での働きが終わったら、金持って、どっかの田舎の村にでも隠遁しようと思っていたのになあ」
「残念だな」

 薄暗い廊下をセシルは引き返す。
 デュレクはその後を追う。

「セシルは夢とかなかったのか。家を出る以外に、こうしたいとか、ないの」
「ないな。一人で暮らせればそれでいいと思っていただけだ」
「それ、ずっと一人ってこと?」
「どうだろう。あまり考えたことないな」
「俺も普通のことしか思いつかないけど、結婚とか家庭を持つとか、あるだろ」
「私は親が親だから、そういう夢は持ちえないな。もう貴族ではないつもりだ。婚約や結婚を無理強いされることもない」

 すたすたと歩くセシルの後ろを、デュレクは悠々とついていく。

「じゃあさ、俺と結婚しない」

 ぴたりとセシルの足が止まる。突然の停止に、デュレクが足を止めきれず、セシルの真後ろでつんのめる。

「いきなり止まらないでくれよ。ぶつかるかと思ったじゃん」

 くるりと振り向いたセシルがデュレクを見上げる。
 睨んでくる彼女に、男はへらっと軽く笑う。

「なにをふざけたことを言いだす。冗談にしてもたちが悪い!」
「ええぇ、冗談じゃないよ。セシル以外に過去を明かせる女性(ひと)と出会える気がしないもん。セシルもさ、俺以外に、こんな話できないって思わなかった?」
「そりゃあ……」

 同じ思いをいだいていても、簡単に肯定できず、セシルは言いよどむ。
 ほんの少し動けばぶつかってしまう立ち位置で向き合う。
 デュレクは愛嬌を込めた笑みを浮かべた。

「仕事と生活とか諸々通して、相性も悪くないだろ、俺たち」
「順番もなにもかも、すっ飛ばして何を言うか!」
「順番? 俺たちに、今更?」
「いまは仕事中だ。そんな話をするときではない」

 こんな時に、こんな場で、こんな話に進むとは思いもよらず、柄になく慌てるセシル。一方、デュレクは、そんな彼女の反応を微笑を湛えて受け止める。

 デュレクは手を伸ばした。すぐそこにいるセシルを包むように抱きしめる。

「一人ってさ。息をするのも辛くなるぐらい、寂しいんだ。出て行かないでよ、セシル」

 セシルは頬を赤らめ、デュレクの胸に額を押し付け、小さく頷いていた。


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