54 / 65
本編
54,菫
しおりを挟む
セシルは門を開け放った。霧が身体を抜けていく。瞼を閉じて、両眼を開く。菫色の瞳が光り、霧を散らす。霧は、潮が引くように晴れていった。
(デュレクは大丈夫だろうか)
前線で活躍した者の判断に任せるしかない。セシルにできることは、霧を払うだけである。
(浄化の魔眼は、攻撃には向かない。一方的な守りだ)
デュレクのように、門の上に立ち、塀を走り抜けるという発想もなかった。前線でもまれてきた者がとる行動に、セシルはついていける気がしなかった。
門を開いたことで、御所内に入り込んだ霧もすっかり消えている。
(開け放った時に入り込んだ霧が前よりも濃かった。霧が充満する速度が回を重ねるごとに早くなっているな)
霧の残滓が残っている。
セシルは菫色の瞳を輝かせながら、御所へと引き返した。
デュレクは背後から突風が吹いたかと思った。霧がずさっと巻き戻されていく。セシルの浄化が行われたと直感する。
まるで霧が、そこらじゅうに張り付いている魔族生の生物へと吸い込まれて行くかのようだ。
なにを映しているのか分からない虚ろな子どもの青い眼からも光が失われている。
(ここはいったいなんなんだ。見たこともない魔族生の生物も含めて……)
デュレクはこの数年間で、それなりの数を見てきた自負があった。対する相手について記された本も時間があれば目を通していた。しかし、この生物は、形状から、性質から、見たこともない。
(魔眼を持つ人間を取り込み、霧を発生させている時に瞳が光り、霧が消失していけば魔眼の働きが衰えている)
この魔族生の生物は、魔眼を持つ人間を取り込み、その能力を増幅させているようにも見えた。さらに生かす程度に栄養を補給している。
王宮の、しかも太子御所の裏手に、なぜ。
疑問は尽きないが、デュレクの知識には手がかりはない。
(まずは子どもを助けなければ、体を傷つけずに引っ張り出すぞ)
腰を軽く屈し、飛び上がった。手を伸ばし、魔族生の生物を掴む。
左目に光が灯る。ざわざわと重なり合っていた魔族生の生物が波立つようにざわついた。デュレクは気にせず、魔族生の生物内部へと腕をめり込ませた。
足が浮き、もがくままに前後に揺れた。
(届くか!)
張り付いたまま、ざわつく魔族生の生物たちをかき分けて、デュレクは真っ直ぐに子どもへと手を伸ばす。
(足でもいい、手でもいい。どこでもいいから、掴めれば……)
魔族生の生物がうねり始めた。子どもを抱えた彼らが、荒波のようにもぞもぞと動き出す。その動きにデュレクはバランスを崩しかけた。歯を食いしばって、宙に浮いた足を揺らす。ぐいっと上に向けて、上部に張り付き蠢く者に足を引っかけようとした。
うまくいかず、足がめり込む。
デュレクは体をねじり、子どもがわに体を寄せようと試みる。腕をさらに伸ばす。子供まではなかなか届かない。
その間も魔族生の生物はずざっずざっと蠢いていく。魔族生の生物に両足と片手を取られたまま、デュレクは押されて横滑りする。
子どものと距離は一向に縮まらない。
空いた手でデュレクは柄に手をかけた。変わらず煌々と片目は赤く光る。
剣を引き抜くと、そのまま魔族生の生物に切っ先を滑らせる。剣はデュレクの魔眼と同色の光を放ちながら、魔族生の生物の塊を引き裂いた。
ぼろりとさかさまに落ちかける。
子どももぐらりと傾いた。腕がぶらりと垂れ下がる。
デュレクはいまだとばかりに、手を伸ばした。
体が落下する間際にデュレクは子どもの腕を掴めた。ぐいっとその腕を引き寄せる。力任せに引っ張れば、めり込んでいた子どもの身体が、ぶすぶすと魔族生の生物から引っ張り出された。
デュレクは落ちる先を目視する。真下には、泉があった。
(水の中に落ちるか!)
掴んだ子どもをさらに引き寄せ、頭部を抱えた。
鍾乳石の突起が視界の端に入る。体をよじり、足で石を蹴り、横に飛んだ。辛うじて水に落ちることなく、地面にデュレクと子どもは転がった。
セシルは御所内に入ると、足を速めた。
廊下を突っ切っていく。
自然といつも殿下と謁見するたびに通される庭を眺められる広い居室に向かっていた。
そこに殿下は、女官とともにいた。窓に手をかけて、庭を見ている。
「殿下!」
セシルの呼び声に、殿下は振り向く。
振り向いた殿下は満面の笑みを浮かべる。
「ああ、セシル。霧の浄化、見事であった。デュレクはどうした」
「デュレクは……、門の上に立ち、塀を走り抜けていきました」
「では、林にむかったのだね」
殿下は再び庭に目を向ける。
「さあ、始まりはこれからだ」
殿下の呟きに、セシルは菫色の瞳に不可思議の色を乗せて瞬かせた。
(始まりは、これから?)
デュレクは子どもを抱き、その頬をぺちぺちと叩いた。体はあたたかく、心音が伝わってくる。反応は無くても辛うじて生きていた。
「おい、大丈夫か。おい」
呼びかけても、返事はない。どれくらい魔族生の生物に取り込まれていたのかは分からないものの、体は衰弱し、細くなっている。しばらく固形物を口にしていない様子だ。頬もこけ、栄養も運動も不足していると見るからに分かる。衣類もぼろぼろであり、歳月を感じさせた。
(長い間、取り込まれていたのだな。俺がもう少し早く来ていれば……、すまない)
知らなかったとはいえ、デュレクは心より子どもに申し訳ない気持ちになる。もっと早く来ていれば、もう少し元気な姿で助け出せたかもしれないなど、思っても詮無いことだ。
魔族生の生物同士が共生し合うのに似ている状態だったのだろう。食事をとらなくても、密着する魔族生の生物から栄養が入り込んで、生きながらえていたのだ。
反応のない子どもに、デュレクは脱いだ上着をかけて、包み込んだ。近くに、手から抜けた剣が落ちている。拾い、鞘に納めた。
子どもを抱き、デュレクは、洞を後にするため立ち上がった時だった。
ひゅんと風切る音がした。
反射的に子どもを抱えて屈みこむと、頭上をナイフが飛んでいく。そのまま、遠くの鍾乳石に突き刺さった。
(デュレクは大丈夫だろうか)
前線で活躍した者の判断に任せるしかない。セシルにできることは、霧を払うだけである。
(浄化の魔眼は、攻撃には向かない。一方的な守りだ)
デュレクのように、門の上に立ち、塀を走り抜けるという発想もなかった。前線でもまれてきた者がとる行動に、セシルはついていける気がしなかった。
門を開いたことで、御所内に入り込んだ霧もすっかり消えている。
(開け放った時に入り込んだ霧が前よりも濃かった。霧が充満する速度が回を重ねるごとに早くなっているな)
霧の残滓が残っている。
セシルは菫色の瞳を輝かせながら、御所へと引き返した。
デュレクは背後から突風が吹いたかと思った。霧がずさっと巻き戻されていく。セシルの浄化が行われたと直感する。
まるで霧が、そこらじゅうに張り付いている魔族生の生物へと吸い込まれて行くかのようだ。
なにを映しているのか分からない虚ろな子どもの青い眼からも光が失われている。
(ここはいったいなんなんだ。見たこともない魔族生の生物も含めて……)
デュレクはこの数年間で、それなりの数を見てきた自負があった。対する相手について記された本も時間があれば目を通していた。しかし、この生物は、形状から、性質から、見たこともない。
(魔眼を持つ人間を取り込み、霧を発生させている時に瞳が光り、霧が消失していけば魔眼の働きが衰えている)
この魔族生の生物は、魔眼を持つ人間を取り込み、その能力を増幅させているようにも見えた。さらに生かす程度に栄養を補給している。
王宮の、しかも太子御所の裏手に、なぜ。
疑問は尽きないが、デュレクの知識には手がかりはない。
(まずは子どもを助けなければ、体を傷つけずに引っ張り出すぞ)
腰を軽く屈し、飛び上がった。手を伸ばし、魔族生の生物を掴む。
左目に光が灯る。ざわざわと重なり合っていた魔族生の生物が波立つようにざわついた。デュレクは気にせず、魔族生の生物内部へと腕をめり込ませた。
足が浮き、もがくままに前後に揺れた。
(届くか!)
張り付いたまま、ざわつく魔族生の生物たちをかき分けて、デュレクは真っ直ぐに子どもへと手を伸ばす。
(足でもいい、手でもいい。どこでもいいから、掴めれば……)
魔族生の生物がうねり始めた。子どもを抱えた彼らが、荒波のようにもぞもぞと動き出す。その動きにデュレクはバランスを崩しかけた。歯を食いしばって、宙に浮いた足を揺らす。ぐいっと上に向けて、上部に張り付き蠢く者に足を引っかけようとした。
うまくいかず、足がめり込む。
デュレクは体をねじり、子どもがわに体を寄せようと試みる。腕をさらに伸ばす。子供まではなかなか届かない。
その間も魔族生の生物はずざっずざっと蠢いていく。魔族生の生物に両足と片手を取られたまま、デュレクは押されて横滑りする。
子どものと距離は一向に縮まらない。
空いた手でデュレクは柄に手をかけた。変わらず煌々と片目は赤く光る。
剣を引き抜くと、そのまま魔族生の生物に切っ先を滑らせる。剣はデュレクの魔眼と同色の光を放ちながら、魔族生の生物の塊を引き裂いた。
ぼろりとさかさまに落ちかける。
子どももぐらりと傾いた。腕がぶらりと垂れ下がる。
デュレクはいまだとばかりに、手を伸ばした。
体が落下する間際にデュレクは子どもの腕を掴めた。ぐいっとその腕を引き寄せる。力任せに引っ張れば、めり込んでいた子どもの身体が、ぶすぶすと魔族生の生物から引っ張り出された。
デュレクは落ちる先を目視する。真下には、泉があった。
(水の中に落ちるか!)
掴んだ子どもをさらに引き寄せ、頭部を抱えた。
鍾乳石の突起が視界の端に入る。体をよじり、足で石を蹴り、横に飛んだ。辛うじて水に落ちることなく、地面にデュレクと子どもは転がった。
セシルは御所内に入ると、足を速めた。
廊下を突っ切っていく。
自然といつも殿下と謁見するたびに通される庭を眺められる広い居室に向かっていた。
そこに殿下は、女官とともにいた。窓に手をかけて、庭を見ている。
「殿下!」
セシルの呼び声に、殿下は振り向く。
振り向いた殿下は満面の笑みを浮かべる。
「ああ、セシル。霧の浄化、見事であった。デュレクはどうした」
「デュレクは……、門の上に立ち、塀を走り抜けていきました」
「では、林にむかったのだね」
殿下は再び庭に目を向ける。
「さあ、始まりはこれからだ」
殿下の呟きに、セシルは菫色の瞳に不可思議の色を乗せて瞬かせた。
(始まりは、これから?)
デュレクは子どもを抱き、その頬をぺちぺちと叩いた。体はあたたかく、心音が伝わってくる。反応は無くても辛うじて生きていた。
「おい、大丈夫か。おい」
呼びかけても、返事はない。どれくらい魔族生の生物に取り込まれていたのかは分からないものの、体は衰弱し、細くなっている。しばらく固形物を口にしていない様子だ。頬もこけ、栄養も運動も不足していると見るからに分かる。衣類もぼろぼろであり、歳月を感じさせた。
(長い間、取り込まれていたのだな。俺がもう少し早く来ていれば……、すまない)
知らなかったとはいえ、デュレクは心より子どもに申し訳ない気持ちになる。もっと早く来ていれば、もう少し元気な姿で助け出せたかもしれないなど、思っても詮無いことだ。
魔族生の生物同士が共生し合うのに似ている状態だったのだろう。食事をとらなくても、密着する魔族生の生物から栄養が入り込んで、生きながらえていたのだ。
反応のない子どもに、デュレクは脱いだ上着をかけて、包み込んだ。近くに、手から抜けた剣が落ちている。拾い、鞘に納めた。
子どもを抱き、デュレクは、洞を後にするため立ち上がった時だった。
ひゅんと風切る音がした。
反射的に子どもを抱えて屈みこむと、頭上をナイフが飛んでいく。そのまま、遠くの鍾乳石に突き刺さった。
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~
一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、
快楽漬けの日々を過ごすことになる!
そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
転生したら冷徹公爵様と子作りの真っ最中だった。
シェルビビ
恋愛
明晰夢が趣味の普通の会社員だったのに目を覚ましたらセックスの真っ最中だった。好みのイケメンが目の前にいて、男は自分の事を妻だと言っている。夢だと思い男女の触れ合いを楽しんだ。
いつまで経っても現実に戻る事が出来ず、アルフレッド・ウィンリスタ公爵の妻の妻エルヴィラに転生していたのだ。
監視するための首輪が着けられ、まるでペットのような扱いをされるエルヴィラ。転生前はお金持ちの奥さんになって悠々自適なニートライフを過ごしてたいと思っていたので、理想の生活を手に入れる事に成功する。
元のエルヴィラも喋らない事から黙っていても問題がなく、セックスと贅沢三昧な日々を過ごす。
しかし、エルヴィラの両親と再会し正直に話したところアルフレッドは激高してしまう。
「お前なんか好きにならない」と言われたが、前世から不憫な男キャラが大好きだったため絶対に惚れさせることを決意する。
【完結】堕ちた令嬢
マー子
恋愛
・R18・無理矢理?・監禁×孕ませ
・ハピエン
※レイプや陵辱などの表現があります!苦手な方は御遠慮下さい。
〜ストーリー〜
裕福ではないが、父と母と私の三人平凡で幸せな日々を過ごしていた。
素敵な婚約者もいて、学園を卒業したらすぐに結婚するはずだった。
それなのに、どうしてこんな事になってしまったんだろう⋯?
◇人物の表現が『彼』『彼女』『ヤツ』などで、殆ど名前が出てきません。なるべく表現する人は統一してますが、途中分からなくても多分コイツだろう?と温かい目で見守って下さい。
◇後半やっと彼の目的が分かります。
◇切ないけれど、ハッピーエンドを目指しました。
◇全8話+その後で完結
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
運命の歯車が壊れるとき
和泉鷹央
恋愛
戦争に行くから、君とは結婚できない。
恋人にそう告げられた時、子爵令嬢ジゼルは運命の歯車が傾いで壊れていく音を、耳にした。
他の投稿サイトでも掲載しております。
王女、騎士と結婚させられイかされまくる
ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。
性描写激しめですが、甘々の溺愛です。
※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。
騎士団長の欲望に今日も犯される
シェルビビ
恋愛
ロレッタは小さい時から前世の記憶がある。元々伯爵令嬢だったが両親が投資話で大失敗し、没落してしまったため今は平民。前世の知識を使ってお金持ちになった結果、一家離散してしまったため前世の知識を使うことをしないと決意した。
就職先は騎士団内の治癒師でいい環境だったが、ルキウスが男に襲われそうになっている時に助けた結果纏わりつかれてうんざりする日々。
ある日、お地蔵様にお願いをした結果ルキウスが全裸に見えてしまった。
しかし、二日目にルキウスが分身して周囲から見えない分身にエッチな事をされる日々が始まった。
無視すればいつかは収まると思っていたが、分身は見えていないと分かると行動が大胆になっていく。
文章を付け足しています。すいません
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる