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四話
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食べ終えてベンチを出た二人は再び出店や花、人々を愛でながら歩き続ける。
花畑のなかに彫像があらわれる。
マーガレットが足を止め、苦笑した。
「記憶が戻ってから、あれ見るのつらいのよ」
「ああ、だろうね」
リーレンも足を止める。
彼方に見える彫像は、ルース・グレンヴィルをモデルとしている。
兜をわきに抱え、大剣を地に突きさす。
甲冑をまとい、マントを翻す、筋骨隆々とした、威風堂々たる男性として立っている。
「わかるでしょ、リーレンなら。私、もっと細かったこと」
「そうですね」
リーレンも苦笑する。
「違うって言いたいけど、歴史上、そう認識されてしまったら、訂正できないもの。あれは歴史上のルースであって、事実じゃない。分かっているけど、慣れるまで、もう少し、時間がかかりそうだわ」
複雑な思いを抱えるマーガレットに「戻りましょう」とリーレンが提案し、二人は元来た道を引き返した。
二人の関係は順調にすすみ、婚約も無事成立。
ある夜。
観劇と食事を終えて、ほんのりと酔っていたリーレンはマーガレットを自邸に連れ帰った。
寝室を別に用意させようとするリーレンに、今さら、とマーガレットが呆れ顔でおどけて見せる。
ならばとリーレンは使用人に、寝室ではなく、シングルベッドが二つある客間を用意するように指示を出した。
軽くシャワーを浴びて、寝間着に着替えた二人がそれぞれのベッドに横になる。ほんのりと酔った二人きりの夜に誘われ、普段は避けている過去世の話を、マーガレットが切り出した。
「数百年前とは別世界のようね」
「昔の傷跡も慰霊碑などで確認できるだけだからね。歴史上、僕たちのことはもう過去のものだよ。僕らはもう、なにもしなくてもいい。自分の幸せを享受していればいい、ただ人だよ」
「ただ人ってなにをしたらいいのかしら。ただ遊んでいてもいいの?」
「いいよ。僕の財産があれば、なにも気にしないで遊んで暮らせるのだから」
「私、ダメな人になりそう」
「それもいいんじゃない」
「ただ人じゃなくて、無能者になっちゃう」
「それもいいじゃないか」
「リーレンがこんなにつくしてくれる人だとは思わなかったわ」
「そう? 僕は昔から君の隣にいたし、ずっとつくし続けていたつもりだけどね」
「右腕としては有能だったわ」
「その前から、そばにいただろう」
うつぶせで横になるマーガレットがくつくつと笑う。
「そうね、一緒だった。私が、兄の代わりを演じる前も、後も……」
「……」
「前に彫像を見るのが辛い話をしたわよね」
「覚えているよ」
「あれは私でもないし、兄でもない。歴史をモチーフにした書物にも、私は全部、カッコいい男性なんて、どこの世界のどこの国の話なのか分からなくなるわ。作り話としては面白いけど。いったい、どこで私が、あんな大男になったのかしらね。リーレンは知っている?」
「さあ……」
「あなた、私より長生きしているといっても、そんな細かなことまで知らないわよね」
「……」
リーレンがふいと外を向く。
「こっち向いてよ」
ねだるマーガレットは体を起こした。
リーレンの熱を帯びた視線が向けられる。
「傍に行っていい?」
無言のリーレンが掛布をもちあげた。
そのなかに、マーガレットは滑り込み、その胸に飛び込む。
(あったかいわ)
触れ合うと懐かしさもこみあげてきた。現世ではなく、前世では、兄の友人として、ジンの膝に座って絵本を読んでもらったこともあったのだ。
長い間、それこそ、前世から続く数百年の時間を越えて、当時聞けなかったことをマーガレットは呟くように問うた。
「ねえ、リーレン。ううん、今だけ、ジンと呼ぶわ。あなたいつから私のこと好きだったの」
「さあ、どうでしょうね」
「戦火のなかで命を落とした兄の替え玉として動きはじめる前から? あの時まではまだ、私もそれなりに綺麗だったものね」
「あなたはむかしから、どこまでも綺麗ですよ」
「ずっと、戦場を駆けまわって、手も足も傷だらけだったのに? 私、色んな意味で綺麗ではないわよ」
マーガレットはよいしょと体を起こして、ジンと呼んだリーレンを上から眺める。前髪をかきあげ、覗き込む。
「あなたも、小奇麗になったものよね。ぼろぼろの冷たい目をした魔法使いだったのに」
「戦場を駆けまわっていたころはでしょう。過去は過去、今は今ですよ。あなただって、今は十六、七の普通の娘でしょう」
「そうね」
「ちょうどルースと入れ替わった時と同じくらいの年だ。今のあなたは、まるで二度と戻らない姿で戻ってきてくれたかのように見える」
「戻ってきたと思っていいじゃない」
「だからこそ、今しかない晴れやかな喜びを享受してほしいのですよ。数百年前は享受できなかった喜びを」
「十分、味わっているつもりよ」
「もっとですよ。そのために僕はいる。そんなあなたの姿を僕はもっと見たい」
「本当に、十分楽しいわよ。リーレンのおかげ、嘘じゃないわ」
うとうとしてきたマーガレットの頭部をリーレンが撫でる。
力を抜いたマーガレットが、リーレンの胸に頭部を寄せて、目を閉じた。
「ここで寝ていいのね」
「はい。ゆっくり、安心して。もう二度と辛いことがないよう。今世の人生はお守りしますよ。お姫様」
口元をほころばせ、マーガレットはすっと眠りにつく。
規則正しい寝息を胸に受け、リーレンはジンとしての記憶を辿る。
実力者のルースが兵を率い、統一を進めていく最中に命を落とした。
その勢いを止めるわけにはいかず、彼の妹がルースの名を受け継ぎ、将となり、兵を率ることになる。
ジンはどこまでも、ルースの手足となり働いていた。
ルースから見れば、有能な右腕。それ以上でも、それ以下でもない。
妹が化けたルースから見ても、その立場はかわらなかった。
平和になれば、ルースも妹に戻るとジンは信じていた。
愚かに、盲目的に信じていた。
(元にもどることはなかった。あの経験、あの身体を得て、彼女が元に戻ることなどありえなかったんだ)
責任と立場という重圧は彼女からなにもかもを奪い、彼女をがんじがらめにした。
彼女は王になった。
すべてを隠し。
今でこそ、統一を果たした象徴として彫像が飾られ、博物館に資料が展示されているとしても、彼女自身は褒められたことはなにもしていないし、失うものの方が多かった。
傍で見ていながら、そんな彼女にジンは何もできなかった。見守っていると言えば聞こえはいいが、それはなにもしなかったと等しいことだ。
そして、統一の道しるべを完璧に作り上げ、彼女は死んだ。
女性としての人生は皆無。
本当に、あれでよかったのか、墓の前で問うなかで、ジンは愚かな結論にいきつく。
ルースは男だ。
彼女は、兄の人生を継いだ時点で死んでいる、と。
男のエゴだった。
後世の人々にも、誰にも、ルースが女性であったということを知られたくない!!
入れ替わったことなど知られたくない!!
墓の前の決意は、生まれ変わった今も魂に刻まれている。
こうして、後世の誰もが、ルースを大男だと信じているように歴史を改変した。
現世で人々が、意図的にしむけた嘘を信じていると知った時には、リーレンはジンとして高らかと笑わずにはいられなかった。
そして、王太子の婚約破棄に出くわしたあの瞬間、リーレンの人生はひっくり返る。
今世で彼女ともう一度出会えるなんて、思ってもいなかったのだ。
実はあの時、王太子が開く夜会など参加予定もなく、眼中にさえ無かった。
ただ、王に呼ばれ、ねぎらいと報酬、婚姻はどうするのかなどとしつこい歓談のあとで、腹が減っていただけだった。
ちょっと顔を出してみないかと知り合いの貴族出の魔法使いに誘われたから行ったに過ぎない。
腹が減っていなければ、断っていたことだろう。
立食の料理を一人で、周囲に興味なしとばかりに頬張っている時に、王太子の婚約破棄宣言を聞いた。
宣言を受けているのが、マーガレットであることもすぐに分かった。
彼女を覚えてえいたのは、図書館で見かけていただけでなく、ルースと同じ髪色と瞳の色をしていたからだ。
気づいたのは、王太子の放つ王気に誘われ、彼女の王気が垂れ流された瞬間だった。
彼女の王気を感じた瞬間、体の中でなにかが弾けた。
顔をあげてとらえたマーガレットの立ち姿に後光が射して見えた。
彼女が特別な存在だとはっきりと認識した。
さながら、花に誘われる蝶のごとく、リーレンはマーガレットに誘われる。
(僕があなたの王気を見逃すことなんて、ありえない)
こうして、やっと彼女はジンの手に落ちた。
ジンの生まれ変わりであるリーレンは、再び戻ってきた尊い存在を抱きしめ、眠りにつく。
(今世こそ、あなたを幸せにしてみせます)
魂に、新しい契りを今夜、結びなおし……。
花畑のなかに彫像があらわれる。
マーガレットが足を止め、苦笑した。
「記憶が戻ってから、あれ見るのつらいのよ」
「ああ、だろうね」
リーレンも足を止める。
彼方に見える彫像は、ルース・グレンヴィルをモデルとしている。
兜をわきに抱え、大剣を地に突きさす。
甲冑をまとい、マントを翻す、筋骨隆々とした、威風堂々たる男性として立っている。
「わかるでしょ、リーレンなら。私、もっと細かったこと」
「そうですね」
リーレンも苦笑する。
「違うって言いたいけど、歴史上、そう認識されてしまったら、訂正できないもの。あれは歴史上のルースであって、事実じゃない。分かっているけど、慣れるまで、もう少し、時間がかかりそうだわ」
複雑な思いを抱えるマーガレットに「戻りましょう」とリーレンが提案し、二人は元来た道を引き返した。
二人の関係は順調にすすみ、婚約も無事成立。
ある夜。
観劇と食事を終えて、ほんのりと酔っていたリーレンはマーガレットを自邸に連れ帰った。
寝室を別に用意させようとするリーレンに、今さら、とマーガレットが呆れ顔でおどけて見せる。
ならばとリーレンは使用人に、寝室ではなく、シングルベッドが二つある客間を用意するように指示を出した。
軽くシャワーを浴びて、寝間着に着替えた二人がそれぞれのベッドに横になる。ほんのりと酔った二人きりの夜に誘われ、普段は避けている過去世の話を、マーガレットが切り出した。
「数百年前とは別世界のようね」
「昔の傷跡も慰霊碑などで確認できるだけだからね。歴史上、僕たちのことはもう過去のものだよ。僕らはもう、なにもしなくてもいい。自分の幸せを享受していればいい、ただ人だよ」
「ただ人ってなにをしたらいいのかしら。ただ遊んでいてもいいの?」
「いいよ。僕の財産があれば、なにも気にしないで遊んで暮らせるのだから」
「私、ダメな人になりそう」
「それもいいんじゃない」
「ただ人じゃなくて、無能者になっちゃう」
「それもいいじゃないか」
「リーレンがこんなにつくしてくれる人だとは思わなかったわ」
「そう? 僕は昔から君の隣にいたし、ずっとつくし続けていたつもりだけどね」
「右腕としては有能だったわ」
「その前から、そばにいただろう」
うつぶせで横になるマーガレットがくつくつと笑う。
「そうね、一緒だった。私が、兄の代わりを演じる前も、後も……」
「……」
「前に彫像を見るのが辛い話をしたわよね」
「覚えているよ」
「あれは私でもないし、兄でもない。歴史をモチーフにした書物にも、私は全部、カッコいい男性なんて、どこの世界のどこの国の話なのか分からなくなるわ。作り話としては面白いけど。いったい、どこで私が、あんな大男になったのかしらね。リーレンは知っている?」
「さあ……」
「あなた、私より長生きしているといっても、そんな細かなことまで知らないわよね」
「……」
リーレンがふいと外を向く。
「こっち向いてよ」
ねだるマーガレットは体を起こした。
リーレンの熱を帯びた視線が向けられる。
「傍に行っていい?」
無言のリーレンが掛布をもちあげた。
そのなかに、マーガレットは滑り込み、その胸に飛び込む。
(あったかいわ)
触れ合うと懐かしさもこみあげてきた。現世ではなく、前世では、兄の友人として、ジンの膝に座って絵本を読んでもらったこともあったのだ。
長い間、それこそ、前世から続く数百年の時間を越えて、当時聞けなかったことをマーガレットは呟くように問うた。
「ねえ、リーレン。ううん、今だけ、ジンと呼ぶわ。あなたいつから私のこと好きだったの」
「さあ、どうでしょうね」
「戦火のなかで命を落とした兄の替え玉として動きはじめる前から? あの時まではまだ、私もそれなりに綺麗だったものね」
「あなたはむかしから、どこまでも綺麗ですよ」
「ずっと、戦場を駆けまわって、手も足も傷だらけだったのに? 私、色んな意味で綺麗ではないわよ」
マーガレットはよいしょと体を起こして、ジンと呼んだリーレンを上から眺める。前髪をかきあげ、覗き込む。
「あなたも、小奇麗になったものよね。ぼろぼろの冷たい目をした魔法使いだったのに」
「戦場を駆けまわっていたころはでしょう。過去は過去、今は今ですよ。あなただって、今は十六、七の普通の娘でしょう」
「そうね」
「ちょうどルースと入れ替わった時と同じくらいの年だ。今のあなたは、まるで二度と戻らない姿で戻ってきてくれたかのように見える」
「戻ってきたと思っていいじゃない」
「だからこそ、今しかない晴れやかな喜びを享受してほしいのですよ。数百年前は享受できなかった喜びを」
「十分、味わっているつもりよ」
「もっとですよ。そのために僕はいる。そんなあなたの姿を僕はもっと見たい」
「本当に、十分楽しいわよ。リーレンのおかげ、嘘じゃないわ」
うとうとしてきたマーガレットの頭部をリーレンが撫でる。
力を抜いたマーガレットが、リーレンの胸に頭部を寄せて、目を閉じた。
「ここで寝ていいのね」
「はい。ゆっくり、安心して。もう二度と辛いことがないよう。今世の人生はお守りしますよ。お姫様」
口元をほころばせ、マーガレットはすっと眠りにつく。
規則正しい寝息を胸に受け、リーレンはジンとしての記憶を辿る。
実力者のルースが兵を率い、統一を進めていく最中に命を落とした。
その勢いを止めるわけにはいかず、彼の妹がルースの名を受け継ぎ、将となり、兵を率ることになる。
ジンはどこまでも、ルースの手足となり働いていた。
ルースから見れば、有能な右腕。それ以上でも、それ以下でもない。
妹が化けたルースから見ても、その立場はかわらなかった。
平和になれば、ルースも妹に戻るとジンは信じていた。
愚かに、盲目的に信じていた。
(元にもどることはなかった。あの経験、あの身体を得て、彼女が元に戻ることなどありえなかったんだ)
責任と立場という重圧は彼女からなにもかもを奪い、彼女をがんじがらめにした。
彼女は王になった。
すべてを隠し。
今でこそ、統一を果たした象徴として彫像が飾られ、博物館に資料が展示されているとしても、彼女自身は褒められたことはなにもしていないし、失うものの方が多かった。
傍で見ていながら、そんな彼女にジンは何もできなかった。見守っていると言えば聞こえはいいが、それはなにもしなかったと等しいことだ。
そして、統一の道しるべを完璧に作り上げ、彼女は死んだ。
女性としての人生は皆無。
本当に、あれでよかったのか、墓の前で問うなかで、ジンは愚かな結論にいきつく。
ルースは男だ。
彼女は、兄の人生を継いだ時点で死んでいる、と。
男のエゴだった。
後世の人々にも、誰にも、ルースが女性であったということを知られたくない!!
入れ替わったことなど知られたくない!!
墓の前の決意は、生まれ変わった今も魂に刻まれている。
こうして、後世の誰もが、ルースを大男だと信じているように歴史を改変した。
現世で人々が、意図的にしむけた嘘を信じていると知った時には、リーレンはジンとして高らかと笑わずにはいられなかった。
そして、王太子の婚約破棄に出くわしたあの瞬間、リーレンの人生はひっくり返る。
今世で彼女ともう一度出会えるなんて、思ってもいなかったのだ。
実はあの時、王太子が開く夜会など参加予定もなく、眼中にさえ無かった。
ただ、王に呼ばれ、ねぎらいと報酬、婚姻はどうするのかなどとしつこい歓談のあとで、腹が減っていただけだった。
ちょっと顔を出してみないかと知り合いの貴族出の魔法使いに誘われたから行ったに過ぎない。
腹が減っていなければ、断っていたことだろう。
立食の料理を一人で、周囲に興味なしとばかりに頬張っている時に、王太子の婚約破棄宣言を聞いた。
宣言を受けているのが、マーガレットであることもすぐに分かった。
彼女を覚えてえいたのは、図書館で見かけていただけでなく、ルースと同じ髪色と瞳の色をしていたからだ。
気づいたのは、王太子の放つ王気に誘われ、彼女の王気が垂れ流された瞬間だった。
彼女の王気を感じた瞬間、体の中でなにかが弾けた。
顔をあげてとらえたマーガレットの立ち姿に後光が射して見えた。
彼女が特別な存在だとはっきりと認識した。
さながら、花に誘われる蝶のごとく、リーレンはマーガレットに誘われる。
(僕があなたの王気を見逃すことなんて、ありえない)
こうして、やっと彼女はジンの手に落ちた。
ジンの生まれ変わりであるリーレンは、再び戻ってきた尊い存在を抱きしめ、眠りにつく。
(今世こそ、あなたを幸せにしてみせます)
魂に、新しい契りを今夜、結びなおし……。
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