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本編

64,姉と妹

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 その後、御所周辺に霧が発生することはなくなった。

 近衛騎士団長は何もなかったかのように、職務に就く。
 デュレクと近衛騎士団長(あに)の関係は、前と変わらない。少なくともセシルにはそう見えた。
 デュレクは相変わらず軽口を叩き、近衛騎士団長(あに)に指摘されている。
 
 女官も王太子殿下をよく助け、元気になった子どもは小姓として働くようになった。身ぎれいにした子どもは素直で、父母に大切に守られて育ってきたとうかがえた。太子御所から滅多に出れない殿下は、この子をからかって遊び、笑うことが増えた。その変化に、セシルは驚く。

 子どもはセシルとデュレクによく懐いた。デュレクが剣などを手ほどきし、セシルは勉学を教えるようになる。いずれは二人と並んで、殿下に仕えるためにも教育は必要だった。

 殿下に取り込まれたデュレクは、前線に戻ることなく、継続して近衛騎士副団長として働いている。眼帯はそのままにし、紅の魔眼持ちであることは極力明かさないようにした。聞かれなければ答える必要もないし、こちらから言うことでもない。

 雑務で追われるデュレクは、不満を漏らしながらも、近衛騎士副団長の仕事を辛うじてこなす。セシルは、デュレクとの同居にて、生活の諸々を少しづつ身につけて行った。

 宰相が苦心した法案はすんなりと通る。
 何事もなかったかのように、嫡出子と非嫡出子、はては婚外子など、貴族の子どもの出生に関する届けが義務付けられる。今まで生まれた子どもたち、多くは大人になっている者たちに関する、認知の届けも、背景不問で受けつけられた。

 これでどれだけの効果があるかは分からなくても、今までの悪習への抑止力になればいい。瞳の色を目当てに、子どもの不遇が改善されればいい。状況が、少しでも好転するきっかけになることをセシルは願わずにはいられなかった。
 ひっそりと女官と子どもも、たくさんの申請に紛れさせ、目立たぬままに、公爵家の血筋と認知された。宰相と近衛騎士団長の間で不和の空気が流れかけたが、殿下がまるく収めてしまった。
 魔眼を持つ子どもの価値は計り知れない。いずれは、殿下の懐刀になるよう育てようという画策が大人の間でなされてはいたが、当の子どもはそんなことは気にせずに励んでいた。

 セシルの生家である子爵家からも、妹の認知が届けられていた。
 同時に職場にセシルあてに子爵家から書面が届く。婚約の解消と、子爵家の後継者を妹へ譲ることへの了承が求められていた。迷うことなく、セシルはサインし、子爵家と決別する道を選んだ。

 家に魔眼の者がいることは名誉なことだが、それさえも捨てたいと思い、実行するほどに父はセシルを毛嫌いしていたのだろう。
 父母の関係は、どらだけの嫌悪と憎悪にまみれていたのかとセシルに思い知らせた。

 魔眼があるということは、家の価値を上げる。
 もう少し父母の関係が良ければ、セシルを手放す真似はしなかっただろう。そう簡単に家と決別できず、苦労した可能性が高い。
 やすやすと決裂できただけで感謝とセシルは暗澹たる心底に着地後、踏ん切りをつけた。

 程なく、セシルの元婚約者と妹の婚約が風の噂で届いた。
 子爵家の本筋は消えた。分家が本家に成り代わり、その娘が後を継ぐ。光彩だけ綺麗な菫色の娘だ。

 

 

 ある時、王主催の夜会が開かれる。定期的に開催される行事である。
 セシルとデュレクは警備の責任者として動く。現場責任者に各所を任せつつ、何かあれば采配を振るう立場にある。
 大抵は何も起きないため、セシルのやることはない。立場上、所在不明になるわけにいかないため、裏方に控えているか、決まった通路を歩いているかのどちらかとなる。

「結構、窮屈だな。この立場も……。俺、拘束されるの苦手」

 廊下を歩きながら、デュレクはセシルに不満を零す。

「基本的になにもすることがないに等しいからな。以前は私も表舞台に出て、裏に表にと忙しかったから気にならなかったが。改めて考えるとこの立場は暇だな」
「そっか、セシルは跡取りだったものな」
「妹に譲り、楽になったよ。
 あと、この場に私たちが二人もいる必要はないからな。今後は一人で対応することになるだろう」
「俺、一人かよ……。暇すぎて、死にそうだ」

 うんざりとデュレクが天井を見上げる。
 廊下の角にさしかかる。長い人影が伸びている。乏しい明かりに照らし出されたのは、ドレス姿の女性の影だった。

「デュレク、女性が廊下を迷っている。私が案内してくる、先に引き返し、控えの間に戻れ」
「はーい。分かりましたよ」

 セシルはそういうと早足で進みだした。
 廊下にさす女性の影は、右に左に向きをかえる。夜会の会場から、何かしらの事情で出てきて、迷っているとしか見えなかった。

 影が差す廊下の角を、セシルは曲がった。
 女性がびくっと足を止める。
 セシルは驚かせて、逃げられてはいけないと、優しい声音で呼びかけた。

「お待ちください。会場はそちらではありませんよ」

 廊下に差し込む月明かりが、ドレス姿の女性を映し出す。
 月明かりが照らし出したのは、まるで鏡に映したかのようにそっくりな菫色の瞳だった。

「セシル……、姉さん」
「……ライラ」

 姉妹は、十数年ぶりに互いの名を呼びあった。
 そして、沈黙する。

(どうして、ここに妹が? 子爵家の者として、父に連れられて来たとは思うが、なぜ、こんな、会場から離れた廊下に……)

 なぜと考えるのも愚かなこと。言葉にしなくても、理解はできる。

「ごめんなさい。姉さんに、ちゃんと話したくて……。探しに来たの」

 弱々しい震える声に、セシルはぎゅっと両目を瞑った。嫌なことが脳裏を幾重にも過っていく。封印していた感情が突き抜け、胸苦しくなる。
 目の前の妹に、子爵家の不満をぶつける程、セシルも愚かではない。呼吸を二度深く繰り返し、両目をゆっくりと開く。

「ここは、会場から遠い。すぐに送り届けたい。話があるなら、手短に」

 驚くほど冷たい声音に、セシル自身が驚く。
 妹のライラもまた、静かにセシルと向き合った。

「ごめんなさい。まるで姉さんを家を追い出す形になってしまって……」
「諸々あったが家を出たことに、あなたは関係がない。誰のせいと言えば、それは私の父と母が作った要因だ。私はなにがあろうとも、どこかで家を出るつもりだった。それがたまたまあのようなきっかけになったというだけだ」

 妹は大きく頭を振る。

「違うの、姉さん。違う。私は謝りに来たの。母さんの代わりに……」

 今にも泣きそうな妹の様子に、セシルは嘆息する。

「私の誘拐の件か……。あれは、私と妹をすり替えようと父とあなたの母が画策したことだったのだろう。そんなことはとうの昔に知っている」

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